無職を利用してボランティアに行ってきた-1から続く)

西原村―2016/5/20

 さて、今日は何処に行こうか。
 西原村のように辿り着くまでに骨が折れそうな所は最後に回して、やはりJR松橋駅までの送迎がある宇城市かな?と、目覚まし代わりの軽い朝風呂の後で、荷物を整理しながら考えていた。

 その時、「今日は何処に行くんですか?」と、同じく荷物を整理していたボランティアと思しき男性に声を掛けられた。彼は僕より少し年上、四十代半ばといった所だろうか。「送迎があるんで、宇城市にでも……」と言ってから同じ質問を返すと、彼は「昨日もなんですけど、今日も西原村に行こうと思ってます」と答えた。

 僕は<チャンス!>とばかりに、「どうやって行かれるんですか?ボラセン(ボランティアセンターの略)遠いですよね?」と聞いてみた。そうして返ってきた予想通りの「車で来てるんで車で」という回答に、僕は「乗せて行って貰えないですか?」と間髪入れずにお願いすると、彼は目を丸くして、「え?宇城市に行くんじゃないの?」と驚いていたが、「本当は西原市に行きたかったんですよ。でも西原市は足が無いと難しいので、宇城市にしようかと考えていたんです。宇城市は駅からの送迎があるので。でも、もし良ければ……」と事情を話したところ、快諾してくれた。

 車中で自己紹介をすると、彼と僕は同じく福岡、しかも同じ福津市在住との事だった。それから、彼の苗字は昨日車に乗せてくれた方(この方も福岡在住だった)と同じで、おまけに僕と同じく現在求職中だった(以降この男性をM氏と呼ぶ事にする)。

 西原村のボランティアセンターは開くのが遅いそうで、コンビニに寄って朝飯を食べると、ドライブがてらに西原村の周囲をグルっと回る事になった。道中では仮設住宅が建築中だったが、これが仮設といった雰囲気はなく、むしろしっかりとした普通の木造二階建てといった感じで驚かされた。

「高齢者が多いだろうし、長丁場になるだろうという事からですかね?」とM氏に意見を聞いてみると「うん、それか、後に転用するとか?それにしても立派だよね」と返ってきた。

 更に行くと、川沿いの避難所になっている小学校の前を通った。体育館と思しき建物の脇には葛飾区と書かれたテントが張られており、トラックなどの車両が何台か停められていた。

 この西原村は阿蘇郡に属しており、豊かな水の流れと生い茂った緑が目につく。センターの近くのボランティア参加者用の仮設駐車場に車を停め、ボランティアセンターまで五分少々歩いた。
 ここは工場が立ち並ぶエリアにあり、益城町と同じく企業用地を借りて運営しているようだった。敷地には、恐らく事務的な作業を行うのであろう二階建てのビルがあり、その周囲には20台位が停められる駐車スペースがある。

 人影はまばらで、集まっていたのは恐らく数十人程度だっただろうか。昨日の益城町と比較すると、恐らく百分の一程度という所だろう。

 この西原村は全国からボランティアを募集していた。その割には、参加人数も少なければ、センターの規模も小さい。村という位だから人口は少なく、被害規模もそれに比例して小さいのではないだろうか。全国から募集しているのは、辺鄙な場所だから人が集まり難く、必要人数が確保出来ないという事だろう。


農業ボランティアと『芋洗い』

 敷地に入ると、若い男性職員に「人手が足りないんで参加お願いします!」と声を掛けられた。何だろうと思って聞いてみると、この西原村のボランティアセンターには、通常のボランティアと共に農業ボランティアの窓口が開設されているのだという。気になりながらも、会釈だけして奥にある通常ボランティアの受付に足を進めるM氏に数歩付いていった。しかし、すぐに思い直して足を停め、M氏に「僕ちょっとこっちで話聞いてみます」と農業ボランティアの受付に向かった。

 聞くまでも無い事だったが、先程の男性職員に「どんな感じですか?」と尋ねると、「西原村は農家のお宅が多くて、震災で作業が遅れているので手伝って欲しいという農家の方が多いんですよ~」と返って来た。
 
 僕の目的は「経験値を上げる」事なのだ。
 参加可能な他の地域では、恐らく農業ボランティアの窓口自体が開設されていないだろう。
 僕はM氏に断ってから電話番号を交換し、農業ボランティアへ参加する事にした。

