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【SBS】新宿文藝シンジケート読書会、第75回概要
1.日時:2017年05月27日(土)18時〜20時2.場所:マイスペース新宿区役所横店1号室3.テーマ:宮下紘『ビッグデータの支配とプライバシー危機 (集英社新書)』を読む。4.レジュメ&トーク:東間嶺、荒木優太、さえきかずひこ、本郷保長5.備考:FBイベントページ→https://www.facebook.com/events/1386748161405802/
■ 上掲の通り、2017年4月22日土曜日に、第75回新宿文藝シンジケート 読書会が開かれました。取り上げられた図書は宮下紘『ビッグデータの支配とプライバシー危機 (集英社新書)』。冒頭はいつもと異なり、本書の内容やいわゆる『ビッグデータ』などについて、参加者複数による雑談が行われました(使用されたレジュメは東間嶺@Hainu_Veleが作成)。
遺伝子とビッグデータ
■ 当日は公開の雑談、非公開のディスカッション共に遺伝子情報の管理とビッグデータに関しての言及が多くみられました。宮下の著書は、前74回で取り上げた安藤寿康『遺伝子の不都合な真実』と関連する部分が複数存在し、連続したものとして今回選ばれたという経緯があるため、話題もその点に集中しました。
■ プライバシー権の専門家である宮下によれば、今後のビッグデータ運用のもっとも核心となる要素のひとつが、個々人の遺伝子情報をさまざまに関連付けて管理し、治安対策などにも役立てる技術(個人情報を分析するDNAプロファイリング、監視カメラのデータベース化に応用するデータベーランス/detaveillance等)だということですが、人の能力や身体特性の相当多くにかかわる部分が、これまで把握されていた以上に遺伝子の影響を強く受けていることが明らかになりつつある現在、高度な情報管理技術とそれらの結びつきに注意が払われるのは当然のことでしょう。『プライバシー』『自己決定』の概念自体が大きく揺らぎかねない時代に、わたしたちには一体どんな選択肢をとりうる『自由』が残るのか。そんな諸々も考えさせる一冊でした。
■ 惜しむらくは、事例の説明が羅列的で浅く、全体としてやや散漫な印象も残る点。今後は、専門家としての大著が期待されます。
■ 惜しむらくは、事例の説明が羅列的で浅く、全体としてやや散漫な印象も残る点。今後は、専門家としての大著が期待されます。
論点1:前回選書(『遺伝子の不都合な真実』)との関連点→ゲノム情報の分析と利用、ビッグデータを使ったDNAプロファイリングをどう捉えるか?---引用→【ビッグデータの時代においてプライバシーへの重大な脅威となるのは、前章でも少し触れた「プロファイリング」です。プロファイリングとは、特定の個人像を評価し、個人の労働力、経済状況、位置情報、健康、選好、信頼性、行動などを分析し、予測する目的でデータを自動処理すること】(p73)---point→人間の能力に及ぼすDNA影響の解析進展とビッグデータ分析のコンボで、遺伝情報による選別と階層化、優生思想の肯定化が促される懸念。
論点2:プライバシーの価値について→危機は本当に"危機"か?---そもそもプライバシーの"権利"=自己情報コントロール権はなぜ重要なのか?---引用→【人間にはなぜプライバシーが必要なのでしょうか?(…)それは、プライバシーの放棄は個人から「自由」や「尊厳」を奪い去るからです。(…)仮にプライバシーを放棄した社会が現実となったならば、おそらくその行き着く先は、人間は個人情報を生み出す単なる商品となり、「人間らしさ」そのものを捨て去る世界になるでしょう。】自分が人に見せたい自分(自己提示/ゴフマン)をコントロールできない、できないと信じなければ、経済活動や対人コミュニケーションで不利益を受ける。ex→アイドルの交際情報、議員の政治活動etc---Question→自己情報をコントロールできる範囲が変われば、それに伴って、「人間らしさ」の意識も変わるのではないか。隠せなければ、隠さなくてもかまわない、という生き方になるのでは?【ネットワーク化された自我を造形する権利】(宮下)。にとどまらない変化の可能性。ex→SNSによる無恥化現象。mixiとFBにおける情報開示意識の変転。究極形態としての生主(ナマヌシ)カルチャー。
論点3:社会生活における個人の主体、選択的意志の変容可能性→主体であることを諦める?---引用→【人間の条件とは主体であること、主体であるとは、自然な感情や欲望に抗ったり、自己決定として不合理な選択をもとりうるということ】(宮台真司)---Question→ビッグデータの蓄積とディープラーニングの進んだAIによる「合理的な解」が常に示され続けるであろう現在から近未来における社会において、人間の主体はどこにあるのか?そもそも、現状の世界で、人間は"主体"である必要が存在するのか?自動機械化した方が"幸福"なのではないか?論点4:統治とビッグデータ。自由の相反性、優先度について。---より効率的な統治のために、監視テクノロジー、「データベーランス(detaveillance)」)、プロファイリングはどこまで用いることが許されるか?ex→"共謀罪"から発展する【予測的警備(predictive policing)】。治安改善の事例もあるが、治安維持機関のパラノイア的な暴走、監視社会と紙一重。