連載【芸術とスタンダール症候群】とは?
筆者が【幸福否定の研究】を続ける上で問題意識として浮上してきた、「芸術の本質とは何か?」という問いを探る試み。『スタンダール症候群』を芸術鑑賞時の幸福否定の反応として扱い、龍安寺の石庭をサンプルとして扱う。
連載の流れは以下のようになる。
- 現状の成果…龍安寺の石庭の配置を解く
- スタンダール症候群の説明
- スタンダール症候群が出る作品
- スタンダール症候群が出やすい条件
- 芸術の本質とは何か?
(芸術とスタンダール症候群:龍安寺の石庭を解明する-1から続く)
第一回は、わたしが芸術の本質を考える上で「数の機能的な側面」に注目し、そこから龍安寺の石庭に配された石の比率計測を試みようとするまでの経緯を書きました。
細野透『謎深き庭 龍安寺石庭:十五の石をめぐる五十五の推理』(以下、『五十五の推理』)で示された比率は正しいのか?
今回は実測図からの検証を行い、石庭に込められた意図を解き明かそうと思います。
まず、細野氏が石を配置する基準になったと主張している、「底辺:高さ:斜辺が1:2:√5」の直角三角形から試してみます。私の自宅には、底辺:高さ:斜辺が1:2:√5の直角三角形の定規はないので、紙で同様の直角三角形をつくり、色々なパターンで実測図に当ててみました。結果はどうか?おさまりは良いとは思うものの、やはり配置の理由を十分に説明しているとは思えません。
石庭の縦、横の長さに綺麗にはまる直角三角形は、「1:2:√5の直角三角形」であり、その部分に関して細野氏の発見は正しいでしょう。しかし、石が配置された構図をよくみると、他にいくつもの直角三角形が使われています。「1:2:√5の直角三角形」が構図に使われていないとは言い切れないものの、よりはっきりとした基準があると感じさせます。
- 石庭へ綺麗におさまる直角三角形は「底辺:高さ:斜辺=1:2:√5の直角三角形」のみなので、この直角三角形が龍安寺の石庭の縦横の寸法の基準になっている。
- (石の配置という意味で)構図としてはどちらとも言えず、表現としては弱い。
すると、辺が石の側面と石と石の間を通るように見えるのです。
その結果、私なりに石庭の石の配置の基準をいくつか見つける事ができました。(注1)
まず始めに、実測図の信憑性を調べるため、Google Earthを使って、石庭の上からの写真を探してみました。
手元の定規で石庭の長辺、短辺と石の位置関係を測ると、実測図の正確さがわかります。石庭の長方形がわずかに歪んでいることもはっきり目視できます。
次節から、考えられるパターンの具体的な説明に入りますが、以下に、わかりやすく石の番号や使用する三角形の種類を書いておきます。
- 直角三角形A→底辺:高さ:斜辺=1:√3:2 内角30度 60度(正三角形を半分にした形)
- 直角二等辺三角形B→底辺:高さ:斜辺=1:1:√2 内角45度(正方形を半分にした形)
- 直角三角形C→底辺:高さ:斜辺=1:√2:√3 内角35.6度、54.4度
- 直角三角形D→底辺:高さ:斜辺≒1:1.272:Φ(1.618) 内角38.5度、51.5度
- 直角三角形E→底辺:高さ:斜辺≒1:2.98:3.14 内角18.7度、61.3度
- 直角三角形F→底辺:高さ:斜辺=1:2:√5 内角26.7度、63.3度
図版をコピーし、改めて先ほどの直角三角形を記入します。角が4か所、内角が2つで、一種類の直角三角形で基本的に8パターンを取る事ができます。(直角二等辺三角形は4パターン)。
角fの次にC(前節、図1参照)を頂点に一致させるように直角三角形Aを逆向きにしてみると、二辺が石の間を通ります。直角三角形Aにおいては、上図のように、二辺にあたる直角三角形を二つ、一辺にあたる直角三角形を二つ取る事ができました。(注2)
- 直角三角形の90度ではない角の頂点が四隅a、b、c、fのいずれかに一致する
- 90度の角度の頂点が、石庭の壁面に一致する。(白砂を囲むブロック部分)
- 斜辺が逆側の壁面に一致する。
- 直角三角形が、石と石の間、もしくは石の側面のラインを通る。(例外 直角三角形F)
私の分析が細野氏と一致しているのは、以下、2つの点です。
- 直角三角形を使う事
- 壁面に90度の頂点と斜辺を置く置き方
一方、全く考え方が違う部分もあります。
- 直角三角形の種類(辺が1:2:√5の直角三角形も使うが、6種類のうちの一つ)
- 基準点(四隅の角)
- 石のどこを基準とするか(側面、もしくは石と石の間)
次に、直角二等辺三角形Bを基準点fに頂点を置いて描いてみました(再び上図を参照して下さい。青色の三角形です)。実測図だと若干ずれるのですが、Google Earthの写真だと綺麗におさまります。今度は四つの石(5、6、8、14)の側面と一致しました。これだけでも大方の構図は決まってしまうと思うのですが、8~10の石群に当たるラインが一本だけなので、少し根拠が弱いような感じがします。
石の配置の最も強い基準になっているのは、正三角形を半分にした直角三角形Aだと思いますが、正方形を半分にした直角三角形Bも、小さい石の配置に関係していそうです。
