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サイコロの展開図が和服を着ているヒトに見えて、授業から夢想の世界に旅立ったのが千九百七十年代、私が小学生のころのことです。そのこども魂が部屋の扉を三回ノックしたのは新世紀に入ってから。もういい大人になっていました。

神はサイコロを振らない、とアインシュタインは言ったそうです。

なぜなら……
神がサイコロだから。
そんな無茶なことを思いつきました。
 


権藤武彦個展『サイコロマン "孤独の群衆" 』
 
期間:2016年4月30日(土)ー5月5日(こどもの日)AM11:00~PM7:00(最終日 PM 5:00まで)
会場:自由が丘 もみの木画廊
アクセス:東京都世田谷区奥沢 6-33-14 もみの木ビル 201 東急東横線 自由が丘駅 下車徒歩4分、東急大井町線 自由が丘駅 下車徒歩4分、TEL.03-3705-6511、E-mail : mominoki@sr.catv.ne.jp

※ 紙製立体作品の空間設置、電子画像出力作品、5/2以外の午後より作者在廊、随時、実演遊戯あり


サイコロは骰子、賽子と漢字で書きます。前者は骨があるので、昔は動物の骨を使っていたのかなあ。後者は賽の河原と関係があるのか。そこでネット検索。地蔵=賽の神(道祖神)という説を発見。
 
英語になるとDICE。これは複数形で単数ではDIE。むむむ。ここでは「死」が出てきました。尤もサイコロは二つ以上で遊ぶので単数で使われることはほとんどなく、1個のばあいはone of diceと使うのが一般的。まあ、このあたりのことは、図書館でじっくり調べていきたいです。
 
そう思っていたとき古本屋で見つけたのが……
 
増川 宏一 法政大学出版局 1992-07

冒頭に古代インドの『マハーバーラタ』が挙げられ、さいころ賭博は罪悪というより教養のひとつと語られています。
人類の祖先は自分たちの思いもよらない物事を神の意志と捉えて、なんとかその兆しを知ろうとしました。

インドだけでなくチベット、アフリカ、ネイティブアメリカ、神の意志を知る道具としてさいころが使われていたという紹介が続きます。初期のサイコロにはヒツジやヤギのくるぶしの骨が使われていました。

さいころ=神様、というのは朝鮮では四世紀以来の三国、新羅、高麗、李朝を通じて賽神信仰が続いていました。そのお祭りでは大々的に賭博が行われていたといいます。ここでも、たまたま偶然を神の意志の顕れと受け止められていたのです。

日本でも、さいころは霊力があるものとされ「賽には禍を払う力がある」(卯花円漫碌)という伝承がありました。神体として祀る風習は、和船の祝い事で、帆柱の根元に船の神としてサイコロを納めたそうです。また宮中では安産の儀式として使われていたとか。なぜ?については言及されておらず、そもそも日本にいつ伝わったかについても謎は多いようです。
 
サイコロを十字に開いてサイコロマン。

サイコロの展開図を和服を着た人物に見立てて、吊るしてみる。あるいは親指大の大きさのものを作成して、カメラのレンズの前にかざす。今回はアクリル板に配置、つまり小型のジオラマを使って、遠近法ごまかしの術を使って、渋谷の交差点を行進させてみました。
 
こうした過程で作成したデジタル写真の展覧会を行います。

デイヴィッド・リースマンの「孤独な群衆」という書物名から、「な」ではなく「の」だよね、と「孤独の群衆」とタイトルをつけました。
 
同じ顔したサイコロたちは同調圧力なのか付和雷同なのか。

ンな難しいことを考えながら創作していると、作品は自律的に転がりだす。いえ、サイコロマンは転がらずにふわりと横切るだけです。作者はここではただの観察者に過ぎません。
 
子供だましに宿るはこども魂。

ゲームがなくてもひとりで遊べていた幼少時代の夢想。にぎやかな孤独を謳歌することを今一度思い出されたい。

散歩のついでにどうぞ。

寄稿者プロフィール:権藤 武彦

美術作家、会社員。過去には擬態美術協会などで活動を展開。"サイコロマン"は昨年に行った六本木STRIPED HOUSE GALLERYの個展でも公開している。FB→https://www.facebook.com/toakehiko.guondo