テントの中が明るくなるころ目を覚まし、いつものように短い瞑想をした。そして出発の時に慌てないよう、洗面する前に寝袋や着替えをダッフルバッグにしまおうとしたが、全然はかどらない。だるいということはないけれど気力も集中力も続かない。
何かがおかしかった。
曇っていて寒い一日になりそうだった。
私はジャムソーに言った。
「今日はキャンプ地へ着くのが遅くなると思う」
「どうして?」
私にそう言われて、面白くなさそうな彼に、事情を説明する。
「...なんだか調子おかしい。病気じゃないんだけど」
「昨日の夜、キャンプファイヤに当たってたとき、頭を濡らしたからじゃないの?」
「濡らしてないよ。帽子かぶってたし、その上からジャケットのフードをかぶってた。見てたでしょ」
調子が悪いまま、出発予定と言われていた7時半までに支度を整えたが、ジャムソーもほかのメンバーももたもたしていて、出発したのは8時10分だった。
人に速く歩けと言うくらいだったら、時間通りに出発してほしいものだと思った。
私が息を切らせてジャレラの峠へ向かって登るあいだ、ジャムソーのお説教が止まらない。彼のお説教はいつも「理解しておいてもらわないと困るんだけどね...」というフレーズで始まる。
帽子は必ずかぶれ!/雨には当たるな!/オレいうことを聞かないで雨が降っているのに焚火に当たっていたから風邪をひいたんだ、わかってんのか!/水はたくさん飲め!/高山病になると本当に大変なんだぞ!/体調が悪かったらすぐに薬を飲め/寝るとき寒かったらジャケットを着ろ/テントのファスナーはきちんと閉めとけ/帽子をかぶれと言っておいたのに、ニレラへ登るときに帽子をかぶっていなかった/etc. etc. etc………
息が苦しくしゃべる余裕がないのでいちいち口答えはしなかったが、途中、本当にうんざりしたので、ひと言だけ話した。
「ジャムソーの言うことを私が理解しているってことを、理解してもらわないと困るんだけどね」
このあとはもう、声を出して話をすることなんてできず、歩くペースの維持に集中するのに精一杯だった。どんなに苦しくても30分歩き、時計を見ながら5分だけ休憩した。それ以上休憩すると、そのまま歩けなくなりそうだった。休憩の時に口の中が空っぽだったら、エナジーチュウを一粒だけ口に入れた。いつも長距離をランニングする時にエナジーチュウを食べるのだけど、これが30分以上口の中に残っているなんてことは今までなかった。
いったい、どうしてしまったのだろう。
足場のよい歩きやすいトレイルだったけれど、信じられないくらい辛かった。私と一緒だとペースが合わず疲れてしまうのか、ドルジとジャムソーは長めに休憩を取って後で追いついてくるようになった。まだ要領よく立ち回る器用さのないチュンクーが、私と一緒に根気強く歩いてくれた。
やっとの思いでジャレラの峠の少し下、ケルンの積んであるところまでたどり着いた。チュンクーと休んでいたら、ジャムソーたちが追いついてきた。深い霧で視界はまったく開けない。
「ジャレラまで、あともうちょっとだ。ドルジが君のバックパックを担ぐから、渡して」
私は息だけの声で言った。
「...いい。重くないから自分で担ぐ」
「バックパックを彼に渡して」
バックパックを渡すと、頼んでもいないのにドルジとチュンクーが両方から肩を貸してくれた。トレッキングポールはジャムソーが預かってくれた。もうトレイルはなく、峠までは地衣類に覆われた緩い斜面が続く。両方から支えてもらっても真直ぐに上るのは無理で、ジグザグに歩きながら少しずつ上らなければならなかった。それでもすぐに疲れてしまう。
歩けなくなると、ドルジとチュンクーの手を2回握った。ふたりとも止まってくれるので、立ち止まったまま10回だけ深く呼吸する。そしてまた歩き続ける。まるで、死人が歩いているみたいだった。
これを3回か4回繰り返して、午後1時にジャレラにたどり着いた。
シャギパサから4時間かかったことになる。標高は4,785メートル。深い霧の中に巨大なケルンがいくつもあるのが見えて、薄気味悪い場所だと思った。ここは空気が薄くて危険だから、すぐに降りるとジャムソーが言う。私も、こんなところには長居したくなかった。ドルジとチュンクーに手をつないでもらって、トレイルを下った。
