【チェレラの峠】ブータンについて---28から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)
仲間たち
朝7時、ネテンの運転するSUVでパロのホテルを出発した。西へ向かって30分ほど走ったところに集落があり、ネテンはそこでSUVを停めた。一年半前のトレッキングの時にアシスタントをしてくれたギレが待っていた。懐かしくて、思わず記念撮影する。もう会うことは無いだろうと思っていたけれど、行動さえすれば、またこうやって会うこともできるのだ。
10時少し前、やっとシャナに到着した。トレッキングのクルーが調理や食事、そして夜寝る時に使う赤いテントが張ってあって、その中から、ドルジが出てきた。こちらも前回のトレッキング以来で、言葉はあまり通じないけど再会を喜び合った。ジャムソー同様、ドルジも勤めている旅行会社の仕事を休んで、私のトレッキングに同行してくれたのだ。
それから、今回のトレッキングにアシスタントで参加するドルジ・ワンディを紹介された。ドルジの弟で、トレッキングの仕事をするのは初めてだという。長兄のドルジとは15歳違いの20歳だ。7人兄弟の下から2番目の彼は、家庭では『チュンクー』と呼ばれているのだという。『チュンクー』は「小さい」という意味の言葉で、日本語だったら『ちびすけ』か『おちびちゃん』かなと思った。トレッキングのチームの中でも一番若い彼の呼び名は、そのままチュンクーになった。私はすでにドルジとは知り合いだし、前回のトレッキングの時に彼の故郷のサクテンを訪ね、彼の両親と会う機会もあった。だからチュンクーとも初めから親戚みたいなもので、すぐに打ち解けることができた。
荷物を運ぶ馬たちもすでに到着していて、ホースマンのマイラを紹介された。今回は途中で馬の交代はなく、シャナから終点のガサまでマイラが連れてきた9頭の馬を使う。マイラはいつも馬と移動するので私と一緒に歩く機会は少なかったけれど、細かいことにこだわらない、悪ガキっぽい性格なのは見ていてよくわかった。
ジャムソーはガイドであると同時に、実質的なトレッキングのチームリーダーだ。そもそも体格が良いのでそれだけで偉そうに見えるが、実際彼は別格で、他のチームメンバーは彼のことをSirと呼ぶこともあった。
これから12日間、ドルジ、チュンクー、マイラ、ジャムソー、私の5人で行動することになる。
トレッカーが1名なので、ブータンでのトレッキングのグループとしては最小のサイズだ。10時過ぎ、見送りのネテンとギレを残して、私たちはシャナを出発した。
トレイルを進む
合計で185キロの山道を旅するのかと思うと心配は尽きなかったが、ともあれ最初のキャンプ地、ソイタンタンカに向かって歩き始めた。トレイルは川に沿って上り下りを繰り返しながら、少しずつ高度を上げていく。この区間は馬の交通量が多かった。自動車の通れる道はまだない。奥の村へ食料品や日用品を運ぶ馬、送電線の工事の建材を運ぶ馬、そして私たちのようなトレッキングの装備を運ぶ馬が、首につけたベルの音を鳴らしながら列になって歩いている。
トレイルに沿って送電線の工事が進んでいた。完成すれば、奥地の村々でも電気を利用することができる。まだ送電線の届いていない場所も多いけれど、そういう地域の住民には政府から家庭用のソーラーパネルが支給されている。トレッキング中、村の家々の軒先にそうしたソーラーパネルが置かれているのをずいぶん見た。
ソーラーパネルなら送電線のような大きな工事はいらないし、環境にも優しいので都合が良い反面、発電量は極端に少ない。パネルそのものが大して大きくない上に、ブータンのような山間地域は天気が不安定だ。雨や曇りの日も多く、そういう日は発電すること自体できない。トレイルに沿った草地に送電線工事用の鋼材や電線、碍子が乱雑に置かれているありさまは美しい景観とは言い難かったけれど、仕方ないことなのだろう。
前回、2014年11月にトレッキングで訪れたサクテンの村には電気があった。宿泊した村のゲストハウスにも屋外灯があって、夜の暗い時間でも足元が見える便利さとありがたみを実感したのだった。チュンクーに、サクテンまで電気が来るようになったのはいつなのか聞いたら、2012年だという。それまでは送電線で送られる電気はなく、夜間の照明には灯油のランプを使っていたという。燃料の灯油は、たぶんほかの物資と同様、馬で運ばれてきたのだろう。送電線によって安定した電力供給が得られれば照明用の灯油を確保する必要はないし、より安全で明るい光が得られる。電気はやはり便利なのだ。
雨と風、のち星空
この日キャンプする予定だったソイタンタンカまで、シャナから山道を22キロも歩く道のりだ。でもシャナを出発したのが遅かったので、この日は手前のセママペというところでキャンプすることになった。きちんとした設備のあるキャンプ場ではないが、ここで泊まるトレッキングのグループや村人もいるのだろう。テントを張った場所の近くには、一目でそれとわかる焚火の跡があった。
強くなり始めた風にあおられるようにして、大急ぎでキャンプを設営した。天候が悪いので、食事用の折りたたみテーブルはチームが使う赤いテントの中に出してもらった。テントごと飛ばされるんじゃないかというような強風のなか、ドルジが用意してくれた夕食を食べていると、途中で雨も降り出した。私は、都合の悪い天気になったな、と思い始めていたのだけれど、チームのみんなはまるで気にならないみたいだった。
トレッキングの仕事で山へ出かけるのはいつものことだから?
