朝。
雨は上がったけれど、霧が深い。
交易所の建物の外に大きな流しがあり、ホースからいつも水が出ていた。きっと山の水をそのまま引いているのだろう。そこで顔を洗った。深い森の中に送電線の鉄塔が立っているのが見えた。
きょうはトレッキングの最終日だった。朝食をすませて、9時過ぎにコイナを出発する。待っていた荷物が到着しなかったのか、昨日話をした男性がまだ滞在していて、私たちを見送ってくれた。
「Be stroing, be heatlhy」
と彼は言った。それは単なる挨拶などではなく、文字通りの意味だった。病気になってから、それをずっと実感させられている。ここでは、強く健康でなければ生きていけない。
でも、私は強くなければ健康でもなかった。思わず考え込んだ。
こんなことで、生きていけるのだろうか?
コイナからはしばらく上り坂になるので、また馬に乗ることになった。ガサのまで区間は、自動車道の建設工事が進んでいる。ジャムソーから、もし通れるようだったら工事中の道路を通るから、と言われていた。
山道をしばらく進むと、確かに木を切り払って平らな『路面』ができていたので、状態のよいところでは馬に乗った。馬も、トレイルよりずっと歩きやすそうだ。けれど、昨日の雨のせいなのか、一面の泥沼状態になっているところも少なくなかった。
馬に乗って進んでいくと、カーブの向こうから大きなエンジン音が聞こえてくる。やがて人を乗せた工事用のトラクターが現れた。結構なスピードで、荷物を積んだ先頭の馬たちがびっくりして、半ば暴走している。私の乗った馬もつられて暴走しそうになり、あわてて馬の首にしがみつく。でもチュンクーが、引綱を引いて馬をホールドしてくれた。ああ、落っこちなくてよかった。
トラクターに乗っていたのは数人の若者で、工事の作業員のようだった。この場所で、どうしてあんなスピードでトラクターを運転していたのだろう?馬が慌てるのを見るのが面白かったのだろうか?ジャムソーがトラクターに近寄り、若者たちを大声で叱りつけていた。
トラクターとすれ違い、また歩き続ける。路面が極端に悪いと馬には乗れない。いつものようにドルジとチュンクーに手をつないでもらって、3人で泥沼状態の道を歩いた。ここなら地面が固いかも、と思って足を下ろしたところがゆるゆるの泥だったり、まるで焼く前のチョコレートケーキの上を歩いているみたいだった。
「危ないから、速く歩いて、速く!」
速く歩くなんてできないのだが、泥に足を取られながら歩き続けた。スイッチバック状に作られた道路をそのまま歩くと距離が長くなってしまうので、ジャムソーはショートカットを探すようになった。
「ここ、こっちだ。ここから登れ」
ドルジ、チュンクーと手をつないで、3人で工事で削り取られた土砂の積もる斜面を登る。どろどろなのは工事された路面と同じだけれど急斜面で、粘土質の土砂は崩れやすくて足場は悪い。3人で代わる代わる足を滑らせながら斜面を登った。沢登りでもなければボルダリングでもない、『粘土坂のぼり』なんて聞いたことはないけど、もしあればこんな感じだと思う。
斜面を登りきると工事で作られた路面で、ジャムソーはそこからさらに上のスイッチバックへのショートカットを探す。馬はショートカットを登れないので、私たちとはまるでタイミングが合わなくなってしまった。
最高地点を通り過ぎ、下りはさすがに滑りやすいショートカットは使えないので、ぬかるんだ道路を歩き続けた。馬を連れたマイラとドルジは先に行ってしまったが、ガサに近づくと路面の状態もよくなって、歩きやすくなった。ジャムソー、チュンクーと一緒に歩き、午後3時半頃、ガサの村の入り口に着いた。
ガサは電気のある大きな村で、標高2,200~2,700メートルの傾斜地に広がっている。ラヤより1,000メートル以上低い。降水量も多いのか緑が濃く、遠目だと亜熱帯の村のようだった。
この日のキャンプ地のガサ・タチュは村の一番下にある地区だ。曇り空の下、私たちは大きなガサの村を縦断するように歩いた。無事にトレッキングの行程を終了できるという安心感があるのか、ジャムソーは元気だった。けれどチュンクーと私はしゃべる気力もなく、12日間のトレッキングをやり遂げたという達成感や爽快感はなかった。
