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チェビサの村

【リンジのキャンプ地へ】ブータンについて---31から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)


毛糸の帽子


リンジのキャンプ地には、私たちを追い抜いていったトレッカーたちのグループがいると思ったのだが、着いてみると姿が見えなかった。リンジから南へ向かい首都ティンプーを目指す彼らは、別の地区でキャンプをするのだとジャムソーが教えてくれた。他方、私たちはこのままラヤまで東へ向かうことになる。


キャンプ地に到着したのは午後3時半くらいだった。ジャンゴタングを出発したのが朝7時半だからずいぶんかかってしまったけれど、何しろ途中の時間のつぶし方が半端ではなかった。そしてこの日の歩行距離は21キロ。峠越えの標高差が大きかっただけでなく、歩いた距離も長かったのだ。


歩くのが辛いとは感じなかったけれど、なんだか疲れていた。念のためと思いかぜ薬を飲んで、自分のテントの中で寝袋にもぐりこんだ。うとうとしていたら、ジャムソーが心配して様子を見に来た。

「どーしたの?」
「疲れたから、念のためにかぜ薬を飲んだの。そしたら、眠くなってきて…」
「頭痛とかは?」
「ないよ。高山病じゃなくて、かぜ気味なんだと思う。薬を飲んだから大丈夫だよ」
「今朝、ニレラに着くまで、帽子かぶってなかったじゃん。だから風邪ひいたんだよ。まったく」
「だって、お天気もよかったし、上り坂だし、寒くなかったし…」
「寒くなくても、帽子はかぶらないと体調崩すよ。分かってなかった?」

心配してくれるのはありがたいけど、こういうことでいちいち小言を言われるのは、正直なところうっとうしかった。寒くもないのに毛糸の帽子をかぶるのは意味がないと思ったけれど、また些細なことで文句を言われるのは面倒なので、それからは外にいるとき必ず帽子をかぶるようにした。

寝袋の中でしばらく休んだら疲れも取れてきたので、チームの使う赤いテントへ行った。そしていつものようにお茶をもらって、日記を書く。やがて夕食の時間になり、みんなで食事をした。風が強くてキャンプファイヤができなかったのが残念だけれど、夜は湯たんぽを作ってもらって、自分のテントに戻って眠った。


チェビサへのトレイル


翌日は峠越えもなく歩行距離も短いので、ゆっくりの出発になった。トレッキングも5日目だ。9時少し前、ジャムソーとチュンクーと私の3人で、チェビサへ向かって歩き始めた。キャンプ地を流れる川を渡り、対岸の山の斜面を上り始める。そのうち向こうから馬の一隊がやってきたのでトレイルの習慣に従って道を譲ったが、その馬たちからは、他の輸送隊とはどことなく違う印象を受けた。積荷に小型のガスボンベや大きなカゴがあり、キャンプの装備を運んでいるのは確かなのだが、向かう方向がトレッキングルートの設定と逆なのだ。

しばらくすると10人ほどのグループが現れた。女性も2~3人いて、いずれも山を歩く服装をしたブータンの人たちだ。ジャムソーに聞くと、政府の役人が山間の村で行政監査を行うための出張なのだという。今日はリンジを通りニレラの峠を越えてジャンゴタングまで一気に歩くそうだ。ブータンの役人は大変だ。

役人たちとすれ違いさらに行くと、ぱらぱらと建物の散らばるリンジの村に着いた。右手の高台に横に長い建物があった。聞けば、村の診療所なのだという。ごくごく小さな村だけれど、一応の医療設備はあるのだ。トレイルから見て反対側、左手には同じ形の白いテントが4つ並んでいて、チュンクーが小学校だと教えてくれた。白いテントは教室だ。テントの中に机とイスを並べて授業をするのだろうか。この村にはまだ電気は来ていないけれど、軒先にソーラーパネルを置いている民家が多かった。

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村を通り過ぎ、右側に深い渓谷を見ながら山の斜面にほぼ水平に伸びるトレイルを進んだ。

うす曇りの寒い天気だけれど、今日は行程に余裕があるし、気が楽だ。翼の端から端まで2メートルはありそうな大きなワシが、弧を描きながら山の間を滑空するのを何回も見た。今日のキャンプ地のチェビサにも、チェレラ峠と同じ鳥葬の場所ーースカイブリアルグラウンドがあり、ワシはそこから飛んでくるのかもしれないとジャムソーが言う。

