Dada_in_Ultraman
画像出典:Wikipedia(Dada, an iconic character from the Ultra Series. His design draws inspiration from the art movement.)

まえがき

2016年はスイス・チューリヒ市でダダ運動が始まり、100年目の年である。このことから、スイス国内外でもダダをめぐる様々な催しが開かれ、それはわが国も―とくに東京が―例外ではなかった。しかし、100周年を記念するダダについての様々な催しに浮き足立ったり、スイス大使館が主催するダダ作品のコンペティションに嬉々として参加することは、ダダについていまあらためて考えることとは関係がない。なぜならアニバーサリーやコンペなどはダダの精神からは最も遠いものだからだ。というわけで、このように感じている者がこの100年目に、ダダとは何なのか3つの視点から考えてみよう。

以下で提示される3つの視点は、3つの年(1916、17、18年)にそれぞれ結びついている。第一次大戦下の中立都市で生じたダダの本質的な部分は、この3年間にはっきりと姿を表している。





Q. ダダとは何なのか。
A. 1916年に、カバレー・ヴォルテールで生まれたアヴァンギャルドである。

この問に答えようとするとき、避けてとおるわけにはいかないのが、《アヴァンギャルド》という用語だ。くわしくは本文中であきらかになるが、すこしだけ要約してふれておこう。もともと軍事用語で、本隊に先がけて敵と闘う《前衛部隊》を意味していたこのフランス語は、その後【大胆不敵さによって、先駆者の役割を果たす(と自負する)運動や集団】(『グラン・ロベール・フランス語辞典』)の意に転用され、とくに20世紀初頭のヨーロッパ諸都市にあいついで出現した、当時最新の芸術運動を指して用いられるようになった。ミラノの未来派、チューリッヒのダダ、パリのシュルレアリスムなどである。[1] ※引用元を示す脚注は全てエントリ末尾を参照のこと。

そして、こうした急激な変化に対応して生まれた、過去の伝統との断絶をめざす新しい芸術運動が、《アヴァンギャルド》と呼ばれることになるのはいうまでもないが、この言葉には、すこしばかり用心する必要がある。《アヴァンギャルド》という軍事・政治用語が芸術運動にかんして使われるようになるのは、1910年頃のことで、それ以後《現代芸術》について語ろうとする人びとによって多用され、今日にいたっている。その理由については、いちおう【なぜなら、それは、当時すべての芸術上の展開過程が示していた急激な変化を説明するのにもっとも適当な概念のひとつであると思われた】(マルク・ルボ『フランシス・ピカビアと形象的価値の危機』)からだ、ということができるだろう。したがって、《アヴァンギャルド》という概念は、ある特定の流派や運動を指示しているのではない。それは、20世紀初頭の芸術の新しい試みの《多様性》を包括的に表現しているのであって、《アヴァンギャルド》という様式が存在したわけではないのだから、未来派、ダダ、構成主義等々の動きを、すべてこの語によって語ろうとすることは、かなりあいまいな行為だといわなければならない。[2]


Q. ダダとは何なのか。
A. 1917年にニューヨークで発表された、マルセル・デュシャンの『泉』である。

土肥美夫による指摘[3]ももっともなのだが、造形藝術的なダダが、こんにちでもダダについて多くの人々が抱く典型的なイメージを支えている。その点で、デュシャンが1917年にニューヨークで発表した『泉』は男性用小便器に彼が署名をしただけの作品で、大きな物議を醸した。この作品は、小便器の概観の持つ諸性質はどうでもよく、それを作品と為すことに根源的な革新性があった。『泉』はコンセプチュアル・アートという概念の雛形を形成したのである。それと同時にデュシャンが近代の自律藝術の概念的な否定をしたというのは、象徴的だ。端的に言って、ここから前衛藝術が生まれたからである(その前にイタリア未来派もあるのだけれど...)。ちなみに1917年はロシア革命の起きた年でもある。

Duchamp_Fountaine


20世紀も真ん中あたりまでは、前衛の元気が良かった(政治的な《前衛》ともリンクしていたから、という仮説をぼく―さえき―は持っている)。しかし、後半になるとそういうものすべてが元気を失くしていく。要は、ソ連の社会主義が独裁的で非人道的なものであるということが諸国に伝わり、共産主義思想の魅力が劇的に失われていくのである。

