【トレッキングの仲間】ブータンについて---29から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)
山の中の社交場
トレッキングのグループには通常2~6人程度のトレッカーがいて、彼らにガイド、トレッキングコック、ホースマン、アシスタントが同行する。トレッカーの人数が多ければ、サブのガイドやアシスタントがつく。グループが大きいと当然キャンプ装備も多く、それを運ぶ馬の数も多くなり、場合によってはかなりの大所帯になる。
自動車で到達できるシャナから徒歩で2日の距離にもかかわらず、滞在者の数は意外なほど多く、その熱気でジョモラリキャンプはまるで山の中の社交場のようだった。
トレッキングの仕事をしている人たちはこの場所を頻繁に訪れるだろうから、それぞれのグループのクルーがお互い顔見知りなのは不思議ではない。私のようなトレッカーにとっては面識のない他人ばかりだけれど、こういう場所でグループを超えた交流をするのは難しくなかった。
到着して一息つくとキャンプ地を探検しに行った。話しかけやすいのはやっぱり女性だ。キャンプ地を一人で歩いている女性のトレッカーがいて、さっそく話しかけてみた。私と同年代かもう少し年上の女性で、スイスから来たという。6人のグループに個人参加で、同じグループには英国人がひとり、ケニアとカナダからの参加者がそれぞれふたりずついると教えてくれた。
彼女がひとりでグループのトレッキングに参加したという話が、私の関心を引いた。
社交のスキルがあれば私もそうしたのかもしれない。母語はドイツ語なので英語は得意じゃないと彼女は言ったけれど、誠実そうな人柄が印象的だった。
彼女と別れ歩いていると、また別の女性のトレッカーがいた。どこから来たのか聞いてみたら、南アフリカからグループで来たのだという。
彼女に、ここに住んでいるのか?と聞かれた。
そんなことある訳ないのだけど、彼女がそう思うのも無理ないのかもしれない。たまたまなのかもしれないが、キャンプ地にいるトレッカーは白人ばかりで、アジア人は私だけだった。そして当然といえば当然だけれど、トレッカーに同行するブータン人のクルーは全員男性だ。アジア人で女性だと、この土地に住んでいるように見えるのかもしれない。
電線の不幸
私たちのチームがテントを張ったすぐ近くにも、別のグループがテントを張っていた。旅行会社のロゴの入った立派なテントで、大手の業者を利用して旅行手配したのだろう。ブータンの旅行は公定料金が決まっているので、それぞれの業者は値段よりサービスを売物にする。ネットで調べると、トレッキングの装備のよさを宣伝している旅行会社は結構多い。
そのテントのグループはトレッカー3人で、ツアーに応募したのではなく、自分たちで手配をしたようだった。3人のうちふたりは女性で、お隣さんのよしみで彼女たちとも話をした。旅行ブログを書いているそうで、写真撮影に余念のない彼女たちは私に言った。
「ここに来る途中の送電線工事、あれ、がっかりしちゃった..」
送電線工事の景観が美しくないのは私も同感だけれど、この地域にとっては送電線を含めたインフラ整備が環境保護より優先度が高いのは明らかだった。どう返事すればいいのかわからなかった。
私は、損なわれていく景観よりも、工事の作業員のことが気になっていた。
2014年の訪問時に東ブータンでよく見かけた道路工事現場と同様、作業員はほとんど全員インド人の男性だった。
日本ではあまり報道されないけれど、英文メディアだとブータンの経済的な安定はインドからの安価な労働力に支えられているというレポートをたまに見かける。旅行中、ジャムソーやネテンとの何気ない会話のなかに、インド人に対するかすかな蔑視を感じることもあった。旅行者の私にも、ブータンのインド人は低賃金の重労働をする下層階級という印象だった。
トレイルを歩くあいだ見かけたインド人の作業員たちは、おしなべて無表情だった。絶望でも怒りでもなく、何を言われても何が起こっても反応できないような、無気力な表情だった。作業員たちはそんな表情で、あるときは重い建築資材を運び、あるときは送電鉄塔を組み立てていた。作業をしているというより魂のない人形がそういうふうに操作されているような光景で、まるで人間に見えなかった。彼らが打ちのめされ、心を病んでいるのは明らかだった。
『幸福の国 Land of Happiness』というのは誰が言い出したのか知らないけれど、ブータンのキャッチフレーズとして十分に成功していて、日本を含め多くの国の人たちが『幸福の国』を夢見る。でもその繁栄がインド人の労働者の過酷な労働……『不幸』に支えられているのかもしれないと考えると、夢のような幸福をブータンに期待することが浅はかに感じられた。
日本のぜいたくな暮らし
ガイドたちは英語が話せたので、直接会話することができた。ふたりうちの片方は、職業訓練vocational trainingで近いうちに日本へ出発し、東京に3年間住む予定なのだという。研修先は一般企業で、その会社の名前を教えてくれたけれど、教えてもらったところでどういう会社なのか見当もつかない。おそらく研修ビザで入国して、一般企業で作業をしながら技能訓練をするプログラムなのだろう。
なんだかおかしいと思ったのは、彼が研修先の会社の名前を知っているのに、そこで何の技能研修をするのかまったく知らないことだった。そんなことって、あるんだろうか?
