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(写真撮影=山口倫太郎、デジタル画像編集=東間 嶺。以下全て同じ)


熊本市---2016/5/22

 僕は5月19日から四日間に渡り、熊本県各地でボランティア活動に参加した。その最終日が、この5月22日であり、その場所が熊本市という事になる。
 集合場所のボランティアセンターは、中心地にある『花畑広場』という公園に設置されていた。

 熊本に到着した当日、友人とのドライブがてらに場所を教えて貰っていたので、ここに集まるということは調べるまでもなく知っていた。広場では普段から様々なイベントが開催されているようで、市民の憩いの場といったところなのだろう。
 
 広場は熊本新市街と交通センター(高速バスと路線バスの発着の中心地だ)に挟まれており、全国から集まるボランティア参加者にとって、利便性という点でこれ以上ない立地条件と言えるだろう。旅を通じて市内のサウナに宿泊していた僕にとっては、今回のボランティア活動で最も楽な移動となった。

 既に半年も前になってしまったので、いささか曖昧だが、サウナから広場までは、確か路面電車(でなければ市バスか)を利用しての移動だったと記憶している。開始時間は九時で、恐らく一時間位は早く広場に着いていた筈だ。

 にも関わらず、その時広場では既に多数の人々が長蛇の列を作り、中心地に向かってとぐろを巻いていた。九時の受付開始少し前からそのとぐろはうねうねと蠢き出すのだが、流れは公園の周囲を蛇行しながらのろのろと進み、やがて地下駐車場の通路に潜り、それからようやく幾つも建てられているテントの中に入るという有様だった。


オリエンテーション、マッチング、チーム編成……要員の確保と作業

 早稲田大学のボランティアサークルなど、運営スタッフには多くの外部要員が参加しているようで、邪魔になるという程ではないが、如何にも人が余っているという印象を受けた。スタッフといいボランティア要員と言い、人手不足を感じた益城町や西原村とは随分と状況が違っているようだった。

  受付が開始されると、一連の流れ――ボランティア保険の確認・加入、オリエンテーション、市民からの要望と参加者を調整するマッチング、水や軍手といった備品の受け渡し――は比較的スムーズと思えた。それなのに、数が多過ぎるせいなのか、前述のように列の進み具合はゆっくりとしている。

 僕は、この日のオリエンテーションでも、どのような案件であろうと真っ先に手を上げることを心がけた。熊本市での要望は、他の地域とは多少異なっており、ほぼ全てが民家の片付けのようだ。益城町のように外壁や家そのものが倒壊するような被害は恐らくほとんどなかったのだろうし、農家の多い西原村のように農業ボランティアもなかった。宇城市のような公共施設のボランティアの受付も、その場の限りでは見受けられなかった。

 僕達が請け負ったのもそうした民家の片付け作業だ。
 今回のチームは四人。僕と、それから同年齢位の男性二人に、もう一人は60代の女性。リーダーは車持ち込みの現地に住む男性が名乗り出てくれた。民家の片付けと知って昨日一昨日に聞いた他のボランティア参加者の不満、(「一時間で終わった」、「倒れていた箪笥を一つ起こしてそれで終わり」)が頭をよぎったが、とりあえずはそうでない事を祈るしかない。

 地図を貰い、車で十~二十分程度で要望のあった民家に着くと、五、六十代くらいの女性二人が待っていてくれた。一人はこのお宅の奥さんで、もう一人は確かその御友人だっただろうか。庭がとても広く、周囲も敷地にかなり余裕のある家々が並んでいる。熊本市内とは言え、中心地から少し外れただけで長閑といって良い風景が広がっている。

 見たところ家屋そのものに大きな被害はないようだったが、奥さんは倒れた家具などは全て廃棄して新調するという。今日はその準備を手伝って欲しいそうだ。
 室内から庭に、そして軽トラで近くの震災ゴミ集積地まで運び出す。そレに加えてもう一つ、倒れてしまった電気温水器も軽トラに乗せる(電気温水器自体は知人が廃棄場にそのまま運ぶ事になっているらしい)。

 僕等はすぐに作業に取り掛かった。次々に家具を庭に運び出し、ある程度溜まってくるとそれをバラバラに解体した。傷んでない家具が殆どで、何とも勿体ないという気がしたが、地震保険が適用されるのだという。
 
 僕はまず、バラした箪笥の背板などの広い板材を軽トラの横に立て、あいだに細かな木材を敷き詰めていった。
 軽トラの荷台を囲うよう立っている側面の板を〝アオリ〟と呼ぶ。廃材などの運搬の際には、このアオリに背の高い板を立てないと、積載量がずっと少なくなってしまう。それにこうしておかないと、ロープで縛っても重ねた板や木切れなどが抜け落ちてしまう危険性も高い。

