2016年4月27日、内山高志は自身の持つWBAスーパーフェザー級世界タイトルの12度目の防衛戦の挑戦者として暫定王者ヘスリール・コラレスを迎え、僅か2ラウンドでタイトルを失った。ファン・カルロス・サルガドからタイトルを奪ったのが2010年1月11日だから、六年以上の長きに渡って防衛したタイトルを僅か六分で失った事になる。

 内山はここ数年で絶対的な評価を得ていた。コラレス戦まで12度の世界戦のうち10回までがKO、TKO(二度の棄権含む)によるものだ。6年かけて11度防衛とは少ないようにも感じるが、その間内山の評価は上昇し続け、今回のコラレス戦でも負ける筈が無いものとして考えられていた。


 6年から見れば6分が短すぎるのは当然だが、対戦相手を、試合を思い続けた準備期間の数か月を思っても十分に短い。だからボクサーは皆「負ける時はあっけない」と思うものだ。きっとファンもそう思うのだろう。多くのファンは内山が負けた事が信じられず、その理由を、ボクシング以外の別の所から見付け出そうとする(その代表的な一つが、ウォータース戦などアメリカ進出計画がまとまらなかった為に内山のモチベーションが低かったというものだ)。

 ここで思い出すのは、やはり長期に渡ってタイトルを防衛し、絶対的評価を得た二人の世界チャンピオン、長谷川穂積、そして現在もチャンピオンである山中慎介である。

 長谷川は、やはり「負ける筈がない」というムードの中行われたWBCバンタム級王座の11度目の防衛戦で、WBO王者フェルナンド・モンティエルと対戦し4ラウンドTKO負けで11度目の防衛戦(WBOとの統一戦でもあった)に失敗した。


 そして現役王者の山中は、2011年11月に獲得したタイトルを現在も守り続けているが、最新の二つの防衛戦、ブランク明けの元王者アンセル・モレノ、階級下の元王者リボリオ・ソリスの二人に大苦戦した。これも勝利は動かないと思われており、実際に勝利した事も間違いない。しかし内容はと言えば戦前支配的だった予想とは異なるものだったのではないだろうか。モレノ戦では地元判定とも言われる2-1の判定勝ちで、ソリス戦では3ラウンドに二度のダウンを奪われてKO負け寸前に追い込まれた。



 勿論、長い防衛ロードの中にあって、体調を崩したりどうしても手が合わない苦手な対戦相手だったり、という試合だったのかも知れず、まだ現役の山中、内山ともに名誉挽回のチャンスはある。僅か一、二試合で最終的な判断を下してしまうには早いだろう。また、長谷川、内山、山中にはそれぞれの背景があった筈だ。各々の選手、個々の試合、種々の背景について、私の個人的評価は控えたい。しかし彼等が絶対的な評価を得た後に、特に苦戦を予想された試合でなかったにも関わらず、敗戦、或いは大苦戦した事には変わりない。そこには同様のパターンがあり、日本ボクシング界が持つ構造上の問題が透けて見えているように思う。

王者の乱立と権威の低下

 王者が一人であり、ランキングや試合挑戦に関するルール設定があるべき形に整っているならば、王者の権威は自ずと高まる。しかし王者が増え、同様に挑戦者も増え、尚且つ不透明なランキングや王者の移動等があったならば、相対的にそれらのレベルが下がるのは当然の事だろう。

 単純な事実を述べよう。現在プロボクシングの世界では17もの階級分けがなされており、主要なタイトルの認定団体としてはWBA、WBC、IBF、WBOの四団体が一般に認められている(日本においてはこの四団体が世界タイトルとして認められている)。そして尚且つ、団体によっては暫定王者やスーパー王者という制度が濫用されており、それぞれ誰が『強い』のか分からない状況で王者が乱立している。
 
 かつて世界タイトルは各階級に一つであった。そして、階級ももっと少なかった。
 だからこそ権威があった、と言って良いだろう。

 タイトルが増えたことに伴って、挑戦者の人数も増加した。私の記憶が正しければ(検索を掛けても資料が見つからなかった)以前は世界ランキングの10位以内しかタイトル挑戦権を認められなかったが、現在では15位にまで認められるようになっているようだ。挑戦者はより『選べる』ようになってしまった。

