【SBS】新宿文藝シンジケート読書会、第78回概要
1.日時:2017年08月26日(土)18時〜20時2.場所: マイスペース新宿区役所横店1号室3.テーマ:田中 圭一『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』を読む。※ 参考図書:岡田尊司『うつと気分障害 』(幻冬舎新書)、桜玉吉『幽玄漫玉日記⑥』、『御緩漫玉日記 ③』4.レジュメ作成:さえきかずひこ(@UtuboKazu)
5.備考:FBイベントページ
(作成者:さえきかずひこ)
明日の読書会を前に、レジュメ作成を先行公開することにした。まず、結論としては下記のようなものである。
結論:『うつヌケ』は、多様に存在する〈うつ状態〉の原因や問題点を広く探り、その改善したケースの変化の過程を分かりやすくマンガで表現した素晴らしい作品だ!しかし、もちろん読む上での注意点もあるので、長年〈うつ〉に苦しんできたわたし(さえき)の観点も加えて、本書に見受けられるいくつかの特徴を順に見てゆくことにしよう。
多くの人に取材していて、読者に〈うつ〉患者の多様性に気づかせるのが『うつヌケ』の最大の特徴だ。それを一覧するために、本書に登場する〈うつ〉の人物17名とそのエピソードをかんたんにまとめてみた。特徴としては、優れたクリエイターである田中さん(以下敬称略)の知り合いの、クリエイティブで成功しているように見える人々が多く出てくる。ゆえに、それなりの長い間〈うつ〉に悩んでいる、一般の=平凡な読者には距離を感じさせてしまうかもしれない。その点は気にならないでもない。
この表からも分かる通り、本書は診断名としての〈うつ〉にはこだわらず――もっとはっきり言うと、多くの場合どんな病名なのかは作中で明示せず――「症状・現象としての〈うつ〉」を広く取り上げているところも特徴である。各話に登場する彼/彼女の病名は必ずしも明らかにならず、各人固有の〈うつ〉症状に苦しんでいる(この視点が読者に伝わるのが共感性を高める上で、非常に重要!)。また彼らは通院しているとは限らず、最終的に何らかの気づきを経て、「うつヌケ=うつ状態からの寛解か改善」に至ったことが示唆される。基本的には登場人物が皆この〈うつヌケ〉のパターンを経るかたちで本書は構成されているので、読者が病に悩んでいる場合、多くは読後ほのかな希望を抱けるようになっている。
本書の特異な点は、主人公である田中自身が結果的には通院ではなく、一冊の本(宮島賢也『自分の「うつ」を治した精神科医の方法』)を読んで、その内容などを実践しながら回復していく点にあらわれている(pp12-14)。しかし、『うつヌケ』の中にも記されているが、田中がしたように(精神の病を持つ人が)病院から処方される薬を飲むのを突然やめてしまうのは、多くのケースで危険である(p.10)。
たしかに、毎日処方薬を飲んでいても遅々として改善しない症状に苦しみを覚える時期が3年ほど続いたわたしの場合も深い絶望感があったが、彼のように薬を飲むのをやめることはしなかった。田中の場合は、彼自身の試行錯誤と経験を経て、偶然――彼の主観では必然かもしれないが――相性の良い本に出会い、運良く〈うつヌケ〉できたと捉えるのが妥当だろう。薬の処方が増え、服薬するのが長期間にわたってつらく感じられる人の場合は、ぜひ主治医に相談して、その気持を伝えてほしい。
さて、心身好調な人に不調であることを理解してもらうのは一般的に言って難しい。とくに精神の病は難しい。たとえば、ばんそうこうが貼られたり、三角巾で吊られている腕は、誰が見てもケガをしていることが明白だ。ところが、精神の病は目に見えない。主治医との対話と投薬で治療される多くの精神疾患には、罹患してみないと分からない辛さがある。それは、症状そのものもさることながら、病の困難さに共感してもらいにくい孤独感が中心的である。病者のわがままのように聞こえるかもしれないが、そこに真実があるのだ。
これまでに当事者、非当事者を問わず精神の病について書かれた活字の本は山ほどあり、中には素晴らしいものも存在する[1]が、精神の病を抱える当人の周囲――家族や友人――が、ある程度専門的=医学的な内容を深く理解し、その上で病者の孤独感・絶望感までをも感じ取ることは一般的にいって難しい。
『うつヌケ』は、ヴィジュアル表現として長年蓄積された方法論を持つマンガで著されており、多くの人にわかりやすく、病者の孤独感・絶望感にさえ親しみやすいところが特徴だ。精神の不調はたいてい行動に現れるので、周囲がその不調に気づかない訳ではない。しかし、その不調が治療を要するような深刻なものなのか、それともその個人の性格や気質に由来する振る舞いなのか、周囲が判断するのはなかなか困難だ。
いずれにしても、田中が10年近くそのような症状によって孤独に苦しんだ結果から、様々な知り合いの症例を集めて作品化しようとしたことは、うつ病罹患中(8年目にしてほぼ寛解)のわたしからすると想像に難くない。彼は、あとがきで「うつトンネルで苦しんでいる多くの人たちにとって「偶然出会う一冊」を描いて世に出さねばならない、そういう思いから本書執筆に思い至りました」(p.173)と書いているが、この強い使命感は、自身がうつ病者であったという強い意識に裏打ちされたクリエイター特有のモチベーションと捉えられそうだ。
おそらく田中は、前述した狭義の〈うつ病〉ではなく、広く「〈うつ〉という症状・現象の多様性」を世間に知ってもらう方法として、マンガの形態として本書を世に送り出した。個人としてではなく、しばしば集合的な〈患者〉として扱われがちな、精神の病に苦しむ者の疎外感をすくい取ろうとするその姿勢は、ほのかに明るく前向きな、それでいて押し付けがましくない『うつヌケ』の語り口から感じ取れるだろう。
[1] 例えば林公一の著作、『擬態うつ病』(宝島社新書)、『躁うつ病』(保健同人社)など。