 アオリを立てながら僕が解体作業をやっていると、周囲から「そのまま乗せて持って行った方が早いんじゃないか」と言った声がポツポツと聞こえてくる。直接僕に言っているのではないので放っておいた。しかし心の中では、「これだから素人は……」と反論しながら(いや、僕も素人に違いないのだが)作業を進めた。

 最初に集積地へ行く際は、先導してくれたお宅の方も含め、全員が同乗した。荷物を下ろして帰るのに、全部でニ十分位掛かっただろうか。次からは僕以外の男性二人で行く事になったのだが、結局のべ四、五回は往復しただろう。もし解体作業無しで家具を乗せていたらどうだっただろうか?バラバラの板状に解体して軽トラに乗せるのと、そうでないのとでは、積載できる量に恐らく4~5倍程度違いが出る。もっとかもしれない。
 その分当然、往復回数も増えてしまう。一般的な家具の解体などハンマーとバールさえあれば素人にも造作ない。

 始めたのが十時位だったので、程なくしてお昼になった。お弁当は奥さんが用意してくれていて、メンバーの皆で車座になって日陰で談笑しながら食べた。この日のメンバーは、僕以外の男性二人が熊本で、女性が佐賀の方だったと思う。

  昼からは午前中よりもスムーズに作業が進んだ。
 解体してから運んだ方が早い事は皆も気付いたようで、ポツポツと「やっぱり解体した方が早いね」などといった声が聞こえてくる。最後の荷積みが終わろうとする頃、僕は「先に電気温水器を見ておくか」とお宅の裏手に回って確認してみた。電気温水器は高さ2メートル程あり、それがゴロンと横倒しになっている。押しても引いてもビクともしない。
 これはマズいと思ってリーダーに声を掛けた。

 この重量では、その場の全員がかりでもっても、軽トラに乗せるのは無理があった。センターから応援を頼んだ方が良いかもしれない、そう言うと、リーダーの回答は「とりあえず最後の運搬から帰って来て考えよう」というものだった。

 二人が軽トラで残りの家具の廃材を運んでいる間、僕と残ったメンバーの女性は温水器の扱いを相談していたのだったが、少ししてふとあることに気付き、奥さんに聞いてみた。
 「これ、水抜きましたか?」
 奥さんは、ハッとしたように、「いや、そんな事考えてなかった」と答えた。

 温水器をよく見てみると、円柱状の側面には、型番を示しているのであろうアルファベットと共に「380」と書いてある。当たり前の事だが、温水器なら水が入っている筈だ。

 揺すってみると、確かに重心が移動するような水の感触があった。「380」とは、恐らく満水量だろう。380リットルならば、全部でおおよそ400キロ近い重さになるだろう。

 奥さんに温水器を壊しても良いかを確認し、上部の給水用であろうパイプを足裏で蹴りまくった。思ったより頑丈だったが、何度か蹴っていると、パイプの付け根ではなく、天板と側面とを留めてあるネジが飛んだ。尚も蹴り続けていると裂け目が出来、そこからちょろちょろと水が出て来た。その裂け目部分を下にやり、ブロックを重ねて角度を付けると水は勢いよく流れ出した。これで水が抜ければ、軽トラに乗せる事も出来る筈だ、と一安心した。

 しかし、これが思ったより時間が掛かる上に、しばらくすると最初の裂け目からはどれだけ傾けても水が出なくなってしまった。他から別の排水口を(やはり蹴飛ばして)作らなければならなかった。加えて、温水器を持ち上げてからその角度を保つ為にブロック等を積み上げて…、という作業を繰り返す事になった。

 荷下ろしを済ませて帰って来たメンバーと共に、ちょろちょろと流れ出て来る水を見ながら一休みした。流れが悪くなったところで持ち上げてみると、中は殆ど空になっていて、どうにか男性メンバーだけでも容易に持ち上げられるようになった。

 結局、全て排水するまでには一時間近くかかっただろうか。

 四人で持ち上げて、軽トラに積み込む所で僕が荷台に乗ってから引き上げた。これで作業は全て完了したことになる。温水器から水を抜いた辺りは水浸しになってしまったが、僕が熊本に滞在した18日から23日の間は総じて日差しが強く快晴続きだった。恐らくすぐに乾くだろう。

 終わったことを報告し、奥さんとご友人から手渡されたスポーツドリンクを飲みながら数分談笑した。奥さんに、「お宅は何とも何ともなかったんですか?」と尋ねると、「うちは鉄筋コンクリートなんで、家そのものにはヒビ一つ入ってなかったんですよ」と返ってきた。屋根も洋風のスレート屋根で、瓦を使った日本風の住宅のような被害も無さそうだ。