 最初は年配の男性方三名とのグループに加えられたが、すぐに別のグループに異動になった。新しいグループは僕を入れて三名。他の二名は東海大の阿蘇キャンパス出身で、二十代後半と思しき男性(以降Sくんとする)は愛知から、そしてその後輩の女性(以降Mちゃん)は奈良からボランティアの為に来ているという。馬術サークルだったSくんは、LINEで馬術サークルのメンバーに声を掛け、参加したのがMちゃんだったという。二人共農業ボランティアにはここ数日参加しているようだ。
 僕等が依頼された作業は、『芋洗い』だそうだ。道具は揃っているから何も持つ必要は無いという事で、僕達はSくんの車で先導する軽トラに付いていった。

 だいたい10分程走っただろうか?この日の現場である川沿いの民家に着いた。
 軽トラを運転していた女性はボランティアを必要としていたおばあちゃんの姪御さんで、ここは姪御さんのお母さん、つまりおばあちゃんのお姉さんのお宅だという。おばあちゃんは既にお宅の軒先で待っていた。

 芋洗いの為の機械と収穫コンテナに入ったサツマイモ(おばあちゃんはサツマイモの事を『から芋』と呼んでいた。漢字で書くとしたら『唐芋』だろうか?)、発電機や、洗い場として使う左官仕事用のトロ船、それからバケツ、脚が付いたアルミ製の長細い芋用の洗浄機などが用意されていた。
 これらの農機具もお姉さんのお宅のモノで、おばあちゃん達の農作業用の小屋とそこにある諸々の道具類は土砂に潰されてしまったそうだ。

 いつもはおばあちゃんとおじいちゃん(共に八十歳との事)が二人でこなしている芋洗いの作業だが、今日はおじいちゃんに用事があって昼過ぎまで帰ってくることが出来ない。そこでボランティアの出番というわけだ。

 一連の作業を流れに沿って説明すると、まず洗浄前の芋をトラックの荷台から下ろして積み重ね、芋をチェックしてから芋を洗い機に並べる。洗い機から収穫コンテナに放り出される洗浄後の芋が一定量溜まると、それを乾す為に陽当たりの良い庭先へと運ぶ。そして一定時間乾したら、今度は納屋に運んで積み重ねる。
 
 僕の仕事はというと、収穫コンテナの芋をトラックの荷台から下ろして洗浄機のおばあちゃん達の所まで運び、洗浄後の芋を運び、納屋に積み重ねる腕力系の仕事だ。
 おばあちゃんとMちゃんが芋のチェックと洗浄機へ芋を配置する係で、Sくんは、大量に必要な水と発電機の管理をしたり、そして収穫コンテナにこびりついた土などを掃除したりしながら、時折僕の作業を手伝ってくれた.

 SくんとMちゃんは農学部だったそうで、二人共作業には慣れた雰囲気だった。予想範囲内の仕事なのだろう。Sくんは気が利くし、Mちゃんも明るく楽しそうにこなしている。僕はと言えば、芋は想像していたよりもずっと重かったが、身体を使う作業は基本的には得意だ。「皆で楽しく作業をこなした」と言って良いだろう。


焼肉丼、キャプテン翼、立ち入れない避難所

 お昼になると、歩いて五分の小学校を訪ねた。
 おばあちゃんの「お昼は何か持って来とうと?お昼は避難所でご飯もらっちゃあけん小学校行こう。すぐそこやけん」という言葉に有難く従ったのだ。おばあちゃんもおじいちゃんも、現在は断水中の自宅ではなく、小学校の体育館に設けられた避難所に住んでいるそうだ。

 避難所は小学校の体育館で、小学校の正門をくぐってすぐ脇にある。
 体育館の脇には、葛飾区のテントが張られている。その時、ようやく「朝方にM氏と車で来た所だ」と気付いた。実は周囲の景色にも見覚えのあったのだが、「田舎の景色なんて何処も同じようなもんかも」と思っていたのだ。体育館の奥に小学校の本館があり、更にその奥にはグラウンドが、そしてグラウンドの向こう側には自衛隊の車両が手前に三台、そして彼等のテントが建てられている。

 おばあちゃんによると、自衛隊が設置してくれていたお風呂は昨日までで終わり、彼等もこれから移動するらしい。おばあちゃんはとても残念がっていた。

4e10f803-Edit
(撮影:山口倫太郎、デジタル補正:東間嶺、以下すべて同じ)

 お昼が始まるのは正にこれからという所で、僕等はまだ避難所から出てこない被災者の皆さんよりも先にご飯を勧められた。
 流石に僕等の方が先というのは……と、僕等は遠慮(実を言うと、僕は特に遠慮してなかったが、遠慮する二人を見習ってそういう態度をとった)していたが、結局は先に焼肉丼を手にした。