峠からしばらく下ったあたりで、遅い昼食になった。
空から、ぽつぽつと乾いた雪の粒が落ちてきた。
私がもっと速く歩ければ、こんな雪の中でみんなに食事させることにならなかったのかもしれないと思うと、情けなかった。たくさん食べろといってジャムソーが皿に食べ物をよそってくれたけど、半分も食べられなかった。体力不足や疲労ではなく、健康上の問題があることを自覚せざるを得なかった。
この日はロブルタングでキャンプし、翌日はシンチェラの峠を越えてリミタンまで行ってキャンプ、その次の日は半日歩いてラヤの村へ到着する予定になっていた。
でも、私が病気だということが傍目にも明らかだったのだろう。ジャムソーから、予定を変更すると言われた。
「今日はロブルタングの少し手前でキャンプして、明日は休みの日にするよ。トレッキングを始めて1週間経つし、みんな疲れてるから。1日休んで、明後日はリミタン、その翌日にラヤに行くことにする。ラヤには1泊しかできなくなるけど、リミタンからラヤは遠くないから、朝早く出発すれば午後は村を見物する時間が取れると思うよ」
ありがたかった。
こんな状態では、明日シンチェラを越えてリミタンまで歩けるとはとても思えなかった。
ひとりではバランスを取るのが難しい下り坂も、ドルジとチュンクーに両手をつないでもらえると安心だった。
峠から長い坂を下り、深い森を抜けると草原になる。
そこはシャリジタングという場所なのだと教えられた。
ひとりでどうやって張ったのかわからないが、先に到着したマイラが張ったテントが見えた。
私は、ジャムソーに言った。
「ドルジに頼みたいことがあるんだけど」
「何?」
「今日の夕食はおかゆを作ってくれないかなあ」
「おかゆ?」
「お米のおかゆ。もしあれば小さく切った鶏肉とショウガを入れるように頼んで」
ジャムソーとドルジが何か相談している。
「味付けはどうするの?」
「塩。塩だけでいい」
「玉子も入れたらどうかって(ドルジが)言ってるけど、どうする?」
「そうして。生の玉子をおかゆの中に落としてって頼んで」
ドルジには手間をかけることになってしまったけど、体調を崩しているいま、おかゆを作ってもらえることが、この上ない幸福に思えた。
そのおかゆを食べ終わり、テーブルの上で日記を書いていたら、寒くなってきた。
シャリジタングに到着した時にかぜ薬を飲んだのだが、効かなかったのだろうか?
寒いのを我慢して書いていたら、キャンプファイヤを作ったから当たりにおいでとジャムソーが呼びに来た。そんなに気温が低いとは思えないのに身体が冷え切っていて、火に当たれるのはありがたかった。震えが止まらずまともに息ができないくらいだったけれど、防寒着を貸してもらってキャンプファイヤのそばでイスに座って暖を取った。
「ここに連泊して身体を休めて、あさって出発すれば、予定通りみんなで元気にガサに着けるから」
ジャムソーはそう言った。ガサはトレッキングの終点だ。病人に厳しいことを言ってもしょうがないと思ったのだろうか。鬼に優しくされたみたいな気分だった。
暖を取りながら、屋外で燃える火が人間の身体を癒す力をしみじみと感じた。『たき火セラピー』というのはすでにあるのかもしれないけど、炎のエネルギーが身体に染み込んでいくようだった。悪寒がおさまり、身体から力が抜けて、楽に息ができるようになった。今日は深く眠って、明日は気持ちよく目覚めたいと思った。
自分のテントへ戻り、寝袋にもぐりこんだ。しばらくうとうとしていたけれど、また寒くなってきた。テントの室温は5℃くらいで、今までのキャンプ地と比べて特別に寒いということはない。
もう一度キャンプファイヤで身体を温めようか?まだ10時半くらいで、チームのみんながキャンプファイヤのまわりでおしゃべりしているのが聞こえる。寝袋から出て、借り物の防寒着を着てテントの外に出た。キャンプファイヤまでよたよたと歩いていった。
どうしたのかと聞かれ、イスに座るよう勧められた。
