本当は、ピックアップを運転するギレが夜のうちにここガサへ到着する予定になっていた。ところが土砂崩れで道路が不通になってしまい、かわいそうに車中泊しなければならなかったようだ。翌朝になっても道路が開通したのかどうかわからなかったが、昨夜食事をしにきていた若者が運転する大きなトラックに乗せてもらい、出発することになった。
昨晩、マイラは馬を連れてパロに戻る、と聞いていたけれど、出発するトラックにはマイラと9頭の馬たちも乗っていた。ジャムソーによると、馬と一緒にパロまでトラックで帰れるようにしたのだという。詳しくは聞かなかったけれど、ジャムソーがネテンに、パロへのトラック輸送の費用を出すように交渉したのではないかと私は思う。オペレーターが個人的な知り合いだとそういうこともできるかもしれない。ガサからパロまで車でも丸一日かかる距離だ。トレッキングルートとは違う歩きやすい道があるのだろうけど、馬を連れて歩いて帰るんじゃ大変だ。ネテンの取り分は減ってしまうのかもしれないが、良かったなと思った。
そのかわり、ドルジはガサに残ることになった。
たぶんギレのピックアップでトレッキングの装備を運ぶことになっていたのだろう。トラックで出発する私たちをドルジが見送ってくれた。ドルジには本当に親切にしてもらった。ここで彼と別れるのは予想していなかったので、びっくりした状態のまま別れてしまったが、案外、それで良かったのかもしれない。
私はトラックの助手席によじ登り、運転する若者の隣に座った。彼は運転を始める前に、両手を合わせて瞑目した。いい習慣だなと思った。
トラックは路面の荒れた山道をゆっくり進んだ。反対側からも車が来る。どうやら道路は開通したようだ。しばらく行くと、ギレがピックアップを停めて待っていた。トレッキングの初日、シャナまで送ってもらったことを思い出す。あれから本当にいろんなことがあった。
馬とマイラをトラックに残し、私たちはピックアップに乗り換えた。
道路はプナカへ向かって流れる大きな川に沿って標高を下げていく。太陽の光がまぶしく木々の緑が鮮やかで、まるで初夏のようだ。後部シートでチュンクーが正体なく眠りこけていた。疲れていないはずがない。彼にも本当に世話になった。そして私の病気でとんでもない苦労をかけたことを思うと、心苦しかった。彼は、こんなはずじゃなかった、と思っているだろうか。トレッキングの最初の何日か、チュンクーと一緒に歩いていろいろな話をしたことを懐かしく思い出した。病気になって以来すっかり忘れていたけれど、最初は確かに楽しかったのだ。
トレッキング中はずいぶんヤクを見たけれど、このあたりは気候が温暖なのもあって、牛が多かった。ピックアップに乗っているあいだ、頻繁に牛を見かけた。不意に、昨晩ジャムソーが豚肉を買ってきたことを思い出した。ブータンで牛を見るのは珍しくも何ともないが、豚は一度も見たことがない。昨夜の豚肉はいったいどこから来たのだろう?
「ジャムソー、教えてほしいことがあるんだけど」
「何?」
「昨日の夜、豚肉買ってきたよねえ。ブータンで豚って一度も見たことないけど、どこで飼ってるの?あの豚肉はどこから来たの?」
「インドから。冷凍だよ」
意外だった。ガサの村まで冷凍トラックが来るのだろうか?
「生き物を殺さないことになっているから、ブータンでは精肉のための屠殺はしないことになってる。肉はみんなインドから冷凍で輸入するんだ」
そんな都合のいい話があるもんかと思った。肉を食べたいなら自分たちで屠殺するか、殺したくないんだったら肉食をやめるか、どちらかにすべきだ。もともと肉食の習慣のあったところに仏教が伝来して話がややこしくなってしまい、宗教と生活とのつじつまを合わせるために、冷凍保存の肉を輸入するようになったのだろうか。
自分本位な考え方に呆れたが、人間の生活に理屈で割りきれない事情はつきものだ。四角四面に考えるより、身勝手だろうがなんだろうが、現実にあわせて理屈をでっち上げる図々しさがないと、『幸せ』な暮らしはできないのかもしれない。
ずいぶん長いあいだピックアップに乗っていたけれど、さらに行くとSUVを停めたネテンが待っていた。チュンクーとギレにお別れの挨拶をして、ジャムソーと一緒にネテンのSUVに乗り換えた。トレッキング初日にネテンと別れた時と違い、すっかり病人になって彼と再会するのが、みっともなくていやだった。保険会社に電話しておいたよ、と彼は言った。私は、「どうもありがとう」とお礼を言った。
SUVはプナカへ向かって走り出した。プナカの標高は1,250メートルで、標高の違いを考えれば当然なのかもしれないけど、景色も気候もトレッキング中に訪れは場所とはまったく違う。晴天の暑いくらいの日で、広い川原でピクニックや川遊びをしている家族をたくさん見かけた。日曜日だった。
プナカへ行く目的はゾンの見学だった。前回ブータンに来た時に見学する予定だったのだが、その日たまたまゾンで特別な儀式があり、中へ入ることができなかったのだ。心残りだったので、今回見学するのをとても楽しみにしていた。
昼過ぎにゾンに着いたけれど、川を渡ってゾンへ行く橋の入り口から長蛇の列ができていた。ブータンでこんなにたくさんの人がいるのを見たことがなかった。カリフォルニアの私の家から車で2時間ほど南下すると米墨国境だけれど、そこでアメリカへの入国手続きを待つ人の行列みたいだった。いったい何なんだろう?