 Wikipediaによると、暫定王座創設は1953年とあるから存在自体は古いのだが、それが現在のように頻繁に見られるようになったのは1993年の辰吉丈一郎の網膜裂孔による休養でビクトル・ラバナレスがWBCバンタム級暫定王者になって以降の事だという。この暫定王座は怪我などのやむを得ない理由で防衛戦が行えない事を理由に、チャンピオンを休養させた上で暫定的に世界タイトルの開催・運営を行う為のシステムだ(認定団体としては、王者に休養期間を与えながら同時に世界タイトルマッチの承認料を得る事が出来る)。



 それ以降頻繁に暫定王者が誕生し、更にWBAでは2001年にはスーパー王座なるものまで設置された。Wikipediaと各団体のHPの双方で確認すると、全17階級中で暫定、スーパー王者も含む世界王者はWBAで38名(※3つの空位を含む※WBAのHPでは内山が現在もスーパー王者とされている為、Wikipediaの情報を信頼した。ちなみにWBAのHPによると41名が現役世界王者とされている)、WBCでは18名(※二つの空位を含む※HPではビタリ・クリチコがヘビー級の名誉王者とされており、クルーザー級ではWikipediaではグレゴリー・ドロストが休養王者とされているがHPでは空位とされている為同数)、IBFではWikipedia16名、HPでは17名(Wikipediaではスーパーバンタム級が空位に、HPではカール・フランプトンが王者と記載されているが、別に検索を掛けるとフランプトンからの王座剥奪の記事があった。この情報を信じればWikipediaの方が正しい事になる)、WBOだけはWikipediaもHPも一致して17名(空位のミニマム級と正規・暫定の二王座があるスーパーフェザー級)となっている。

 以上から各団体の王者数だけを抜き出すと、WBA38名、WBC18名、IBF16名、WBO17名で合計89名となる。ただしこれはWBAスーパー・WBC暫定・IBFミドル級の三団体王者ゴロフキン、WBAスーパー・WBOフライ統一級王者のエストラーダがいる為実数は86名となる。更にここに空位になっている七つのタイトルを加えると、合計で96のタイトルがある事になる。ちなみにここから更に日本人王者を抜き出すと、WBAは田口、井岡、河野の3名(内山もWBAスーパー王者だった)、WBCの山中慎介、IBFの八重樫、WBOの井上、各一名ずつである(※以上の数字は2016/5/5時点での記録を参照している)。

 勿論、ボクサー達にとって世界王座獲得が『狭き門』である事自体は依然として変わりない。しかし一方で、世界タイトルの権威が以前程の重みを失っている事もまた間違いない。
 流石に近代ボクシングが生まれた20世紀初頭と比べようとは思わない。しかし、ほんの20年、いや10年前と比べても世界タイトルの価値は低くなっている。現代に生きる我々ボクシングファンは、もはやあるボクサーが世界チャンピオンだからと言って、ただそれだけでは彼を『世界一強い男』だとは認められない。単に世界タイトルを獲得し、防衛するだけでは以前と同じような評価をすることは出来なくなっているのだ。

ボクサーはアメリカを目指す
 
 認定団体によって承認された世界タイトルというものの権威が落ちた時、権威は、タイトルや認定団体ではなく、その強さを世間が認めた『人/ボクサー』に付いてくる。それは、昨年遂に実現した『世紀の一戦』、フロイド・メイウェザーとマニー・パッキャオの試合を見れば明らかだ。彼等は、まるでアクセサリー感覚で多くの世界タイトルをコレクションした(そして、彼らのような振る舞いは今や決して珍しいものではない)。
 仮に二人の試合がノンタイトルで行われていたとしても、両雄の激突には変わらず注目が集まった事だろう。パッキャオとメイウェザーのビジネスは、既に世界タイトルから独立していたと言える。


 私は何も、日本人チャンピオン達にメイウェザーやパッキャオのように振る舞うべきと言いたいのではない。しかし、世界タイトルがそれを持つだけで最強を保証される権威だった時代はとうの昔に終わりを告げている。であるならば、世界タイトルの獲得と防衛回数を増やす事を目標とするだけではなく、より強いものと積極的に闘い、勝ち名乗りを受ける必要があるのではないか?
 そしてそれを積極的に行おうとすれば、他団体のタイトルを持つ王者と闘うのは当たり前の事であり、出来なければ最強王者とか絶対王者などと名乗るべきではない。