12時過ぎにお弁当を食べたあたりから空模様が怪しくなってきた。

激しくはないけれど暗い空から雷鳴が聞こえる。そして乾いた大粒の雪がぽつぽつと降り始めた。暗い雲の垂れこめる山の景色は悲しげで、もしひとりだったら、こんなところ心細くて歩けないんじゃないかと思う。ブータンの人たちはお天気なんか気にしない。でも私は、ひとりでないから寂しいわけはないのに、ほとんど泣きたい気分だった。

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チェビサまであと1時間くらいだから、とジャムソーが励ましてくれた。村の手前の小さな峠を越えると先に到着したマイラとドルジが張ったテントが見えた。午後1時半、チェビサに到着した。

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村の暮らし


チェビサは盆地のような場所にある村で、風は強くない。 到着すると、チュンクーが村の中を案内してくれた。ツリマの氷河を水源とする小さな川が村の中を流れ、その両側にまばらに民家が建っている。自動車の交通のない村には『通り道』はあるけれど、『道路』はない。民家の間を通り抜け、川に沿ってチュンクーと歩いた。手押し車で石を運んで川の土手の補強をしている青年たちがいた。小規模ではあるが、紛れもなく『土木工事』だ。川まで人力で石を運ぶのは大変そうだった。

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さらに歩いていくと、建設中の大きな家を目にした。中では、数人の男たちが働いている。石を積み上げて壁を作り、窓の部分は木材をきれいに細工して取り付ける。この村に専業の大工がいるのかどうか分からないけれど、丁寧で整った仕事ぶりだった。

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村では、どの家も軒先にソーラーパネルを置いていた。燃料に薪を使い、自動車のない生活であっても、電気が村の生活に浸透しているのが見て取れた。

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ここまでは何となく予想した光景だったのだけれど、驚いたのは村を流れる小さな川の、ごみの多さだった。

ほとんどが食品の空き袋で、それらが川岸を覆いつくしていた。わざわざ川に捨てることはなくても、強い風でごみが飛んでいってしまうことがあるのかもしれない。テクノロジーに頼る部分の少ない村の生活は、川の清掃より優先度の高い用事が山ほどあるのは明白だし、こんな山奥の集落でごみの回収があるはずもない。

美しい風景の村の真ん中を流れるごみだらけの川。

その落差に幻滅したが、村人の『民度』の低さを非難するのもまた違うように思えた。


村の広場


私たちがテントが張ったのは村の広場だった。

大きなプレイヤーホイールをいつも誰かが回していて、馬や牛があちこちで草を食べている生活感のある場所で、こんな所でキャンプするのは初めてだ。村を見物し終わってキャンプに戻ると、小さな男の子がふたり、広場でアーチェリー遊びをしていた。子供用の短い矢を、よくしなる木の枝で作った弓で射る。子供ながらしっかり姿勢が決まっていた。これまでの経験から、土地の人たちが天気を気にしないのは理解していたけれど、時折雨の降る寒い天気にもかかわらず、家族が心配して見に来るようなこともなく、いつまでも弓を射って遊んでいる。

よそから来た私たちが珍しいのかチームの使う赤いテントにも遊びに来て、ドルジやジャムソーが相手をしていた。


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弓で遊ぶ子どもたちと、テントで彼らの相手をするジャムソー、ドルジ。


チェビサの村には学校はない。一番近いのは先ほど通過してきたリンジの小学校だ。

通うにはちょっと遠すぎると思ったが、チェビサの子供たちはリンジの小学校に寄宿して勉強するのだという。おそらくリンジの村にも親戚だの知り合いだのたくさんいるのだろうが、こんなに小さな子供たちが家族と離れて寄宿するのは不憫に感じられた。この日はたまたま祝日で、子供たちは家族と過ごすためにチェビサに戻ってきているのだった。

この広場は、村のアーチェリー場でもあった。ブータンの町や村でよく見かける、木の板に丸を描いたアーチェリーの的が広場の端に立っていた。お天気が相変わらず悪いのに、午後遅くなると村の男たちが集ってアーチェリーを始めた。祝日でもあるし、ひと仕事終えてくつろぐ時間なのだろう。次々と矢を射るが、使っている弓は子供たちのものと違って精巧なものだった。ドイツやスイスからの輸入品で、米ドルで700ドルから900ドルもする高価なものだ。

