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筆者近影(証明写真)


 もう30を超えてくると人生についての可能性や選択肢も現実的なものとなってくるが、たとえばあなたがまだ10代であるのなら、何を目指すのか、色々な中から決めないといけない。
 そんな若者について、およそ2通りの選択肢があると思う。夢を追う人生を選ぶか、生活のために生きる人生を取るか。あるいはこう言い換えてもいい。
 
 ウィキペディアに立項される人生を目指すのか、ウィキペディアに立項されない人生を送るのか。

 何者かになることを目指す人生とは贅沢な生き方である。貧しい環境に生まれたなら、社会に名を刻む何者かになることを目指すことより、いかに毎日の生活を向上させるかを考えるだろうし、事実、かつての日本では(そして現代でもいくらかの人たちは)、やりたいことを探して進路を考えるのではなく、どれだけ実入りがあるかをはかり、実利を求めて進学先や就職先を決めてきた。
 
 夢を見ること。格差社会が進む日本であっても、それをまだ許されている若者は多いだろう。しかし、夢を見ることは義務ではないし、全員が夢を追うわけでもない。成績優秀な高校生、しかも大学生活の学費や生活費の心配をしなくても良い程度には豊かな彼らであっても事情は同じである。
 例えば、夢を追うのではなく、着実な人生を歩みたいと考える高校生なら、医学部に進学して医者になろうと考えるだろう。もちろん医者になること自体が夢として成り立つのではあるが、しかし、医者とは普通、ウィキペディアに立項されない人生だ。高収入だし社会的地位も非常に高いが、「何者か」にはならないのである。
 一方、国立医学部に進学できる学力がありながら、東京大学や京都大学に進学する者も多い(国立大学はどの大学のどの学部も学費は同じだ)。もちろん、将来への堅実さから東大を志望する高校生もいるだろうが、少なくない数が、何者かになることを秘かに夢みているのではないだろうか。それはノーベル賞を取ることであったり、高名な批評家として世に立つことであったり、日本の経済界を変革するような企業人になることであったり。

 実際は、東大を出ても医者ほどの稼ぎがない人のほうが多い。しかし、敢えて医学部を目指さず東大に行く人生を選択する理由。ウィキペディアに立項されるための第一歩として、有名大学に進学する若者は確実にいる。
 美大や音大に行く人も、同様だと思う。芸術の世界で食えることは、すなわちウィキペディアに立項されるほどの実績を積むことでもある。あるいは、東大や医学部を志望する学力トップ層でなくても、何者かになろうと野望を抱く若者は、大勢いる。一般の大学であれば、就職活動が始まるまでには、何者かを目指していた大学生たちも方針転換をし、ウィキペディアに立項されない人生のうちで最善のものを得ようと努力する。

 しかし、ウィキペディアに立項される人生を目指し続けるはみ出し者もまたいくらでもいるのも事実だ。
 
 三十路をむかえる頃には、結局、ウィキペディアに立項される人生を早めにあきらめた人のほうが、成功している割合が高かったりする。あるいは、当初の夢を叶え、他人から何者かとして認識されるようになったウィキペディアに立項される側の人間であったとしても、日常生活は平坦であり、夢を追うだけではない、毎日を生きる生活者として立ち、立項されない側の人間と実はあまり変わらない人生を送っているかもしれない。
 もしかしたら、成熟の問題なのだろうか。ノーベル賞を目指して東大に行く高校生よりも、地方国立大学の医学部に進学する高校生のほうが、現実を見ているという点で成熟しているのかもしれない。齢を重ねるほど、夢を追い、何者かを目指す者は少なくなる。
 
 では、自分はどうかというと、未だにウィキペディアに立項される人生を目指している。というより、そこから降りることができていないのが現状だ。
 物理学者になって新理論を打ち立てるという少年時代の夢は叶わず、文学賞を取って世に出ることもできず、もはや『負け組』以外の何者でもない自分だが、それでも秘かな野望を捨てることができていない。それなりの収入と、たとえば責任を負うべき家庭や子供があれば、現実の重さを知り、毎日を諦念と共に充実させていくのかもしれないけれど、打ち込むべき仕事も、守るべき人もない自分にとって、青年期は終わりを告げることはなく、ウィキペディアに立項されることを目指す人生から降りるきっかけを掴めないままなのだ。大人になることができない。未成熟のまま老けていく。

Famous Japanese novelist Yukio Mishima delivers a speech on the balcony of the J…

 三島由紀夫が45歳で自決したのも、同じ問題かもしれない。死の直前まで書き続けた『豊饒の海』全4巻、主人公はみな青年期であり、成熟を描くことができなかった。老人であるはずの本多も、公園での覗きを趣味としているような、成熟を知らない老いた若者でしかない。最終巻『天人五衰』の主人公、安永透も、成熟を怖れ自殺をする。未遂に終わるが視力を失い、青年期は永遠に封じ込められ続いていくのだ。三島由紀夫はウィキペディアに立項される人生、あるいはそれを目指す側の人生しか描けなかった。生活に足をつけた、現実を描けなかったのだ。

 そろそろ自分も40を迎えようとしている。三島由紀夫が成熟から逃亡し割腹自殺したのなら、自分は別の形で成熟を模索しなければいけない。また小説を書くのだとしても、己にふさわしい成熟を得られなければ、次の段階には進めないのだろう。
 

(編/構成:東間 嶺@Hainu_Vele)