午後5時、ガサ・タチュに到着。
私たちは疲れ切り、靴はどろどろだった。
この日も建物に泊まることになった。小さな土地に木の板で作った、ささやかな建物だった。ガサ・タチュには湯治場があるから、この建物の空き部屋に湯治客を泊めることもあるのだろう。年配の女性ふたりと、彼女たちの母親の年代の年取った女性の3人が住む家だった。
テントで休むか、それとも女性たちの家の中で休むか聞かれた。同じ敷地の中にバラック風の長屋があって、そこにも何家族か住んでいるようだった。地面もぬかるんでいるし、ここでテントを張っても落ち着けないだろう。それで、女性たちの家で寝かせてもらうことにした。
家は田の字の間取りで、手前右側の部屋が入り口になっていた。中に入るとベンチとテレビがあり、ゾンカ語のニュース番組が流れていて、居間のようだ。女性たちはこの部屋で過ごしていることが多かった。チームのみんなも、ここでテレビを見ながらおしゃべりしてくつろいでいた。手前左は小さな売店のようで品物も置いてあったが、湯治の季節ではないからなのか、特に商売しているようには見えない。奥の右側が女性たちの台所兼寝室、その隣の左側の部屋は仏間兼物置で、そこを使ってくださいと言われた。家は小さく、どの部屋も4畳半くらいだった。
家の右側に建て増しした部分があって、そこはもう少し広かった。土間の奥に板敷きの部分があり、年取った女性の寝室兼物置になっているようだったが、チームのみんなはその部屋を使うことになった。
ガサの村をすべてきちんと見たわけではないが、ラヤの村と比べると、ずっと『下界』に近いという印象を覚えた。大きな小学校があり、自動車の通れる道があり、ソーラーパネルではない電力があり、泊めてもらった家には明るい照明とテレビがあった。でも、どことなく覇気のない、力の抜けた田舎の村だった。
カップの中を見ると、お湯の中に植物の根を刻んだものが入っていた。
ニレラを越えた時に、ジャムソーとドルジが薬草を探していたのを思い出した。あの時の薬草だ。ドルジが一生懸命、お湯を飲むだけじゃなくて根も食べるようにと説明してくれた。根は苦くて、いかにも薬草という味だった。
それから、ドルジはオートミールを煮てくれた。そしてホットケーキミックスで、チョコレートのフロストが載ったケーキを作ってくれた。みんなとトレッキングしながら過ごすのももう終わりなんだなと、さみしくなる。でも、バスルームを使ってベッドで寝る暮らしに早く戻りたいという気持ちも少なからずあった。
私はオートミールで夕食にしたけれど、ジャムソーはもう野菜がないから買いに行くといって出かけていった。
しばらくして、どういう訳か野菜ではなく豚肉を買って帰ってきた。子供の枕くらいある大きな塊で、半分が脂身だった。それをまな板の上に乗せて大きな肉切り包丁でたたくように切り分ける。切った肉をドルジが圧力釜に入れて煮た。肉が煮えると野菜を入れて、豚肉の煮物の料理ができあがった。
味見するかと聞かれたけど、食欲はなくて断った。村の若者もふたり来て、チームのみんなと共に夕食になった。いつものようにみんなよく食べた。お客さんの若者たちはほっそりした身体なのに、小さな洗面器ほどもあるプラスチックのボウルにご飯をよそい、その上に豚肉の煮物を汁ごとかけて、おいしそうに食べている。ああいうふうに食べないと、生きていけないのかと思った。
最後の夜なので、ドルジとマイラとチュンクーにチップを渡した。儀式めいたことをする気力はなかったし、そんなことをする雰囲気でもなかった。前回の訪問時にカルマからもらったガイドラインに従った金額で用意しておいたけれど、病気になり手間も心配もかけることになってしまったので、それぞれ多めに渡した。
それがすむと、もうやらなきゃいけないことはなくて、洗面して仏間に戻って眠った。
いつものようにチュンクーが湯ざましの入った魔法瓶を持ってきてくれた。
【旅の終わり】ブータンについて---38へ続く