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【SBS】新宿文藝シンジケート読書会、第73回概要
1.日時:2017年03月25日(土)18時〜20時2.場所:マイスペース新宿区役所横店2号室3.テーマ:森達也『死刑(角川文庫)』を読む。4.概説:東間 嶺 "やっぱり僕は、彼を救いたい/殺したい" ---森達也『死刑』(角川文庫、2013)を読む。※ 参考動画:ビデオニュース・ドットコム『なぜ日本人は死刑が好きなのか?』( 2008年05月31日放送)5.備考:FBイベントページ↓
https://www.facebook.com/events/909890262447435/
■ 上掲の通り、2017年3月25日土曜日に、第73回新宿文藝シンジケート 読書会が開かれました。同月に取り上げられたのは、森達也『死刑』。冒頭レクの担当は選書した東間嶺(@Hainu_Vele)です。主眼としては、森の本自体を論じるというより、本の問題提起を通して死刑について(個々人の立場を表明しながら)ディスカッションする、というものでした。
※ 当日配布のレジュメはこちらからDLできます(当日の動画は冒頭に貼ってあります)→https://drive.google.com/file/d/0B5Z85xuBi5K3Y0dxUmhUd1hhVFU/view?usp=sharing
一人称で死刑存廃について考える
(※ 以下は、選書した東間嶺(@Hainu_Vele)による)
■ いまや米国と並び、先進国のなかでは例外的な死刑存置国となっている日本。本日(5月3日)は憲法記念日ですが、死刑の合憲性に関しても、刑事裁判においては1948年のいわゆる【死刑制度合憲判決事件】を主な根拠として、違憲性が退けられています(多くの廃止派はそれを認めませんが)。
■ 先進国以外でも、国連加盟国における全体の趨勢は完全に死刑廃止へと動いており、今後、流れが進むことはあっても戻ることはあまり考えられません。そうした状況下で、国連から再三の停止要請を受けてもなお極端に高い制度への支持がある日本は、遠くない将来、市民の自由意志表現が制限されている国々以外では最後の制度維持国になる可能性もあります。つまり、日本のみが、死刑を多数派市民が主体的に支持する国になる、ということです。
■ 果たして、わたしたちは、そうした例外を受け入れるほど死刑について考えているでしょうか?そもそも、知っているのでしょうか?いつ、どこで、誰が、なぜ、どのようにして処刑されるのか。これは、裁判員制度が開始されて以降、事件の非当事者である市民も死刑判決へ関与させられるようになっているわけですから、日本の主権者である以上どのような人であっても(確率上)他人事ではありえません。一体、わたしたちは死刑という制度に対して、どのような態度をとるべきか。
■ 最終的に、森は、制度のテクニカルな問題点とは別に、「僕は彼らを死なせたくない/殺すことは嫌だ」と、あくまで個人の感情から死刑に絶対的反対の立場を表明します。わたし自身は、(詳しくは上記リンク先のレジュメを読んで頂きたいですが)応報の手段として殺刑を放棄するべきではないという理念的な面から死刑の存置には賛成する立場ですが、森の疑義に賛同する部分も多いですし、制度について点検した上で個人の感情を強く出すことは、他者の感情に対する呼び水にもなると評価します。
(※ 実際、Amazonのレビューでは反対派が絶賛がする一方、「誘導的で姑息だ」「論理的に稚拙」「感情的すぎる」などの批判も噴出しています。当日の会でも、参加者から「森さんの書きぶりがすごくナルシシスティックで受け付けない」という類の意見がいくつか出ました。)
■ 森は、同書中、および他の機会でも、「世界の趨勢に左右されることはない。本当に国民が必要だと思うならば最後の一国になっても維持すればよい。けれども自分にはその必要性が分からない」と繰り返します。「最後の一国」が日に日に表現の飛躍と言えなくなっている以上、賛成にせよ反対にせよ、わたしたちは個人として、死刑への向き合い方を考え直す時期に来ているのではないでしょうか。
■ わたしは、死刑に賛成するわたし自身としてそのように思います。
※ 最後に、4月2日に森も参加して放送されたニコニコ生放送の討論番組へのリンクを貼っておきます。非常に中身の濃いものですので、是非ご覧になって下さい。