---『回花歌』梗概---
舞台は2000年代、とある大陸の西方にある街。"私"と家族は牛肉麺屋を営んでいる。街は、かつて核実験が行なわれていた土地のすぐ近くにあり、その影響を暗に示すような出来事が、家族の周囲ではいろいろと起きている。しかし、"私"と家族を含め、街の人々は核や原子力に対する正しい知識や情報を持たず、故に恐れを抱くこともない。彼らは宗教と自身の信仰心を大事にし、家族や親族、友達を大事にして生きている。「何かがおかしい」と感じられるような状況下でも、人々の生活は変わらずに続いてゆく。『回花歌』は、そんな物語である。
 

4--- "信仰と労働"より続く)

5--- "信仰と生活 "


 そろそろ日没だ。男性陣がモスクに到着しただろう頃、アザーンが大音量で聞こえてきた。母と叔母、そして私はそれぞれ作業の手を止めて厨房の隅にひざまずき、額を床につけて礼拝を行った。母と叔母が頭から被っている黒いヒジャブの裾が、礼拝のたびに前後に揺れた。



 私の友達でも、既婚者は必ずヒジャブを被る。年配の女性とは違い、とくに若者はカラフルなヒジャブをファッションとして楽しむ。ショッキングピンクやスカイブルー、金色のラメがキラキラしたものなど、街にはそうしたヒジャブを扱う店が20軒は下らなかった。どの店も店頭に色鮮やかなヒジャブを飾り、若い客の購買意欲をそそった。

 つい最近も、結婚した友達がヒジャブを10枚以上まとめ買いするところに居合わせた。私は未婚で、早く結婚したいという気もとくになく、ヒジャブにさほどの興味もない。だから正直に言って、その友達の気持ちはよくわからない。しかし、店頭で瞳を輝かせながら、「これはどう?」と私に感想を求める彼女を間近で見ていて、きっと既婚者にはとても大事なものなのだろうと思わせられた。それはファッションとしても、また我々が信仰する宗教の一部としても。



 台所での礼拝から閉店作業へ戻ると夜7時を過ぎていた。今日の精算を終えると母は厨房に入り、白瓜と青椒、玉ねぎを適当な大きさに切りはじめた。夕食の準備だ。あとについて私も厨房に入り、バットから麺の生地の余りを取り出して綿棒で細長く平たくのばした。そして、表面に菜種油を薄く塗り、菱型様にリズム良くちぎって、湯をはった鍋の中に一片ずつ放り入れていった(それをこの街では麺片という)。切った野菜を母が中華鍋で炒めはじめたころ店の戸が開く音がした。父や叔父、兄、ライヒが帰ってきたのだ。

 同時に、勝手口から「毎度」という声が聞こえた。

 食器洗浄店の店員が来た。私は生地を素早くちぎり終えて勝手口へ行き、今日の使用済食器ケースが6つあることを告げた。店員はケースの数を確認すると台車に積み上げて、それを一旦外に運び出し、今度は消毒済の食器を入れたケースを台車に載せて戻ってきた。私は、それをおろすのを手伝うと、ズボンの右ポケットからお金を取り出して店員に渡した。渡すときに偶然店員と手が触れて、何故か胸がドキドキした。

 店員は背が高く、痩せていて、顔はまだ20代なのにガサガサした手をしていた。私はその店員の名前を知らなかったし、店員もきっと私の名前を知らないに違いなかった。けれど毎日、顔を合わせるうちに、いつのまにか彼に会えることは1日で1番の楽しみとなっていた。

 ケースをおろし終えると、その店員は来たときと同じように「毎度」と威勢良く言い、勝手口の戸を閉めて私の前からいなくなった。



 厨房に戻ると、ゆであがった麺片をライヒが笊で掬い、母が野菜や肉を炒める中華鍋に入れているところだった。できあがった炒麺片の盛りつけられた皿が、すでにいくつかカウンターに並んでいた。私は、それをテーブルに着席して話している父や叔父、兄、叔母のところに運んだ。運んでいる最中から羊肉の良い香りが私の鼻をにぎやかし、ますます空腹に拍車をかけた。

 ライヒは厨房から出て人数分のグラスを用意し、茎茶を注いでまわった。私は布巾でカウンターの上を拭いたり、まな板の上に残された野菜くずを片づけたりしながら、母の作業が終わるのを待った。片づけを終えた母が厨房を出たあと、私もその後ろについて、みんなが着席するテーブルへと向かい、やはり1人分しか座るスペースの無いところにライヒと並んで2人で座り、父の述べる神への感謝の言葉を聞きながら、今日の無事を感謝した。

 着席して、ふと隣のライヒを見ると、ものすごい勢いで炒麺片を口の中にかきこみ、五分もしないうちに平らげてしまった。父や叔父、兄は昼食時と同じように、薬草の話で盛り上がっていた。この週末、街の肉屋や牛肉麺屋から有志を募り、数人で薬草を摘みに行くことになったようだ。母はすかさず「警察に見つかったらどうするの」と諌めたが、叔父は「1人で行くわけではない」と答えた。さらには兄も、一人で豚肉を食べれば神の怒りを買うだろうが、みんなで豚肉を食べれば神だってあきらめるさと冗談を言った。

 これに父は黙っていられなかったようで、みんなで豚肉を食べたって神の怒りを買うに決まっているだろうと反論した。すると兄は苦笑いを浮かべながら、たんなる比喩だよと言い訳し、今度は母をなだめるように、薬草を摘みに行く計画をくわしく話しはじめた。

(6へ続く)


(編/構/校:東間 嶺@Hainu_Vele)