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「私の在野研究素描」資料
- 2017年04月10日 11:09
- 資料
2017年4月8日(土) 、杉並区産業商工会館(杉並区阿佐谷南3丁目2番19号)で、思想の科学研究会主催の春のシンポジウム「『これからの彼等に見える風景』 民間アカデミズム④」に、彫刻家・金巻芳俊さんと一緒に講師として登壇しました。
当日用いたレジュメ「私の在野研究素描」を一番下に掲載しておきます。
金巻さんの話で面白かったのは、木を材料にして彫刻をしていると、出来上がった作品が置かれる場所(風土)によって、木の割れが広がったり縮まったりすることがある、ということ。インターネットを活用してグローバルに売り込みができる一方で、周囲の物理的な環境の条件(湿度や気温)によって完成を経てもなお生成変化してしまう作品のコントラストは、私の有島論にとっても大きな暗示を与えてくれたように感じた。
当日の議論では、鶴見俊輔のいう芸術三分法(純粋芸術、大衆芸術、限界芸術)を提出してみた。これが学問論になるとアカデミズム、ジャーナリズム、サークルイズムの三分法に変奏されるわけだが、いずれにせよ、ハードな制度によって保証された正統領域が縮小していき(純粋芸術やアカデミズムの後退)、またインディペンデントな活動が商業のなかでも力を得ていくと(在野研究・独立研究、ウェブ小説の衝撃、二次創作同人誌、Twitter漫画……)鶴見が分けてみせた安定的な分類が極めて難しくなる。又吉直樹『火花』現象は大衆芸術と純粋芸術との共犯関係で生じるが、この手の組み合わせは、もはやどの項同士でも(儲かれば?)よく見られる日常茶飯事だ。節操なく?
混淆状態自体が文化論的に興味深く、また在野の未来を応援したい一方で、現状が最善かどうかは依然として議論の余地があるかもしれない。今後とも理解を深めていきたい。