その朝は、いつもよりビーチに行ったのが遅かった。前日の夜ひどく暑くて、よく眠れなかったのだ。海岸でランニングしたあとマリア像のところへ行ったのは、9時を回ったあたりだった。週末の朝で、私のほかにも何人かお参りしている人がいた。
「お参りする」といっても、実のところ、私はお祈りはしていない。キリスト教徒ではないから祈りの文句を知らないし、願い事をするのも何か違うかなと感じている。
像の前で瞑目すると、朝の空気の冷たさと肌に当たる陽射しの温もりを同時に感じ取ることができる。こういう時、生活の些細なことをあれこれ考えてもしょうがない。
瞑想の終わりの数分のように、頭の中でいろんな言葉がはじけるように浮かんでくることもある。それはマリアさまのお告げでも何でもなくて、多分自分の心の中にあるものが『言葉』を獲得し、認識できる形になるだけなのだろう。それはでも、まるで、マリアさまがしゃべっているみたいでもあり、おもしろい。
「わたくしに祈るより、もっと他にすることがあるでしょう」
することって、何だろう?
夢みたいなことばかり考えていないで、現実の生活をなんとかしろ、ということなのだろうか?
瞑目し終わって目をあけるまで、マリアさまの左手に白人の男性が立っていることに、気がつかなかった。
この場所で、白人を見るのは初めてだった。
70代半ばくらいの年齢で、首にロザリオをかけている。彼はほとんど毎日、朝の9時くらいから午後までマリアさまの所で過ごすそうだ。自発的に管理人のようなことをしているらしい。それまで見かけたことはなかったが、私がマリア像へ行くのはいつも早朝か夕方だから、時間帯が合わなかったのだろう。この近くで育ち、今も住んでいるという。
マリアさまの周りには、お花や小さな十字架やイコン、時には小額の紙幣などを供える人も多い。そういったものは「マリアさまの物」だから、誰でも好きに持っていってよいのだという。実際、そうでもしなければマリア像の周りはお供え物だらけになってしまうに違いない。
マリアさまに白いペンキを塗ったのも彼で、費用はお供えから捻出したという。
「みんなマリアさまに触るからね。時々塗りなおさないと、汚れてくるんだ」
そう話す彼の横で、東南アジア系の男性がマリアさまの衣、そしてサンダルを履いた足に接吻した。こんなうふうに、いつも誰かがマリアさまに触っている。
彼はマリアさまに供えられた小さなイコンを私に渡して、「これを持っていったら?」と勧めた。プラスチックのケースに入った履歴書の写真くらいの大きさのイコンで、片面が聖母マリア、反対側がイエス・キリストだった。
キリスト教徒ではないから、という事情もあるけど、そもそも私は、御守や護符の類が得意ではない。エレクトロニクス機器に磁石を近づけると、ときには壊れてしまうことがあるそうだけれど、それと同じように、御守の『磁力』が私の心のバランスに影響するような気がするのだ。だから、むやみに家に持ち込まないことにしている。
彼から手渡されたイコンは、そのままマリアさまに供えることにした。
彼の話だと、ここにはかつて25~30人ほどの修道女が住んでいたそうだ。仏教団体のウェブサイトにあったように、彼女たちはマリア像を残していったが、それは地域の人たちのためだったのだという。
ところが、長堤聖寺はそのマリア像を僧院の庭に移動した。
僧院の庭は塀で囲まれているから、一般の人はマリア像に近づけなくなってしまった。
それでもマリアさまに参拝したいと望む人が絶えなかった。塀を乗り越えて庭に入り込む者も現れた。さすがに不都合なので、塀の外側、もともとマリア像のあった場所に新しい像を建てたのだという。
だから、通りに面した場所に立っている、みんなが参拝しているマリアさまは、実は影武者なのだ。
「もともとのマリアさまはね、新しいマリアさまの真後ろに立っているんだよ。見える?」
彼はそう言った。
マリアさまの背後は僧院の塀で、その内側は僧院の庭だ。その塀の反対側、マリアさまと背中合わせの場所に、小さな建造物の屋根の部分が見えた。マリア像のための祠なのだろう(冒頭の写真がその祠だ)。