座ったら、もうそれきり動けなかった。
震えがひどくて、身体の緊張が解けず苦しかった。誰かの手が私の顔に触り、それがひんやりと気持ちよかった。チームの使うテントのほうが暖かいから、今日はそっちで寝るようにと言われた。みんなと同じテントで休むのは気が引けたけれど、こんな体調でひとりで寝るのは心細かった。
私はチームのテントに運ばれ、防寒着を着たままフリースのブランケットで簀巻きにされたのだと思う。病人が震えていれば誰でもそうするのかもしれないけど、その状態で極寒地用の寝袋に入れられてしまったので、今度はミイラのように身動きできず、暑くて苦しかった。
「...暑い。寝袋のファスナー、開けてもいい?」
「あとで寒くなってくるから、だめ」
「お願い、開けて。暑くて苦しい」
胸のあたりまでファスナーを開けてもらった。ずいぶん楽になった。
「何か必要なものはある?」
「水。冷たいの」
「冷たいのは身体によくないから、ドルジに湯ざましをつくってもらおう」
「ドルジはストロー持ってるかなあ」
「聞いてみる。あると思うよ」
ストローで湯ざましを飲ませくれたが、いくらも飲めなかった。それでも、ノドの渇きはおさまった。
「ほかに必要なものは?」
「ワセリン」
鼻の穴が乾いて、ひりひり痛かった。唇もかさかさだった。寝袋から人差し指を出すと、指のところにワセリンの入れものをもってきてくれた。指でワセリンをすくって、鼻の穴と唇に塗ったが、しばらくたつとまた乾いてしまう。チュンクーとジャムソーが看病してくれたが、夜中まで湯ざましとワセリンを何回も頼んだので、ふたりとも寝る暇がなかったはずだ。
真夜中、もっと困ったことになった。トイレに行きたくなったのだ。ジャムソーとチュンクーに手伝ってもらって寝袋から出た。ひとりでは歩けないので、両方から肩を貸してもらってテントの外に出た。彼らに付き添ってもらってトイレに行くのは本当に恥ずかしかったけれど、他にやりようがなかった。
でも外の冷たい空気に当たったのがよかったのか、容体は落ち着いてきた。
テントに戻り、寝袋へ入れてもらって、そのあと少し眠ったようだ。
気がつくと、テントの中が薄明るかった。一瞬、自分がヤク飼いで、仲間と一緒にヤクの放牧をしているのだと錯覚した。私の隣で、チュンクーが寝息をたてている。反対側はジャムソーで、こちらも泥のように眠っていた。ほとんど夜通し看病してもらったので、ふたりとも疲れたのだろう。
悪寒はなく、息をするのもずっと楽だった。両側のふたりを起こさないように、そっと寝袋から這いだした。ノドが痛くてだるかったけど、とりあえず自分の力で動けるし、熱も下がったようだ。寝袋を引きずって自分のテントへ戻った。
歯をみがいて川の水で顔を洗うと、気分もさっぱりした。朝食はまたおかゆを作ってもらった。食べていたら、チュンクーが温めたヤクの乳を注いだお椀を持ってきてくれた。この草原でヤクを放牧しているヤク飼いから分けてもらったのだと教えてくれた。
ガイドのトレーニングのつもりなのか、ジャムソーがチュンクーにシャリジタングの放牧地のことをいろいろ教えたようだ。放牧地について、ジャムソーに教えられた通りに説明するチュンクーは緊張していて、その様子がなんだかかわいらしかった。
草原で放牧されるヤク
石を積み上げて壁を作り、屋根は木の板でふいて上に青いビニールシートをかぶせる。天井は高くはないけれど、私の身長なら立った状態で快適に動ける高さだ。一間だけの造りで、床は木の板を並べて作る。壁に面して囲炉裏のように炉が切られ、その上方には換気用の小さな窓が開いている。窓と言ってもガラスも何もなくて、石を積んだ壁に穴が開いているだけだ。炉で調理もするので、まわりには調理用具が置かれていた。壁に沿って大きな棚が据えられ、ブランケットや袋に入った穀類などの食品が積まれている。ふすまを取り払った状態の押し入れみたいだな、と思った。部屋の片隅には小さな祭壇が置かれていた。
そしてここでも、家の外にはソーラーパネルがあった。
チェビサのアーミーキャンプのように、夜は省エネ電球の明かりがつくのだろうか?