ネテンが車の窓を開けて、通行人に何か聞いている。ブータンでは国王夫妻に第一子が誕生したのだが、一週間前にプナカゾンでその命名式があり、それを記念して聖遺物を特別公開しているのだという。今日が最終日なので大勢の見物人が押し寄せて、ゾンの中に入るのに3時間待ちという信じられない話を聞かされた。
もう一度プナカに来るとは思えなかったし、3時間待ちでも見学したかった。ジャムソーとネテンに見学したい、と言ったら、先に昼食にして食事がすんだら戻ってきて見学することにしよう、と言われた。もうお昼時だったし、私も日中の暑い盛りに3時間列に並ぶ体力があるかどうか自信がなかった。
昼食の場所は、プナカからずいぶん遠かった。ここからまた戻るんじゃ大変だなと思ったけれど、景色のいいさっぱりしたホテルのダイニングルームで、ツーリストだけでなくブータン人の家族連れも多かった。こういう食事も久しぶりだなと思った。
食事前に手を洗おうと、洗面所へ行った。そこで本当に久しぶりに鏡を見た。汚れ切って、疲れ切って、見たことのない自分だった。思わず顔を洗い、バックパックに入れてあったバンダナで顔を拭いたけれど、それで顔がきれいになったとは思えなかった。
食事がすみ、プナカへ戻ることになった。ネテンは途中の集落で車を止め、ジャムソーは降りた。また雑貨屋でドマでも買うのかなと思ったけれど、ネテンはそのまま出発してしまう。
「あれ、ジャムソーは?あとで拾うの?」
「そう」
「どうして?」
「ジャムソーのおかあさんも、プナカゾンを見物しにここまで来てるんだって。だから会いに行ったんだよ」
一応は仕事の途中だから、「家族に会いに行く」と言いにくかったのだろう。でもそういう事情なら、ひとこと言ってくれればいいのに、と思った。ゾンはネテンと見学すれば問題ないから、ジャムソーがいなくても特に不都合はないのだ。
プナカゾンまで戻ると、もう行列はなかった。これなら待たないで中に入れるのかもしれない。川を越えてゾンへ渡る橋の周辺に、見物人の整理をする警官が何人も立っていた。ネテンが車を停めて警官に何か聞いている。聞き終わるとネテンは言った。
「今は昼休みで、中に入れないんだって」
「え~!」
これにはさすがにがっかりした。でも、ここで何を言ってもしょうがない。
「それじゃせめて、ゾンの写真を撮りたい」
「写真が撮れるところで、降ろしてあげるよ」
ネテンは車をスタートさせた。私は、ただ写真を撮って慌ただしく立ち去るより、ゾンの写真を撮りながら道に沿ってしばらく歩きたいと思った。自動車の通る道はゾンの横を流れる川に沿っていて、川の向こうにゾンを望むことができる。せっかく来たのだから少しでも長くここにいたかったし、ゾンを見学できない不満を溜め込んだままネテンの隣の助手席に座っているのもいやだった。しばらく運転して、ネテンは車を停めた。
「ネテン、ここから道に沿って歩きながら写真を撮るから、橋を通り越したあたりで拾って」
「橋は渡れないんだよ、昼休みだから」
「橋を渡るんじゃなくて、道路に沿って歩いて、橋の向こうで...」
「だから橋は渡れないんだってば」
不思議と話が通じなかった。ネテンと話していて、ここまで話が通じないことは今までなかった。
「橋の入り口のところに駐車場があって警官がいたでしょう。あそこだよ」
私は半ばいらだって車を降りた。うまくいかないことばかりだ。ネテンの隣でイライラしているより、ひとりで歩いたほうがいい。対岸のゾンの写真を撮りながら道路に沿って歩いた。
慶事のための特別な飾りつけなのか、建物の軒先に黄色いドレープが下がり華やかだった。ゾンを取り囲むように生えている紫色のジャカランダが満開で、ゾンの建物を引き立てていた。
写真を撮りながらぶらぶら道路を歩いて、橋の入り口のところまで来た。行列はもうなかったけれど人々が連れ立って橋を渡ってゾンへ向かっていく。ガイドに伴われた外国人のツーリストもいた。
ひょっとして、中へ入れる?
