【SBS】新宿文藝シンジケート読書会、第62回概要1.日時:2016年4月23日(土)18時〜20時2.場所:マイスペース新宿区役所横店2号室3.テーマ:飯田一史『ウェブ小説の衝撃』(筑摩書房、2016)を読む4.備考:FBイベントページ⇒https://www.facebook.com/events/588703927952572/
◆ 上掲の通り、4月23日の土曜日夜にSBS第62回読書会が開かれました。選書は飯田一史『ウェブ小説の衝撃』(筑摩書房、2016)、レク&レポート発表は本郷保長(@HNGYSNG)およびakaヘルプライン(@helpline )の二人が担当しました。
◆ ヘルプライン(@helpline )のペーパーは本人が当該ジャンルの読者ということもあり、近年のウェブ小説におけるテーマ&モチーフの傾向、新人発掘の手法、具体的な作品の紹介も展開する力の入ったものでした。参考として以下にPDFダウンロードリンクとテキストの全文転載をしておきます。『ウェブ小説』に関心がお有りの方は、是非ご一読ください。
飯田一史『ウェブ小説の衝撃』を読む(担当:ヘルプライン)
〈参考図書〉飯田一史『ベストセラー・ライトノベルのしくみ――キャラクター小説の競争戦略』(青土社、2012年4月)、飯田一史「ネット小説論――あたらしいファンタジーとしての、あたらしいメディアとしての」(限界研編『ポスト・ヒューマニティーズ』、南雲堂、2013年7月)、『このWeb小説がすごい!』(宝島社、2015年9月)〈要約〉現在、ウェブ小説が小説の売り上げランキングの上位を占めるようになっている。ウェブ小説は、小説投稿サイト「小説家になろう」「エブリスタ」等、ネット上の小説プラットフォームで発表された小説であり、読者の人気投票によるランキングの上位にあるウェブ小説を小説化することで、次々とベストストセラー小説が生まれている。旧態依然とした既成の出版社が読者との接点を失っている一方で、ウェブ小説は、すでに読者の支持を得ている小説を書籍化できることが強みであるが、ウェブ小説の出版社は、ターゲットとなる読者層を分析して、細かくジャンル分けやレーベル分けするなど、多彩なニーズを持つ多様な読者層に細かく対応して、それぞれの読者に届けるような工夫も行っている。
〈論点1 文学的価値について〉
「ウェブ小説は文学的な価値が高いものを生み出しうるのか」という議論については、「「本読み」でも「オタク」でもない人向けの小説が少ない」(P39)、「ウェブ小説は、第二、第三の山田悠介」(P39)というように、最初から高い文学性のようなものは想定されていない。→「十代の女子が読みたいものはどのようなものか」(「マミられる」シーンがあるもの)というように、徹底的に読者のニーズという視点に立つ。マーケティング的な発想。→「わかりやすくて、エグいもの」、「感情」を動かすもの(デスゲーム/パワーゲームものについて)、「刺さる」「泣ける」「ネタにできる」(飯田一史『ベストセラーライトノベルのゆくえ』、)など、恣意的。
〈論点2 新人育成システムについて〉
既成の出版社は、どのようにベストセラーを生み出しているか。
◆三木一馬『面白ければなんでもあり 発行累計6000万部――とある編集の仕事目録』(KADOKAWA、2015.12)
三木は、電撃文庫の編集者で、『俺妹』『シャナ』『とある魔術の禁書目録』』『魔法科高校の劣等生』『ソードアート・オンライン』などのベストセラーライトノベルを担当した。
◇『俺妹』誕生秘話
作家のこだわりが入っていない作品は、書くものに芯が通っていないため、たとえばキャラの心情が首尾一貫してなかったり、メインストーリーがどこに向かっているかよくわからない、といった物語においても致命的な弊害を生んでしまいます。/ではなぜ、『俺の妹』の『お兄ちゃんと生意気な妹の兄妹愛を描く』という家訓なら良かったのか。それが作家の本心からの気持ちだったからです。ちゃんと『性癖が暴露』されていたからです。/さきほどの会話は、くだらない無駄話のような内容でしたが、だからこそ嘘偽りのやりとりであるとも言えます。素のままだからこそ、自然とその人の趣味嗜好が現われるのです。編集者である僕は、会話の中で作家の『性癖』に気づき汲み取ったに過ぎません。(P30)
→編集者は、作家と親密に付き合う中で、作家の核にある『性癖』に気づかせる役割を担う。