この牧草地には携帯電話の電波は届かないが、ヤク飼いたちも電話は持っているのかもしれない。電波の届くところまで出かけることがあれば、そこで通話するのだろう。
家のすぐ横には石を積み上げた囲いがあり、その上は半分くらい木の枝で覆われていた。ヤクは放し飼いだが、母親のヤクと子供のヤクは、夜のあいだこの囲いの中で過ごす。朝になるとヤク飼いたちは母親のヤクの乳を搾り、それから放牧地に放す。この放牧地には、同じようなヤク飼いの家が6つあるのだという。でもそれぞれ離れて建てられていて、ここはやはり集落ではなく、放牧地だった。
放牧地は平坦なので、歩くのは難しくない。
でもまだ体調が完全には戻っていないようで、それなりに疲れてしまう。
テントに戻ると、お客さんが来ていた。
私たちのテントからあまり離れていないところにもヤク飼いの家があり、そこに住んでいる女性だった。日に焼けた顔は浅黒くシワが深かったけれど、可愛らしい顔立ちだ。まだ30歳前後じゃないだろうか。今朝私が飲んだヤクの乳を分けてくれたのは、この女性だった。
チュンクーが通訳してくれた。
ヤクは季節ごとに違う場所で放牧するが、彼女もふたつの放牧地を季節ごとに移動しながら暮らしているのだという。放牧地の家は仮の住まいで、村にきちんとした『家』があるのかと思ったが、彼女の家は、それぞれの放牧地にある家だけだと教えてくれた。
ヤク飼いの家の中には、生活に必要最低限のものしかない。だから彼女の持ち物も、うんと少ないはずだ。
この放牧地はラヤへ向かうトレッキングのルートになっているから、彼女も外国人のトレッカーと話す機会があるのかもしれない。そういう事情のせいかもしれないけれど、落ち着いてしっかりとした受け答えが印象的で、自分の生活に対する自信と信頼がうかがわれた。米国や日本のような先進国で、自分の生活のことはすべて自分でできる、という自信をもって暮らしている人はどれくらいいるだろうか。
私だって、自分のことは何でも自分でできるつもりだけれど、移動には車を使うし、食品は近所の店で手軽に買うことのできる生活だ。ネットで買い物すれば宅配業者が配達してくれて、決済はクレジットカードだ。住まいには電気はもちろん、ガスも水道もある。そういうものが全部利用不可能になったら、自分自身の力とスキルで、どれほどのことができるだろうか?
チュンクーは英語は達者だけれど、相手の事情に合わせて通訳するような器用さはない。ヤク飼いの女性が私に言った。
「...あなた、病気なんじゃない?」
「かぜ気味で、まだ治っていないから。今朝は放牧地を歩いてきたんだけれど、なんだかだるくて」
「あなたが明日越える峠はきついよ。大丈夫なの?」
返事ができなかった。シンチェラの峠は標高5,000メートルで、今回のトレッキング最高地点だ。場合によっては、昨日ジャレラを通過した時よりきついことになるかもしれない。とはいえ、シンチェラを通らないとラヤに着かないし、越えないわけにいかない。
「身体の調子がよくなかったら、今晩はうちに泊まりに来たら?」
「ありがとう。でも、たぶん、大丈夫だと思う」
明日の予定について、楽観はできないのだと思った。
女性が帰ってしまうと、チームのみんなはデゴをやり始めた。ジャンゴタングでホースマンたちがやっていた、石を投げるゲームだ。ジャンゴタングでは私も参加したけれど、今回は病気なので遠慮した。陽ざしの明るい草原でチームの4人がいつまでも石を投げて遊んでいた。
私は自分のテントに戻って休むことにした。
こんな昼間に眠ってしまうのはもったいない気もしたけれど、やはりだるかった。眠くないと思っていたのに、寝袋に入ると眠ってしまった。
眠った時間は短かったのだと思う。
寒くて目が覚めた。また熱が出るのだろうか?