ネテンはさっき、「昼休みだからゾンには入れない」と言った。ネテンやジャムソーには、選択肢の違いが結果にあまり影響しないようなグレーゾーンでこっそり自分たちの都合を優先するような頭のよさがあるのを、私は知っていた。私はゾンカ語がわからないし、本当にそうなのかどうか断言してよいものか、という迷いはあるものの、ネテンが私を騙したのかもしれないと思うと心底がっかりした。
ネテンにしてみれば、ゾンなど見学しないでとっととティンプーの自宅に帰って休んだほうがいいに決まってる。
時刻は午後3時を回ったところだった。駐車場のちょっと先でネテンが待っていた。
「ネテン。橋を渡ってゾンへ入る人がいたよ。外国人のツーリストもいた」
「...僕もさっき、中へ入れるって教えてもらって、びっくりした。見学できるそうだから、車に乗って」
ゾンの横の草原が見物人のための臨時駐車場になっていて、ネテンはそこに車を停めた。ゾンの入り口の門まで行くと、中に行列ができているのが見えた。ネテンが言う。
「あー、これはしばらく待つことになるのかもね」
「待つのは構わないよ」
そんなにゾンに行くのがいやなのか。まったくしょうがないと思ったが、行列は動き出し、あっというまに順番が来た。入り口に守衛がいて、ネテンが話している。
「もう時刻が遅いから、外国人のツーリストは横の入り口から入れるんだって。だから列に並ばなくてもいいんだよ」
それなら都合がいい。これでやっと見学できると思ったが、そういうことにはならなかった。
「ちょっと待ってて。スカーフがないんだ」
外国人のツーリストは適用外だが、ブータン人がゾンへ入る時には伝統服を着用し、男性は肩から長いスカーフを巻き、女性は刺繍の入ったサッシュを肩にかけるのが規則だ。私は外国人のツーリストなのでこの服装でも大丈夫だけれど、ガイにド同伴してもらわないと入れない。
「ジャムソーのがあるんじゃない?」
「車を掃除した時にジャムソーの服とスカーフを降ろして、そのまま積み忘れた...」
これは大ミスだ。私の日程を知っていながらゾンで特別行事があるのを把握していなかったのも不満だったけれど、スカーフがないとゾンには入れないのはブータンでは当たり前の話で、旅行業の仕事をしているくせにそれを忘れてくるようではお話にならないと思った。
「誰かから借りるから」
ネテンはそう言うと、携帯電話であちこちに電話をかけ始めた。そのあいだ私はゾンの入り口の石段に腰を下ろして休んだ。マイクロバスでツーリストの団体が到着し、ガイドに先導されてゾンの中へ入っていく。私は横目でそれを見送った。いやな気分だ。
「観光の仕事をしている友だちが仕事でプナカゾンへ来ていて、もう帰るって言うから、彼から借りるこにしたよ」
その人物がゾンから出てきて、スカーフを巻いたネテンとゾンへ入ったのは4時過ぎだった。
他のツーリストやガイドと共に、横の入り口からゾンに入った。入ってすぐの場所に大きな本堂の建物があり、靴を脱ぎ中へ入った。こういう日なので見学者が多くてざわついていたけれど、中へ入ったとたんに気持ちがストンと落ち着くのがわかった。自覚していなかったけど、よほど混乱していたのだろう。それぞれの仏像にお賽銭を上げながら参拝した。
「私の頭がおかしくならないように守ってください」
そう祈った。
見学が終わり、ゾンをあとにしたのは5時くらいだった。ジャムソーを降ろした集落まで戻り、そこで彼を拾った。この日はネテンが自宅での夕食に私を招待してくれていて、行ってみたかったのだが、結局断ってしまった。
疲れていて汚ないし、人の家を訪問する状態じゃなかった。咳をしながら赤ちゃんのいる家へ行くのもためらわれたし、自制心が続くかどうかも自信がなかった。ネテンの家で、今日のプナカゾン訪問についての不満をぶちまけそうで怖かった。
プナカからティンプーへの自動車道路は、一年半前と比べると格段にきれいになっていた。工事の通行止めも、大型車がすれ違いできないような道幅の細い部分もなかった。
「プナカからティンプーに向かう道、ずいぶんよくなったんだね。何時ごろティンプーに着く?」
「7時半かな」
「そんなに早く着くんだ。信じれないなあ」
前回は確か4時間以上かかったのだ。ものすごい進歩だ。
「サツキも今日は、ゆっくり休めるね」
