(撮影:山口倫太郎、デジタル補正:東間嶺。以下すべて同じ)
2016/5/18
夕食にはまだ早い時間だったので、熊本駅に着くなり友人がドライブに連れ出してくれた。数度目の渋滞に巻き込まれた時、友人はため息交じりに「最近また車が増えた」と嘆いてみせた。
車は熊本市内を抜けて益城町に入った。先程までとは打って変わって、一目で分かる被害の大きさに僕は言葉を失った。しばらく走ると、やがて緑豊かな広大な土地に出た。この辺り一帯は再春館製薬所の敷地だそうだ。ここでは昨年末まで毎年クリスマスシーズンにイルミネーションが設置されたが、残念ながら2015年をもって終了してしまったという。
本来ならばこういう時にこそ、と思わないでもないが、どうやら物凄い労力が必要らしい。きっとその労力は復興や、自社、並びに地域の活性化に使われるのだろう。
友人とのドライブは、空港の方に抜けようとして一度、そして今度は阿蘇の方へ抜けようとして一度、計二度の通行止めに阻まれたが、結局はそのまま周辺を二時間位ドライブしただろうか。
ドライブ中、とりあえず目立ったのは、瓦屋根が落ちないようにブルーシートで覆い、土嚢の重石をした日本家屋だ。一見普段通りの街並みにみえても、その奥にはブルーシートに覆われた家々がそこかしこに見える。真っ青なシートが街並みに溶け込むには無理があると思えたが、小一時間程も走ると、やがてそれもありふれたものとしてごく自然に捉えられてくる。
そして益城町に着くあたりからは、10分、いや5分の間隔で、街並みは全くその様相を変えていった。
かつては住宅だったと思しき寄せ集められた瓦礫の山。車庫になっている一階部分がつぶれ、それがキャンピングカーによって辛うじて耐えている住宅。通りを走る車に会釈をするように斜めに傾いたビル。ぐにゃぐにゃに歪んだ瓦屋根。そして、それらと交互に入れ替わる、ごく普通の住宅や自然に囲まれた美しい風景。
古い家が地震に弱いのはある意味当然だろうが、それにしても地震に対する瓦屋根の脆弱さは目に余る程だった。それから、外壁が落ちている家々も目に付いた。
そろそろ頃合いという事で夕食をとる為に車を停め、新市街と旧市街をうろついて餃子が美味いという店に入った。ビールとノンアルコールビールで乾杯をする。
目の前の友人に「熊本へ遊びに行く」と約束をしてからどの位経っていただろうか?
熊本・大分を中心に大地震が起こったのは、「そろそろ行こうかな」と考えていた矢先の事だった。
友人はボランティア参加の為に福岡から来た僕に「ありがとう」と感謝の言葉を告げた。
僕は「いやいや」とそれを否定するように返して、確か「本当は東日本の時もボランティアに参加したいと思ってたし、そういう風に言ってもいた。だけど結局今に至るまで参加してない。東日本が起こった当初、自分の事でそれなりにやる事もあったし、行けないという理由もあるにはあったけど、だからといって絶対に無理というわけじゃなかった。そして結局今に至るまで参加していない。だから、それに対する負い目もあった」と、そんな風に返したと思う。
ボランティアと〈偽善〉
5月18日に熊本へ着き、19日から22日までの4日間ボランティア活動に参加して23日に高速バスで福岡へ帰り着くまで、幾度となく、色々な人から「ありがとう」と言われたが、当初は「礼などは勿体ない」と感じた。
僕は俯瞰的にモノを見るタイプの人間だという事もあり、熊本など被災者の方々を可哀想だとは思ったけれど、かといって見ず知らずの人々に対する憐憫の情が特に強かったというわけでは無かった。僕はまず自分について考えるタイプの人間なので、社会的な義務を果たそうとか、そういう風に考えていたわけでも無かった。熊本には、中学の修学旅行で行って以来だから、20年近く訪れていなかった事になる。当然、この地に思い出があるわけでもない。
僕が意識的に持っていた「熊本に行く理由」とは、<負い目の払拭>と共に<経験値を上げる為>だった。
憐憫の情や社会的な義務というのも勿論あるにはあったのだろうが、それは様々な相反する考えの中で意識的統一を作っては居なかった。僕が経験値を上げる為とか、負い目を払拭する為とか、そう考えて何かするというのはあくまで個人的な問題だ。それが、「礼などは勿体ない」と思った理由だろうと思う。
「個人的な理由」と言えば、ボランティアに参加する前、色々と調べものをしているときに見た、Facebookにあった大学生と思しき女の子のある書き込みがやけに印象に残っている。
「ボランティアに参加しようと思っていたけど、姉に『あんたの場合は就活の為でしょ、それは偽善だ』と言われてショックを受けた」
