2016年7月末に紀伊國屋書店新宿南店が洋書売り場を残して大幅に縮小した。報道では「事実上の撤退」という表現で、跡地にはニトリが入るとかなんとか。世界一の乗降客数を誇り、あらゆる路線から文化を吸い寄せては発散してきた新宿の街でも、1000坪超えの書店を3店舗は抱えきれなくなってしまった。

宿を使っていた学生の頃、トルストイもモームも夢野久作も、河合隼雄も宮沢賢治もリョサも大江健三郎も、あの偉大なヒョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーも、買ったのは全部この店だ。新卒で入社した出版社の営業部員として、一発目の訪問先もここ。上司のあとについてバックヤードに入り、商談を観察し、在庫を数え、平積み商品を確認して、書店が仕事の場へと変化した。

が出版業界に飛び込んでから、書店数は2000ほど減ったらしい。驚くべき数だ。考えてみれば私の育った街の書店も、TSUTAYA以外ぜんぶなくなっていた。書店だけでなくお好み焼き屋もおもちゃ屋もなくなっていたけども。  

「書店員に給料と休暇の話をしてはいけない」と言われたことがある。理由は誰にでもわかる。従業員の給料は利益率で決まる。書店における本一冊の粗利益の目安は22%で。コミックや単行本を売れば数百円が入る。よく言われる話、万引きをされたら数百円の積み上げは一からやり直しになる。(万引き商品の受け皿であった例の新古書店もギリギリ経営らしいけども)

店はそこから、大家に金を払い、インフラ企業に金を払い、従業員に給料を支払う。書店員はそこから、我が家の家賃を払う。味噌や化粧品を買ったり、国民共済に金を払ったりする。本を売った金ですべてをまかなう。我々は利益を確保しなければならない。



益構造の改革については、出版社と書店の直取引や買切正味の設定など、模索は既に始まっている。直取引の代名詞となりつつあるトランスビュー方式に同調する出版社は増えてきているし、東京都北区の王子には利益率51%を達成した書店が現れた。利益率を高めれば、優秀な書店員の仕事に報いることできる。

秀な書店員。書店営業をしていると実際に目の当りにする。彼らの手が入った棚に迷いこむと、財布から万札が消え、帰りの荷物が増えることになる。それは最高に気持ちのいい体験だ。でもまだまだいまのところ、そんな優秀な書店員の仕事の金銭的な対価は、(例えば)大手出版社の新入社員と比べてどうか。比べたらいけないのか。出版業に市場原理主義を持ち込むな!というイノセンスは「仕事への夢や情熱があるからお金はいらない」というどこかの居酒屋のようにならないか。



はや私はこれらの状況に直面して、「幸せとは、深い利益幅!」という文字が印刷されたTシャツを着て街を歩きたいほどの心持になっている。さらにはそれを近所の子供たちにも配りたいくらいだ。

こかの店ではコーヒーを売りはじめた。文房具を売りはじめた。書店にそんなマネジメントは出来ないという声も上がったが、店全体の利益率も上がった。書店で雑貨を売る。蔦屋書店がその象徴として存在感を増す。ふたば書房の雑貨部門も超かっこいい。書店が他の小売を侵食しはじめた。

伊國屋書店新宿南店の反対側で、百貨店が苦戦している。彼らの目指す「ライフスタイルの提案」に一番近いのはいつの間にか蔦屋書店だ。2017年、銀座にオープンする蔦屋書店にはとてつもないポテンシャルがある。
 

もある。他の小売が本の販売を始めている。無印良品の中に書店ができた。フリー書店員があらゆる所に棚を作る。書店以外の店舗でも本が扱える「ことりつぎ」という仕組みも開発された。人々が本に出会うのは書店だけではなくなり、読者にとっては望ましい、新たな競争が生まれる。

るお客さんの財布の中身をどれだけ書籍に使ってもらうか。出版業界は流通の一部門だという意識を強くしなければならない。「出版業界」の年間売上はファーストリテイリング一社の売上とあまり変わらない。流通業全体がライバルだと考えれば、出版を生業とする者にとって、見たこともない巨大な市場が待っている。そういえば、池袋からリブロを追い出して男を下げた「流通のカリスマ」は内紛で退場したばかりだ。

や読書への神聖視がやたらと強くなったのは「出版不況」が叫ばれるようになってからか。私はこんな不満の声を聞くために頑張りたい。

「まったくあいつは本ばかり読んでいてこまるよ!」




寄稿者:イチロウ&ジュンイチロウ

企画・編集エージェント。中の人である塩原は1985年松本生まれ。日本大学芸術学部放送学科卒業。出版社で書店営業と単行本編集、取次店で宣伝や流通に携わる。企画・原稿は(ichiro.and.j@gmail.com)までお気軽に。



(編/構成:東間 嶺 @Hainu_Vele)