◆「伝説の漫画編集者マシリトはゲーム業界でも偉人だった! 鳥嶋和彦が語る「DQ」「FF」「クロノ・トリガー」誕生秘話」(電ファミニコゲーマー、2016年4月4日) http://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima
島嶋は、鳥山明、桂正和を手がけたジャンプ黄金時代の編集者。90年代後半に編集長としてジャンプに戻り、『ONE PIECE』『NARUTO』『テニスの王子様』を世に送り出して、再びジャンプの黄金時代を築いた。
◇作家には「描きたいもの」と「描けるもの」があるんだよ。そして、作家が「描きたいもの」は大体コピーなの。既製品の何かで、その人がそれまでの人生で憧れてきたものでしかない。/結局、ヒット作はその人の「描けるもの」からしか出てこないんです。それは作家の中にある価値観であり、その人間そのものと言ってもいい。これをいかに探させるかが大事で、そのために編集者は禅問答やカウンセリングのように色々なことを対話しながら、本人に気づかせていくんです。
◇じゃあ、ビッグヒットを生む最大のコツは何か分かる? 簡単。「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」ですよ。いかに作家に無駄弾を撃たせて、いかに何度もダメ出しをして、最後には作家に「自分は他人よりなにが優れているか」を悟らせるか、これに尽きるんだね。/編集の側から「こうすればいい」とサジェスチョンしても、結局は作家の身にならない。作家自身に自分で気づかせる以外にないんです。ということは、編集の仕事は短時間に的確にダメ出しを繰り返すことに尽きるんだよ。まあ、技術論のレベルでの指導もしていくわけだけどね。
→島嶋の編集者論まとめ……①付き合う人を選ぶ。②技術論を指摘できるようになる。③繰り返しダメ出しする。④「やりたいこと」と「できること」は違う。⑤読者/ユーザーの目線。⑥お金にこだわる。⑦魅力的なキャラクターを作ることができれば、エピソードはどうでもいい。⑧腕のいい編集者はなかなか育たない。
→三木と島嶋に共通するのは、クリエーターと徹底的に付き合う編集者の姿勢。多くの編集者がサラリーマン編集者でしかない中で、読者/ユーザーの目を持ち、アドバイスできる編集者が、才能を育てる。→読者/ユーザーの代弁者としての「スーパー編集者」→ウェブ小説は、読者の人気投票ランキングによるある種集合知的な淘汰に晒される。→三木が手がけたベストセラーライトノベルも、ウェブ小説も、「読者」の「チェック」を経ている点では同じ。現在、優れた編集者が減り(?)、既成の出版社の新人育成システムが機能不全を起こしているために、ウェブ小説のプラットフォームが代替機能を果たしている状態。
〈論点3 ウェブ小説は新しいものを生み出せるのか〉
◆新しいものは、最初は尖ったもの、違和感があるもの、変なもの。
◇鳥嶋氏インタビュー――ただ、作家の指導というのは難しい面がないですか。特に鳥嶋さんが扱ってきた「天才」級のクリエイターって、尖った人間たちだから編集が変なダメ出しをしていたら、才能が丸くなってしまうこともあり得たと思うんです。鳥嶋氏:そりゃ新しいものは常に尖ってるよね。彼らは異形の存在であって、万人が手に取れるようなものじゃない。だからこそ、まずそれを「面白い」と思える感性が編集者には求められる。→飯田が繰り返し指摘するように、既成の出版社が前例主義になっている(以前売れたものなら失敗しないだろう)になっている中で、ウェブ小説では、既成の新人賞にひっかからないものが、読者との直接のコミュニケーションの中で、多くの読者に読まれ、手直しを加えながら、人気作として育っていく。◇「ウェブ上に載せる小説には、長さの上限がない。だから小説新人賞での規定に収まらないような超長大な話が好きな作家は、ウェブに吸い寄せられていったのである。」「たとえば起承転結の「承」が延々続いていったとしても、それが魅力的であれば、ウェブでは許される」(P47)→ウェブ小説では、新しいものが生まれる可能性が常に開かれている(はず)。ただし、反面、「編集がタッチしない功罪」として、『保留荘の奴ら』の問題が取り上げられていることにも注意。過激な表現が許されるのもウェブ小説の特徴だが、書籍化の際には倫理規定について留意すべき。(P200)
〈論点4 なぜ「異世界ファンタジー」が多いのか〉
