jusco
(撮影:本郷保長、以下すべて同じ

 物心ついた時からジャスコがあった。そのジャスコは国際秘宝館の隣にあって、家からは自転車で10分くらいの距離だった。ウィキペディアによると、僕が3歳の時に開業した店らしい。高校を卒業して町を出るまで、ジャスコは日常の風景だった。

 90年代まで、ジャスコはちょっとしたショッピング・センターではあったけれど、決して〈おしゃれ〉な場所ではなかった。ジャスコで服を買うのは中学生まで、なんとなくそんなフレーズが頭に浮かんだし、実際、高校生になると名古屋のファッションビルで買い物をするのが、クラスメイトにドヤ顔できる要素になっていた。食料品や日用品、あるいは大衆的な書籍やCD、普段着。ジャスコは生活の延長線上にあって、それほど背伸びする場所ではなかった。

 そんなジャスコの地位は、僕が東京の大学に進学してから様変わりする。秘宝館の隣にあったジャスコから数キロ離れたところに、とんでもなく大きなジャスコが新しくオープンしたのだ。それはいわゆるモールで、2階建ての建物には商店街のようにテナントが並んでいる。家電量販店や映画館も併設されていて、明らかにそこには〈非日常〉の空気が流れていた。今までのジャスコとは違う、わくわく感。東京の延長線上にある〈新〉ジャスコ。夜になるとブランド服に身を包んだヤンキー・カップルがデートする擬似的街。

 ジャスコ・モールは東京と繋がっていた。リアルな街としての東京ではなく、メディアに表象される、情報としての東京と。つまりジャスコに行けば、テレビCMで流れているもの、あるいは情報番組で取り上げられていた商品が手に入る、そんなかんじの擬似東京空間。僕が出て行った町で、ジャスコはダサい場所から、オシャレな場所へと、変わっていった。

 中高時代、ひどく東京、ーーテレビや雑誌のなかで表象される東京、に憧れていた僕は、じっさい東京に住むことになったわけだが、それを体現していたジャスコ、現在はイオンと名を変えて、田舎の人々を支配しているあの場所が当時存在していたなら、僕は町を捨てずに住んだろうか。答えは否だ。

shibuya


 東京には東京にしかない文化がある。美術館や博物館、劇場、ライブハウス、大型書店、単館上映ばかりの映画館。

 しかし、東京で生まれ育った人たちの何割がその〈尖った場所〉に出入りしているのだろうか。東京でも普通の人たちは、実は田舎にある巨大なイオンで手に入る程度の文化しか楽しんでいない。読む本も、見る映画も、着る服も、東京のほとんどの人は、田舎のイオンで売っているレベルのものしか楽しんでいないのだ。

 その事実に気づいたのは、東京の大学に進学してしばらくしてからだった。自分の通った大学は1、2年生は横浜市にあるキャンパスで学び、3年生からは渋谷キャンパスになるのだが、田舎から上京してきた僕は、大学の多数を占める南関東ネイティブが、それほど〈東京らしい〉文化を享受していないことに、なぜか安堵した。

 2010年代の今、あらためて渋谷の街を歩くと、まるで地元のイオンモールを動いているかのような錯覚を感じる。いくつものスクリーンがある映画館、家電量販店、ファッション関係のチェーン店、マクドナルド……。

 もちろん人の多さは桁違いなのだが、商業施設の種類や質がイオンとあまり変わらないのだ。というより人々の服装や表情も含めた街の雰囲気が。もう今の渋谷には〈東京らしさ〉がない。僕の高校生時代、渋谷を闊歩していたというコギャルやチーマーはいないし、時代の最先端がここにあるのだという空気もない。


 庵野秀明が『ラブ&ポップ』で撮影した渋谷は時代の〈ひりひり感〉に満ちていた。なにか触ったらぱんと弾けてしまいそうな、あるいは誰かを傷つけてしまいそうな。そういう、ひりひり感はもう渋谷という街からは去って、今の渋谷はイオンモールと同じような安心感がある。

 もともとの渋谷が持っていた東京らしさは、田んぼの真ん中にあるイオンモールに輸出され無害化された。そして、そのつまらない〈東京〉はふたたび渋谷に逆輸入されたのだ。リオのオリンピック閉会式の日本セレモニーが渋谷の街から始まったのも、もはや渋谷が安心できる、ぜんぜん尖っていない、記号のような東京そのものだからだと思う。


 イオンモール化された渋谷は今度は世界に輸出されるのだろうか?まあ東京という巨大な都市は、いろいろな顔を持っている街の集合体で、渋谷にしたってちょっと歩けば原宿で、そこは十分に別種のひりひり感が満ちている街だから、渋谷という無臭のパビリオンがひとつあっても困ることはないのだけれども。

 僕が東京に出てきたのは2000年で、自身の行動範囲が狭かったこともあって、レコードショップが立ち並んでいた時代のような、ひりひりした街としての渋谷を目撃したことがない。いや、渋谷にもまだ東京らしい部分、尖った部分が残っていることも知っている。アイドルが歌うライブハウスや、現代美術のギャラリーにも行ったことがある。でもそれらは今の渋谷では身を潜めるようにこじんまりとあるだけだ。単館の映画館もどんどん閉館している。渋谷の街の空気はすっかり浄化されているのだ。

 もしかしたら、僕にとっての〈渋谷〉はずっとメディアの中だけにあったのかもしれない。記号としての街。それは、ずっと最初からイオンモールだったのかもしれない。

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(編/構成:東間 嶺)