3年という期間も、作業を通じて技能を習得するには長すぎるように思えた。日本へは彼を含め6人のグループで出かけるそうだから、ひとりで孤独感に悩んだりトラブルに巻き込まれるようなことはないのだろうけど、それでもちょっと心配だった。
なんだかおかしいと思ったのは、彼が研修先の会社の名前を知っているのに、そこで何の技能研修をするのかまったく知らないことだった。そんなことって、あるんだろうか?
3年という期間も、作業を通じて技能を習得するには長すぎるように思えた。日本へは彼を含め6人のグループで出かけるそうだから、ひとりで孤独感に悩んだりトラブルに巻き込まれるようなことはないのだろうけど、それでもちょっと心配だった。
本人は日本で生活することをとても楽しみにしていた。ブータンの人から見れば、経済的に発展した国の都会で生活するのは、夢のようなことなのかもしれない。もう片方が私に言った。
「日本はさ、お金がなくてもぜいたくな暮らしができるんだろ?」
なんて答えればいいのかわからなかった。ブータンと日本とでは、『ぜいたく』の定義がまったく違うからだ。たとえば彼らにとって、水洗トイレがついていて窓にサッシがあり、カギできちんと閉まるドアのある小さなアパートは『ぜいたく』な住まいなのかもしれない。でもそこに住むことが『幸福』なのだろうか?
私は彼に言った。
「お金次第だよ。いまの日本では、ブータンのように、家族や友人で助け合って生活することはあまりない。自分の生活に必要なものは、みんな自分のお金で払わないといけない。お金のない状態で日本で暮らすのは、しんどいよ」
それでも彼は、日本で働けるのなら、どんな経済状態でもぜいたくな暮らしができると信じたいようだった。彼が夢見る『ぜいたく』がどんなものなのか、私にはわからないが、先進国で暮らすということ自体、一種の『ぜいたく』なのかもしれない。そんなふうに思った。
地震と『雪やこんこん』
彼らが帰ってしばらくした頃、地面が揺れているのを感じた。私はジャムソーに言った。
「... これ、地震じゃない?」「何言ってんの。風でテントが揺れてるだけだよ」「そうかなあ?」
でも、それは本当に地震だった。
テントだから倒壊してけが人が出るようなことはないのだが、私たちはそわそわと落ち着かなかった。自分たちのいる場所は被害がなくても、震源地がどこなのか、ほかの場所で被害が出ているのかどうか、まったくわからない。みんなそれぞれ携帯電話で留守宅に電話して、家族の無事を確認し始めた。幸い、首都のティンプーや国際空港のあるパロでは何の被害もなかったようだ。
テントだから倒壊してけが人が出るようなことはないのだが、私たちはそわそわと落ち着かなかった。自分たちのいる場所は被害がなくても、震源地がどこなのか、ほかの場所で被害が出ているのかどうか、まったくわからない。みんなそれぞれ携帯電話で留守宅に電話して、家族の無事を確認し始めた。幸い、首都のティンプーや国際空港のあるパロでは何の被害もなかったようだ。
私は別の心配をしていた。もし昨年のネパール地震のように日本で大きく報道されれば、私の家族もきっと心配するに違いない。私はネテンを旅行中の緊急連絡先にしていたので、ジャムソーに頼んでネテンに電話してもらった。ネテンは、私の家族からは特に連絡はないと言っていたけど、もし家族が電話してきたら私には被害がなかったと伝えてほしいと頼んだ。
地震の被害は特になし、ということがわかっても、夕食後の楽しい気分は戻ってこない。ジャムソーが唐突に言った。
「サツキ、歌コンテスト、やらないの?」「え?」「今日、トレイルでお茶休憩した時に、歌コンテストやるって言ってたじゃん」
思い出した。昼間、ブータンにも視聴者参加型の『アメリカンアイドル』みたいなテレビ番組があるという話を聞いて、それだったら晩にキャンプで歌のコンテストをやろうと提案したのだった。キャンプ地に到着してから、すっかり忘れていた。楽しい気分を取り戻すにはちょうどいいかもしれない。
というわけで、歌のコンテストをやることになり、どういう順番で歌うかさんざんもめたが、言い出したのは私ということで、私が最初に歌うことになった。
というわけで、歌のコンテストをやることになり、どういう順番で歌うかさんざんもめたが、言い出したのは私ということで、私が最初に歌うことになった。
コンテストを提案した時は、私は何か春の歌を歌えばいいんじゃないかなと思ったのだ。でも、今夜は雪の降るお天気で、春の歌では気分がでない。何の歌にしようかしばらく考えていたけど、『雪やこんこん』を歌うことにした。