「なぜ「なろう」では異世界ファンタジーが多くなったのか?」について、飯田は、「ほとんど偶然だったのではないか」(P86)と述べつつ、①「「世界を救う」といった大目的を与えやすく、あとは考えながら書いていける」、②「調べ物や前提知識が(あまり)いらない」、③「想像力のベースがゲームである時代/世代の産物」の三つを挙げている。→本書では、時代的な社会背景との関連は極力避けている。(P210など参照。後に引用する。)
→それだけなのか。やはり時代的な必然性はあったのではないか。
〈論点5 ウェブ小説ではどのような物語が求められているか〉
◆現在は多様。ウェブ小説のプラットフォームサイトでは、細かくジャンル分けされている。
◇「小説家になろう」登録キーワード(10以上の登録があるもの)
ファンタジー (213) 異世界 (164) 恋愛 (134) 魔法 (97) シリアス (77) 高校生 (75) 学園 (61) 二次創作 (57) ネット小説大賞 (52) ほのぼの (47) 冒険 (46) ハーレム (46) 転生 (45) チート (45) コメディー (45) 現代(モダン) (43) バトル (42) SF (42) 戦争 (38) F0004-4 (38) ネット小説賞感想希望 (33) コメディ (33) 学校/学園 (31) 友情 (29) 主人公最強 (29) ダーク (27) 成長 (26) ハッピーエンド (26) 異世界トリップ (25) 青春 (24) 戦記 (23) 架空戦記 (22) 少年 (22) 魔王 (21) 貴族 (21) 剣と魔法 (21) ラブコメ (21) 少女 (19) 仲間 (19) ドラゴン (19) 超能力 (18) 女主人公 (18) 勇者 (18) ライトノベル (18) ロボット (17) 軍隊 (16) 美形 (16) 美少女 (16) 奴隷 (16) 剣 (16) 群像劇 (15) 溺愛 (15) 復讐 (15) ハイファンタジー (15) エンターテイメント (15) 騎士 (14) 現代 (14) 戦闘 (14) 性転換 (14) 幼馴染 (14) ヤンデレ (14) 魔術 (13) 魔法使い/魔女 (13) 歴史 (13) 中世 (13) 三角関係 (13) 国家/民族 (12) ロマンス (12) VRMMO (12) 陰謀 (11) 神 (11) 王道 (11) 未来 (11) 家族 (11) 不定期更新 (11) モンスター (11) TS (11) 銃 (10) 精霊 (10) 東方プロジェクト (10) 戦い (10) 成り上がり (10) 年の差 (10) 妖怪 (10) 天使 (10) オリキャラ (10) らぶらぶ (10) なろうコン大賞 (10)
→『異世界食堂』『異世界料理堂』『異世界居酒屋のぶ』等(〈食〉もの、日向夏『薬屋のひとりごと』(中華ファンタジー)、住野よる『君の膵臓を食べたい』(難病もの)、『居酒屋ぼったくり』(一般文芸)など。
◆ウェブ小説のキーワード…「ニート」「チート」「無双」
「ニート」…『ニートだけどハロワにいったら異世界につれてかれた』、『異世界ならニートが働くと思った?』
「チート」…『異世界転移したのでチートを生かして魔法剣士やることにする』、『異世界チート魔術師』、『異世界チート魔術師』、『異世界チート戦争』、『異世界チート開拓記』、『チート薬師の異世界旅』、『巻き込まれて異世界転移する奴は、大抵チート』、『チート薬師の異世界旅』
「無双」…『HP1からはじめる異世界無双』、『世界無双の戦術竜騎士』、『チート能力で異世界無双~インターネットは異世界でも最強だった件~』
→ウェブ小説を要約すると、「「ニート」が「チート」になり「無双」する物語」(「ニート」が「チート」になるための装置が「異世界転生」…ゲームのプレイヤーやデザイナーが異世界転生することで、予備知識において他に勝っていたり、プレイヤーの能力値を自分だけ上げておいたりする。)
→読者層は3~40代の就職氷河期世代。→格差社会を反映? 飯田は、「ネット小説論」(『ポスト・ヒューマニティーズ』2013年)と本書(2016年)で微妙に主張を修正している。本書では社会状況との関連性には慎重な姿勢を取るが、「ウェブ小説論」では、ゼロ年代に流行した「ループもの」が何度も現実をやり直せば失敗を取り戻せるという発想に基づいているのに対して、「異世界転生もの」は、現実の世界に戻ってくるという発想のない「行きっぱなし」の物語であり、格差社会的な貧困状況が固定化し、もはや現実に希望を持てない、現代の社会を写し出すものとして論じている。