そんなものどこで買うのかと思ったが、ティンプーやパロのような大きな町なら手に入るのだという。高価な買い物が家庭争議の種にならないのかと心配になるが、娯楽の少ないブータンで、アーチェリーは半ば公認された男性の道楽なのだろう。


招待


午後のあいだ、赤いテントの中のテーブルで日記を書いたけれど、座ったままだと寒くて気分が悪くなりそうだった。テントの中では、ガスコンロを出して夕食の支度をしているドルジが歌をうたっている。言葉はわからないけど、いつものように一緒に歌い、旋律に合わせて足踏みしながら腕を振り回した。多少でも動けば、身体が温まるかもしれない。

ドルジが歌い終わってしまうと、ドルジでも知っていそうな英語の単語を並べて、その場限りの歌を歌った。「ドルジ、ドルジ、ナンバーワン、ベストクッキング...」と歌いながら踊り続けた。

ブータンにいると、どうしてこういうバカげたことができるのか、自分でも不思議だ。

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チェビサの村の標高はほぼ4,000メートルで、この程度の運動でも結構息が切れる。でも、身体はだいぶ温まってきた。

即席で作った『ドルジの歌』を歌い終わると、腕を振り回しながらテントの外に出た。もう夕方なのに、アーチェリーをする男性たち、遊んでいる子供たち、プレイヤーホイールを回すお年寄りたちでちょっとした人出だ。

ジャムソーがアーチェリー見物している男性と話している。男性が私に話しかけてきた。きれいな英語だった。多分、どうして私が踊っているのかジャムソーから聞いたのだろう。

「寒いんだったら、私たちの所へ遊びに来ませんか?薪ストーブがありますよ」
「この村に住んでいるんですか?」
「あはは、そんなふうに見えますか?」

そう言われれば、男性には、村の男たちとは違う都会的な雰囲気があった。

「軍の仕事で、一か月ほど滞在してるんです。向こうに茶色い建物があるのが見えますか?」

彼の指差す方向に、茶色の小さな建物が見えた。距離は広場から200メートルくらいだった。

「あれがアーミーキャンプで、ここにいる間はあそこで寝泊まりしています」
「お邪魔してもいいんですか?」
「歓迎しますよ」

私はテントへ戻り、懐中電灯を取ってきた。アーミーキャンプ訪問なんて、めったにない機会だ。帰りは夜道になるけれど、ぜひ行きたいと思った。

「ジャムソー、アーミーキャンプまで出かけてくる。行ってもいいよね?」
「もうすぐ夕飯なんだけど」
「何時に食べるの?」
「7時」
「それじゃ、7時までに戻ってくる」

もう6時20分で、そろそろ暗くなる時刻だった。でも遠い所ではないから、懐中電灯があれば戻ってこられるだろう。ジャムソーが言った。

「チュンクーを行かせるから、彼と一緒に行って」

ありがたかった。彼と一緒なら、暗くても安全に歩ける。


アーミーキャンプ


アーミーキャンプまで、遠くないけれど急な上り坂だった。
歩いていると、息が切れた。

私を招待してくれた男性は士官で、部下は10人いるという。彼の部下たちの宿舎は建物の左側の大きな部屋で、人数分の寝台が並んでいた。家庭的な雰囲気だけれど、軍の設備だけあってよく整頓されている。チュンクーと私が通されたのは右側の小さな部屋で、こちらが士官の宿舎だ。一人用の個室ではあるものの、設備は質素で、天井の省エネ電球が部屋の中を薄暗く照らしていた。部屋の中には寝台と、デスク代わりに使える高さの棚があり、そこにラップトップPCが置かれていた。一瞬、この宿舎は電化されているのかと思ったけれど、村の民家と同じく、電力はソーラーパネルから得るのだという。

木で作った3段くらいの大きな棚もあり、そこには食品や士官の私物が置かれていたが、置かれている物の数は少なく、スカスカだった。彼は本部のあるパロから部下と共にこのキャンプに派遣されている。滞在は1か月で、月が替わると別のグループが派遣されてくる。

暗くて小さな部屋だったが、電気の明かりとストーブがあり、テントよりもずっと快適だった。椅子はひとつしかなくて、私たちは寝台に座るよう勧められた。座るとすぐ、彼の部下がカップに入った紅茶と皿に並べたビスケットを持ってきてくれた。

ブータンは英国に統治されていたことはない。しかし、かつてインドを統治していた英国人たちは18世紀の後半からブータンを探検したり使節を送ったりしていて、ふたつの国の関係は深い。20世紀に入ってから始まったブータンの王政は、英国をモデルにしたとも言われている。そういう歴史的背景が、客人を紅茶とビスケットでもてなす習慣に反映されているのだろうか。