その時は「そんな事どうでも良いでしょ」と感じたが、二十歳そこそこの学生がそういう風にアイデンティティーを揺さぶられるということ自体はよく分かる。
僕もFacebookの女子大生も、ボランティア活動に参加するという事に対してその行為の結果を少しも考慮せず、個人的な感情を問題にしているという点では同じなのだろう。僕は、あくまで個人的な事情でやるのだから「礼を言われる事ではない」という風に反応したが、偽善だと指摘されたFacebookの女子大生は、まるで自分の深層心理を見透かされたような気がして動揺した。その違いはあるが、僕は彼女よりも倍ほども歳を取っている。世間に対して自分がどうあるべきかという対応の仕方は心得ていて当然だろう。
とりあえず四日間のボランティア活動を終えたいま、彼女の書き込みに対して、やはり「そんな事どうでも良いでしょ」と――書き方自体はもっと丁寧に傷付かないようにして配慮するべきだし、少しばかりお節介かもしれないが――書き込みをすれば良かったと思っている。あるいは、「むしろ『就活にだって有利だからボランティアに参加する!皆もそうしよう!』とアピールした方が社会的には良いですよ」と煽る位が良かっただろうか。
僕がこの旅で言われた最後の「ありがとう」は、やはり熊本に住む高速バス運転手の男性によるものだった。そのとき、僕の返した言葉は(友人に返したような)当初のものとは少し違っていた。
「いやいや」から「いえいえ」へ
細かい事だけど、僕が返したのは当初返していたような、「いやいや」ではなく、「いえいえ」に変わっていた。
その変化は、心理の機微というより関係性の問題――友人と、初めて会ったバス運転手という違い――が強いのかもしれないが、それはともかく、僕はそれに続けて「いい経験をさせて貰いました」と回答するようになった。
つまり、僕は当初の目的を遂げたのだ。
それから、ボランティアの意義というものを――一部だけかもしれないが――捉える事が出来るようになったのだと思う。
ボランティアはやらないよりはやった方が良い。ボランティアに参加した4日間、 日々はとても充実しており、金に反映されない(どころか移動費や宿泊費が掛かる)仕事をする事で「労働とは何か?」を考える切欠にもなった。
益城町、西原村、宇城市、熊本市の各所で活動に参加したが、最初の益城町では事情があって与えられた仕事を完遂出来なかった。良いメンバーで仕事もスムーズにこなせたのに、それは少々残念な結果に思えた。でも、だからこそ、その少々の悔しさがその後のボランティア活動に生きたのだと思う。
ボランティア活動には、何かのスポーツにでも参加するつもりで気楽に関われば良い。Facebookの女子大生のように思い悩む必要などないし、当初の僕のように否定的に返す必要もない。
もっと言えば、ボランティアに参加した人々を過剰に持ち上げる必要さえも無いと思う。
なぜなら、それはボランティア活動に参加する事を特別な行いとして、要らない先入観、ある種の障壁を意識の中に植え付けてしまうかもしれないからだ。お互いに普通の感謝の言葉があって、社会に定着していく事が一番だと思う。余暇活動の一環として、「暇だからボランティアにでも行くか!」という感じで。
僕は無職の期間を利用してボランティア活動に参加してきた。この連載は、今回の『序―2016/5/18』に加え、『1―益城町』、『2―西原村』、『3-宇城市』、『4-熊本市』という四つの本編で構成され、最後に恐らく『了―2016/5/23』を付け加える短い連載になる筈だ。
また、僕の文章の悪い点の一つに、色々と考え過ぎて返って混乱し、その混乱を混乱のまま処理できずに表現してしまうというものがある。この欠点を意識し、特に本編の四つではなるべくシンプルに、事実と、そのとき感じた気持ちをそのまま書くようにしたい。備忘録として終わらせるつもりはないが、個人的にはそのような意味合いも持たせている。その点ではダラダラとした読み物に思われるかもしれない。
この連載を執筆する理由は(僕の個人的な思いを除けば)二つある。
あの女子大生のように悩んでいる皆さんに、気軽にボランティア活動へ参加する切欠にして貰いたいというのが一点。そしてもう一点は、ボランティアの社会的な認知(これを読むのが例え十人程度でも!)を高め、被災地および今回は幸い被災を免れた各自治体や行政に問題意識を持って貰いたいからだ。
……だけどまあ、やはり大体は個人的な理由と言って良いだろう。
ボランティアに参加して良かった。
(編/構成:東間嶺)