 重要なのは『いつ・何処で・誰に』勝ったのか?――その点に尽きる。
 
 現代ボクシング界において、上記のような価値を世界へ端的に示すことのできる象徴的な場所が、アメリカ、それもラスベガスである(欧州にはドイツなどといったまた別のセンターがあり、アジアなら、いずれマカオもそういった場所になるかもしれない)。メイウェザーvsパッキャオもラスベガスで行われた。長谷川、内山、山中達も「アメリカ、ラスベガスで試合がしたい」と公言していた。注目される大舞台で、名の知れたチャンピオンと戦いたいというのはボクサーとして当然の事だろう。

 しかし長谷川は予てからの希望であったアメリカ進出を果たせぬままキャリアを終え、内山も、コラレス戦の敗北で道が遠のいた。未だ無敗で防衛中の山中はどうだろうか?アメリカ進出を口にしていたが、とりあえず据え置きという形だろう。苦戦が続いた状況では、それを気軽に口に出す事は難しくなっているのではないだろうか(誤解の無いように付け加えておくが、私に三人を批判したいという気持ちは全くない。彼等は皆優秀なボクサーであり、日本が誇るべき世界チャンピオンだ)。

 他にも日本人ボクサーの多くがアメリカ進出を口にしているが、近年現役の日本人世界チャンピオンでそれを本当の意味で達成したのは、アメリカで複数のノンタイトル戦を行い、更にジョニー・ゴンサレス、ラファエル・マルケス、ノニト・ドネアとのタイトルマッチを行った(ゴンサレスとの試合はメキシコだが)西岡利晃、そしてフィリピンで獲得し、アメリカで防衛戦、統一戦まで行ったバンタム級の亀田和毅の二名だけであろう。西岡も亀田家の最終兵器も、アメリカ進出はかなり計画的だったと思われる。それ以外にも、元WBAスーパーウェルター級の暫定チャンピオン石田順祐、そしてこれはマイナータイトルになるが、WBFでクルーザー級タイトルを獲得した西島洋介などが渡米を果たしている。
 彼等の飽くなきチャレンジ精神は賞賛に値するものと思う。

 西岡、亀田和毅、石田、西島を挙げたが、このうち『ジム制度』の枠内で収まりながらもアメリカ進出を果たしたのは西岡のみである。また、西岡の所属する帝拳ジム代表本田明彦氏は世界的プロモーターである。現在も亀海がアメリカで活動しているし、元世界ランカーで現在トレーナーの葛西雄一氏もアメリカとベネズエラで活動していた。これはやはり帝拳ジムが例外的なジムだというのがその理由として言えそうだ。
 石田はJBCに引退届を出してアメリカに渡った(その後日本に復帰)し、西島は絶縁状態でジムを振り切ってアメリカに渡った。亀田和毅は、デビューまでの経緯も含めて、望んだかどうかはともかく、『ジム制度』とはほぼ関係のない選手だ。アマチュア時代からメキシコだったし、プロデビューもそうだ(アメリカとメキシコはボクシングにおいても『地続き』だ)。

 日本では、世界チャンピオンでさえ、中々望むような方向を獲得出来ていない。それはジム制度の問題と密接に関係しているように思える。

ボクサーはアメリカを目指す。ではジムは?

 『ジム制度』とは、「プロモーターやマネージャーなどを丸抱えし、プロボクサーの全権を握る日本的なジム経営システム」の事である。ボクシングジム会長が選手のマネージャーでありプロモーターである(そして多くの場合トレーナーでもある)、という点には様々な問題があり、それを批判的に【ボクシングを打ち倒す者】の本編で扱った。

 さて、ここで内山にもラスベガスで防衛戦を行うチャンスがあったのだというは話を紹介したい。つい先ごろの4月、ラスベガスのMGMグランドで行われたあのマニー・パッキャオの引退試合の前座試合で、前WBA世界フェザー級王者であるニコラス・ウォータースと対戦するチャンスがあったというのだ。結果としてこの試合は実現しなかったわけだが、当時ワタナベジムの渡辺会長は、(ラスベガスでのパッキャオの前座は)「後援会がチケットを取れなくなってしまう」という理由で及び腰だったようだ。(参照:東スポWEB→http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/othersports/494784/)