 炭火で焼かれた焼肉は、香ばしい香りで肉の甘さが際立っていた。僕等は口々に美味い美味いと言って、Sくんは「今回食べたモノの中で一番美味い」と言いながら頬張った。
 とても美味しいお昼ご飯に違いないが、避難所に住む被災者の皆さんの反応は遅い。
 避難所生活に疲れ切っているのだろう。

 ごはんとナムル、焼肉を頬張っていると、葛飾区の職員の方に声を掛けられた。その方は健康保険課の係長さんだそうで、彼には名刺とTシャツを貰った。Tシャツは寅さんのイラストがプリントされており、名刺にはキャプテン翼(!)のイラストがプリントされている。

 僕等は皆、あの世界的に有名なサッカー漫画の『キャプテン翼』は静岡の話だとばかり思っていたのだが、係長さんが言うには、キャプテン翼の『南葛FC』、『南葛高校』の『南葛』とは、『南葛飾』の略だそうで、葛飾区としてはこれからは寅さんばかりではなくキャ プツバを推していきたいと考えているそうだ(僕等は出来たばかりだというキャプツバのプリント入り葛飾区PR用Tシャツを頂いた)。

 恰幅の良い係長さんは50代半ばという感じだろうか。電話で道順を尋ねられたらしく、突っかかる事なくスムーズに分かり易く指示する様子からは、如何にもやり手という感じが窺えた。この方も東海大の阿曽キャンパス出身だそうで、Sくん、Mちゃんの大先輩という事になる。朝方に僕とM氏が抱いた「なぜ浅草から?」という疑問だが、これはきっと係長さんの『第二の故郷』の問題として考えるべきであり、その気持はSくんMちゃんと同様のものなのだろう。

 体育館を覗くと、そこには一メートル程度の低い敷居で仕切られた被災者達の『住まい』が立ち並んでいた。特に「入って良い」とも「いけない」とも言われなかったが、そこには何となく立ち入る事の出来ない雰囲気があり、写真を撮ろうという気にもならなかった。
 僕等は口々に西原村の自然溢れる環境を褒めたが、その雄大な自然と体育館の中の僅か数平方メートルの領域との格差には、何か象徴的な意味合いがあるかのようにも感じられた。

18933d72-Edit


芋とおばあちゃんと『写真』

 昼からは、僕とSくんとおばあちゃんとで貯蔵庫に行って新たな芋をとって来た(僕とMちゃんはトラックの荷台に乗りたがったが、警察に見つかるとまずいという事で、三人でいく事になった)。車で十分程度だっただろうか?小高い丘を掘って作られた貯蔵庫には、芋でいっぱいの収穫コンテナが七段に積まれていた。

 173センチの僕の身長よりも遥かに高く積み上げられた(2メートルを超えていただろう)収穫コンテナを見て驚いたが、おばあちゃんによると「コンテナば台にしておじいちゃんと二人で”いっせいのせい!”で積んでいる」そうで、しかもおじいちゃんとおばあちゃんの身長は変わらない位(150センチ台半ばといった所だろう)だという。共に80歳だという小柄な二人の作業である事を考えると、ただ驚くしかなかった。

 僕等が家兼作業場に戻ると、おじいちゃんも既に戻ってきており、おじいちゃんはMちゃんと一緒に芋に残っているツルを切り落としていた。おじいちゃんも、冒頓とした感じの優しそうな人だ。Mちゃんもツルを切る作業には大分慣れたようだったが、おじいちゃんの手さばきはやはり見事だった。
 その後おじいちゃんはへた切りを続行し、僕等は午前中と同じ作業に没頭した。

 三時頃になると、おばあちゃんは作業の進捗を気にして「何時頃までに戻らないかんと?」と聞いてきた。僕が「大体四時くらいですね」と答えたると、おばあちゃんは時計を見て、「それまでには終わるね」と言って、実際に予定通り作業が完了すると、「やっぱり早く終わった」と安心しているようだった。
 
 本当の事を言うと、この西原村のボランティアセンター(農業ボランティア係)では帰りの時間は指導されていなかった。
 とは言っても益城町もそうだったし、結果的には何処も16時だったのだが、実を言うと僕が四時と答えたのは、「これ以上は無理!」というレベルまで疲れ切っていたからだった。昨日益城町でハンマーを振り回した疲れも抜けていなかった。