1956年にフルシチョフがスターリンを批判した。そしてその35年後に、ソヴィエト連邦は崩壊し、CISを経てロシア連邦とその他の国に分立した。そして今や、「根本的な新しさ」や「概念的な革命」といった常套句はぜんぶカッコ書きされるものになってしまった(余談:そういえば、2015年の11月にはぼく―さえき―は、亀山郁夫『ロシア・アヴァンギャルド』を、主宰するSBS読書会で取り上げたのでした)。人間の諸文化は、ずっとまっすぐ上の方を目指してどんどん進んでいきますよね、進歩主義最高!人類最高!という考えではどうも立ちゆかなくなり、しかし一瞬のうちに滅びるわけにもいかず、ソヴィエト崩壊後もそのままみんなでダラダラダラダラ続いてきている、その尻尾の部分が21世紀な訳である。それをポストモダンと呼んだり、ポスト・ポストモダンと呼んだりする人々もいる。

20世紀の前衛をほぼ6行で総括したが、では、21世紀における前衛ってあり得るのか?(ギャグ以外の意味で)。ぼくは美術家の増田セバスチャンがプロデュースした初期のきゃりーぱみゅぱみゅの世界観(具体的には2012年の『つけまつける』MVなど)にポップ化した21世紀のダダを幻視するのだが、皆さんどう思いますか。あれは、果たしてダダなのだろうか? 



Q. ダダとは何なのか。
A. ツァラの『ダダ宣言』(1918年)で示されたように、文化(culture)ではなく、精神(esprit) である

今年はチューリヒでダダが生まれてから100年目の年なので、そのことで浮かれている連中がいる。[4]
仕方ない、と思う一方で、ダダ作品のコンペティションって何なの?と思う。ダダの精神から一番遠いのが、ダダのそのような扱いだ。コンペを主催したスイス大使館はダダの精神を全く理解していない。しかしながら、そういうことを続けていかないと《文化》は継承されていかないのも、また事実である。それにしても、ダダ・コンペで優勝した(100年目の)ダダを、人々が心からありがたそうに見つめる、というのは、とても気持ちが悪い。ダダはそうじゃないんだ!と叫びたくなってくるのだ。ダダは《文化》じゃないだろうと!!! ダダは精神なのだと!!! 精神を受け継げ!!! と。

ジォルジュ・ユニエ『ダダの冒険』(1971年、美術出版社)の訳者である江原順はダダの精神について次のように言っている。


 この書物の序文で、トリスタン・ツァラも述べているように、ダダの精神というようなものは、すでに明白だと信じられてきたあらゆるものを、「曖昧さ」のなかにおく。いわば永遠の懐疑と、その懐疑を表現する際の絶対的、命令的な、ときには押しつけがましくさえある調子との矛盾のなかにある。このふたつの要因の矛盾は、ヨーロッパの思想の文脈のなかで、ユダイスム、カバリスム、ギリシヤ思想、キリスト教以来、現在にいたるあらゆる思想が、一定の体系のうちになりたち、あらゆる現象を、自己に固有の体系のなかにくみこむ合理性そのものを手放したことがないということから、必然的にでてこざるをえない精神の姿勢であった。その拒絶の命令的な調子は、ダダがみずからを対置した既成のすべての存在の強靭さの反証だったわけである。
 ダダがみずからひとつの体系となることを嫌悪し拒否した理由もここにある。つまり、それがひとつの体系と化するときには、それは、ヨーロッパの思想の岩盤であるところの合理性そのもののうちに収斂されるほかないからであり、ダダは本能的にそれを避けるからである。[5]
 

江原のことばは実に的確かつ簡潔で、いっさいむだなくダダの精神を指摘している。
さて、いっぽう、久保明博はダダについて次のように言っている。


それゆえツァラが示したダダの「芸術理論」は、生と芸術の融合を目指す、あるいはペーター・ビュルガーの言葉を借りれば、「芸術からひとつの新しい生活実践を組み立てようとする」アヴァンギャルドの大きなプログラムから外れるものではない。ただし有用性と合目的性の原理の下に芸術を科学と並び立つものとすることで自律芸術を乗り越えようとした『エスプリ・ヌーヴォー』とは対極的に、ツァラがその「宣言」においてとったのは、社会秩序を徹底的に否定するアナーキズム的な態度であり(「かくしてダダは、独立の必要と共同体への不信から生まれた。我々に属する人々は自らの自由を保持する」)、個人主義と芸術的営為 を結びつけようとする態度である(「貪欲な大衆にまでは届かない文学というものがある。それは作家の真の必要から発して彼自身のために作られた創造者の作品だ」)。芸術はツァラによって現実的な制度の産物としては全面的に否定されながらも、個人の生―それは狂気や非合理によって特徴づけられるものだが―の 自由のために肯定されるという二重の運命を担わされることになった。逆説的に響くかもしれないが、「反芸術」は、個々の生そのものを芸術と化する絶対的な芸術を要請しているのである。[6]
 