こんな天気にも慣れているのだろうか?
やがて、その理由がなんとなくわかった。この国の山間部の天気はとても変わりやすいのだ。夕食がすんでしばらくすると、あれほど激しかった風はすっかり止み、雨もぱらつく程度に弱くなった。それを確認すると、マイラが薪を集めてきて、キャンプファイヤを作ってくれた。おかげで、夜のひとときを火に当たりながら暖かく過ごすことができた。
さらに夜が更けると湯たんぽを作ってもらい、自分のテントの中で寝袋にもぐり込んで眠った。真夜中、トイレに起きた時には、しんとした空気の中で満天の星空を見ることができた。天気が悪くなったと気に病む必要なんて、全くなかったのだ。
よく食べる人たち
テント泊の時は、明るくなれば目が覚めてしまう。翌朝も5時半過ぎに目をさました。目覚まし時計の気温表示を見ると1℃だった。外はきっと氷点下だろう。自宅だったら寒くてめげてしまうような温度だけれど、キャンプだとこれが普通だと思えるから不思議だ。着替えてテントの外へ出て歯を磨き、チュンクーに手伝ってもらって湯たんぽのお湯で顔を洗った。
トレッキングの朝食は普通、トーストと玉子料理、シリアル、ミルクなどが用意されるが、私はドルジに頼んでブータン式の焼飯を作ってもらっていた。地元の人が食べるようなものを食べたいという希望もあったけれど、もうひとつ理由があった。コメの料理なら食事が無駄にならないのだ。彼らが用意してくれる食事の量はいつも十分以上で、必ず余ってしまう。チームの彼らはパンも食べるけれど、これはおやつみたいなもので、三度の食事は必ずコメだ。トーストしたパンが余ったら動物にやるしかないが、焼飯が余ればすぐ彼らの胃袋に収まるのは確実だった。
毎日何キロも山道を歩いて力仕事をしているのだから当たり前だが、それでも、彼らは実によく食べる。食事には直径20センチ強のプラスチックのスープ皿を使うけれど、いつもその皿にたっぷりご飯をよそい、上に山盛りにおかずを載せる。
食べながらご飯やおかずを足していくので、全部で一体どれくらいの量を食べているのか正確にはわからないが、山盛りにして2回分か3回分は食べているはずだ。ドルジに聞いたら、毎日3キロのコメを炊くと言っていた。私が食べる量なんてたかが知れているから、実質、4人で毎日3キロ食べていると考えてもいいだろう。
毎朝、朝食がすむとキャンプの撤営が半分終わったあたりでジャムソーとドルジ、もしくはジャムソーとチュンクーに伴われてキャンプ地を出発した。歩いている途中で荷物を積んだ馬たちを連れたマイラに追い抜かされ、先回りした彼らが次のキャンプ地にテントを設営するというスケジュールで行動することが多かった。トレッキングのキャンプ地は、基本的に私の歩く速度で無理のない間隔で設定されていたから、このペースでちょうど良い時間配分になる。
前日、予定より手前の地点でキャンプしてしまったので、トレッキング2日目はそのぶん歩く距離が長かった。でも峠越えなどの急な上り坂はなく、天気もよくて、きれいな景色を眺めながら楽しくその道のりを歩いた。出発してしばらくすると、雪をかぶったジョモラリ山の美しい姿が遠くに見えた。今日のキャンプ地はあの山のふもとだ。
雲は忙しい
途中、ブータンのアーミーキャンプがあった。軍の駐屯地だ。木造の建物が何棟か建っているだけのささやかなものだが、届け出が必要だからと言ってジャムソーは中へ入っていった。ブータンに軍隊があるというのも意外に感じられるが、私たちがトレッキングするあたりは中国(チベット)との国境に近いので、国境警備の目的でキャンプがあるのだという。
駐屯地といってもそんなに真面目くさった雰囲気ではなく、入り口のテラスのところにこんなものがあった。風向計なのだろうか。何とも言えないデザインだけれど、これはブータンでは災難除けのシンボルなのだという。災難を避けるというなら、軍の施設にはうってつけだ。
トレイルはきつくなく、歩くのは楽しかった。でも一緒に歩いていたチュンクーが、「夕方には雨か雪が降るかも」と言う。私は気にしていなかったが、確かに空を見ると雲が多くなってきていた。
山間の村で育ったチュンクーは、天気の変化に敏感だ。
天気が変化していることに気づいていながら、心配しないでいられるというのは、私には才能としか思えなかった。
雲は色々な場所に雪や雨を降らせに行かなきゃならないから忙しい、と彼は言っていた。
ブータンの言葉にそういう慣用表現があるのかもしれないが、そもそも、この土地では雪や雨は不都合なものではないのかもしれない。
午後3時半、この日のキャンプ地のジャンゴタングに到着した。ジョモラリを望むこのキャンプ地は、ジョモラリキャンプと呼ばれることもある。曇り空の下、雪とあられの中間のような白い粒々が風に吹かれて舞っていた。
【ジョモラリキャンプ】ブータンについて---30へ続く