◇飯田『ウェブ小説の衝撃』P211(2016年)
「なろう」系もデスゲームものも、海外の人気KDP作品には自然に埋め込まれているような「現実世界の寓意」としての子細な世界設定を捨象している。(中略)ある種の日本人は、世俗の喧騒を離れ、自分たちが生きる現実を忘れさせてくれる時間を切実に求めているということを確認したいのだ。現実に起こった騒がしく重い事件は、それゆえに想像の世界からは遠ざけられている。先進国でもっとも長時間労働であり、自己評価も低いという日本の青年や中年が、カラダとアタマが疲れ切った状態で味わうひとときの娯楽の時間に、いったいどんなものを望むのか。ここに目を向けることなくして、日本でなぜ本書で紹介してきたようなタイプのウェブ小説が活況なのかは理解できない。
◇飯田「ネット小説論」(限界研編『ポストヒューマニティーズ』所収、2013年)
二〇一〇年代の転生ものにおける「この現実」の地位は、八〇年代よりも、二〇〇〇年代よりも低くなっている。(中略)一〇年代転生ものでは(ウェブファンタジー)は、「この現実」を受け容れるつもりが一切ない。現世で持っていた外見や能力でのそれはほぼ何の関係もなく、現世でのつながりのある人間と来世で再会するわけでもない。一〇年代転生ものにハマってから二〇〇〇年代のループものを見返すと、なぜわざわざ「この現実」を何回もやり直していたのか、さっぱりわからない。ひとことで言うと、かったるい。別世界に行ってまったくあたらしい生を自由に生きるほうが断然楽しい。そういう気分になる。
→ブックオフの「なろう」系の本が置かれているコーナーでずっと立ち読みしている独身男性読者をよく見かけるが、ウェブ小説の核にあるのは、格差社会の底辺で生きるワーキングプアや引きこもりの男性読者たちの感性であり、これらの小説は、彼らの満たされない現実の生活や、そこから抜け出したいという脱出願望を反映しているのではないか。
〈ダーク系・魔界転生系〉
丸山くがね『オーバーロード』……ゲーム中の仮想現実の世界から現実に戻れなくなった主人公が、現実の世界に戻る手がかりを探すために、アンデッドの魔王として世界支配をもくろむ物語であり、主人公はこの世界で「人間」(=NPC)を殺すことに罪の意識を感じないことを認識し、次々と敵を殺していく。蘇我捨恥『異世界迷宮でハーレムを』……主人公は学校でいじめを受けてひきこもっている高校生。ゲームを通じて異世界に転送されるが、この世界には奴隷が存在し、主人公は、敵やモンスターを倒した金で複数の美少女奴隷を購入し、性欲を満たす。阿部飛翔『シーカー』……主人公の剣士が幼馴染みの仇を討つために旅をする物語であるが、主人公は最強の剣士であると同時に、強い性欲の持ち主であり、旅の途上で次々と周りの女性と関係を持っていく。(非「異世界転生もの」)佐島勤『魔法科学校の劣等生』……魔法師育成のための高校を舞台とする学園ものであり、チート的な能力を持つ最強の魔法師である主人公司波達也は、敵国の陰謀や侵入に対しても強力な力を行使して撃退していく。顔色一つ変えず、圧倒的な力で次々と敵を殺戮していく。主人公を「お兄様」と呼び、絶対的な感情を抱く妹の司波深雪が、敵を殺した主人公が浴びた返り血を魔法で消すという場面などもあり、ただひたすら主人公が絶対的な存在として賞讃されていく。「俺TUEEE」系のジャンルの作品群の中でも、常識的な倫理の感覚を排除し、ナルシスティックな強者の欲望の論理と快楽に身を委ねきった、最大の問題作。(非「異世界転生もの」)柳内たくみ『ゲート――自衛隊彼の地にて、斯く戦えり』……穏和な性格のオタク青年の自衛隊員を主人公とするなど、常識的なバランス感覚に支えられた作品であるが、剣と魔法の世界である異世界において自衛隊が圧倒的な戦闘能力の格差を利用して敵を殺戮していく物語であり、『沈黙の艦隊』や架空戦記ものといったナショナリズムの復権をめざすサブカル作品の系譜に連なる作品であることは否めない。
→ウェブ小説に異世界ファンタジーが多い理由は、近代社会とは異なる権力と暴力がものを言う前近代的な社会において暴力によって「チート」になる物語によって、現代社会の建前を引きはがす快楽があるからではないか。
