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(撮影:東間嶺、以下getty以外すべて同じ)

 Amazonを見ると、本書は〈ビジネス実用〉にカテゴライズされている。
 
 え? ビジネス書? 実用書? 
 これって、そういう本なの?
 
 それって、あれでしょ。「1日5分の何とかであなたの人生は驚くほど変わる」とか、「部下のやる気を引き出す10の言葉」とか、「武将に学ぶ仕事術」とか。なんか、そんなの。読んだことないからテキトーだけど。

 確かに、タイトルには〈心得〉なんて言葉が使われているし、著者自身【自己啓発本のようになってしまった】と書いているので、あながち間違いじゃないんだろう。本の構成も、キャッチーな在野研究の心得40箇条なんてのがリストアップされているし、目次は小見出しまで抜き出した親切設計。引用文献へのアクセスは、注釈大賞の有力候補だ。各節扉には年譜とプロフィールがあって、わざわざ本文を読まなくても採り上げられた人物の素性が見通せる。ホントに実用的だ。年譜とプロフィールの字の小ささは勘弁して欲しいけど。

これからのエリック・ホッファーのために2
 

 でも、ホントに本当に、実用的な本なの?

 本書は【学校の外でガクモンする、という一見絶望的にも思えるけれども、その実、私たちのツマラナイ日常をオモシロで満たすための希望の道筋】を示すために、16人の〈在野研究者〉の実例、要は学問系の奇人変人を紹介した小伝集だ。
 むかしから「○○で飯が食えるか!」というのは、親がトチ狂ったわが子を一喝する決まり文句で、○○には〈学問〉〈哲学〉〈文学〉〈芸術〉などの言葉が入る。大学からお給金をもらえるわけでもないのに学問する、つまり、勘当も辞せずして学問の道を進み見事に親の鼻をあかした変人、もとい先人たちを褒め称えるとともに、彼/彼女らの後に続け! と、読者をオルグするのが本書の狙いだ。
 そのへんが〈自己啓発本〉たる所以だけど、【一見絶望的】とある通り、その道は辛く険しい。〈在野研究者〉なんて、耳慣れない語感もあって頭よさげなイメージもあるけど、その実売れないお笑い芸人と同じ。お笑い芸人ならバイト時代のエピソードもネタになるだろうけど、研究者はどうなの? ネタにしているのは本書の著者だけど、そんなわけで、【はじめに】にはこんなことが書かれている。

「生活の糧をどこから得ているかという視点を重視したい。研究とカネというテーマが在野研究の方法に関する最大の難所であるように思えるからだ」


* * *

 目次を眺めてパッと目につくのは、【第二章 寄生しながら学問する】。
 
 おお、そうだ! 誰かに養ってもらえばいいんだ! チマチマ働いてなんかいられるかってんだ! こいつは役に立ちそうだゾ。
 
……でも、奥さんに稼いでもらう、というその実例は、360度どこから見ても〈ザ・昭和〉。内助の功、なんて言葉が実感できた時代ならアリかもしれないけど、平成の御代にそんな女性はいないでしょ。そもそも共働きが基本なんだし、それ以前に結婚ができないんだから、女性研究者も立場は同じ。この道を進む気なら、読むべきは歌舞伎町ナンバーワン・ホスト/ホステスが書いた「ジゴロになる方法」「男に貢がせる方法」みたいな本。最終章に出てくる南方熊楠は親からの仕送りで生活していたようだけど、そんな特権階級(?)の話を持ちだされてもねぇ……。いまは親の面倒を見ることが先決で、下手をすると行き着く先は介護自殺だよ。

 仕方がないので、【第一章 働きながら学問する】に取って返すと、出てくるのはガリ版屋やら納豆売りやら……。

 そんな仕事、どこにあるんだよ!
 
