(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)
まだ暗いのに、誰かがお経を唱えながらプレイヤーホイールを回しているのが聞こえた。プレイヤーホイールが回るたびに、ベルがチーンと澄んだ音をたてる。しばらくすると鳥の鳴き声が聞こえてきた。そして、テントの中がほんわり明るくなってくる。トレッキングも6日目で、こんなふうに目を覚ますのが当たり前になってしまった。
朝7時、外に出してもらったテーブルで、いつものようにドルジが作ってくれた焼飯と玉子で朝食にした。山に囲まれたチェビサに朝日が射し込むのは遅く、その頃になってようやくキャンプ地も明るくなってきた。よく晴れた空で、好天の一日になりそうだった。
ジャムソー、ドルジと共に8時にキャンプ地を出発した。村はずれのアーミーキャンプに寄り、充電のできたスマートフォンを返してもらう。キャンプの人たちに見送られて、ググラの峠へ向かって山道を上り始めた。
ジャムソーとドルジは、歩きながらさっそく電話をかけ始めた。
標高4,000メートルの場所で山道を上っているとそれだけで息が切れてしまい、私は話なんてとてもじゃないけどできないが、ふたりとも慣れたものだ。足場の悪いところも多くて、『歩きスマホ』は危険なんじゃないかと思ったが、画面を見ているわけじゃないから、歩けないこともないのだろう。
ブータンでもスマホ… スマートフォンは普及しているけれど、日本やアメリカと違うのはその使い方だと思う。彼らにとって、スマートフォンは何よりもまず『電話機』だ。トレッキング・チームを見ている限り、一番多いのは通話だった。
そして、その次に多いのが写真撮影だ。
ブータンの人たちは記念写真を撮るのが好きだ。景色のいい所はもちろん、そうじゃない所でもポーズをつけてグループで写真を撮る。日本ならメッセージを送ったりSNSを使ったりするほうが多そうなのだけれど、ここの人たちはあまりそういうことはしない。知り合いだったら、電話して会えばよい。そして一緒に写真を撮るほうが普通なんじゃないだろうか。
彼らが電話しながら歩くあいだに、トレイルはぐんぐん標高を上げた。チェビサの村は見えなくなり、青い空を背景にしたツリマの美しい姿を見ることができた。ニレラを越えてからこの美しい山を見ながら歩いたけれど、それももう見納めだ。
景色がいいので、みんなそれぞれ携帯電話を取り出す。
ここでもやっぱり、始まるのは記念撮影大会だ。
写真を撮り終わると、彼らは馬を連れて先に行ってしまい、またジャムソー、ドルジ私の3人でググラの峠を目指してトレイルを上りつづけた。小休止のときは、ツリマを眺めながら草原に腰を下ろした。2014年のトレッキングもこのメンバーで歩いたので、今回のトレッキングは同窓会みたいなものだ。当時訪れた東ブータンのサクテンの村はドルジとチュンクーの出身地なのだけれど、その時の話になった。普段は、ドルジと抽象的な話はできない。でも、この時はジャムソーが通訳してくれた。
ドルジは、村についての印象を聞いてきた。
でも前回のトレッキングは、どちらかというと訪問先を知るというより自分自身を見つめる旅だったのだ。
「自動車のない村の生活って初めて見たから印象的だったけど、3日しか滞在しなかったから、正直言ってサクテンのことはよくわからない。でもサクテンにいるあいだ、確かに何かを感じていた。そのときは、それが何だかわからなかったけれど」
私は続けた。
「帰国してから、うんと仲のいい友だちと話したり、ブータンの旅行のことについて文章を書いているうちにだんだんわかってきたの」
「どんなことが?」
「生きるために本当に必要なものは何かって、考えてた」
「それって、どんなもの?」
サクテンの村で必要だったのは、焚火と雨をしのぐ屋根、温かい食べ物とそれを分け合って自分はひとりじゃないと確認できる仲間だった。でも、それを言うのは気恥ずかしかったし、あまり意味もないような気がした。私は答えた。
「多分、人によって違うの。でも、大きな都市にはサクテンと違っていろんなものがあって、いろんな情報もあって、そういう所に住んでいると、自分にとって何が大切なのかわからなくなってしまう。サクテンを訪問して、そういうことがわかったの」
景色が良く、トレイルもよく締まっていて歩きやすかったけど、峠まで行くのはなかなか大変だった。ググラの標高は4,440メートル。ニレラよりずっと低いのに結構きついなと思ったけれど、峠を上りつめて反対側の景色が一挙に目に入ると、それまでの疲れは忘れてしまった。