 渡辺会長の気持ちは、日本のジム会長なら恐らく誰もが共感する事だろう。業界関係者から見れば「赤字経営のボクシングジムが育成段階においてこれまでチケットを買って貰った後援会を裏切れる筈がない」という当たり前の筋論と聞こえるに違いない。
 また同時に、ワタナベジムにとって内山がラスベガスに行って強豪と戦うという選択は極めてリスクが高い。多少内山のファイトマネーが上昇し、そこから30%程度のマネージメント料などを受け取れるとしても、日本で興行をし、後援会などの伝手を利用してのチケット収入と、テレビの放映権収入を得た中から内山にファイトマネーを支払った方が、恐らく単純な利益としては上なのではないか(内山自身が1000枚のチケットを売るという事がよく言われるが、それが彼のファイトマネーになるわけだ)。
 ならば、許される範囲で弱い相手を選び、防衛戦を重ねた方がより長く商売が出来る。内山のジムメイトであり、同じく世界王者である河野や田口だけではゴールデンタイムでのテレビ放送が難しいという事情も想像出来るだろう。契約社会であるアメリカで活動する海千山千のプロモーターたちとのシビアな交渉など、諸々の労力を負担する必要もない。いつもの慣れた商売をやれば良いだけだ。

 そうしたジム側の『当たり前』の判断は、予てからの内山のアメリカ進出、強い選手と戦いたい、大きなファイトマネーを得たいという希望とは反するし、私も含めたボクシングファンの期待にも応えてくれない。ジム経営という現実的な問題の中では、そんな『わがまま』には目を瞑るべきなのだろうか?
 現状のままなら、或いはそうかもしれない。

 しかし、これが例えばジム制度からプロモーターが独立していたとしたら、どうだろうか?
 ジム制度からのプロモーター機能の独立についは、本編でも論じていた私の予てからの持論である。本編では主に、全権を持つジムが選手の権利を一切合切握るという権利問題に焦点を当てた。しかしここでは、プロモーターの本来の機能に注目したい。
 プロモーターの本来の機能とは、ファンが望む試合を作る事にある。しかし現在のジム制度では、世界タイトルさえとれば弱い相手と防衛を重ねていてもテレビが付いてくれるので問題は無い(この点は上記した通りだ)。
 そしてそれをジム側から見れば、ジムは会場収入やテレビ放映権収入を独占的に得る事が出来ず、選手のファイトマネーから収入を得るしかなくなるだろう。高額のファイトマネーを得る事の出来る可能性がより高い大きな試合を目指す筈だし、弱い相手を選んで防衛回数を重ねる事も難しくなる筈だ。
 テレビはプロモーターと契約、或いは一試合毎に放映権を購入する事になるだろう。そこには通常の市場原理が働く事が期待出来る(テレビとジムの関係を断ち切る事が出来る)。

 独立的プロモーターが自由に動ければ国内限定のシーンも活発になると考えられるし、海外のビッグファイトで大金を稼ごうという選手、ジム、マネージャーが増える事も予想される。日本のプロモーターがアメリカのプロモーターと組み、ラスベガスで興行を行う事も、可能性としては有り得るのではないだろうか?

 ワタナベジムの例を出したが、私はワタナベジムを批判したいのではない。日本ボクシング界の構造を批判している。現在の日本ボクシング界のビジネスは、かつてよりも鎖国状態にあると言えるだろう。王者にある程度の力があり、ジムに力があれば、その箱庭では比較的容易に防衛記録を伸ばす事が可能で、日本の記者クラブ体質のメディアから、あるべき批判を受けずに実質以上の評価を受けることも出来るだろう。しかしそれは世界のスポーツジャーナリズム、ボクシングビジネスにおいて、辺境の中の出来事でしかない。

