【ブータンのあとで】ブータンについて---26(完)から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)
2014年のブータン訪問から、一年半が経とうとしていた。4月の上旬、私はまたカリフォルニアから飛行機に乗って、ブータンへ向かっていた。
二匹目のドジョウを狙うのは愚かなことで、そんなことはしないように日頃から気をつけている。だからブータンでの日々を懐かしく思い出すことはあっても、再訪については慎重に考えていた。でもいつか、また行きたいという気持ちと、再訪するのはばかげているという二つの考えのあいだを、行ったり来たりするのに疲れてしまった。
迷っていることに疲れるくらいだったら、「もう一度行く」ということにしてしまったほうがいい。
昨年の初夏、そんな結論に辿りついた。
前回の訪問時に私のドライバーを務めたネテンは、資格を取って自分でツアーオペレーターの事業を始めた。ドライバーの仕事を続けながらのいわば『アルバイト』で、サービスも仕事の段取りも大手のオペレーターと比べることはできないだろうなとは感じていた。
でも、ブータンを再訪するならネテンにも会いたいし、それなら彼に旅行のアレンジを頼んだほうが喜んでもらえるだろう。また、事業を始めたばかりの彼を、経済的に助けることにもなるだろう。2014年に旅行手続きをしてくれたカルマに手配を頼みたい気持ちは山々だったが、思い切ってネテンに依頼することにした。
予想通り、オペレーターの業務に慣れていないネテンの仕事の段取りはあまりよくなかった。
今回の訪問は旧所名跡の訪問は最小にしてトレッキングをメインにしたが、ネテンから送られてきたトレッキングの旅程は不明な点も多く、前回ガイドをしてくれたジャムソーに頼んで何回も見直しをかけた。トレッキング先はブータン・チベット(中国)国境に沿ってブータンの北西部を歩くラヤ・ガサのコースを希望した。休暇日数を最小限にしたかったのでブータン滞在を最短にするようネテンに頼んだのだが、高地をトレッキングすることになるので高山病対策の時間が必要だというジャムソーの意見で、調整日が2日ほど追加された。そして2月の末、14泊15日の日程が確定し、旅行代金を銀行から送った。
それでもネテンに旅行業務を頼んでよかったのは、個人的なリクエストを気兼ねなく出せることだった。
今回のブータン訪問にはネテン本人がドライバーで参加、ジャムソーは勤めている旅行会社の仕事を休んでガイドしてくれることになった。前回のトレッキングの時に料理を担当してくれたドルジも来てくれることになった。アシスタントで参加していたギレはドライバーの仕事があり来ることができなかったけれど、ドルジの末弟のドルジ・ワンディがアシスタントで参加した。前回訪問時に知り合った、日本に留学経験のあるドクター・チェンガにも会いに行けることになった。
4月10日の早朝、再びバンコクからブータンのパロ国際空港行の飛行機に乗り込んだ。
コルカタ経由のフライトなのでインド人の乗客も多かったが、ブータンを訪問するツーリストが目立つ。飛行機の席で隣り合わせになったのは、ブータンの僧が企画した寺院巡りのツアーに参加するアメリカ人のグループだった。私は瞑想するので話が合わないでもないが、いろいろな人がいろいろな理由でブータンを訪れるものだな、と思った。
彼らは到着翌日にブータン随一の観光名所であるパロ近郊のタクサン僧院を見学しに行くのを、非常に楽しみにしていた。私はネテンから、到着翌日の高地トレーニングを兼ねたハイクの行先に、タクサン僧院を勧められていた。
建築も環境もすばらしいのは疑う余地はないけれど、一度訪れたことがあるし、観光客が多くて落ち着かない場所なので気乗りしなかった。どこかほかの行先を探して、とリクエストを出してあったが、タクサン僧院に行かないことにしておいてよかった、と思った。
フライトの時間はトラブルもなく過ぎた。予定通りの時刻にパロ空港へ到着し、入国審査をすませ、ラゲッジを受け取る。
ゲートから出ると、ジャムソーとネテンが待っていた。
一年半ぶりに再会したけれど、以前より落ち着いて大人びた印象だ。
この一年半の間、二人ともそれぞれ変化があった。ジャムソーは転職した。そしてネテンは、ツアーオペレータの仕事を始め、結婚して父親になった。私よりずっと若いふたりがちょっとだけうらやましかった。一年半、私のほうは年を取ったという変化しかなかった。多分ふたりとも「サツキはちょっと老けたなあ」と思ったことだろう。
でも、再会のときに覚えた印象のギャップはすぐ気にならなくなった。ネテンが運転するSUVに乗り込み出発すると、まるで一年半前の旅の続きをしているみたいだった。私たちはお互いに、再び会えたことを喜び合った。
パロの平原を見下ろす山の中腹にあるホテルでチェックインをすませて、パロの町へ出かけた。まず昼食だ。私たちはビルの2階にあるレストランに入り、3人でテーブルに着いた。
前回の訪問の時、ガイド・ドライバーとツーリストは別々に食事するのが普通だということを知った。だからこの時も、ジャムソーとネテンはレストランのキッチンで食事して、私は一人で食べるのかなと思っていた。でもこのときはそうじゃなく、ふたりとも私の友だちみたいな顔して同じテーブルに座り、3人で一緒に食べた。