 いまの御時世、あっちを見てもこっちを見てもブラック流行り。誰に頼まれたわけでもないのに〈研究〉なんぞをするというのは、やっぱり〈真面目〉だからでしょ。ブラックの餌食になるのはまさにそんな〈真面目〉なひとなわけで、研究する暇なんか絶対ない! 【心得その三 就職先はなるべく研究テーマと近い分野を探すべし】って、それが実現できるんなら苦労はないよ!

 第四章は【自前メディアを立ち上げる】。そうか、自分で仕事を作ればいいんだ! ってわけじゃない。情報はタダというインターネット時代。立ち上げるのは簡単かもしれないけど、お金にはならないし、日々の更新で疲弊していくのは目に見えている。同人誌? 誰が買うの? ――えぇい! ちくしょうめ! もう、希望は死後評価だ!

 ……って、ここまで書いて、不意に、背筋が寒くなった。
 ひょっとして、実用書ってのは、特殊な事例から普遍的と思える定理を引き出して、口当たりの良いワンフレーズでこじつけた本のこと? ひとびとは、そんなのを喜んで読んでるの? 「武将に学ぶ」なんて、戦国時代が現代に外挿されて、みんな「おお、なるほど。これは明日から実行じゃ」とか、思っているのか?
 本書でも、実例に対して反面教師的に【コンプレックスを克服せよ】なんて心得が挙げられている。でもさ、それってほとんど人間一生の問題にもなりうる重要事項じゃないの。たぶん、これだけをテーマに、精神科医あたりへの聞き書きで、新書が成立するでしょ。

 実用書と学問ほど、水と油の関係はないんじゃないか。学問にマニュアルを求める奴はただの馬鹿野郎だし、そんな奴が本書を手に取っても得るところなんてない。

 じゃあ、何なんだ? この本は。

 この本が実用的かどうかなんて、どうでもいい。心得40箇条を胸に刻みたいひとは、そうすればいいさ。本文を読まなければ、40箇条はまんま実用に供してくれるかもしれない。大きな紙に印刷してトイレに貼っておこう。

   でも、本書の価値は、そんなところにはないんだ。

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* * *

 ちょっと前に、某所で國分功一郎の公開講義を聞くことができた。ジル・ドゥルーズを引用しながらの想像力についてがテーマで、とても面白かった。もちろん僕は、ドゥルーズなんて読んだことも食べたこともないから、ここで話されたことが正鵠を射ているかどうかなんて判断できない。専門家だから間違いはないだろうけど、この講義以上の知識がないから、論旨を正確に汲み取れていない可能性もある。更にそれを数日後に思い出しながら書くという、とてもあやふやなものだ。ドゥルーズの真意はそんなんじゃない、と言われるかもしれない。それでも書くのは、ここで話されたことが、そのまま本書の存在価値に合致すると思うからだ。

 ドゥルーズは、左翼(左派)的な在り方とは、ものごとの知覚の問題だ、と言う。遠くから出発する知覚が左翼であり、自分から出発するそれが非左翼。自己保身にあくせくするのではなく、遠くで起こった出来事を近所の出来事より身近に感じられるかどうか、それが左翼であることの条件だそうだ。そのためには、遠くの出来事を想像できなければいけない。自分の世界観のなかに、その遠くが含まれていなければならない。つまり、左翼とは極めて広大なイメージを持つ者なのだ。ドゥルーズの哲学は〈出会いの哲学〉と言われるそうで、その想像力は絶えざる他者との出会いによって生み出される。それは、常に他者と接触していなければ低下してしまう。と、要点はこんな感じだった。
 これだけだと説得力がないかもしれないけど、実際の講義はドゥルーズのインタビュー・ビデオや〈無人島論〉、ハイデガーなどを引き合いに出して進められ、「ウンウン、そうか、メモメモ」だった。