「うん、ありがとう」
私はけほけほ咳をしながら言った。
「咳、相変わらず止まらないねえ」
今度はジャムソーが言った。
「でも、前と比べると楽だよ。熱が出なくなったし」
「ニレラで採った薬草、持って行く?あれ咳に効くんだよ」
「本当?もらってもいい?...あ~でも、やめておくよ。飛行機で空港に着いて、検疫でトラブルになりそうだから。何の植物か聞かれても、説明できないし」
「...そうかあ。それなら、うちに咳止めシロップがあるけど、それを持ってく?薬屋で売っている普通の薬で、ちゃんと箱に入ってるし」
「そういうんだったら、検疫でも問題にならないよ。もらっていいの?」
「一度うちに帰ってそのあとホテルまで持ってくよ」
ジャムソーがどこに住んでいるのか知らないけれど、首都とはいえティンプーの中心街は小さい。彼の住まいも、ホテルからそんなに遠くないのだろう。
ホテルに着き私がチェックインをすませると、ネテンとジャムソーはそれぞれ家へと帰っていった。
ネテンは早朝に自宅を出発して一日中運転だったから、きっと疲れただろう。ジャムソーも病人と一緒に12日間もトレッキングして、疲れていない訳がない。咳止めの薬は明日でも大丈夫だからと言って彼を帰した。
汚いままでイヤだったが、一度部屋で落ち着くと動けなくなりそうだったので、先にホテルのダイニングルームで夕食を食べた。食べられる分だけ料理を皿に取り、食べて、部屋に戻り、取りあえずシャワーを浴びた。シャワーヘッドから出てくるお湯が奇跡みたいだった。シャンプーをたくさんつけて、汚れた髪を洗った。顔も手も、せっけんで二度洗いした。
トレッキング中は大変なことが多かった。そういった苦労を洗い流してしまいたかった。忘れないといけないことは早く忘れて、元の状態の自分に戻りたかった。
シャワーのあとバスルームの鏡を見ると、いつもの自分の姿があった。
12日ぶりに見る自分だった。
まるでテレビのメイクオーバーの番組で、ホームレスの女性をシャワーで洗ったらこういうふうになりました、という特集でもやっているみたいだった。手のツメの間が黒くなっていたのも、やっときれいになった。そして髪の毛がまたサラサラになったのが何よりうれしかった。いつもの自分は、こういう自分だった。
翌朝の出発に備えて荷物の整理をした。トレッキングで使った寝袋や靴やウェアはダッフルバッグに押し込んだ。もう特別なことは何もなくて、自分は普通の旅行者だと思った。
ホテルのフロントから電話がかかってきて、来客だと言う。
誰かと思ったら、ジャムソーだった。パッキングを中断してロビーまで降りた。
ジャムソーは咳止めシロップだけではなく、ラップトップPCも持ってきていた。トレッキングの間に撮った写真のファイルを彼のPCにコピーすることになった。あとでファイルやリンクを送るより面倒がないし、確実だ。
私のデジタルカメラをケーブルでPCにつないだ。写真ファイルのコピーが始まると、静まり返ったホテルのロビーにハードディスクの回る音がカタカタと響いた。明日の午前中のフライトでブータンを離れる。その前にジャムソーに言っておきたいことがあった。言わなきゃいけないことなのかどうかわからなかったけど、私は話し始めた。
「ジャムソー、言っておきたいことがあるんだけど」
「何?」
「私がブータンに来るのは、たぶんこれが最後になると思う」
「...なぜ?」
「私はここにいられるほど強くないから」
「なんで?強くなかったらダメなの?」
ブータンには先進国のお年寄りもたくさん観光しに来る。そういう観光客より私のほうが身体が丈夫なのは当たり前の話だけれど、ブータンは私にとってもっと真剣なものになっていた。
私は、見た目は、ブータンの人によく似ている。
でもここは、地元の人間を装って気楽に遊びに来るような所じゃないように感じていた。
この土地の人たちと同じようにこの土地を感じ取ることが、私の願いだった。
でも、そういうことができるほど、私の身体も心も強くなかった。トレッキング中に病気になって、それがよくわかった。
そして、それとは別に、このままずるずると際限なくブータンを再訪し続けることになりそうなのも怖かった。何かを好むというのは恐ろしいことだ。それが実現不可能になると考えるだけで怖くなる。ブータンは遠い土地だ。訪問には時間もお金もかかる。好むものにまっすぐ進んでゆく勇気は、私にはなかった。