 タイで地元の王者がWBF王座を何回防衛しようが、それに興味を抱く日本人がどれだけいるだろうか?
 野球もサッカーも、国内戦より国際戦がより求められている。より強い者と、より高いレベルで闘おうとする事にファンは意義を認める筈だ。
 しかし、日本で待っているだけでは、例え対立王者と言えども一級品は中々やって来ない。
 数年前、現在の軽量級でもっとも高い評価を得ているローマン・ゴンサレスが大橋ジムの八重樫東へ挑戦する為に来日したが、これは例外的だ。まず、ゴンサレスが挑戦者であったという事が一点、かれのプロモートに帝拳ジムも関わっている(かつてミニマム級タイトルを獲得した新井田戦など、複数試合を日本でこなしている)というのがもう一点、さらに、ゴンサレスが現在程アメリカで評価されていなかったという三つの点が理由としては考えられる。
 親日家のドネアも、日本には来なかった。理由はアメリカで稼げるボクサーだったからだ。
 だから西岡はアメリカで実績を作り、試合をするにもアメリカへ出向く必要があったのだ。

 対戦競技における評価とは、何処までいっても相対的なものである。最初の世界タイトルを獲得した当初のマイク・タイソンは『史上最強』と言われた。しかし現在、専門家でタイソンをそう呼ぶ者は殆ど居ないだろう。誰と闘い、どのような内容で勝ったのか、或いは負けたのかという点を無視して評価は下せない。

 繰り返しになるが、『いつ・何処で・誰と』戦ったのか?
 重要なのは、いつの時代もその点である。
 
 ファンも大いに声を上げて欲しい。
 そうれば、日本ボクシング界の支配者達も重い腰を上げるかもしれない。

日本ボクシングの目指すべき道

 【ボクシングを打ち倒す者】本編では、ジム制度において、ジムは時に選手の権利を奪うものだと論じた。歪んだ移籍制度などはその最たるものだ。しかし、選手を雁字搦めにして権利を奪うという制度は、同時に彼等を守るものでもある。

 強い相手と戦う為にアメリカに行きたい、そういう希望を持とうとも、リスクが高くて収入も望めないアメリカ進出に賛成し、投資しようというジム会長は少ないだろう。選手はお世話になったジムに逆らってまで、不利な移籍を目論みはしない。プロボクシングのような明日をも知れぬ世界で生きて行こうとするからこそ、長く安定した収入を望むのは当然の事だ。そしてその時、ボクサーは安住の地に居座る。

 しかしながら、例えそうであっても日本ボクシング界は、真に優れたボクサーには、例えばメジャーを目指す野球選手のように、欧州を目指すサッカー選手のように、アメリカで活動したいボクサーには、それが可能な土壌を作り、道を示すべきではないだろうか。しかも、ボクシングはサッカーや野球のような特定の地域を行動主体にしたフランチャイズ制度ではない。本来、海外を拠点として試合をするにしても、ジム移籍やJBC離脱等は必ずしも必要ではないだろう。ジム移籍をせず、日本をホームにしたままでもアメリカで名前を売る事は出来る。

 例えば、世界チャンピオンやランカークラスであれば、ラスベガス等で行われる近接階級の試合に赴き、そこで取材を受けたり、試合の合間などにリングアナウンサーのコールを受ける事もそれ程難しい事ではないだろう。ラスベガスでは、ビッグファイトだけでなく比較的小規模のタイトルマッチ、ノンタイトルマッチも数多く行われるのだから。

 勿論、このようなアクションはラスベガスでなくとも出来るし、本来はアメリカである必要もない。そこにボクシングがあり、世界へと通じている所であれば良い。開かれた場所で少しずつ名前を売り、メディアに露出する機会を作る。それだけでも世界の熱心なファンに顔位は覚えて貰えるかもしれないし、マネージャーは現地のプロモーターなどの関係者とコンタクトする機会が増える。ノンタイトルや、比較的楽な相手と防衛戦をセットすること、勿論トレーニングを行って現地で売り込む事もできる。

 もしかしたら、私がここで語っている事は、業界関係者にしてみれば、現実を知らない部外者の夢物語のように聞こえるのかもしれない。確かに、特にアメリカでは安く買い叩かれる軽量級では中々実現も難しいだろう。
 
 しかし、私がボクシングを見始めた当初、辰吉丈一郎、鬼塚勝也といった超有望な若手が、心身をすり減らしてやっと獲得し、防衛もままならないのが世界タイトルであった。超絶テクニシャンの川島郭志でさえ六度の防衛で終わり、坂本博之ではどうしても獲得出来ないのが世界タイトルであった。もう、そのような時代はとうの昔に過ぎ去っている。それは内山の同僚チャンプ二人の試合を観てみれば明らかだろう。世界タイトルの権威が下がっているのは疑いようのない事実なのだ。