こうした作品の登場は、同時代的な社会状況を背景としている。『魔法科』は、2008年10月から「小説家になろう」で連載開始された作品であるが、宇野常寛が『ゼロ年代の想像力』(2008八年)で述べたように、2000年代には、『デスノート』(2003年)や、『コードギアス』(2006年)といった、格差社会状況を反映したバトルロワイヤル系の作品が登場し、通常のモラルを脱した行動を取るアンチヒーローたちが大きな支持を得た。ウェブ小説における「俺TUEEE」系の作品群もまた、バトロワ系作品を源流とし、格差社会に直面した若者たちの屈折した感性を表象しているように思われる。現実の社会がよりアンモラルであるとき、アンモラルなフィクションを、単純には批判できないはずだ。
〈ポジティブ系〉
理不尽な孫の手『無職転生』……34才で「小太りブサメン」の「引きこもりベテランニート」の主人公が、「親の葬式をブッチして無修正ロリ画像」で自慰に耽っていたことで兄弟に家を追い出され、街をさまよっていたところ、若い男女を助けるためにトラックで轢かれて死亡してしまうが、目を覚ますと、異世界で赤ん坊として生まれ変わっていたという冒頭から始まる物語である。主人公は、30代の男性としての自己意識を持ちながら、次の人生では同じ失敗は繰り返さないという思いで、幼少期からのやり直しの人生を、周りの人々を大事にし、努力を重ねながら成長していく。渡辺恒彦『理想のヒモ生活』……ブラック企業で働く青年、善治郎が、異世界の王国の女王アウラに婿として迎えるという誘いを受け、現実の世界を捨てて、異世界での生活を選ぶ。善治郎が選ばれた理由は、遠い祖先が異世界の王家の人物であり、血統に由来する巨大な魔法力を持つためである。善治郎は、当初は何もしなくていい生活を楽しんでいたが、やがてできる限りの仕事を引き受けるようになり、高度な政治的駆け引きを求められる社交や政治の場などにおいても、社会人生活で培った力を生かして王家の人間としての役割を果たし、女王を支えて活躍していく。善治郎とアウラの間には子どもも生まれ、善治郎は異世界での人生を充実したものにしていく。暁なつめ『この素晴らしい世界に祝福を!』……田舎に住む17才のゲームオタクの引きこもりの高校生の主人公カズマが、女子高生を助けようとしてトラクターに撥ねられて死亡した後、異世界に冒険者として転生し、仲間たちとパーティーを組み、活躍していく物語であるが、主人公は、強力な爆裂魔法を持つがそれ以外の魔法を使えず、それも一日一度の使用で魔力を使い切り倒れてしまう魔法使いめぐみん、攻撃は当たらないが防御能力に長けたマゾの女騎士ダクネスなど、一般的な基準では「ダメ」な冒険者たちのリーダーとして作戦を立てて彼らの能力を最大限に生かし、失敗も重ねつつも、大きな成果を上げていく。カズマと「ダメ神」アクアを中心として、作品世界自体も牧歌的な優しい空気に包まれ、どんな者にも居場所を与えられるような、他者への寛容さに満ちた、タイトル通りの祝福された世界が作られている。大森藤ノ『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』……同様に女神が登場する人気作。不思議な魅力と多幸感に満ちた作品である。(非「異世界転生もの」)
かつて江藤淳は『成熟と喪失』(1967年)において、成熟することは喪失することだと説いたが、「異世界転生もの」の主人公たちには、自分は決して現実の世界に戻ることはできず、どれだけ異世界で活躍したとしても、それはゲームの世界でのことでしかないという諦念がつきまとう。〈喪失〉することが〈成熟〉することであるなら、ここで彼らは現実を〈喪失〉することをきっかけとして、〈喪失〉を強く意識しながら、異世界において確かに〈成熟〉していくのではないだろうか。
これらの作品に触れていると、「異世界転生もの」とは、『理想のヒモ生活』の主人公が貴種であるように、現代における貴種流離譚なのではないかと思われてくる。ニートが実は貴種であり、現実の世界では貴種として扱われてなかったが、異世界においては力を発揮して英雄になるという物語の枠組みは、貴種流離譚の構造を反復している。全ての国民は尊厳を持つ個人であるとして教育を受けながら、格差社会状況において尊厳を奪われている人々は、自らの尊厳を取り戻すためにこそ、貴種が通過儀礼的な放浪を経て本来得るべき地位を獲得する、貴種流離譚的な構造を持つ「異世界転生もの」の物語を求めるのである。
〈参考〉
- 拙稿「「青春ラノベ」の〈終わり〉――『俺妹』『はがない』『俺ガイル』を中心として」、『ライトノベル・フロントライン』第二号、2016年5月。
- 拙稿「格差社会と〈未成熟〉――ウェブ小説・地下アイドル・婚活エッセイ漫画」、『F』17号特集「未成熟問題」、2016年5月