※再生画質はHD720pをお勧めします。


【SBS】新宿文藝シンジケート読書会、第74回概要
 
1.日時:2017年04月22日(土)18時〜20時
2.場所:マイスペース新宿区役所横店
3.テーマ:安藤寿康『遺伝子の不都合な真実―すべての能力は遺伝である (ちくま新書)』を読む。
5.備考:FBイベントページ→https://www.facebook.com/events/909890262447435/



上掲の通り、2017年4月22日土曜日に、第74回新宿文藝シンジケート 読書会が開かれました。ミサイルは飛んでこず、平穏無事な回でした(時事ネタ)。同月に取り上げられたのは、安藤寿康『遺伝子の不都合な真実―すべての能力は遺伝である (ちくま新書)』。冒頭レクの担当は選書した本郷保長(@HNGYSNG)です。

※ 当日配布のレジュメはこちらからDLできます(当日の動画は冒頭に貼ってあります)。


「不都合な真実」---遺伝と才能

一般にはあまり馴染みのない『行動遺伝学』の研究者が明らかにする「不都合な真実」とは何か?

大雑把に言うならば、それは、「ヒトの能力」に及ぼす遺伝の影響が「一般人がボンヤリと想像している通りのものであった」ということ。「蛙の子は蛙」など、特に厳密な裏付けのないまま共有されてきた市民的な感覚は、双生児法やゲノム解析などの進展で「正しかった」ことが明らかになりつつあるのです。

教育学者でもある著者の安藤は、そうした研究の成果を紹介しながら、いまや教育の大前提として疑われない「機会の平等」を批判します。

どういうことか?

経済的な成果を最大化することがもっとも賞賛される現今の社会は、「平等に」競争した結果の不平等を肯定しています。しかし、そこで発揮される能力/パフォーマンスの差に遺伝の影響が考慮されず、単に各個人の努力不足とされるのでは社会的公正さに欠けるのではないか、ということです。

「頑張れないのは君のせい」では済まされない。
あまりにも大きくなった格差には何らかの是正措置がとられなけばならない。

自身の才能不足に懊悩してきた選書者の本郷も、現今の社会を「生まれや人種ではなく、個々人の能力による差別が正当化される能力差別社会」として批判し、社会生活全般への遺伝影響が避けられないならば、政策として経済的な「結果の平等」を確保することが大事だと力説しました。

近代的な人権の概念と「機会平等」(それ自体は間違っていませんが)信仰に強く支配された世界がすぐ変わることは考えられませんが、今後、DNAの及ぼす影響がさらに明らかになれば、劇的に状況が動く可能性自体は否定はできません。


"悪用"について---人種主義とDNA

最後に、著者自身も懸念を表明していますが、遺伝やDNAに関する研究は差別的な用いられ方をするリスクと常に隣り合わせであり、特にグローバリズム/グローバリゼーション的な状況への反動から高まる人種主義に悪用される懸念があることを付記しておきたいと思います。

※ 21分46秒からテイラー本人がインタビューに対して自身の考えを語っています。今日的なレイシズムのサンプルとして非常に興味深いものです。是非御覧ください。

上気の動画には、『アメリカン・ルネサンス』というウェブサイトを主宰するジャレッド・テイラーのインタビューが収められています。日本生まれで現在は米国に住み、自身を『レイス・リアリスト』と称するテイラーは、彼自身によれば「25年以上も続けている」という以下のような主張が『オルト・ライト』という排外的な市民運動と結びつき、前年の大統領選挙にも大きな影響を与えたと言われています。


「人種間の生物学的、遺伝的差異は明らかで、能力差も厳然としている。歴史的にそうだったように、同じ人種こそ家族の延長として共同体を形成し、それぞれ棲み分けるべきだ」


集団平均と個人差を無視するなど、テイラーの認識自体には飛躍が大きいのですが、実際のところ、研究の進展によって、近代的な人権感覚からは絶対のタブーだったIQなどの人種間差異が証明される可能性が出てきています。「それは優生思想にお墨付きを与えるのではないか?」という懸念を誰しも覚えるでしょう。著者は、そうした態度を【「実際に遺伝的差異があったら、自分はそれを理由に差別する」という優生的態度】(p193)と批判していますが、統計や遺伝のレベルで根拠が認められれば、テイラーのような人々が勢いづくことは間違いのないところです。「差はある。あとは価値観の問題だ」とくるわけです。

そういった勢力にどう対峙してゆくか、遺伝は、科学であると同時に、思想としても問われるものであるということです。