ジャムソーは、よくわからない、というより、理解したくないという表情で、見ていてなんだか気の毒だった。
ブータンが嫌いだという訳でも、トレッキング中に病気になって苦しかったからイヤだという訳でもないんだと、彼はわかってくれただろうか。ガイドという職業が影響しているのか、彼のアイデンティティはブータンという国と深く結びついている。自分が嫌われたように感じたのかもしれない。
私に咳止めシロップを渡し、ジャムソーは帰った。
久しぶりにホテルのベッド場所で眠った。清潔なリネンが心地よかった。ぐっすりは眠れなかったけれど、それでも気持ちよかった。ホテルはナショナルメモリアルチョルテンのすぐ隣だった。ダイニングルームのテラスで、チョルテンの周りを歩く人たちを眺めながら朝食を食べた。久しぶりに、病気ではない気分だった。
車に荷物を積み込んでパロの空港へ向けて出発した。通学の子供たちや通勤の大人たちを眺めながらティンプーの通りを走り、舗装のきれいな自動車道路に入った。空港まで1時間くらいだ。
ネテンが私に聞いた。
「ジャムソーの咳止めシロップ、効いた?」
「まだわからない。でも甘くておいしかったよ」
昨日と同じように、けほけほ咳をしながら答えた。いずれにせよ、ラヤの村にいた頃よりずっとよくなった。飛行機の隣の席の乗客からは嫌がられそうだけど、マスクをしていれば迷惑がかかることもないだろう。
ジャムソーがネテンに昨夜の話をしたのか、ネテンが私に言った。
「病気のときは誰でも弱いんだよ」
ネテン、優しいな、と思う。昨日プナカゾンを訪問した時は信用できない感じでイヤだったけど、人間というのは一面だけを見て判断できないものだ。いずれにせよ、ネテンとも一年半のつき合いだ。友だちみたいなものかもしれない。そしてジャムソーは友だちを通り越して、親戚の怖いおじさんみたいだった。
帽子をかぶっていなかった、雨で頭をぬらしたから風邪をひいた、話を聞いていない、馬の乗り方が悪い、パッキングがのろい…
いちいち私を叱りつけた。でも、熱を出した時はストローで湯ざましを飲ませてくれた。そして馬に乗っていて両手がふさがっている時は鼻水を拭いてくれた。
私は言った。
「そうかもしれない。でもここの人たちが強靭だというのは本当によくわかったよ。私とは比べものにならない。私は思うんだけれど、こういう心と身体の強い人たちが、ブータンの最大の資源なんだよ。でももしかしたら、送電線の工事が進んで、道路の整備も進んで、国中で便利な暮らしができるようになったら、そういう人はいなくなってしまうのかもしれない。たとえば、50年後のブータン人って、どんな人たちだと思う?ネテンの子供が50歳になった時のブータンって、どんな国だと思う?」
「うーん...想像もつかない」
「私もわからない。でもその時代の人たちは、今の人たちほど強くはないかもしれない。生活が便利になれば、そうでなくても生きていけるから。だからブータンが一番考えなきゃいけないのは、開発でも国民総幸福量でも環境保全でもなくて、そういう強い人たちがいなくならないようにすることなんだと思う。たとえば、電気だったら、どの地域に電気が届いた、何世帯の人が電気を使えるようになったって、統計で管理することができる。でも人間の強さなんて統計で測れないし、そういう人たちは誰も気がつかないうちにいなくなってしまうかもしれない。そんなことになったら、ブータンには何が残るんだろう?」
空港に到着した。ジャムソーとネテンと、何回もハグして別れた。彼らの未来が、明るいものでありますように。
病気は治ったはずなのに、ひとりになると脚に力が入らなくて地面に座り込みそうだった。前回(2014年11月)の帰りぎわ、空港で彼らと別れた時のような孤独感はなかったけれど、不始末がばれる前に逃げ去りたいと願うような、説明不可能な心境だった。
空港のセキュリティチェックは時間がかかり、出国手続きをすませるとすぐに搭乗だった。飛行機に乗り込み、定刻に離陸した。高度を上げる飛行機の窓から、頭に雪をかぶった山々が見えた。
あそこを歩いたのかと思うと、涙が出た。
【ブータンを思う】ブータンについて---39へ続く