『Tokyo Art Book Fair 2016』出品作、『Remainders of suicides』 全景(仮)
告知:『THE TOKYO ART BOOK FAIR 2016』
◆ 件名の通り、9月16~19日に港区北青山の『京都造形芸術大学・東北芸術工科大学 外苑キャンパス』で開催される国内最大のアート・ブックフェア、『THE TOKYO ART BOOK FAIR 2016』に出品します。(フェアに関しての詳細は、運営の公式ウェブサイトを参照して下さい)。
◆ 参加するグループ名は"Photobook as object Photobook WHO CARES" です。ブースタイプは A / INTERNATIONAL Tracking No:19。曳舟に拠点を構えるギャラリー・スペース『REMINDERS PHOTOGRAPHY STRONG HOLD』(以下RPS)が企画したブースになります。以下、グループ全体のコンセプトを公式FBページから引用します。
『Photobook as object Photobook WHO CARES』REMINDERS PHOTOGRAPHY STRONG HOLDで開催された写真集製作ワークショップ、マスタークラス、アトラスラボの参加者で構成された様々なフォトブック関連のフェアなどに参加を挑戦していくグループ、"PHOTOBOOK AS OBJECT / PHOTOBOOK WHO CARES"がアジア最大規模となる『Tokyo Art Book Fair 2016』に参加いたします。
写真家が残すべきと信じるストーリーを誰もが共有できる視覚的な小説に仕立て、さらに触感にも訴える「特別なオブジェクト」となる写真集を作り続けています。海外のダミーブックアワードなどで高い評価を受けた作品も多数取り揃えてお待ちしております。会場で実際に手に取ってご覧ください。ブースタイプ: A / INTERNATIONALTracking No.: A121
Great poster for the photobook as object, photobook who cares for the 2016 Tokyo Artbook Fair. pic.twitter.com/gm4q2YXQwe
— Stronghold (@RPStronghold) 2016年9月4日
『Remainders of Suicides』
◆ 今回、わたしが出品するダミーブック&オブジェクト作品『Remainders of Suicides』は、昨年RPSが主宰した実験的な写真集制作ワークショップ、"ATLAS LAB -The Back Page Revisited"への参加によって生まれたものです。タイトルがそのまま示す通り、わたしたちの生きるこのウツクシイ国ニッポンで、きのうも今日もあすも明後日も、どうやら24時間365日発生し続けているらしい『選択的人生放棄事案(世の中では、どうやらそれを、自殺と呼ぶのです)』にまつわる個人的な記憶、曖昧で微妙な感情の起伏を主題としています。
◆ 無論、上の記述だけでは何がなにやらさっぱり分からないでしょうから、以下に作品の展示形態と、RPSのワークショップへ参加したとき作成したステイトメント、実物の見本動画を示します。
『Remainders of Suicides』---中央区霊岸島美術ギャラリー閉鎖事件、及び、都内鉄道人身障害事件について---〔梗概 / synopsis〕本書は2015年に『Reminders Photography Stronghold』で行われた実験的な写真集制作ワークショップ、"ATLAS LAB -The Back Page Revisited"への参加から生まれた私家版作品である。ワークショップでは、参加者各々が社会的、もしくは私的な〔事件〕を材に、視覚的な物語=小説を作り上げることが目指された。その成果として出来上がったこの"本"において、わたしは、過去わたしが美術家として身近に接したひとりのギャラリストの自死と、いまも日々わたしたちを取り巻く無数の自死とを対比的に取り上げ、多声的なイメージと言葉の併置によって、それら死者たちに対するわたしの曖昧な感情の距離を現前させようと試みた。単なる哀悼や拒絶や非難ではなく、彼らの選択に別なる視点や意味を付与しようとすること。それこそが、現在も生き続けている、表現する者としてのわたしが積極的に為すべきことだと思えるからだ。〔introduction〕■ 既に設置も終わったギャラリーの片隅で佐藤さんが首を縊ってから、先週で8年になった。8年たった日の午後、関東では3件の〔人身事故〕が報じられた。その日から8ヶ月前の5月2日には、わたしの乗りあわせた電車が、飛田給で、【20代くらいの女性】を轢き殺した。8年のあいだ、日本社会には、24万人以上の自死が積み重ねられた。