こうなってくると、他の比率の直角三角形も関係していないか?という発想が浮かんできます。昨年の秋に、ピタゴラス学派の世界観が詳しく書いてある、プラトンの『ティマイオス』という本を読んでおり、幾何学的、または幾何学を超えて2、3、5の平方根とΦ(ファイ・黄金比1:1.618)とπ(パイ・円周率)が非常に重要な数であるという思想があった事を知りました。
また、詳しい経緯は回を改めて書きますが、龍安寺の石庭に配された石の数が5、2、3、2、3と分かれていることで、恣意的ですが5、2、3、2、3の数が2、3、5の平方根と、4の平方根=2、そしてΦ、πの整数の近似値を表しているのではと考え、試してみることにしました。
直角三角形C(注3)は、「底辺:高さ:斜辺≒1:1.41:1.73」になり、三角形の頂点の内角が35.6度と54.4度になります。四隅の角に頂点をあわせて直角三角形Cを置いてみると、上向きの三角形は8、9番の石の間と、13、15番の石の間、6番の側面を通ります。Cに頂点を取った同じ三角形は、5番の側面と、11番の側面を通ります。
直角三角形Dの比率は「底辺:高さ:斜辺≒1:1.272:1.618」になります。角度は、38.1度と51.9度になりますが、近似値をとって38度と52度にします。頂点aから15,9の側面を通る線が確認できました。二辺が条件を満たす直角三角形はありませんでした。
残るは、πです。斜辺がπ(3.14)の三角形の比率は「底辺:高さ:斜辺≒1:2.98:3.14」です。角度は18.5度と61.5度になります。残っている石、2、3、7、10番です。2、3に線を引いてみると頂点fとした「底辺:高さ≒1:3の直角三角形」ができます。上の壁面の頂点から、18~19度で線を引くとちょうど、7(やや上に被る)、8、10番の側面を通ります。3番の石は、1番との間の関係がありますから位置が決まります。
これで全ての石が直角三角形のラインと関係し、ほとんどの石の位置が決まりました。
2、7、10、に関しては、ライン上で多少石の位置を動かしても成り立つので、石庭の石の位置関係が完全に解けたわけではありません。強いて言えば、十五の石を五群に分けるには、ライン上で石群に近いところに置かなければいけない、という事もあると思いますが、これについては現段階での判断は避けたいと思います。
石庭自体は鑑賞するものであり、また、日本の芸術の特徴として、全てを表現せず、ある部分を隠すという特徴が存在することも本来は無視できません。
しかし、検証においては厳密さが求められますので、
- 二辺に石のポイントが接しており、直角三角形を表現できる。
という基準を満たす、直角三角形も以下に抜き出してみました。
- 直角三角形が基準として使われている。
- ピタゴラスの定理より、直角三角形の斜辺を使って、√2、√3、2、π などの数が表現されている。
- 石庭の縦横の長さの基準に「底辺:高さ:斜辺が1:2:√5の直角三角形」が使われている。(『五十五の推理』より)
しかし、宗教や人種を超えて龍安寺の石庭が世界中の人々を惹きつけているのは15の石の配置であり、もっとも興味深いのは、ただ石を置いただけの土地がなぜそれほど魅力的なのか?ということです。他の枯山水にはみられない反応で、あの庭が、単純な美しさ以外の磁力を兼ね備えているからこそ起きる現象でしょう(細野氏の『五十五の推理』では、最後の推理である五十五番は読者への問いになっているため、五十四の推察が書かれています)。
次回は、この数について書きたいと思います。
注1:但し、偶然見つけたわけではなく、”反応を頼りに抵抗に直面する”という方法論を使った結果として、基準が見つかったという事です。この経緯は、回を改めて書きたいと思います。
注2:左側の壁は、再建の記録があるようです。誰がいつ寸法を決めたのかはわかりませんが、私は基準点cの寸法は、直角三角形の基準になっていることもふまえ、意図があって決められていると考えています。
注3:細野透氏も著書で、大和白銀比として斜辺が√3の三角形を扱っていますが、√3の着想得た根拠と、三角形の当て方、解釈が全く違うので別物として考えています。
注4:誤差について:直角三角形のラインを引く時に、微妙なずれが生じるのですが、
- そもそも石庭そのものの四隅が厳密な直角ではなく、微妙にゆがんでいる。
- 石と石との間の空間や、凹凸がある側面のラインをつかっているので厳密な定義ができない。
- 最小限の石で対象を表現するために、誤差を承知で石庭をつくっていると思われる。仮に、誤差なくもっと正確に表現しようとすれば、より多くの石を使う事になるが、それでは意味がない。音楽で例えると、楽曲のメロディと情感を分けて鑑賞者に伝えるのは芸術的とは言い難く、音程を微妙にずらしたりビブラートをかけたりしながら、楽曲と情感を同時に伝える事のほうが芸術的と言える。同時にいくつかのものを表現する(多機能性)のが芸術の条件でもある。
以上の理由で、鑑賞者が対象を認識できる範囲内である限り、誤差は認められるもの、芸術の本質に必要なものと考えます。