 
 さて。
 本を読むということは、とどのつまりは、その本を書いた他者の思考に触れるということだ。小伝集である本書を読むと、著者・荒木優太の思考に触れるとともに、荒木を通した16人の研究者の思考に触れることになる。
 何よりも重要なのは、本書が他者の思考を徹底的に掘り下げる〈研究〉に焦点をおいている点だ。〈創作〉ではなく〈研究〉。世に「小説家になろうぜ!」と訴える本は掃いて捨てるほどあるけど、「研究者になろうぜ!」という本は、どれだけあるんだろう。もしかしたら、これが最初の一冊かも。
 國分は、ドゥルーズの〈出会いの哲学〉に対し疑問を呈していた。他者との出会いを促進するように思えたインターネットが、現状は逆方向にしか働いていないからだ。
 タコツボ化したネット状況では、絶対的な他者に正対することはできないだろう。ひとびとは自分の触れたいものにだけ触れ、好みに合わないものは徹底的に排除する。
 しかし、〈研究〉という行為は否応なしに、異質な他者と衝突せざるをえない(念の為に書いておけば、他者とは特定個人とは限らない)。関連書は芋づる式に後から後から湧いて出てくるし、まったく関係ないと思っていた事柄が密接に関係しているなんてこともザラにある。実地検証に東奔西走し、パズルのピース一個のために意に沿わないことをしなきゃいけないこともある。自分が立てた仮説を否定するような事実に直面して、それを無視したらそれは研究じゃない。第三章で採り上げられる高群逸枝の女性史学研究は、弁解の余地のないほどアレなものらしい。でも、その分野を研究しようとするなら、必然的に高群のアレに正対しないわけにはいかない。

 左翼とは極めて広大なイメージを持つ者だとするならば、果たしてそんなことが可能なんだろうか、と國分は言う。ドナルド・トランプや日本の首相を批判することが、左翼であるわけではないからだ。でも、哲学者である國分は、そうではないかもしれないけど、そうであろうとする道筋に立っているんじゃないか。あるいは、何割かはそうであるのかもしれない(むしろ100%左翼/右翼には、ならないほうがいい)。
 講義は空間的な遠さ=距離に焦点を絞っていたけど(ドゥルーズの論がそうなんだろう)、勝手に敷衍すれば、時間的な距離も考慮に入れていい。むかし起こった出来事をいまの出来事より身近に感じること。むかしの誰かの言葉に常に接すること。

「一度として経験したことのない過去とは、現在生きる人間にとって、それ自体で既に未来的ではないだろうか?」

と著者は書く。疑問形にする必要なんてない。断定しちゃっていいんだ。

 本書が提示するものは、ドゥルーズ=國分に倣えば、かなり左翼的な在り方だ。
 心得40箇条をリストアップした著者には気の毒だけど、そんなのはゴミ箱に捨ててしまって構わない。他者は、コピーライター謹製みたいな、もしくはどっかの為政者がヒステリックに叫ぶような、気の利いたワンフレーズのなかにはいない。著者がパコパコ、キーボードを打ちながらエディタのスペースを埋めていった、ひとつながりの、纏まった分量の文章のなかにこそ、想像力を生成する他者の存在が埋め込まれている。

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荒木優太近影(撮影:東間 嶺)

 もちろんそれは、ほんの上っ面をかすめるだけだろう。
 でも、何万語を費やしたって、何十年と付き合ったって、他者を理解することなんて出来るわけがない。

 だからドゥルーズは、絶えざる出会いを重視したんじゃないか。何度も何度も出会うことを、何人も何人も出会うことを。それは〈学問〉や〈研究〉という営みが本来的に持つ側面だ。在野だろうが在朝だろうが関係ない。
 実際、著者はアカデミズムを否定していない。大学教授、ぜんぜんオッケー。だから本書は、それが特定の人間だけにではなく誰にだって開かれていることを教えてくれる、というだけで十分価値がある。
 でも、例えば、専門を一本にしぼらなかったために大学に拒否された小室直樹、素人ゆえに学会のタブーをものともしなかった吉野裕子、仕事を転々としたことが研究に直結した赤松啓介などの実例には、在野であるからこそ成立した【オモシロ】が読み取れるんじゃないか。それはきっと、アカデミシャンより何倍も面白い道筋だと思う。


