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ロングビーチのマリアさま --- 01】から続く


お参り

ある朝、海岸に延びる遊歩道をランニングしていると、散歩中だろうか、黄色い僧衣のお坊さんが歩いていた。目が合ってしまったので、ハロー、と話しかけた。

お坊さんは片言しか英語が話せない。
それでも、そのお坊さんが『お寺』の近くに住んでいることはわかった。

彼に、「ベトナム人なのか?」と聞かれた。ベトナムのお坊さんなのだろうか?何か目的があって米国に滞在しているのだろうか?もしかして、『長堤聖寺』で修行しているのだろうか?

いろいろ聞きたいことはあったけど、何しろ言葉か通じない。ランニングする時の肌の露出度の高い服装で僧侶と話をするのも、なんだか落ち着かなかった。お坊さんに別れの挨拶をして、また走り始めた。

 

ランニングへ行くたび車で長堤聖寺の前を通っていたけれど、わざわざ建物まで行ったことはなかった。長堤聖寺のドアは閉まったままで、中がどんなふうになっているのか気になるものの、いきなり訪ねる気はしない。でも、マリアさまのほうはいつも誰かがお参りしているし、私もいつも前を通っているんだし、僧院の偵察を兼ねて、一回くらいお参りしてみようか。

そう思って、ある朝マリア像の前に車を止めてお参りしたのだった。

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奉仕活動する人がいるのか、マリア像の周りはきれいに清掃されていて、像の両側に作られた花壇もよく手入れされていた。花壇にはソーラー式の庭用ランプがたくさん立っていた。デザインはみんなばらばらで、おそらくロウソク代わりに奉納されたのだろう。マリアさまの足元にも、奉納されたらしい鉢植えの花がたくさん飾られていた。


私は、キリスト教のお祈りの作法はよくわからない。でも、マリア像の両側に跪いてお祈りする場所があって、そこでしばらく瞑目した。精神が集中するのがわかり、たくさんの人が祈りをささげる特別な場所だということを感じた。


像と碑

瞑目のあと、改めて像を眺めた。

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修道院のマリア像だからなのか、修道女の服装をしていて、幼子は抱いていない。全体が真っ白なペイントで塗られていて、その冷たい質感のせいか、慈悲深いというよりどこかツンとした印象の顔立ちだ。けれど合掌した彼女の手は、その表情に似合わず、農婦のように無骨だ。これには、何か意味があるのだろうか?

 

像の台座の碑銘には、以下のように刻まれている。

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HORY MARY, MOTHER OF GOD

PRAY FOR US. 

PRAY FOR THE FAITHFUL OF THIS AREA 

AND OUR ARCHDIOCESE. 

PRAY FOR THE BELOVED OF OUR NATION. 

PRAY FOR AND DIRECT THOSE WHO GOVERN US. 

PRAY FOR OUR BENEFACTORS.

HOLY MARY, MOTHER OF GOD,

PRAY TO THY DIVINE SON FOR ALL OF US. 

聖なるマリア、神の母、

私たちのためにお祈りください。

この地域の信仰する者のために、

そして私たちの大司教区のためにお祈りください。

私たちの国の、愛する者のためにお祈りください。

私たちを統治する者のためにお祈りください、そして彼をお導きください。

私たちに恩恵を施す者のためにお祈りください。

聖なるマリア、神の母、

神聖なる神の子に、私たちすべてのためにお祈りください。



なんだか政治的な文言でちょっと興ざめしたが、この銘板が設置されたのは何十年も前で、その頃は米国の国教はキリスト教だとみんなが思い込んでいたのだろう。ともあれ、マリアさまは神様ではないから、マリアさまにお祈りするのではなく、「お祈りしてくださいとマリアさまにお願いしろ」というのは、理にかなっていると思えた。


詣でる人々

それ以降、建物に入らなくてもいいという気軽さもあり、私は時々マリア像へ立ち寄るようになった。


拝むだけでなく、マリアさまを拝みに来る他の人たちを眺めるのも面白かった。
マリアさまの前で、年配のカップルとその娘らしい若い女性の3人がどこかの国の言葉でお祈り(お経?)の文句を唱えていたこともあった。まるで隠れキリシタンのようだった。


マリアさまの近くを定位置にしているホームレスの男性もいる。お参りの人たちが話しかけることもあり、居心地がいいのだろう。私も一度、話したことがある。

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Today will be a beautiful day.


彼はそう言った。きっと思ったより若く、60代半ばくらいなのだろう。にっこり笑った彼の口には、歯が一本しかなかった。いったいどうやって食事するんだろう。

別の日、マリアさま像の下で瞑目したあと自分の車に戻る途中、
60歳くらいのアジア系の女性とすれ違った。彼女が手にしたトートバッグの中に、瞑想で使うようなクッションが入っている。

この人もお参りかな?お参りする時にどうやってクッションを使うんだろう?

