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【ロングビーチのマリアさま --- 04】
から続く


ふたたび長堤聖寺


日曜日の朝、いつものように早起きして海岸沿いの遊歩道を走り、その帰り、マリアさまに立ち寄った。今日は長堤聖寺で一般向けの行事があるはずだけど、どんな人が来るんだろう?朝の7時半をまわったあたりで、長堤聖寺の入り口に東南アジア系の男性がふたり腰かけて、世間話をしている。英語ではない。

 

入り口のドアは開いていて、中が見えた。思ったより明るい。話している男性たちに聞いてみた。



「一般向けの行事があるんですか?」

「あるよ。今日は阿弥陀経だけど、参加していく?」

「今日でなくて、また今度このお寺は、何語で話をするんですか?」

「ここは中国のお寺なんだ。でも中国語とベトナム語と英語で話してるよ」

「あなた方が話している言葉は、何語なんですか?」

「ベトナム語」


英語が通じるなら、一度来てもいいかもしれない。そう思いながら、長堤聖寺を後にした。

 

その翌週はランニングには行かず、お寺の行事に参加する服装で長堤聖寺に向かった。私がアジア系で女性で中年というのは好都合だった。参加者の集まる時間帯だったが、まるで違和感がない。私がこのお寺に来るのが初めてだと、誰も気がつかない様子だ。入口のドアを入った場所が小さなロビーのようになっていて、その中央にガラスケースを並べたカウンターがあった。こげ茶色の衣を着た運営スタッフらしい女性がいる。案内係なのだろうけど、私が「よそ者」であることがわかっている表情だ。彼女に話しかけた。


「初めて来たんですけど、今日の行事は一般向けですよね?参加できますか?」

「できますよ。見るだけですか?それとも参加しますか?」

「参加したいです」

「それじゃ、こっちに来てください」


今日は消災吉祥のマントラを唱えるそうで、本堂の中で座る場所を教えてもらう。左側が女性、右側が男性で、瞑想センターとは逆さまだ。


「まだ始まるまで時間がありますから、よかったら入口ホールに展示してある本を見ませんか?」

「そうします」

「本堂、入口ホール、それをつなぐ廊下以外の場所に入らないでくださいね」

庭を見ることはできますか?」

「庭は閉鎖したんです」


彼女はあっさり答えたが、私の質問が彼女の心に「要注意フラッグ」を立てたのは間違いないだろう。メンテナンスのための一時的な閉鎖ではなく、「閉鎖した」と言った。でも、何日か前、通りに立つマリア像の背後から長堤聖寺の庭を覗き込んだ時に、庭が手入れのよい芝生になっているのが見えた。手入れはしているのだ。立入禁止になっているとは思えない。

何か特別な事情があるのだろうか?

僧院の庭に安置された「もとのマリア像」が目的で僧院に来る人たちと、トラブルでもあったのだろうか?

 

マリア像を見ることができないのは残念だったが、ともかく「見ることができない」ことになっているのはわかった。どうして庭を閉鎖したのか理由が気になったけれど、わざわざ聞く気になれなかった。ここはお寺で、そういうことを議論する場所じゃない。


歌とマントラ


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本堂の奥には祭壇があり、仏像が並んでいるが、天井や壁のデザインは修道院時代を偲ばせるものだった。定刻までに30人ほどの男女が集まり、祭壇の前には黄色い衣をまとった尼僧がふたり座った。海岸でよく見かける、東南アジア系の男性僧侶とはずいぶん雰囲気が違う。中国の尼僧なのだろうか?(後日、ネットで調べてみたら、同じ地域にカンボジアの仏教寺院があることがわかった。いつも海岸を散歩しているお坊さんたちは、たぶんそこの僧侶なのだろう)

 

それぞれの席には、キリスト教の教会のように、歌の本が置いてあった。マントラを唱える前に、歌の本に出ている歌を歌う。前の席の女性が何ページ目か教えてくれた。歌詞は中国語だが、旋律は単純で、間違えながらも他の人たちと一緒に歌った。