久保論文の最後の4行が重要だ。ダダによって今やAbsolute Artが要請されているのだ。しかし、【個々の生そのものを芸術と化する】とは、いったい何を言っているのだろう?よくわからない。ニーチェ的な感じだろうか?個々の生そのものをツイート化する、というのであればぼく(ら)が日々いそしんでやっていることなので、よくわかるが。

なにはともあれ、ダダの精神を今一度確認しよう。


ダダは、こうして、はじめのうちは、他のグループとの差異を強調することによって自己の《正当性》を主張するという、いわばありふれたスタイルをとっているが、その性質が一変するのは、『ダダ宣言1918』においてである。1918年7月23日にチューリッヒで発表され、同じ年の12月の『DADA3』誌 に掲載されて、ツァラの名を《世界的》なものとすることになったこの《宣言》は、マリネッティのものとは(そして、ブルトンの『シュルレアリスム宣言』と も)、まったく異質なテクストとなっている。なぜなら、ツァラのマニフェストは、マリネッティやブルトンのそれがそうであるように、彼の主導する新しい運動の特性をあきらかにすることよりは、むしろ、まず《宣言》という行為そのものを問題にするのである。

「宣言を発するためには望まねばならぬ。A・B・Cよ。1・2・3にぶつかって爆発せよ。(…) ぼくは宣言を書くが、何も望んではいない。それでも、ぼくは何かをいう。ぼくは原則として、宣言には反対だ。原則というやつにも反対なように。ひと呼吸するあいだに、対立するふたつの行動ができることを示すために、ぼくはこの宣言を書く。ぼくは行動には反対だ。絶えざる矛盾と、それから肯定には賛成だ。いや、ぼくは賛成でも反対でもない。そして、ぼくは説明しない。なぜなら、ぼくは良識が嫌いだから。」
 
ここで、ツァラのテクストは、マニフェストというテクストについてのテクスト、つまりメタ・テクストとなっていることがわかるが、そればかりではなく、われ われは、そこに、絶えざる前言取り消しの連鎖を見つけることができる。宣言/反宣言、原則/反原則、行動/反行動、賛成/反対、というこの連鎖は、Aか非 Aか、という論理の秩序の外にわれわれをつれだしてしまう。
 
もっと先の方で、彼はこう書く―

「秩序=無秩序、ぼく=非ぼく、肯定=否定」

ダダは、一切の価値を否定したニヒリスティックな運動だったと思われているが、少なくともツァラにとって、否定/肯定という対立は意味をもたない。そうした二項対立そのものを無効化しようとしたのが、彼のダダだったのである。そして、その結果、ツァラがたどりつくのは、

DADA NE SIGNIFIE RIEN
ダダハナニモイミシナイ

と いう言葉である。意味の伝達手段であるはずの言語が、【何モ意味シナイ】というメッセージを運ぶほかはなくなったとき、言葉の意味作用への、この根源的な挑戦は、マリネッティにもブルトンにもおそらく共有されなかったツァラの特異性であって、彼とともに、世界は新しい言語をもつことになるだろう。[7]
 

そう。

ダダハナニモイミシナイ
んだよ。
ダダハナニモイミシナイ
んだ。

DADA DADA DADA、痙攣した苦痛の吠え声、対立物とあらゆる矛盾のからみあい、グロテスクなもの、支離滅裂なもののからみあい、生だ。[8]

結局はそのスピリットを受け継いでいる人やものだけが、本物のダダなのだ(もしそれらが存在するのなら)。ぼくはそう思う。


脚注一覧

[1]塚原史『ダダ・シュルレアリスムの時代』、2003年、ちくま文庫、p.14
[2]塚原史『ダダ・シュルレアリスムの時代』、2003年、ちくま文庫、pp.45-46
[3]土肥美夫 ダダの音声詩について 『ユリイカ』1979年臨時増刊 特集ダダイズム p.224
[4]http://dada100.jp/dada-competition/
[5] ジォルジュ・ユニエ『ダダの冒険』1971年、美術出版社、pp.183-184 訳者江原順のことば
[6]久保明博 自律芸術の終焉?―第一次世界大戦とフランスのアヴァンギャルド pp.101-102 『現代の起点 第一次世界大戦 第3巻 精神の変容』2014年、岩波書店所収
[7]塚原史『ダダ・シュルレアリスムの時代』、2003年、筑摩書房、pp.53-54
[8]ツァラ『ムッシュー・アンチピリンの宣言―ダダ宣言集』、2010年、光文社、pp.42-43

 

(編/構成:東間 嶺@Hainu_Vele)