「私は決して労働者になる為めに生れて来たのでもなければ、この世で一定の職業につくべく義務づけられて来たのでもない。たとひ私の両親がいかにして私を産んだとしても、生れるときは私は芸術家であつた、純真なる自由人であつた。従つて私達は現代に生くべく来たのではなくて、飽くまで芸術の世界、無限に自由の世界に生くべく来たのであつた」
 

 この、アナキストの言葉としか思えない一文は、僕を深く感動させる。これを発した人物と出会えただけでも、僕はこの本を読んでよかったと思う。

 そう。このような出会いは、当然のごとく革命的であるのだ。何しろ【最大の難所】は【カネ】だ。経済的な問題(飯が食えるか食えないか)と革命は、切っても切り離せない関係にあるんだから。

 〈研究〉という、地味で暗くて、アクティブというよりパッシブにしか見えない、60年代を引き合いに出せば親の脛をかじりながら大学を荒らしまわった全共闘学生を敵に回す保守の側にいるとしか思えない活動は、むしろ人間だけが持つ脳活動=想像力に直結する、ラディカルさに満ちた〈運動〉なのだ。


* * *

 一冊の本との出会いは、常に表紙からはじまる。

 本書の表紙は白い。
 でも、真っ白な本だと思わせておいて、威勢のいいキャッチコピーが躍る帯をはずせば、そこにはホラ、真っ赤な何かがいまにも吹き出しそうにうねっている。

 腰巻の下の血潮を思わせる赤なんて、いささかセクシャルな表象だけど、最初のそれは、革命的ともいえる肉体の変化だ。赤飯を炊いてお祝いしよう。

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* * *

【補足】

 散々ディスってしまった40箇条だけど、【助成金制度を活用しよう】など、ちゃんと実用に供するものもあるし、【在野に向き不向きの学問がある】なんていうアフォリズム的なものもあって、決して無意味ではない、というフォローはしておこう。だから、もうトイレに貼っちゃったよ、というひとは、わざわざ剥がさなくてもいいと思う。
 
 フォローついでに、実用的なミニ知識をひとつ。
 
 このなかで僕が実践しているものに【聴講生制度を活用しよう】があるけど、これには、その大学の図書館を利用できるという、ビッグなおまけがついてくる。
 谷川健一は【「東京に国会図書館があるというそれだけで、わたしは東京を思い切れない」】と書いていて、これにはむち打ち症になるほど首肯するけど、大学図書館が使えれば、わざわざ国会図書館まで出向かなくても閲覧できる資料が出てくるし、なかには国会図書館にない資料もあったりする。
 大学によっては聴講生になっていなくても利用できるところもある。もちろん正規学生と比べて色んな制限はあるし、各大学による個性もあるだろうから、利用価値はひとそれぞれだと思うけど、【資料へのアクセス経路を自分用に確保しておく】ために、覚えておいて損はない。利用規定をチェックしてみよう。
 小室直樹は【「大学図書館は、学外者には自由に利用できないでしょう。こんな図書館なんてあるものか」】と、たいそうご立腹のようだけど、図書館の利用ひとつとっても、【いくつもの〈あがき〉方がある】ってこと。


 【書籍情報】
 『これからのエリック・ホッファーのために: 在野研究者の生と心得』
 著者:荒木優太
 出版社: 東京書籍 
 発売日: 2016/2/24 
 Amazon:www.amazon.co.jp/dp/4487809754
 
荒木2月宣伝選評


寄稿者:越後谷 研(えちごや けん)

6:53生まれ。DTPオペレーター。ルンペン・プロレタリアート。転向左翼妄想者。IT弱者。ラッダイトをやってもいいのか? 

過去寄稿:【だらしなく生きるーー『俳優、ヘルムート・バーガー』評



(編/構成:東間 嶺)