ぼくは2015年から、主にスマートフォン(iPhone5s)で、GooglePlayMusicのサービスを利用し始めた。厳密に言うと、2015年の9月3日から使い始めている。1か月の無料期間を経て、定期購入料780円をグーグル社に毎月支払っている。
わが国でも展開されているいくつかの、いわゆるサブスクリプション型の音楽サービスのうち、なぜGooglePlayMusicを利用することにしたのかには、つぎのとおり、大きく3つの理由がある。
わが国でも展開されているいくつかの、いわゆるサブスクリプション型の音楽サービスのうち、なぜGooglePlayMusicを利用することにしたのかには、つぎのとおり、大きく3つの理由がある。
* 1つ目は、スマートフォン内にある既存の音楽データが保護されること *
2015年の無料期間中は、GooglePlayMusicだけでなく、AppleMusicやAWA、LINE MUSICも併用していた。AppleMusicはユーザインターフェイスのデザインがまず気に入った。いろいろ考えず、直感的に操作できるのだ。しかし、ウェブでAppleMusicにある問題点の有無を検索した。すると、もともとスマートフォン内に、正規品(CD)をPCでリッピングし、格納していたデータが、Appleのサーバと通信することによって、自動的に削除され、曲目リストが勝手に虫食い状態になるという恐ろしい話が流れていたので、AppleMusicを使うのは止めにした。
まだまだ不完全な走り始めたばかりのサブスクリプション型音楽サービスではあるが、20年来の音楽ファンとしては、自分が大好きでわざわざリッピングしたCDの音源が、いかなる理由であれスマートフォンから勝手に削除されてしまってはたまらないのである。
まだまだ不完全な走り始めたばかりのサブスクリプション型音楽サービスではあるが、20年来の音楽ファンとしては、自分が大好きでわざわざリッピングしたCDの音源が、いかなる理由であれスマートフォンから勝手に削除されてしまってはたまらないのである。
* 2つ目は、自分がリッピングしてきた既存のデータを利用できること *
GooglePlayMusicには他社のサービスと異なり、マイライブラリという機能がある。これはPCなどからGoogleの領域(クラウドロッカーと呼ばれている)に音楽データをコピーして、それをライブラリーとしてGooglePlayMusicでも使えるというものだ。はっきり言えば、これはまだサブスクリプション型のサービスが顧客満足を完璧に満たせないから、ユーザ本人の既存データも使えるようにするというもので、過渡期的なサービスであることは否めない。
しかし、完璧に満たせないサービスの補完を試みようとするグーグル社の姿勢は音楽ファンとしては大きく評価できるのだ。
* 3つ目は、月額の使用料が安いこと *
昨年(2015年)段階の記事だが、以下の一覧が参考になる。
BLOG / BILLIONPLAN JAPAN:いまが旬!国内の定額制音楽配信サービスをまとめて比較。
キャンペーン中に利用登録したので、GooglePlayMusicが月額780円で使えているのである。この程度の支出なら、これから発展可能性のあるサービスに費やすのも気楽に済む。
では、ふだんぼくがどの様にGooglePlayMusicを使っているかということについて書いてみよう。GooglePlayMusicはGoogleアカウントに紐付くサービスであるために、PC/スマートフォンどちらからでもそのサービスにアクセスできる。しかし、世の趨勢に倣ってというか、利便性の奴隷になったからというか、ぼくがこのサービスにアクセスするのはもっぱらスマートフォンからである。
スマートフォンにはむろんFacebookやTwitterのアプリがインストールされているので、これらのSNSにおいて、様々な音楽情報を収集することができる。そこで知った固有名詞を次々にGooglePlayMusic内の検索窓に入れてみると、思った以上にいろいろな音楽に触れることができる。アメリカのジャズは好きだが、今までポーランド・ジャズは聴かなかった。しかし、今やすぐに検索して聴くことができ便利である(むろんそれが気に入るかどうかは別だが)。
音楽書片手に聴いたことのないアーティスト名やアルバム/タイトルを次々に検索することもできるが、意外とこれはやらないものだ。スマートフォン内ですべての動作が完結するように振る舞うことが、ぼくの場合多いようである。
言うまでもないが、ラジオもスマートフォンで聴ける時代だ。民放各局を聴くにはradiko、NHKを聴くにはらじる★らじるのアプリを入れれば良い。もちろんこれらもGooglePlayMusicをインストールしているのと同じスマートフォンで使用しているので、音楽鑑賞する行為のほとんどが、スマートフォン1台で完結してしまう傾向が増えてきた。
ぼくは去年の9月から、実家に住んでいる。それで家族と音楽の話をする機会もすこし増えたのだが、先日父が自分の使っているCDラジカセの調子が悪いからと、ぼくの部屋にあったCDラジカセを持って行ってしまい、すでに1週間ほどが経過した。しかし、別にCDラジカセが部屋に無いからといって、自分の音楽生活にはとくに差し支えがない。
これはぼくが利便性を重視し、音楽が再生されるクオリティに対してはあまり神経質ではないことが大いに影響しているといえる。オーディオを重視する音楽愛好家たちからは、安物のCDラジカセで再生される音質とスマートフォンで再生される音質、どちらも低質と思われるかもしれないが、経済的に豊かではないので、この音質でいいかな、と妥協している次第である。
もちろん"素晴らしい音質"がデジタルデータを再生する時代になっても追求され続けていることは知っているが、その営みが果てしなく、端的に言えば終わりが無いことも分かっているので、そこにお金を落としていこうという積極的な動機付けがとてもしにくいのである。というわけで、ぼくは概ねGooglePlayMusicが提供するサービスについては気に入っているようだ。
機会があればまた何か書いてみたいと思う。それではさようなら。
(おわり)
(編集・構成:東間 嶺)