『回花歌』---梗概

舞台は2000年代、とある大陸の西方にある街。"私"と家族は牛肉麺屋を営んでいる。街は、かつて核実験が行なわれていた土地のすぐ近くにあり、その影響を暗に示すような出来事が、家族の周囲ではいろいろと起きている。しかし、"私"と家族を含め、街の人々は核や原子力に対する正しい知識や情報を持たず、故に恐れを抱くこともない。彼らは宗教と自身の信仰心を大事にし、家族や親族、友達を大事にして生きている。「何かがおかしい」と感じられるような状況下でも、人々の生活は変わらずに続いてゆく。『回花歌』は、そんな物語である。
 


1--- "朝"


 朝の5時になると母屋から店の厨房へと向かい、その隅にひざまずいて母とともに礼拝を行った。父や兄、いとこのライヒは、叔父の運転する農業用トラクターに乗ってモスクへ向かった。これから夜が明けるなんて思えないほど外は暗かったが、そのうちに朝が来ることは間違いなく、しばらくするとモスクへ出向いた者たちが戻ってきたので、私達家族は開店の準備にとりかかった。

 およそ1㎝角のサイコロ状に切った牛肉を茹でたもの、細かく刻んだ葱、牛尾のスープ、麺の生地。牛肉麺屋を営む私達家族が開店前に用意するのは、その4つである。
 前日の夜に茹でておいた牛の塊肉を、まな板の上でサイコロ状に切り分ける。葱は細かく刻み、みじん切りにする。前日から煮こんでおいた牛尾のスープは大きな笊に濾し、別の鍋に移し替えたら、ひきつづき弱火で煮込み続ける。大きな板に打粉を敷き、その上で小麦粉、かんすい、塩、水をすばやく混ぜ合わせ、ひとつにまとまったら、なんども板に打ちつけては捏ねる。そして、一食分ずつを丸め、大きなアルミ製のバットに並べ、乾燥を防ぐために湿った布巾をかけておく。
 ほかには茎茶の用意も忘れてはならない。金色の大きなアルミのヤカンに茶の茎と水を入れ、火にかけて煮出す。店に来る客は、自由にそれを飲むことができるのである。

 開店の準備が終わったら、次は朝食つくりにとりかかる。我々家族の朝食は、もちろん牛肉麺である。小分けにしておいた生地をすばやくのばして、板にタァンタァンと打ち付けてはクルクルと回転させる。これをなんどもくりかえすと、ひとつにまとまっていた白い生地が、何十本という細い糸のような麺に変わってゆくのである。
 麺ができると、兄は、大きな鍋に沸かした湯の中にそれを放り入れ、菜箸で軽くかきまわしながら、ゆであがりを見はからってお碗に上げ、熱々の牛尾のスープを注ぐ。そして母が、その上に刻み葱とサイコロ状の牛肉をのせ、さらにその上からたっぷりのラー油をふりかければ出来上がりである。
 できあがった順からカウンターに並べられる牛肉麺を、私とライヒはテーブルに運び、箸を用意して湯呑み茶碗に茎茶を注ぐ。家族全員が着席したら、父はゆっくりと神への感謝の言葉をのべる。それを聞きながらいつも、私達は今日の無事を祈り、牛肉麺を食べはじめるのである。

 
 朝の礼拝、そして開店準備を終えたあとに食べる牛肉麺は、毎朝食べているはずなのに昼食や夕食とはちがって格別に美味しかった。昼は、客がひかないうちは午後2時すぎまで食事がとれないし、閉店後は、すっかり疲れていて夕食を味わう余裕などなかった。それにくらべて、朝はすこしだけ我慢して早く起きれば、しゃっきりと目の覚めた頭で熱い牛肉麺を、ゆっくりと身体いっぱい味わうことができた。
 
 最初の一杯を食べ終えると、父は母にお碗を差し出し、おかわりを求めた。母は自身の食事の手を止め、父のお碗を受けとると厨房へと向かった。兄も食べ終え、自身のお碗を手にして席をたち、厨房へと向かった。ライヒもすでに食べ終えていたが、私達家族と暮らしはじめて、まだ1週間もたたないせいか、おかわりは遠慮することにしたのだろう、空のお碗の上に箸を置き、茎茶をすすりながらぼんやりとしていた。おかわりを持ってこようと私が声をかけると、ライヒは一瞬迷ったが、笑いながら大丈夫と答えた。それを聞いて父が、遠慮せずにおかわりしなさいと言ったので、ライヒは小さく頭を下げて、お碗を持って席をたち、厨房へと向かった。私はといえば、太るからおかわりはしないでおこうと思っていたけれど、厨房から戻ってきた母や兄、ライヒが手にもつ牛肉麺の、お碗から立ちのぼる香りに負けて結局、朝から2杯の牛肉麺を、ぺろりと平らげてしまった。

 私達家族の店は朝7時に開店し、夜7時に閉店する。そのうちで最も店が混む時間帯は朝である。開店の5分前には、ぞろぞろと客が来て牛肉麺を注文する。街で一番大きなバスターミナルの向かいに店はあり、早朝から出かける人や夜行バスで到着した人が、おおぜい朝食をとりに来る。都市ではよくみかけるケンタッキーやマクドナルドはこの街にはなく、ファストフードと言えば牛肉麺がそれである。
 開店から10分もたたないうちに6卓しかない4人がけのテーブル席は満席となり、それでも来店する客はあとをたたない。仕方がないので、背もたれの無い、プラスチック製のカラフルな簡易椅子で席を補充するのだが、それでも足りず、毎朝10人ほどは壁にもたれて立ったまま、牛肉麺を食べなくてはならない状況だった。
 


(2へ続く)
 
(編/校正:東間 嶺@Hainu_Vele)