ショウガ湯を作ってもらおうと思ってチームのテントへ行ったけれど、誰もいない。みんなヤク飼いの家へ遊びに行ったのだろうと思ったが、どの家へ行ったのかわからないし、そもそもひとりで放牧地を歩ける状態じゃなかった。しかたなく自分のテントに戻ったけれど、草原に置き去りにされたような気分で心細かった。
しばらくすると外で話し声が聞こえ、テントから顔を出すとジャムソーとチュンクーが戻ってきていた。
「ドルジはいるかなあ」
「いないよ。どうして?」
「ショウガ湯を作ってもらおうと思って」
「身体の調子が悪いの?」
ヤク飼いの女性の家に行くよう、ジャムソーに言われた。
「今日はヤク飼いの家に泊まって」
「やだ。熱が出たら、また誰かに看病してもらうことになる。ヤク飼いの女の人に迷惑になるよ」
「チュンクーが一緒に行くから、心配しなくていいよ。あの家に泊まる方がいい。火があるから、テントより暖かいしね」
今度はヤク飼いの家に泊まることになってしまった。チュンクーに支えられて家まで歩いた。中に入れてもらい、床の上に広げられたブランケットの上に横になった。
冷え切った身体に火のある室内は暖かく心地よかったが、あまり換気がよくないのでノドは辛かった。気道が詰まるような咳が止まらない。熱があるのか身体に力がはいらず、手伝ってもらわないと寝返りも打てなかった。
風邪にしてはひどすぎる。感染症じゃないかと思い始めた。これは厄介なことになった。本当に感染症なら、医師に抗生物質を処方してもらわなければならない。しかし当たり前だが、ここには医者もいなければ薬もない。
それでも夜になると熱は下がり、ひと心地ついた。チームのみんながヤク飼いの家にやってきた。ここで一緒に食事をとることにしたようだ。私はまだ普通には食べられないので、ドルジがサンドイッチを作ってくれた。ひんやりしたサンドイッチはおいしかったけれど、半分食べるとお腹がいっぱいで、それ以上入らなかった。
食べながら、ジャムソーが言った。
「...明日の予定を変更するよ。リミタンまで行ってそこでキャンプする予定だったけど、一気にラヤまで行くことにした」
トレッキングで一日半の道のりを、一日で歩くつもりなのだ。辛くて長い一日になるだろう。リミタンは何もないキャンプ地だけれど、ラヤは村だ。
「出発は何時?」
「6時半」
「ラヤに診療所はある?」
「あるよ」
「私は風邪じゃなくて、感染症にかかったんだと思う」
「どうしてそう思うの?」
「こんなふうに、半日おきくらいに高熱が出るのは、感染症だよ。今はよくなったけど、たぶん夜中か明け方にまた熱が出ると思う。医師に抗生物質を処方してもらわないと、治らないよ」
「抗生物質、持ってないの?」
「ないよ」
「どうして」
「(抗生物質は)医師の処方箋がないと、買えないから」
「感染症じゃなくて、風邪だよ。雨が降っているのに、焚火にあたってたからだよ」
ジャムソーはあくまで風邪だと主張したが、私の病状について、彼が何をどう考えているかは問題じゃなかった。ラヤの診療所には抗生物質もあるだろう。それを手に入れるのが先決だ。誰かが私の寝袋を持ってきてくれた。咳が出て苦しかったけど寝袋に入って休んだ。ジャムソーとドルジとマイラは帰ってしまい、残ったチュンクーとヤク飼いの女性がいつまでも話しているのが聞こえた。それを聞きながら眠ってしまった。
まだ暗い時刻に目を覚ました。
寒かった。また熱が出るのだろうか。
動けなくなる前にトイレに行っておいたほうがいいと思った。私が起き上がったので、隣で寝ていたチュンクーも目を覚ました。
「チュンクー、いま何時?」
「5時」
手伝ってもらって、寝袋から出た。
「トイレに行くから、アマ(女性に対する呼びかけの言葉)に手伝ってもらわないといけない。頼んでくれる?」
大きな懐中電灯を持ったアマに支えられて家から出た。家の周りで、放牧地から戻ってきたヤクが何頭も休んでいる。おとなしい動物だけれど、牛と同じくらいの大きさがある。私はヤクのことが全然わからないので、近くを歩くのは怖かった。でもアマが小さな声で「シッ」と呼びかけると、ヤクたちは立ち上がり道をあけてくれた。
草原は傾斜していないものの、草の下はでこぼこで、アマの助けがないと歩けなかった。家の近くの、トイレ代わりになりそうなところまで行くと、彼女は地面を指さした。私はアマに背を向けて、そこにしゃがみ込んで用を足した。
どうしてこんな所でこんなことをしているのか、もうよくわからなかった。自分のすることすべてに、現実味がなかった。
立ち上がって振り向くと、アマが心配そうな顔でこちらを見つめていた。この人は、どうしてこんなに優しいのだろう。
私はゾンカ語は話せない。私ができるのは、知っている限りの語彙で、「アマ、カディンチェラ(ありがとう)」と言うことだけだった。
【ラヤへ】ブータンについて---35へ続く