今年みた映画---2017年上半期その1
"視える美、視えない愛" 2017年の映画---上半期3位『ブラインド・マッサージ』より続く

2位:『太陽の下で-真実の北朝鮮-』/ヴィタリ・マンスキー

 

劇場:2月後半、シネマート新宿で。

なぜジンミは泣いたのか


…あなたにも考えてほしい。ジンミはなぜ泣いたのか。この命題は、なぜこのカットをラストに使ったのかと言い換えてもいい。そこにはきっと(マンスキー監督の)真実がある。明瞭な輪郭は持たないけれど、とても大切な真実だ。


■ 森達也がパンフレットに寄せた思わせぶりな一文を読みながら、YouTubeの有料レンタル(驚きの高画質!)を利用して、再びこの映画を、観ていた。一週間ほど前には、北朝鮮の国営放送局、朝鮮中央放送が『特別重大報道』として、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験成功を発表していた。Twitter中毒の疑いがかけられているアメリカ合衆国大統領ドナルド・J・トランプは、すぐさまツイートで『応酬』したが、その内容は「日本と韓国がだまってないだろう」という投げやりなものだった。日本国内の自称/他称の軍事評論家や退屈しきったネット民は、「これで戦争になる」「反日朝鮮人を滅ぼせ」などと沸いていた。

■ なぜジンミは泣いたのか?その瞬間は、唐突に訪れる。作品の終末部、金日成の生誕記念日『太陽(テヤン)節』にかかわる式典が長く映し出されたあと、画面は平壌の遠景からジンミへのクローズアップに切り替わり、彼女は、入団が決まった少年団での活動に期待することは何か?と問われる。「少年団は組織活動をします。そうすれば過ちにも気付くことができ、大元帥様のためになにをすべきか分かります…」いつも通り、暗記した紋切りの台詞をこたえる途中にことばがつかえ、しばし口ごもったのち、その瞳から涙がこぼれおちる。

■ 取り乱す少女に驚いたマンスキーは、撮影を続けながら、「好きなこと」を考えるよう促すのだが、彼女は困惑したように「よく分かりません」とこたえ、沈黙が続く。「好きな詩はある?」さらに問われると、ジンミは涙を拭ったのち、「偉大なる金日成大元帥様…」からはじまる少年団の心得のようなものを諳んじはじめ、その様子にあわせて鳴り響き出すメインテーマと共に映画はエンディングへむかう。


※ 2017年7月10日現在、当該のシーンを抜き出した中国語字幕の動画をYouTubeで観ることができる。ジンミの顔があまりにも愛らしいがゆえに、発する言葉の異様さがきわだつ。ある種オカルト的ともいえる映像。

■ 涙の理由は分からない。そもそも子供はささいなことでも泣き出すものだし、撮影が続いた緊張だとか、覚えていたことを忘れてしまったとか、要因はいくらでも考えられる。ただ、その様子に、【幼い魂が死に絶えていくことを目の当たりにした恐れ】を感じたとパンフレットのインタビューで答えるマンスキーの意図=『真実』は、とくに考えるまでもなく明らかだろう。専制君主への絶対的な忠誠が児童にも刷り込まれ、自然な感情にも摩擦を起こさせる、そうした無惨を生み出す国をわたしは撮ったのだ、と。


どんな子供も生まれた時から自由です。たとえ牢屋の中にいたとしても子供は自由なのです。しかし牢屋にいると意識した時からすべてが始まるのです。最後の子供時代がなせる業で、そこからこの社会を作る体制の一部となっていく、そういう涙なのです


■ 露骨といえばあまりに露骨で、【奇跡的に撮影できた】とも言うマンスキーの敵対的な姿勢に疑問を感じるむきもあるかもしれない。けれど、好きな詩を言ってみろと促された子供が、強制の如何を問わず朗々と独裁体制を讃えることばを唱え出す状況を、わたしはまともだとは思わないし、端的に、「狂っている」。マンスキーの『真実』を、わたしは支持する。


『真実』の顔---人民ではなく人間の

■ 前回、キム・ギドクの『The NET 網に囚われた男』を評したなかで、ギドクのつくりあげたフィクションは、現実を差し出すマンスキーの『真実』には叶わない、と書いた。具現化されたディストピアのような、『なま』の北朝鮮はあまりに強烈で、半端な想像力では対抗することなどできないからだ。