 片付けも含めて、作業が終わったのは、本当に16時ぴったりだった。
 おばあちゃんは、次は収穫の時に来て欲しいと言って「あんたたちの連絡先ば教えちゃらんね!」と聞いてきた。
 紙に携帯の番号を書き終えると、僕はそれを合図に「皆で一緒に写真を撮りましょう!」と提案してポケットからiPhoneを取り出した。前日に益城のメンバーで写真を撮れなかった事を少し後悔していたから、この日は躊躇する事なく提案した。
 皆で横並びになってiPhoneのインカメラを構えると、おばあちゃんは「最近のはカメラはすごか~」と言って驚いていた。

a3016df8-Edit

 僕等は遠慮しているのに、おばあちゃんは「芋を持って行きなさい」と言って聞かない。僕等は結局三人とも袋一杯のサツマイモを下げて帰る事になった。田舎のおばあちゃんというのは大体こういうものらしいが、こういった心優しきおばあちゃんの形質というものは、震災でも、被災者生活でも何ら変わる事のないもののようだ。

 カワイイおばあちゃんだったが、西原村の景色や環境の良さを褒める度に「自慢の西原村やったのに滅茶苦茶になってしまった」と目に涙をためて嘆いていたのが印象に残っている。


回収されたステッカー、そして三日目へ

 僕等は、行きと同じくS君の車で、ボランティアセンターに戻った。
 この西原村のボランティアセンターでも、他と同じく朝の受付の際に腕へステッカーを貼ってボランティア参加者であるという事の証しにする。僕は自分の左腕に昨日の益城町のステッカーを貼ったままで、その下に西原村のステッカーを貼っていた。僕としては、ブラジリアン柔術の選手のように腕にずらりと各地のステッカーを貼りたかったのだが、残念ながらこの日は回収されてしまった。

 記念に残したいと言ったが、回収についてはまったく交渉の余地は無い様子だった。
 理由は「不正に使用される恐れがある為」という事だった。
 しかし、回収されたのはこの西原村のみで、実際にステッカーが不正に使用された事もないそうだ。また、帰りのバス代が半額になるという事だったので、忘れないうちにボランティア活動参加証明書を貰っておこうと聞いてみたが、ボランティアセンターからは2,30分程歩かなければならない役所でしか発行できないという(後に尋ねた宇城市、熊本市ではセンターで簡単に発行して貰えた)。

 どうしてもこの日手に入れたいと思っていたわけではなかったので、諦めてそのまま帰ったのだが、自治体の規模のせいだろう。どうも準備が整っていない。とは言っても、愛想が悪いとか乱暴だとか言うわけでは無く、不愉快に思ったわけではない。むしろ皆さん優しく親切に対応してくれた。ただ、人手も少なく、こういった時のマニュアルなどの用意が無かったのだろう。

d95a773a-Edit-Edit

 それから、思いがけずだったが、この帰りのボラセンでは、前日に益城町で一緒のグループになったHさんとも再会した。マスクをした女性に見覚えがあり、見ていると彼女もこちらを見ている。
 そしてHさんがマスクを外して「あ~!」となった。
 彼女はお母さんと、やはり農業ボランティアに参加したようだった。
 僕等はラインを交換して別れた。

 それから、戻るのが少し遅くなってしまったが、ボラセンではM氏が僕を待っていてくれて、サウナ近くのセブンイレブンまで送り届けてくれた。今晩友人と会ってから、そのまま福岡に帰るという彼と「また何処かで」と言って別れた。
 僕はまず、沢山貰ったサツマイモをセブンイレブンから実家へと送り、サウナの近くのモスバーガーでセットの夕食を済ませてからサウナにチェックインした。

 風呂に入りゆっくりとストレッチをして、風呂から上がると、昨日に引き続き中村文則『遮光』を開いたが、途中どうにも納得できない不自然な描写が気になって、読み進める気が無くなってしまった。代わりにサウナの漫画棚を見て周り、『弱虫ペダル』を数冊とった。運動音痴のオタク少年が主人公の自転車競技の話だ。とても面白いスポ根漫画だが、数冊読むと流石に飽きてくる。
 館内をあても無くウロウロしていると、なんとSくんとMちゃんを見付けた。昼間二人にサウナの事を話した際に興味を持っていたので、もしかしたら来るかもしれないなあとは思っていたのだが。

 ボラセンで別れた後、二人はおばあちゃんが言っていた川沿いのホタルを観に行ったようだった。少しだけ話をして、寝床へと向かった。昨夜見付けたヨガスタジオだ。ヨガが終わると、スタッフが布団を敷き始めるのだが、隣の布団までの間隔が広く取られているし、ここが一番心地良い寝床だった。

 僕は再び『弱虫ペダル』を読みながらストレッチをし、そのまま寝る事にした。もうサウナでの夜も三日目だ。この日はぐっすりと眠れた。

――つづく

(編/構成:東間嶺 @Hainu_Vele)