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2014年につくった「(500)日のサマー」論の小冊子(写真中央)。モランディ小論は現在印刷中。


小冊子をつくりました。5月1日の第22回文学フリマに出品します。

【概要】
第22回文学フリマ東京 2016年5月1日(日)
サークル名:西荻西口(ニシオギノニシグチ)
ブース:タ-21

西荻西口は「現場」研究会のメンバーが文フリ用に突貫的に立ち上げたグループ。今回は、アート・プロジェクト「泥沼コミュニティ」でも活躍中の沼下桂子さんと私の2名が出品予定です。

私の出品予定作は以下の2点。
 

  • ジョルジョ・モランディの「見えるもの」と「見えないもの」 B6判、8p、2016年
  • 「恋愛映画」は誰のためにあるのか――「(500)日のサマー」における「真実」と「言葉」 B6判、16p、2014年


各50円(予定)です。

「見えるもの~」の方は、モランディ作品の可視/不可視をめぐる造形的操作について考えた短いテキストです。もろにメルロ=ポンティを彷彿とさせるタイトルですが、本文中ではまったく引用していません。文字数は4000字程度。
これだけだとあまりに味気ないので、過去に製作して半ば死蔵しつつある小冊子も放出します。「恋愛映画~」では、ロラン・バルトの『恋愛のディスクール・断章』を念頭に置きながら映画「(500)日のサマー」を分析しました。こちらは7000字程度です。

『恋愛のディスクール・断章』のエピグラフには、“かくて 恋せし者の 語りていわく”とあります。今回の出品作2点はどちらも思考の断片をどうにかまとめたテキストで、アウトプットの形態も非常に簡易なものとなりましたが、思いもかけないどこかの誰かに触れて、あるテキストの書き出し、ある行動への走り出し、ひいてはある恋のはじまりに接続するようなことが起これば…と思います。

皆様、どうぞよろしくお願い致します。