明日へ

 隣接する農家風のお宅の庭には、樹齢何十年どころか、軽く百年単位なんじゃないかと思わせる大きな木がそびえ立っている。作業中も気になってはいたが、こうして改めて見ると、何とも言えない威容を漂わせている。建物への被害が無かったのは、恐らく鉄筋コンクリート製だったということ共に、埋め立てではない古くからの地盤も理由の一つなのだろう。

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 挨拶をしながら時計を見ると、もう四時近くになっていた。昼食後も数時間は働いたことになり、結局、当初予定された時刻近くまでかかったことになる。「一時間で終わった」「倒れていた箪笥を一つ起こしただけで終わり」といった、前日までにサウナなどで聞いた内容とはまるで違っていて、心配は杞憂に終わった。

 リーダーにその話をすると、彼は前日に参加した際、一件目が早く終わったので、一度ボランティアセンターに帰って来てから二件目に参加したと言う。
 当初サウナなどで聞いていた不満は、恐らく運営の努力である程度改善されたのだろう。

 リーダーは、メンバーの女性をボランティアキャンプに、そして僕をサウナまで送って行ってくれると言ってくれたが、僕は(昨日も貰っていたが)一応ボランティア参加証明書を貰いたかったので、お礼を言って断った。それに、夜には初日に会った地元の友人ともう一度酒を飲む約束があった。

 メンバーに別れを告げ、証明書を貰うためにスタッフの学生へ声をかけると、十分程度ですぐに発行してくれた。

 その後、歩いて数分のところにある新市街のサウナで汗を流して、友人と待ち合わせをした。そのまま、彼女の知っている店で生ビールを頼んだ。

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「焼けたね~」
「日焼け止め塗ってたんだけどね~」
「お疲れ様」

 などという他愛もないやり取りをしながら楽しく飲んだ。

 明日は少し観光してから福岡に帰る予定だった。友人にそう告げると、「明日は休みの予定だったが、同僚が被災して欠勤中だから、穴埋めで出勤しなければいけないかもしれない」という。予定通り休みなら、その時はドライブでも行こうという話をしてから店を出て、僕は路面電車でサウナに戻った。

 サウナの受付には、初日に受付の対応をしていた痩せた黒縁眼鏡が居た。彼とはほぼ毎日顔を合わせたことになるが、この日まであまり良い印象を持っていなかった。それでもまあ、のべ五日にもなるわけだし、ボランティア割引のお蔭で安く宿泊出来た事には変わりはない。 

「長々とお世話になりました。明日帰ります。また来ると思うんで、またその時には宜しくお願いします」

 そうお礼を言った。

 すると男は、「次は観光でも何でも、ぜひまたいらっしゃってください」と答えた。特に笑顔には見えないが、恐らく笑おうとしているのだろう。いつもむっつりした顔付きで感じが悪いと思っていたが、しかし彼の返した言葉には、きっと(一部であっても)本心がこめられていたのではないかと思う。

 いつもよりもゆっくりと風呂に入って、いつもより長い夜を過ごした。この時までには中村文則『遮光』は既に読み終わっていたと思う。漫画『弱虫ペダル』も開いたが、すぐに閉じてしまった。そして四日間のボランティアの事を考えていた。

 特に期待も恐れも抱かずに参加したが、初めての事なので「どんなもんだろう?」という多少の不安はあった。しかし結局はボランティア最終日のこの日まで何の不満もなく過ごす事が出来、むしろ大いに満足してこうやって寝床についている。

 全国からボランティアを募集している地域の中で、御船町のボランティアにはまだ参加出来ていない。そのことが残念ではあったが、とはいえ予算ももう底をついていたし、身体にも少しばかり疲れが出ていた。明日は水前寺公園にでも行こうか。

 旅を始めた当初は、このボランティア旅行をまとまった記事にするつもりなど無かった。もしかしたら一回限りの簡単なエッセイを書くかもしれない、くらいのことを漠然と思ってはいたが、複数回にまたがるものなど、全く考えてもいなかった。

 けれど、結果的にはボランティアへの参加によって自分自身のそれらに対する価値観が開拓され、その後の考え方にも変化が生まれた。そのことは書き留めておきたかった。だから、自己満足で終わりそうな心配もあったが、備忘録的な意味合いも込めて、連載という形でまとめることにした。

 その試みも、次回の「結びに」で最終回になる。最終日の記録と共に、自分にとっての、あるべきと思われるボランティア像を示すと共に、参加した熊本各地で感じた自治体等によるボランティア運営の改善点を記しておきたい。

 社会的にはあまり意味をなさない文章に違いないが、公開する意義はあると信じている。

―――「結び」につづく