♪雪やこんこん、あられやこんこん...…
私が、日本人なら誰もが知っているあの一節を歌いだすと、みんな手拍子してくれて、まるで宴会で歌っているみたいだ。歌が終わると拍手になり、次は誰が歌うかで大論争だ。みんなトレイルを歩いている時はよく歌うのに、テントでくつろいでいる時に「歌ってください」と頼むと、恥ずかしがって誰も歌わない。怖いもの知らずに見えるマイラが実はすごい照れ屋でぜんぜん歌わなかったり、隣のテントから遊びに来たホースマンが飛び入り参加で歌ってくれたり、大騒ぎして楽しく過ごした。
山で静かに過ごす時間
翌朝、目覚めた時、隣のテントのトレッカーたちが「グッドモーニング」と挨拶する声がなぜか耳障りだった。鳥のさえずりを聞きながら目を覚ますのに、すっかり慣れてしまった。意味のわかる人間の言葉を聞くより、そのほうが好きだった。テントの外に出ると地面に薄く雪が積もっていたけれど、もう降ってはいなかった。
連泊の二日目は、高地トレーニングも兼ねてソフという湖まで日帰りでハイクした。ジャムソーとチュンクーが一緒に来てくれた。ドルジはキャンプ地に残り、お昼ご飯にはチーズのモモ(餃子に似たチベットの料理)を作っておくから、と言って見送ってくれた。
ジャンゴタングからしばらく歩き、小さな川を渡り、対岸の山の斜面を上り始める。
傾斜はきつく、上りきったあたりからキャンプ地全体が下のほうに小さく見えた。その地点から、広々とした草原を湖に向かってゆるゆると上る。雪が降ったりやんだりのお天気で、両方を山の斜面にはさまれた草原は静まり返っていて、小さな花が地面に張り付くようにぽちぽちと咲いていた。一面に咲き乱れる花畑のような華やかさはないけれど、春に向かう植物の息吹を感じるには十分だった。この場所を信頼できる誰かと歩いているという安堵が、私の情緒の振れ幅を最小にした。
目的の湖に着き、休憩になった。チュンクーが担いでいるバックパックにはミルクティーの魔法瓶が入っていて、3人で湖畔に座って熱いお茶をいただいた。この日はジャムソーもなんだか静かだった。ひとりで過ごしたいのか、チュンクーと私を先に返した。ジャムソーは歩くのが速いし、道も知っているはずだから、放っておいてもひとりで帰ってくるだろう。
「それじゃ、行くけど、私たちがモモを全部平らげる前に帰ってきてよね」
「取っといてくれないの?」
「期待しないほうがいいよ」
ぱらぱらと降り続ける雪を顔に受けながら、チュンクーとふたりでジャンゴタングへ向かって歩いていると、山の斜面を下り始めるあたりでジャムソーが追いついてきた。結局、3人でキャンプ地へ戻った。それから、ドルジが作ったモモで、遅い昼食をとった。
デゴの遊び
昼食後は特に何もすることがなかった。天気が良くないこともあり、テントの中のテーブルで懐中電灯をつけて日記を書いた。キャンプの仕事のない時間帯で、チームのみんなはいなかった。それぞれどこかへ、おしゃべりでもしに行ったのだろう。
しばらくすると、テントの外で、どすんどすんと音のするのが聞こえた。
何だろうと思って外に出ると、キャンプ地に滞在しているホースマンたちが代わる代わる石を投げている。あとで教えてもらったのだが、デゴというブータンの遊びだった。
20メートルくらい離れたところに置かれた目標の石に向かって、それぞれの参加者がふたつの石を投げる。命中すればポイントだし、命中しなくても、あらかじめ決めておいた小枝で測った距離以内の場所に石が落ちれば、ポイントとしてカウントしてくれる。ただ、誰かがスコアを集計しているわけじゃないし、当たるか当たらないか、目標の石の近くに落ちるか遠くに落ちるか、それだけの話だ。全員が投げ終わると、また最初のプレイヤーから順番に投げる。その繰り返しだ。優勝者もないし、順位が決まるわけでもない。そんな単純なゲームなのに、みんないつまでも夢中になって石を投げ続ける。
何だろうと思って外に出ると、キャンプ地に滞在しているホースマンたちが代わる代わる石を投げている。あとで教えてもらったのだが、デゴというブータンの遊びだった。