意外だったけど、たぶんこれは、ネテンがツアーオペレーターをしているからじゃないだろうか。推測だけれど、ガイドやドライバーがツーリストと一緒に食事しないのは、休憩時間を確保するという以外に経費上の問題があるのだ。ツアーオペレーターが普通の旅行会社なら、その会社の規則に従って行動しないといけないだろう。しかし今回のように顔見知りの個人がツアーオペレータなら、オペレーター本人が了解すれば経費や行動の融通は利くのかもしれない。
食事の席で、持参したギフトを彼らに渡した。ネテンもジャムソーもくつろいで楽しそうだった。気づいていなかったけど、これも顔見知りにツアーオペレーターを頼む利点だなと思った。
私たちがレストランに入った時にはまだ食事客はいなかったけれど、すぐにツーリストの団体が二組入ってきた。ひとつはシンガポールから来たという10人ほどのグループ。そしてもうひとつは、飛行機で乗り合わせた寺院巡りのアメリカ人のグループだった。
さっき空港で別れたばかりの彼らにあいさつすると、彼らの旅行を企画したブータンの僧を紹介された。オレンジ色の衣をまとったその僧がくれた名刺には、米国の活動拠点の住所が印刷されていた。ブータンの寺院に僧籍もあるのかもしれないけれど、独自に布教活動をしているという印象だ。
名刺には、スピリチュアルアドバイザー、という肩書がついていた。
胡散臭いと思わないでもなかったが、信仰や信念に対する自由な発想は見習ってもいいのかもしれない。
食事をすませたあとは、小さなパロの町を散策することにした。
トレッキング終了後の滞在日程は短く、買い物をするならこの日しか機会がない。
到着早々で気の早い話だが、土産物の買い物をすませた。
それからもうひとつ、ブータンで買いたいと思っていたものがあった。お線香だ。前回の訪問時もお線香を買ったけれど、無理のない香りで気に入っている。ブータン以外の場所で買えるとは思えないので、今回はたくさん買って帰ろうと思っていた。日程にお線香ショッピングを入れるようネテンにリクエストを出しておいたけれど、私がトレッキングしている間に買っておくから心配しないで、と言われた。それじゃお金は払うから買っておいてねと頼んだけれど、お金はいらない、自分の家族からのプレゼントだという。ネテンには赤ちゃんギフトを渡したので、そのお礼ということなのだろうか。
ブータンの人は基本的に人なつこい。2014年に18日間滞在して、帰国後も連絡を取り合うような知人が何人かできた。今回はそれぞれギフトを用意したのだが、休暇で出かけるというより一時帰国みたいだなと思ったものだった。
私は、こんなふうに、ブータンの泥沼にはまってしまうのだろうか?
帰り道、彼らがダムツェのお堂へ連れて行ってくれた。これはお寺というより町はずれに建てられた仏塔のような建物で、3階建ての塔の内壁には華やかな仏画が描かれている。15世紀に描かれた壁画を少しずつ修復・加筆しながら今日に至ったそうだけど、現代的でコミカルな表現の部分もあって、見ていて飽きない。壁画を保護するため内部の照明はほとんどなくて、建物の中は真っ暗だ。史跡の見学というよりお化け屋敷のアトラクションみたいだったが、はしごで真っ暗な塔の最上階まで上がり見学した。
置かれている小石は、ずいぶん多かった。100個くらいあるかもしれない。いったい何周くらい回るのだろう。歩いている人たちはいずれも高齢で、いくら壮健でもお堂の周りの溝やでこぼこの多い場所を100周歩くなんて無理としか思えなかった。ジャムソーに通訳してもらって、歩いているおじいさんに聞いてみた。一日に、何周くらい歩くのですか?
通訳を介して、おじいさんは言った。
一周するたびに石を動かしているけれど、何周するかは問題ではない。大切なのは、歩こうと思う気持ちと行為だから。
数字で測れる成果に、意味はないのだ。今日は何周歩いたと、喜ぶ必要もないのだ。無学に見える田舎の老人が、大切なのは気持ちと行為なのだと自覚して歩いていることに、心を打たれた。
この日の夜はパロ近郊にある、チェンガ氏が運営する地産地消型の自然農法の農場へ再訪し、前回の訪問と同じようにストーンバスと夕食を楽しんだ。
こういうお風呂は、日本にもあるのだろうか?
木で作った湯船の一部が板で仕切られていて、その部分は建物の外に出ている。その仕切られた部分にたき火で熱く熱した石を入れて、湯船に入れた水を温める。建物の内側、湯船の人間が入る部分には、湯の中にヨモギのような薬草がたくさん入っていて、よい匂いだった。お湯がぬるくなってきたら、建物の外にいる係の人に「石を入れて」と頼むと、たき火から熱々の石を大きなやっとこでつまみあげて、湯船の建物の外の部分に入れてくれる。
7日の夜に自宅を出て、ロサンゼルス‐台北‐バンコク‐パロと飛行機を乗り継いで、ブータンに到着したのは10日の昼前だ。その長旅の疲れを、ストーンバスでいやした。
お風呂のあとは、チェンガ氏の妻が用意したという料理で夕食になった。農場で収穫した野菜や山菜を使った料理が何種類もあり、おいしかった。食後はチェンガ氏や彼の奥さんとおしゃべりして過ごし、気持ちよく疲れてホテルに戻った。
遠くまで来た、というふうには感じなかった。
どちらかと言えば、懐かしい人に会えたという安堵の気持ちが強かった。
知人のいないバンコクで過ごした後では、それがことさら心地よく感じられた。
【チェレラの峠】ブータンについて---28へ続く