ロングビーチのマリアさま彼女をめぐる信仰の風景、あるいはささやかなスキャンダル
はじめに
聖母像は、ふつう礼拝堂の中にある。
あるいは、美術的価値のある聖母子像が美術館に展示されている。
でも、ロングビーチの海岸に面した見晴らしのよい通りには、お地蔵様のように立っているマリア像がある。マリアさまの背後は、仏教の僧院だ。
海岸に沿った遊歩道をランニングする時に、赤や黄色やオレンジ色の僧衣をまとった仏教のお坊さんたちが散歩しているのを見かけるのは、取り立てて珍しいことではない。身体にタトゥーを彫りこんだ男たちやブラトップの女たちがワークアウトに励む海岸の遊歩道を、米国での生活にまるで慣れていない様子の年配の僧たちが散歩する風景はちぐはぐで、コミカルですらある。
マリアさまと仏教僧院の組み合わせも、この地域の文化的多様性のひとつの例に過ぎないのだけれど、どこか無視できないものを感じていた。それは私がかつて、キリスト教が支配的であるメキシコに住んだこと、そしてここ何年かは瞑想を習慣にしていることと関係あるのかもしれない。
マリアさまと長堤聖寺
健康維持のため、週に何回か海岸まで出かけてランニングすることにしている。自宅から海岸まで車で20分ほどの距離だけれど、『長堤聖寺』はその途中にある。漢字で書かれた大きな看板が出ているが、入り口のドアはいつも閉まっていて、人が出入りするのを見たことがなかった。中はどうなっているんだろう?といつも気になっていた。
長堤聖寺の前には、真っ白なマリア像がある。キリスト教のマリア像と仏教僧院の組み合わせが不思議で、どういうことなのかネットで調べたことがあった。そうしたら、長堤聖寺は以前、キリスト教の修道女たちが暮らす修道院だったことがわかった。
マリア像は、その一部だったのだ。
寺を運営する仏教団体のウェブサイトによると、1990年代にかれらが修道院から建物を購入したとき、マリア像を残すよう要望したのだそうだ。仏教では観音菩薩を礼拝するから、マリア像を観音菩薩として拝みたい、という理由だった。
礼拝堂も教会もないのに、このマリアさまはとても人気があって、お参りする人が絶えない。参拝者はほぼ全員東南アジア系で、まれにヒスパニック系の住民が参拝しているのも見かけるけれど、白人と黒人は見たことがない。ロングビーチには全米最大のカンボジア人コミュニティがあるから、彼らの多くはカンボジア人なのもしれない。参拝者は男性より女性のほうが圧倒的に多い。像の前で十字を切り、跪いて祈るのだけど、それとは別に、像を触る参拝者がとても多い。日本の神社仏閣で、「触るとご利益のある」石像を参拝者が撫で回す様子とよく似ている。
ロングビーチという町
日本の人に、「ロングビーチに住んでいる」というと、「風光明媚な保養地なんでしょうね」と言われることがある。このあたりは19世紀の後半まで広大な牧場だった。20世紀の初頭にはリゾート開発なども行われたが、1921年に油田が発見されると一転して建築ブームが起こり、急速に都市化を果たした。太平洋戦争中は海軍基地もあったけれど、戦後は商業港として発展している。だから、地域のステレオタイプは保養地なんかじゃなく、「港で働く荒くれ男やギャングが住むガラの悪い街」である。
私がロングビーチに住み始めたのは2001年だ。仕事の理由で、同じカリフォルニア州のサンディエゴから転居した。サンディエゴは、1990年代にバイオテクノロジーの発展で注目を集めたモダンな街で、軍港として発展した歴史もあるそこは、同時に軍人の街でもある。
港湾労働者と違って、軍人さんは基本的にお金を持っている(サンディエゴの街の整った雰囲気は、そのあたりに理由があるのかもしれない)。ロングビーチへの転居にあたって、サンディエゴの知人たちが真顔で心配していたのを、今でも覚えている。
港湾労働者と違って、軍人さんは基本的にお金を持っている(サンディエゴの街の整った雰囲気は、そのあたりに理由があるのかもしれない)。ロングビーチへの転居にあたって、サンディエゴの知人たちが真顔で心配していたのを、今でも覚えている。
「ギャングのいる危ない町に住んで、大丈夫なのか?」
でも、あの頃と比べると、ロングビーチはずいぶん変わった。ダウンタウンの再開発が進み、地域のビジネス振興を目的にした大掛かりなイベントも盛んで、たくさんの観光客が来るようになった。
ロングビーチの現在の人口は約47万人だ。南カリフォルニアの自治体はどこでもそうだけれど、ヒスパニック系の住民が多く、4割以上がヒスパニックで市長もペルー人だ。白人は3割弱。周囲の地域と比べると、ロングビーチは黒人の存在感も大きい。そしてそしてカンボジアやベトナムなど東南アジア系の人たちも目立つ。