 2013年4月1日以前、日本ではWBAとWBCの二団体しか認められていなかった。理由としては、「世界王者の乱立を防ぐ為」という恐ろしく馬鹿げたものだった。リディック・ボウは、早くも1992年に自身の持つWBCのチャンピオンベルトをゴミ箱に捨てたというのに(※)。



※(以下はWikipedia日本語版『リディック・ボウ』から引用→1992年11月13日、世界初挑戦。WBA・WBC・IBF統一世界ヘビー級王者イベンダー・ホリフィールドに挑み、12回判定勝ち。32戦目にして無敗の世界王者に輝く。その後、WBCから指名試合としてソウル五輪の決勝で敗れたルイスとの対戦を義務付けられたが、それを拒否。記者会見の場でWBCのチャンピオンベルトをゴミ箱に捨てるパフォーマンスを行った。これを受け、WBCは12月14日付でボウから王座を剥奪しルイスを新王者に認定した。その後、ボウはWBA・IBF王者として2度の防衛に成功。)
 

 先にも書いたように、WBCでは1993年以降暫定王座が頻発した。更にWBAは2001年にスーパー王座を創設し、WBCは、2004年にはグラシアノ・ロッシジャーニのタイトルを不当に剥奪した事から一度破産した(WBCはこの一件後、急速に迷走を深める)。
 それに考えてみれば、世界タイトルをアクセサリーのようにコレクションしたのは、何もメイウェザーやパッキャオが初めてというわけではない。

 日本のボクシング界は、とうの昔に失われていた権威を、ありもしないものを大事に守ろうとしていたのだ。これを『ガラパゴス化』と言わずして何と呼べば良いのだろうか。
 
 人は「騙されていた」と感じた時、一気に離れていくものだ。基本的な事実関係が知れるにつれて、一般のスポーツファンはボクシングから離れていくだろう。長谷川、内山、山中のような過剰な報道、実況・解説は、他のスポーツと比較しても明らかに極端と言えるだろう。ボクシング報道における慣習として親しんでいるとは言っても、いつまでも騙しとおせるとは私には思えない。

 メディアには是非とも、日本人ボクサー達を正確に捉える為に批判的な目を持って欲しいと思う。そして、彼等が世界の中でどういった位置にあるのかを把握して欲しい。
 正確な評価があり、日本ボクシング界のビジネスがその道を整えたなら、 リスクを冒してでも世界に飛び込もうとするボクサー達は増加し、ファンはそれを応援するに違いない。

井上とゴンサレス

 『ガラパゴス』の日本だが、しかし幸運な事に、現在日本には井上尚弥という『世界』と相対できる才能がいる。そして、井上には(これまた幸運な事に)先にふれたローマン・ゴンサレスという敵役が居る。ゴンサレスは、恐らくキャリアを通して、アメリカで史上最も高く評価された軽量級選手になるだろう。


 井上は、つい先日カルモナとの二度目の防衛戦をクリアした。
 そして同時に、戴冠時や初防衛戦では判断できなかった、ライトフライ級時代からの課題をクリアしていない事も露呈した。


 メディアには、どうかこの俊才を正確に評価する事を心掛けてほしい。そして業界や陣営は彼を育て、ゴンサレスまでの道を準備して欲しい。
 井上は、体格やパワーの面では井上はゴンサレスに優るとみられているし、実際にそうだろう。しかもゴンザレスは現在のフライ級が体格的には上限のようにも思える。スーパーフライ級で戦えるのなら、井上勝利の可能性はそれ程低くはないだろう。
 とは言え、技術・戦術、スタイルの面からするとゴンサレスまでは遥か遠い。

 時代は変わった。
 日本ボクシング界にも、世界の中での新しい在り方がある筈だ。
 井上と陣営には是非ともその「在り方」を示して欲しい。
 日本ボクシング界の目指すべき道を示して欲しい。 

 これまでの私の議論や提案には、少なからず乱暴な点もあることは自覚している。とは言え、日本ボクシング界は、制度を、そして金の流れを変化させなければならないという点においては確信がある。
 日本ボクシング界は、その構造を改めるべき時に来ている。