20メートルくらい離れたところに置かれた目標の石に向かって、それぞれの参加者がふたつの石を投げる。命中すればポイントだし、命中しなくても、あらかじめ決めておいた小枝で測った距離以内の場所に石が落ちれば、ポイントとしてカウントしてくれる。ただ、誰かがスコアを集計しているわけじゃないし、当たるか当たらないか、目標の石の近くに落ちるか遠くに落ちるか、それだけの話だ。全員が投げ終わると、また最初のプレイヤーから順番に投げる。その繰り返しだ。優勝者もないし、順位が決まるわけでもない。そんな単純なゲームなのに、みんないつまでも夢中になって石を投げ続ける。
しばらく見ていたが飽きてしまい、テントに戻って日記を書き続けた。その間、どすんどすんという音と歓声は止まることがなかった。ずいぶん時間が経ち、そのあいだ雪が降ったり止んだり、雨になったり薄日が射したりしたけど、みんな同じテンションでデゴを続けている。天気なんかまるで関係ないみたいだ。
日記を書くのは捗ったけれど、寒くて暗いテントの中でずっと座っていると気が滅入ってくる。
デゴ遊びには、マイラとドルジとチュンクーも参加していた。顔見知りがいるのなら私が参加しても大丈夫だろう。ややこしいルールの遊びではない。私は外に出て手ごろな石を探すと、全員が投げ終わったところで、「私もやるから」と言って的に向かって石を投げた。
デゴ遊びには、マイラとドルジとチュンクーも参加していた。顔見知りがいるのなら私が参加しても大丈夫だろう。ややこしいルールの遊びではない。私は外に出て手ごろな石を探すと、全員が投げ終わったところで、「私もやるから」と言って的に向かって石を投げた。
私は物を投げるのが下手だ。
だから石を投げたところで、20メートル先の目標を狙うなんてはじめから無理なのだが、とりあえず「やめてくれない?」とは言われなかった。教えたところで上手にできる見込みなんてないのに、チュンクーが投げ方を教えてくれて、投げるのにちょうどいい大きさの石も探してくれた。
だから石を投げたところで、20メートル先の目標を狙うなんてはじめから無理なのだが、とりあえず「やめてくれない?」とは言われなかった。教えたところで上手にできる見込みなんてないのに、チュンクーが投げ方を教えてくれて、投げるのにちょうどいい大きさの石も探してくれた。
上手にできなくても、身体を動かすとさっぱりした明るい気分になった。マイラやほかのグループのホースマンたちとも、打ち解けることができたような気がした。一足先にデゴ遊びから抜けたドルジが、お茶の支度ができたよと呼びに来るまで、彼らに混じって石を投げ続けた。おかげで翌朝は筋肉痛になってしまった。
その頃になって、ほんの一瞬だけ、逆光を受けたジョモラリを見ることができた。
女神の山として信仰されているというけど、それが納得できるような優美ですがすがしい姿だった。
女神の山として信仰されているというけど、それが納得できるような優美ですがすがしい姿だった。
キャンプ地の訪問者
夕食前、チームが使う赤いテントの中で日記をつけていたら、来客があった。
昨日知り合ったスイス人の女性だった。どうして私のいるテントがわかったのか不思議に思ったけれど、彼女のグループのアシスタントガイドに聞いたのだという。トレッカーの人数が多いので、補佐役のガイドがいるのだ。このキャンプを出発する前にもういちど彼女と話したいと思っていたのでうれしかった。どういう暮らしをしている人なのかはわからないけれど、いろいろな国を一人旅しているようだった。あなたはよく旅行するの?と聞かれたけれど、あまりしないと答えておいた。
昨日知り合ったスイス人の女性だった。どうして私のいるテントがわかったのか不思議に思ったけれど、彼女のグループのアシスタントガイドに聞いたのだという。トレッカーの人数が多いので、補佐役のガイドがいるのだ。このキャンプを出発する前にもういちど彼女と話したいと思っていたのでうれしかった。どういう暮らしをしている人なのかはわからないけれど、いろいろな国を一人旅しているようだった。あなたはよく旅行するの?と聞かれたけれど、あまりしないと答えておいた。
私も旅行は好きだ。でも前回のブータン訪問のように、自分のあり方を根本から見直すような旅は、あまり頻繁にしなくてもいいような気がする。だから今回の旅は、トレッキングを楽しむ以上のことはしないつもりだった。だが結局、この旅が私の精神状態をひどく振り回すことになる。テントの中の私は、それをまだ知らない。
彼女のアシスタントガイドが、夕食の時間だからと彼女を呼びにきた。私たちはメールアドレスを交換した。わざわざ私のテントまで来てくれたことへの感謝の気持ちを表現したくて、彼女のテントまで彼女と一緒に歩いた。