 

本の横には、マントラの言葉を書いたカードが置かれていた。右側が中国語で書かれたマントラ、左側がその発音をアルファベットで記したものだった。意味はわからないが、僧侶の詠唱と一緒に「唱えているフリ」をするのは難しくないし、何回も繰り返すので音は覚えてしまう。はじめは立った姿勢で唱え、それから本堂の壁に沿って歩きながら唱え、席に戻って座った姿勢で唱え、歩きながら唱え……と繰り返す。

スケジュール表には8時から1010分までマントラ詠唱と書いてある。2時間以上唱えるのは大変じゃないかと思ったけれど、歩いたり座ったりを繰り返すので、実際には身体がきついということはなかった。


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2時間経ち、マントラのあと、もう一度歌を歌って解散になった。


帰ろうと思ったら、こげ茶色の衣を着た男性に話しかけられた。先週の朝、このお寺の行事のことを教えてくれた、ベトナム人だった。

「そうだ、先週この人と話したんだ」


思ったとたん、どっと疲れが出た。見知らぬ場所で過ごすのは、やはりストレスだったのだろう。


「先週の方ですね。今日はこれからお食事のお供えがありますけど?」

「私のことを覚えてくれていたんですね。どうもありがとう。でも今日はもう十分なんで、これで帰ります」

「そうですか。ここは毎週違う行事をするんですけど、来週は観音菩薩の法要があるから、来たらいいですよ」

「そうします。また来週」


本堂を出て、ロビーに向かった。壁に壁龕(へきがんがあり、仏像が置かれている。両側のパネルにはピンクの衣を着た天使が描かれていた。修道院時代にはキリスト教の聖像が置かれていたのだろうか。


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なぜマリア像は残ったのか?


結局、庭に安置されたマリア像を見ることはできなかった。残念だったけど、よく考えれば、もともとはこのお寺の偵察にきたとき、たまたま発見したものなのだ。寺の行事へは参加できたのだから、当初の目標は達成したわけだ。

 

でも、そのマリアさまには思いもよらなかった複雑な背景があり、前までも書いてきたように、「長堤聖寺訪問計画」は、いつの間にか「マリア探求」になってしまったのだった。

 

1990年代にカルメル会の修道院が移転したとき、マリアさまがロングビーチに残った理由はいくつかあるようだ。

長堤聖寺のウェブサイトを見れば、寺側の理由は明白だ。長堤聖寺がカルメル会の修道女たちに、仏教の『観音菩薩』として拝むから、マリア像を残してほしい。そう頼んだのだ。修道女たちはそれを承諾した。けれど、
マリア像の『自称管理人は、修道女たちは、地域の住民がマリアさまにお参りできるように像を残したのだ、と言っていた。

 
どちらも一応の説明にはなっているけど、どこか納得しきれない。

 

長堤聖寺の僧たちが『観音菩薩』を拝むのなら、『観音菩薩』の像を用意すればいいわけで、それが『ロングビーチのマリアさま』でないとダメだという理由はない。地域の人たちがマリアさまを拝めるように、というのであれば、住民が立ち入ることのできない僧院の庭にマリア像を移動するのはおかしい。

 

私は、修道院がロングビーチから移転する時点で、地域にはすでに根強い『マリア信仰』があったのではないかと思う。

それがどういう類の信仰なのかはわからない。でも、閉ざされた僧院の壁を乗越えて拝みたいと思う人がいるほどの像だ。もしかしたら、熱烈な信奉者がたくさんいたのかもしれない。

 

これは推測だけれど、元修道院の土地と建物を購入する時点で、仏教団体はその変わったマリア信仰について知るところがあったのではないか。「マリア像を観音菩薩として礼拝する」という説明だけでは、説得力に欠ける。普通の観音菩薩像ではなく、「あのマリアさま」でないとダメだったのじゃないだろうか。

 

でも、譲り受けたマリア像を僧院の庭に移動させてしまったのは、なぜだろうか?もうひとつ、腑に落ちない。

拝むだけだったら、通りに面した元の場所でもいいような気がするし、外部の人間が入れない僧院の庭園に像を移動してしまったおかげで、像の信奉者とのあいだでトラブルにも見舞われたようだけど、マリア像を元の場所に戻すことは考えなかったのだろうか?