峠を越えると下りが始まる。何もない、崩れやすい山の斜面に『歩いた跡』がついているだけというところもあって、そのまま下まで滑り落ちてしまうのではないかと怖かったけれど、ドルジが一緒に歩いてくれた。その区間を過ぎると、トレイルは群生するシャクナゲのあいだを進んで行った。標高が高いからなのか、この辺りのシャクナゲはまだ開花していなくて、つぼみの状態だった。これが全部咲いたらきれいだろうなと思った。
ドルジが大きなナイフでシャクナゲの枝を切り取った。小さな枝を払い、両端を整え、太い大根くらいの大きさにした。それで何をしようというのかジャムソーにも見当がつかないようだったけど、ドルジは歩きながらナイフでその枝を少しずつ削る。
下り坂が終わると小さな流れを渡り、少し歩いたあたりで昼食になった。
ニレラを越えた日もそうだったけど、仕事の付き合いが長いからなのか、ドルジとジャムソーが一緒に歩いているといつもくつろぎモードになってしまう。この日も昼食の後は昼寝タイムになってしまった。でもドルジは寝ないで、さっきの枝を削り続けている。下絵を描いたわけでもないのに、枝は左右対称のきれいな鳥の形になった。器用だなと思ったけれど、ドルジは特に木彫の勉強をしたわけじゃない、とジャムソーが教えてくれた。
木を削って何かの形を作るのは、ブータン人なら誰でも普通にやることなのだ、と。
ここからあとは上ったり下ったりを繰り返しながら、キャンプ地のシャギパサまでトレイルを歩いた。シャギパサはチェビサのような村ではなく、小さな川の流れる広い谷だった。川の向こう側には青いビニールシートで覆われたヤク飼いの家がふたつあった。ヤクを飼う人たちは季節ごとに放牧地を移動する。家の壁は石を積み上げていて、造りは簡単だ。
馬の世話を終え薪を集めてしまうと、マイラはヤク飼いの家に遊びに行ってしまった。それがよほど楽しかったのか、夕食の時間になっても戻ってこなくて、すっかり暗くなってしまった川の向こうに向かってみんなでマイラ、マイラと叫び続けた。ここには携帯電話の電波は届かない。電話して「早く帰って来い」と言うことはできないのだ。
しばらくすると川の方角に懐中電灯の光がちらちら動くのが見え、やっとマイラが帰ってきた。テントで夕飯を食べていると、ぱらぱら小雨が降りだしたが、彼が集めてくれた薪でキャンプファイヤをした。チームのみんなは赤いテントに引き上げてしまったけれど、キャンプファイヤはトレッキング初日のセママペ以来だったし、私はもう少し火のそばにいたかった。テントの中で寒いのを我慢して日記を書くより、そのほうがずっといい。
ひとりだから、そんなに大きな火を燃やす必要はない。少しずつ薪を足して火を見つめながら過ごしているとジャムソーが来た。
「明日はジャレラを越えてロブルタングまで行くけど、今日と同じ速さで歩いたんじゃ、予定通りにキャンプ地に着かないかもしれないんだよね。もうちょっと早く歩けない?」
海抜20メートルの所に住んでる53才のおばさんによくそんなことが言えるねと、悪態のひとつもつきたくなる。でもそれはひとまず保留して私は言った。
「今日、ググラまで登るのは、思ったより大変だった。正直言ってニレラよりきつかったよ」
「そうなんだ。ニレラのほうが大変だと思うんだけど」
ジャムソーが不思議がるのも当然だった。ググラのほうが標高が低く、出発地点からのエレベーションゲインも小さいのだ。普通に考えれば、ググラのほうが楽だ。
「どうしてなのかなあ。ニレラの時は、ほかのトレッカーが苦労してるのを見ながら一緒に登ったからかな?」
「ともかく、もうちょっと早く歩く努力をしてほしいんだなあ」
そんなの無理だが、「できない」などと言うとまた口論になるので、黙っていた。ジャムソーが言った。
「雨に濡れるとまた病気になるから、そろそろテントに引き上げたら?」
「濡れるほど降ってないよ。言われた通り帽子もかぶってるし、その上からジャケットのフードもかぶってるし。テントの中にいるより暖かいし」
「じゃあ、チュンクーに来てもらうから、彼と一緒にいて」
火を燃やしていれば、動物が来るようなことはないだろうし、私が焚火にあたっているのがそんなに困ることなんだろうか?チュンクーだって、テントで仲間たちとおしゃべりしていたほうが楽しいだろうに、とんだとばっちりだ。
チュンクーが呼ばれてきて、彼と一緒に火にあたったが、特に話すこともないし、やっぱり迷惑だよねえと思うと長居する気になれなかった。いつものように湯たんぽを用意してもらって、自分のテントに戻ったのは9時過ぎくらいだっただろうか。
そして、この時は考えもしなかったけれど、この夜キャンプファイヤにあたっていたことについて、このあと毎日ジャムソーから小言を聞かされることになるのだった。
【シャリジタングの牧草地】ブータンについて---34へ続く