すれ違ったあと、後ろを振り返って彼女の様子を見ていたら、立ったままマリア像に向かって、額の前、口の前、胸の前で3回合掌した。仏教式の合掌で、クッションは出番がない。彼女はそのまま長堤聖寺の建物に入っていった。
不思議に思ったが、多分彼女は仏教徒で、礼拝以外の用事で長堤聖寺に来たのだろう。キリスト教のマリアさまにも敬意を払いたかったのかもしれない。

その日は日曜日で、時刻は朝8時少し前だった。
長堤聖寺を使った瞑想会でもあるのだろうか?

そう思って、長堤聖寺の入り口へ行ってみた。中にいる人たちの履物が置かれていて、一般の人が参加できる行事のスケジュール表がドアに貼ってあった。


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カルメル修道会


マリア像の台座の右側に、もうひとつ小さい碑銘があった。『ENTRANCE TO CARMELITE CHAPEL→』(カルメル礼拝堂入口 →)と刻まれている。


どうやら仏教の僧院になる前は
カルメル修道会の修道院だったようだ。修道女たちは、どこへ行ってしまったのだろう?今はどこにいるのだろう?長堤聖寺のウェブサイトに掲載された沿革には、修道女たちは1990年代に土地と建物を売却したあとサンタバーバラに移転した、と書いてあるだけで、それ以上のことはわからない。


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そのあとも、修道院が長堤聖寺になる前のことを知りたくて、あれこれと情報を検索した。とはいえ20年以上も前の話なので、これといったものは見つからず、その代わり、ロングビーチには現在もカルメル会系の学校があるということや、カルメル会の修道院は規則の厳しさで知られていることなど、いくつか周辺の情報を得ることはできた。宗派の実践として、福祉や教育などの社会活動よりも観想生活を強調しており、祈りと労働の生活を通じて神の言葉の実現を願うのだという。

 

17世紀、植民地時代のメキシコでバロック詩人として知られたソル・フアナは修道女だった。オクタビオ・パスの著作では、修道女としての信仰生活は平均的なものであったとされているが、彼女は一度メキシコシティのカルメル会に修練女として入会したのち、おそらく規律の厳しさを理由に脱退し、もっと生活の自由度の高いヒエロニュムス会の修道院に入りなおしている。

 

現代の修道士、修道女たちは、どんな生活を送っているのだろう?

カルメル会系の団体はたくさんあり、彼らのウェブサイトには修道生活の様子も説明されている。宗派の教える通り、世間とは切り離された修道院の中で労働と祈りの生活を送り、観想を深めるため必要以上の会話はしない。おおよそ、カルメル会の修道生活はこんなイメージだ。

 

今は長堤聖寺になっているロングビーチのカルメル会修道院は、ロングビーチを引き払う時点で、すでに40年の歴史があったという。ということは修道院は1950年代に開かれたのだろう。

当時はこのあたりも静かで、修道生活を送るのには向いていたのかもしれない。修道院の中で生活が完結できるよう、敷地の中に菜園や診療所もあったのだという。しかし時代が流れ、ロングビーチは発展して人口も増えた。1990年代に修道女たちが移転を決意したのは、都市化により環境が変化して、修道生活には向かなくなったからなのだそうだ。

 

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ロングビーチで学校を運営するカルメル会は、移転してしまったカルメル会修道院と、何か関係があるだろうか?学校を運営するカルメル会の組織、Carmelite Sisters of the MostSacred Heart of Los Angelesの本部はロサンゼルス近郊のアルハンブラという町にある。


この教団の設立事情はちょっと変わっていて、メキシコでの宗教迫害を逃れて米国に渡った尼僧が開いたのだという。

メキシコは1821年にスペインから独立を果たしたが、20世紀はじめになると独裁政権に反対するゲリラが局地的に戦闘をおこなうようになった。多くは貧しい農民であったという。1910年に革命が起こり、同じように政治に不満を持っていた中間層、労働者、地主も巻き込み、血みどろの戦いが10年近く続いた。革命が終結すると、今度は社会主義的な政府が宗教弾圧を行った。

教団を設立した尼僧、マザー・ルイシータはメキシコのグアダラハラの出身でメキシコで宗教活動をしていたが、迫害に遭い、1927年に難民として米国に来たのだった。他のメキシコ人修道女と共にロングビーチの教区に身を寄せていた期間もあり、カルメル会が運営する学校はその教区の教会のすぐ近くだ。

 

ただ、彼女らのウェブサイトには、ロングビーチで女子修道院を運営していた、という記載はなかった。

 

ロングビーチ市立図書館の蔵書カタログを調べたが、こちらにもそれらしい文献はなく、徒労に終わった。市役所のウェブサイトには20世紀前半頃までに建てられた歴史的建築物のリストがあるが、ここにも長堤聖寺/カルメル会修道院は記載はなかった。





(デジタル画像編集、編集、構成/東間嶺@Hainu_Vele)