 

そして、修道女たちは、40年間修道院と共にあったマリア像を残していくことを、残念だと思わなかったのだろうか?自分たちと一緒にサンタバーバラへ連れて行きたくなかったのだろうか?

これも推測だけれど、キリスト教の正当な道を歩む彼女たちは、地域の信者の異教習合的で度を越したマリア信仰に手を焼くことがあったのかもしれない。私は宗教の専門家ではないからよくわからないが、修道士や修道女のような信仰生活の『プロ』にとって、物質的な『像』の重要性はあまり高くないのかもしれない。もしそうなら、ロングビーチにマリア像を残していくという選択は合理的だ。

 

マリア像に関して何も利権のない純朴な『マリア信者』たちは、像が僧院の中に移動されれば塀を乗り越えて参拝し、代わりの像が建てられれば、そちらを参拝している。修道女や僧侶のそれと比べれば、宗教として純度の低い信仰なのかもしれない。けど、マリアさまに一番愛されているのは、彼らかもしれない。

 

そういえば、マリア像の前で瞑目している時に、「愛が一番大事ですよ」という言葉が心に浮かんだことがあった。


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おわりに - マリアさまをめぐる信仰の風景


ロングビーチのマリアさまは、物質的には、金属の芯の入ったコンクリートの塊だ。著名な作家の作品でも何でもない、普通の像だ。彼女が奇跡を起こしたことがあるのかどうか、私は知らない。でも、マリアさまを拝む人たちの長年の無垢な信仰が、彼女に特別な力と価値を与えたのだと思う。

 

人間のそういう精神的な行為は、私たちが知らないうちに、何でもないモノや場所に特別な意味を与える。

それは精神行為を保存しておくメディアのようなもので、必要な時はアクセスして『情報』を取り出すことができる。そういった情報が人間の心を落ち着け、勇気づけることを、私たちの多くは感覚的に知っている。家庭に御守やイコン、神棚や仏壇があるのは珍しいことじゃない。特に信心はしていなくても、出産や結婚、受験、親族の死亡の理由で、あるいは観光目的で神社仏閣を訪問するのは、私たちの日常の一部だ。

 

コンクリートでできたマリアさまに『意思』があるわけはないのだが、彼女を取り巻く人々の熱意と思惑が、彼女に力を与えた。

 

カルメル会の修道女たち、長堤聖寺を運営する仏教団体、地域のマリア信者たちはそれぞれ違った思惑と望みがあり、その結果、マリアさまはロングビーチに残り、しかし仏教僧院に『幽閉』され、彼女の『影武者』がその代理を務めることになった。

 

マリアさまにも、思惑や望みがあったのだろうか?サンタバーバラのブドウ畑で修道女たちの試練を見守るより、ロングビーチの海岸を眺めながら地域の信者の土着的な信仰を浴びるほうが自分らしいと思ったのだろうか?

 

当の住民たちは、彼女をめぐる信仰の風景の周辺で代理のマリアさまを拝むことで、特に不都合はない。不都合に苦しんだのは、その風景の中で大きな位置を占める修道女たちと長堤聖寺だ。

それぞれが正しいと思った道を歩んだ結果なのだと思う。崇高な精神生活が平和や幸福を担保するとは限らない。ただ、そういう幸福を望むことをあえて止めた人にだけ訪れる自由や、可能性みたいなものもあるのかもしれない。

その時はもう、マリアさまも祈りも必要ない気がする。

(了)

(デジタル画像編集、編集、構成/東間嶺@Hainu_Vele)