■ 僅かな例外を別にすれば、その何れもが〔三面記事〕に値するものでさえなく、社会に記憶されることなどない。ありふれて、退屈な、数字としての死。だが、240000という数の選択された死には、240000通りの理由と物語がある。単に、それを知り、語る意思をもった誰かが存在しないだけだ。
■ このプロジェクトを通じて、わたしは、わたしが身近に接したそんなありふれたひとりの男性の死と、日々繰り返され続ける〔風景〕としての、それもまたありふれた自死、---ひとつの例としての〔人身事故〕---における感情の距離を、多声的なイメージと言葉で現前させたいと思った。
■ 「忘れない」のではなく、彼彼女らの選択に異なる視点や、別なる意味を付与すること。哀悼や拒絶や非難と同時に、それもまた、現在も生き続けている者が、死者となった人々の行為へ返し得る反応の一つである。〔展示形態〕
ページ数:136ページ本束:横18.5×縦25.7×高さ4cm / 箱:横30×縦42.5×高さ4.3cm写真総数:約60枚重量:230g販売形態:展示及び受注制作価格:未決定(制作用実費のみで受付)
〔世界〕を〔語る(ナラティブ)〕ための方法論として
◆ 今回出品するダミーブックについては、4月に書いたエントリでも触れています。その時期に、『死んでいないわたしは(が)今日も他人』というごくごく短い短編小説(同語反復ではありません)を、フリーランス・エディターの多田洋一氏が責任編集する文藝創作リトルプレス『Witchenkare(ウィッチンケア)』へ、ダミーブックのスピンアウト作品として寄稿したからです。
◆ なぜ、写真からのスピンアウトとして〔小説〕というテクストが派生するのか?上で引用した、グループ全体のコンセプトの中には、次のような一文があります。
【写真家が残すべきと信じるストーリーを誰もが共有できる視覚的な小説に仕立て、さらに触感にも訴える「特別なオブジェクト」となる写真集】
◆ つまり、そういうことなのです。【視覚的な小説】、と聞けば、一般的には内面や外面の映像的な描写が多い作品、古くは村上龍、最近なら前田司郎や本谷有希子など演劇人たちの書くものがイメージされるのでしょうか?
◆ けれども、わたしにとってそれは、〔世界〕を〔語る(ナラティブ)〕ための方法論にかかわる、ひとつの試みです。ことばだけでも、写真/映像だけでも充分ではない、ゆらぎの中で欲動/衝動を具象化するハイブリッドの実践。
◆ その意識においては前者のなかに後者が、後者のなかに前者の芽が予め含まれている、とも言える。ならば、二者をわける必要はあるのか?あるよ!とする主張が世の大多数なのは当然知っています(とういうか、それらをさらに細かく分離させるのが、ハードコアな近現代芸術のキホンですから)。が、どっちにも割れない領域の中で、わたしには、いま、作りたいものが存在する、というわけなのです。
内容見本:サンプル
◆ 告知にもかかわらず、長くなり過ぎました。上掲したダミーブックの動画以外に、写真でも内容見本を載せて、エントリを終えることにします。ブックフェアへの出品ではありますが、手製本されたもののみではなく、紙束やメモ的紙片など、複数のオブジェクトを箱に組み込んだ、一種のインスタレーション形態として展示します。また、制作の実費を頂いて希望する方へお渡しする場合でも、そのような状態を、維持します(冒頭の画像を参照してください)。
◆ 【視覚的な小説】/【特別なオブジェクト】は必ずしも本の形状〔だけ〕をとる必要はありません。物体化したことばや思考の断片、イメージが集積したアッサンブラージュが作り上げられれば、と思っています。
◆ というわけで、16日から19日まで、皆様のお越しをお待ちしています。
Flickr album→【Photo Book】"Remainders of Suicides"
https://www.flickr.com/photos/108767864@N04/albums/72157672234646450