チュンクーがスマートフォンをふたつ取り出した。ドルジとジャムソーからそれぞれ預かったようだ。アーミーキャンプで充電するよう、彼らが頼んだのだろう。スマートフォンはひと晩キャンプに預けて充電してもらうことになった。

士官から、キャンプでの生活について教えてもらう。

「いつも夜更かししちゃうんですよね」

「夜はどんなことをしているんですか?」

「パソコンで映画を見たり、本を読んだり...。何もすることがないので、退屈なんですよ」


ちょっと意外だった。キャンプを訪問すると、忙しい彼らの日程に負担がかかるのではないかと心配したけれど、そういうことはなさそうだ。

「一か月の滞在で、家族が懐かしくならないですか」

「そりゃ、もちろんですよ。毎日電話しています」

「ここでの毎日のスケジュールは、どんな感じなんですか?朝は、何時に起床するんですか?」

「決まった任務がないので、起床時間は特に決めていません。部下たちは朝起きると朝食を作って食べます。そのあと、薪を採りに出かけます。ただ、何もやることがないと生活に張りが出ませんから、午前中はクル(ダーツに似たブータンの伝統的なゲーム)などのアクティビティを与えるようにしています」

「ここに駐屯する目的って何なんですか?」

「ふたつあります。ひとつは国境警備。もうひとつは、あなたのように外国からやってくるツーリストの安全確保」

「ツーリストの保護も目的なんですね。国境警備のほうは、どんな仕事があるんですか?」

「本部から指示があれば、国境まで出かけます。ツリマの向こうに、中国との国境があるんです」

「国境までどれくらい時間がかかるんですか?」

「3時間くらいです。雪が積もっているともっと時間がかかりますけどね。でも、景色のきれいな所ですよ」

「国境には検問所とかそういう施設はあるんですか?」

「何もないです。(ここが国境だという)マークがあるだけです」

「一か月の任期中に、何回くらい国境まで行くんですか?」

「本部からの指示によりけりだけど、3回か4回くらいでしょうかね」

「本部からの指示のある時って、何か特別の事態が発生した時なんですか?」

「いや、特にそういうことでもないです」


国境警備というと緊張感のある仕事のように思えるが、ここでは違うようだった。ツーリストの安全確保が任務に含まれているのは興味深かった。こんな山奥で、もし外国人のトレッカーに何か起こったら、頼れるのは軍の駐屯地くらいしかないだろう。駐屯地にはとりあえず10人の軍人がいて、電力と通信設備がある。

「ブータンのアーミーって、何人ぐらいの規模なんですか」

「約5,000人です。治安を担当する警察組織は別にありますから、ちょっと多すぎますよね」


この国にクリティカルな安全保障の問題がないことを考えると、確かに多すぎると私も思った。ブータンの人口は75万人だから、赤ちゃんからお年寄りまで含めたブータン人150人にひとりが軍人という計算になる。高額な戦闘機や空母はないだろうから、よその国の軍隊と比べれば予算のかからない組織かもしれないが、ブータンの国家予算が極小サイズなのは疑う余地がない。兵士への給与だけで、相当な出費になるんじゃないだろうか。

話を聞かせてくれた士官の丁寧な物腰と親切さ、そして軍の任務や規模について誇張のない誠実な意見を聞かせてもらえたことがうれしかった。薪ストーブのある部屋で身体も温まった。7時少し前、チュンクーと私は仕官と彼の部下に見送られてアーミーキャンプを後にした。

軍のキャンプでもてなされている間は話題にしなかったが、チュンクーは3週間のアーミートレーニングに参加したことがある。期間中は軍の施設に滞在し、訓練だけではなくレクリエーションの要素もあるプログラムで、ホワイトウォーターラフティングをしたのが楽しかったそうだ。女子の参加者もいて、必要なものはすべて支給してくれるし、食事もおいしかったと言っていた。アーミーキャンプ訪問は、辺境地で勤務する軍人の生活を垣間見ることができて、彼にとっても興味深かったようだ。

ソーラーパネルしか電力のない村の夜道は暗い。
チュンクーに案内されて、民家の軒先を縫うように歩いてキャンプに戻った。


【ググラ、シャギパサ、キャンプファイヤ】ブータンについて---33へ続く