■ もちろん、厳密に言えばマンスキーの『真実』も、つくりあげられたものではある。手垢まみれの形容だけれど、撮り方ひとつで、眼前の風景はまったく違ったものに変化する。森達也のきめ台詞ふうにいえば、「ドキュメンタリーは嘘をつく」。マンスキーも、『嘘』をつく。だが、「アクション!」と市民に叫んで演技をつける、隠し撮りされた役人監督の姿も含めて、映し出される出来事(偽装や介入や圧力)は実際に起きている。マンスキーは、自身が直面する困難もふくめ、すべてを記録することで状況に対峙しようと試みた。

■ そして、苦闘の末にマンスキーが完成させた『真実』の姿は、きわめて美しい。『太陽の下で』が、単にジャーナリスティックな告発にとどまるものではなく、芸術の領域にも位置する理由が、そこにある。カット割りを最小限にし、入念な調整がなされた構図で続く長回しの画面はときにアウグスト・ザンダーのポートレイトやベッヒャー派のランドスケープを連想させ、これまで北朝鮮を撮影した凡百のドキュメントとは比較にならないほど映像的な緊張感に満ちている。

■ とりわけ、地下鉄駅のホームとそこから発着する列車に乗り込む人々を車内外から捉えたシーンは作中の白眉で、観るものすべてに忘れがたい印象を残すだろう。弦とピアノの旋律が物哀しく響くなか、撮影するカメラ(わたしたち)をじっと見つめる平壌市民の姿、とりわけその視線に孕まれる感情の機微は、わたしたちがよく知る『人民』の狂態とはまったく違う、『人間』のものだ。ジンミの涙が真実の瞬間ならば、彼らの顔にもまた、それがある。

■ 場面が地上へと切り替わる前、出口にむかう人々を追ったカメラが最後に映し出す金正日の巨大な壁画は、虚像の『強盛大国』を求めるのは誰なのか、『人間』を『人民』に変えるものはなんなのかを、無言のまま告発する。


審判のあとに

■ 2017年7月5日、ロイター通信によれば、北朝鮮のICBM発射成功の報を受けて、ヘイリー米国連大使は以下のように発言した。


国連安全保障理事会の緊急会合で、北朝鮮による核ミサイル開発計画の阻止に「やむを得なければ」軍事力を行使する用意があると警告した。大使は北朝鮮による弾道ミサイル発射で「外交的解決の余地が急速になくなってきている」と指摘し、米国は自国と同盟国を守る用意があると強調。「われわれの能力の1つが少なからぬ軍事力であり、そうせざるを得なければ、行使する。ただ、そうした方向に進む必要がないことが好ましい」と述べ、北朝鮮の友好国である中国に対して一段の影響力行使を求めた。



■ 米国本土まで届く核ミサイルを開発したと主張する金政権に対して、情緒不安定なアメリカ合衆国大統領の我慢が「本当に」限度を超えるのは、いつなのか。大規模な空母打撃群を派遣し、北朝鮮を全面攻撃するのか、しないのか。著名な在日朝鮮人ジャーナリストは「8月後半までに80%の確率で軍事衝突が起こる」とタブロイド紙に開戦予想を発表した。

■ その予想が合理的な分析の結果なのか、求められればいつでも飛ばす商売上の与太なのか、或いはどちらでもあるのか、わたしの判断するところではないけれど、ともかく実際に空爆が行われれば、またたくまに平壌は灰燼に帰すことになる。バカバカしいほど巨大な金親子の像をはじめ、工場から学校から何から、映画にうつし出されたものはすべて破壊されるだろう。被写体になった人々は「元帥様の盾」として動員され、ジンミやクラスメイトたちも生命が脅かされるだろう。

■ マンスキーの捉えた平壌の姿は、そうした死と破壊が訪れたあとに振り返られ、悔悟と共に追憶される『真実』の一片でもある。歴史の審判が下される日がいつになるのかは、未だ分からないが。


『人類遺産』/ニコラウス・ゲイハルターへ続く