きっと高校1年生の時からだ。
「何者でもない自分」に耐えられなくなったのは。

 公立中学から田舎の進学校に進んで、高校入試は300人以上受験して1人しか不合格にならない程度のぬるい試験で、なんとなく始まった高校生活ではあったが、僕は部活動もろくにせず、毎日学校が終わると駅前の本屋で時間を潰した。郡部にあった中学校は田んぼの真ん中にあって、そこに自転車で通学し、お金を使う場所すら本当にまったく存在しない世界だったから、人口10万人の市部にある高校に電車で通って、駅前に商店街があるのがとても面白く、特に書店は僕にとっての社会への入口だった。

 学校がはけると隣の駅まで歩き、駅前に3軒ある書店を順に見てまわった。だいたい1時間~2時間くらい立ち読みして帰りの電車に乗った。
 情報の海。まだインターネットが普及する直前の90年代半ば、情報を届けてくるメディアは主に雑誌とテレビだった。僕の世代は『女子高生ブーム』直撃世代で、テレビや雑誌で同世代の東京にいる若者が取り上げられるたび、自分の周りを取り囲んでいる田んぼを憎んだし、僕は焦った。センター街を歩く女子高生らのように、自分は雑誌に載ったりテレビに出たりすることがあるのだろうか。一方的に情報を送りつけられるだけの田舎の高校生であった僕は、自分の何でもなさを自覚するようになる。


 「何者かにならなければいけない


 それはほとんど天啓だった。

 自分がどれだけ特別であるか、証明しないといけない。現代風に言うならば、「Wikipediaに立項されるような人物」。しかし、焦りの気持ちばかりが先立って何をしていいか分からなかったし、何も手につかなかった。
 
 10代の後半から僕の人生は迷走を始める。まず僕は東大に行こうと考えた。通っていた高校は数年にひとり東大合格者が出る程度の学校だったが、現役の時は不合格になり、1年間浪人してもダメだった。東大に落ちて滑り止めの国立大学に進学し、そこでは体調を崩し、学校に通えなくなった。次に僕は作家になろうと決心する。とにかく何者かにならなければいけないという強迫心ばかりが全面に出てしまい、着実な一歩を歩むことができない。インターネットは20世紀の終わりから触るようになって、そこでも掲示板の有名人になろうとしたり、チャットルームを荒らしたりした。ネットは承認をダイレクトに簡単に得られる場所だったが、ネットで得た名誉は数日で流れ去ってしまう。どれだけネット上で有名になっても、何も手もとに残らない。
 
 2016年になって、僕はアイドルのライブに何度か足を運んだ。もともと美少女が出てくるような映画やドラマが好きで若手女優などはチェックしていたが、数年前から続くアイドル・ブームで、時代の最先端がそこにある気がして、どんな世界が広がっているか見ようと思った。


 
 ステージ上で歌い踊る数人の少女たちに、観客席に詰め込まれた多くの男たちと、いくらかの女オタが声援を送る。確かに何かが生まれているような触覚がそこの場所にはあったし、アイドルの現場は東京という土地のいちばんとんがった部分にあるのだというのも理解できる。しかし僕はそこでも違和感を感じた。自分はむしろアイドルのライブを見たいのでなく、アイドルになりたかったのではないか。ステージを見るのではなく、ステージに立ちたかったのではないか。己の承認欲求にあらためて気付き、うんざりした。なぜこれほどまでに人々からの賞賛を求めるのか。理由はもう分かっている。


「積み上げてこなかったこと」


 大きな成功がたとえ得られなかったとしても、毎日の生活のなかで少しずつではあったとしても、他人からのささやかな承認を積み重ねてきたならば、きっと今の自分は素直にアイドルを応援できただろう。けれど、自分ははじめから『デカイ一発』による『大逆転』ばかりを狙い、なにひとつ着実なものを積み上げてこなかったのだ。もうからっぽの中年男であるような自分がそれでも認められたいと強く願う姿は滑稽で、自己顕示欲だけは芸術家のそれであり、自分は絵を描いたことのない画家、歌を歌ったことのない歌手、小説を書いたことのない小説家そのものになっているのだ。
 じっさい何回、小説を書いて新人賞に送っても思うような結果がでないのもこれが原因で、つまり自分には語るべき何かがないのだろう。
 
 夏の絶望。
 いや絶望というより虚ろ。

 満たされない思いだけが膨らんで腐っていく夜は寝苦しい。


画廊201608
著者近影(撮影:東間嶺)