持ち込みのハイボールを飲みながらウルフルズの『ええねん』を歌っていて、ふと昔テレビで見た音楽番組のあるシーンを思い出していた。出演者のミスチル・桜井和寿は、直前にウルフルズのトータス松本が歌った『ええねん』の感想を、絞り出すように司会のタモリにこう漏らしたのだ。

「『ええねん』を聞いていると、自分はなんでこんなに小難しく歌詞をこねくりまわして作ってるんだろうと思えてくる」
 
 細かい言い回しは違うかもしれないが、桜井が自嘲的にそう語っていたのをよく覚えている。

  ……因みに、この『ええねん』とは、様々な悩み・問題を並列的に配置して、必殺ワードの「ええねん」の連発で全てを笑い飛ばしてしまおうという実に爽快な歌である。
 

 『ええねん』を歌い終わってから、対面に座る姉(ここ一、二年位、五つ上の姉とたまにカラオケに行っている)に「人生も歌の通りだよねえ。何か色々考え過ぎてさ。中々シンプルには考えられない」と言うと、姉は「そうねえ」と笑って応えた。

 よく言われるように、歌というのは過去の記憶を喚起する力があるようだ。とは言っても、『ええねん』で直接的に喚起された記憶は桜井とタモリのやり取りだけだった。ただ、桜井の反省染みた言葉には「物事を色々と小難しく考え過ぎてしまう」人間である自分の過去を振り返らせるものがあった。


…10年、……10年、………10年。


 僕は元プロボクサーで、海外で十年間キャリアを積んだ。

 なぜ日本ではなく海外で活動する道を選んだのかというと、プロテストを受験しようという18歳の時、事前検診の頭部CTスキャンで「脳を支える神経が弱い」という事で引っかかり、国内でのプロ活動の道が閉ざされたからだった。
 当時は絶望的な気分だったが、早くもその二か月後には「ルールの違うアメリカに行けば良いんだ!」と思い付いた。

 CTの結果ではダメージに弱いという事だから、「死ぬんじゃないか」と怖い気はしたが、最終的には「死んだら死んだで仕方がない!」と決断した。

 それらは「どうしてもボクシングがやりたい!」から導き出されたごくごくシンプルな回答だった。

 一年間資金を溜めて、19歳で渡米した。21歳でメキシコに渡り、その後25歳でタイに、29歳でドイツに渡った。その間、出稼ぎの為に何度も帰国した事もあり、キャリアとしてはたったの12戦しか積むことが出来なかった。しかも負け越したのだからその程度のボクサーだったわけだが、各地を渡り歩いたのも不甲斐ない戦績も、自分なりに色々と考え抜いて全力を尽くした結果だったと理解している。
 勿論様々な反省点はあるが、その結果得たものも少なくない(と思いたい)。

 カラオケに行く前に初詣(と言うのが憚られる程の時期だが)に行って、それ程乗り気では無かったがカラオケボックスで歌って、歌う事自体好きだからやっぱり気分がよくなって(アルコールのせいもあるだろう)、更に『ええねん』を歌って大いに昂るものがあった。

 そして、これは今となっては僕の〝鉄板〟だが、渡辺美里の『10years』も歌った。
                   

――10年。

 ラスベガスでプロデビューしたのが20歳の時で、ドイツのハンブルグでの試合に敗れて引退を決意したのが30歳の時だった。

―――10年。
 引退後は物書きになりたいと考え、色々考えて大学の通信課程に入学し、七年掛かって卒業した時には40歳になっていた。

――――10年。
 これからの十年を僕はどうやって過ごすのだろうか。  

 腹が減ったのでソーセージとフライドポテトのセットを頼み、ポテト用にケチャップに加えてマヨネーズを持って来て貰った。これはドイツ人の食べ方だ。ケチャップだけを付けるよりも、マヨネーズと両方を付けた方が美味い。

 そして中島美嘉 『雪の華』を、「これは仲良くしてたあの子がよく歌っていた歌だなあ」と、懐かしく思い出しながら歌った。


 それから、例の騒動のSMAPと、まだ幼い頃に家で飼っていたメリーという犬に『夜空ノムコウ』を捧げた。


 「世間知ら~ずだった~少年時代から~♪」で始まるミスチルの『Everything(it’s you)』を、一風変わった経験をしながらも未だに世間知らずの四十男として歌い上げた。 

 
 一時間延長して、恋愛が上手くいかない事の悲哀を歌ったスキマスイッチの『藍』を、彼女無し結婚歴もない四十男が歌った。 


 「イェ~イイ君を好きでよかった~♪」とウルフルズの『バンザイ』を歌う頃には気持ちは最高潮で、少しばかり涙を流していた(鼻が詰まっていたせいだろう)。


 槇原敬之の『遠く遠く』を歌って遠く遠くに離れてしまった様々な人・物・事を思い出し、


 締めにはやっぱりミスチルの古いヤツで、『シーソーゲーム』と、『終わりなき旅』を歌った。姉は僕のミスチルを聞きたがる(声があってるし、懐かしいらしい)。 



 
 最近、パンチドランカーを題材にした小説を書いている。webで検索すると、ボクサーに限らず、総合格闘技やK-1など、その他の格闘家の症状についても色々と出てくる。それらを読んでいると、(以前から気になっていた事だが)「自分もパンチドランカーになるんじゃないのか?」或いは「もうパンチドランカーじゃないのか?」と気になって仕方がない。

 これはWikipediaの記述からだが、パンチドランカー症状は、ボクシングをはじめてから15年位経ってから発症する事が多いそうだ。15歳でボクシングをはじめて30歳で引退した。丁度15年だ。

 ボクサーとしての最後の一年を過ごしたドイツでの三試合は、結局一つも勝てなかった。衰えはどうしようもなかった。しかし「これで負けたらやめよう」と思っていた試合が思いの他良い内容だったらしく、試合後にはジムメイト達皆に喜ばれ、ケーブルテレビでインタビューも受け、次の日にはアパートの近所で握手を求められた。ベルリンは好きな街だったし、楽しい友人達も居た。

 「もしかしたらまだこの街でボクシングが続けれられるかもしれない」
 そう思った。

 試合のダメージで眼の奥が時折痙攣するように傷んだが、タイミングよく降ってわいた試合のオファーを受けて望みを繋いだ(結局その試合がラストファイトになった)。しかしその試合の前の準備の為のスパーリングでそれまでに無い程に打たれた。
 ジャブやストレートといった真っすぐの軌道で飛んでくるパンチが全く見えなくなり、やがてジャブを軽く打たれただけで頭から腰まで電流が走るように痛むようになった。

 「死ぬかもしれない」と考えると怖かったが、「死んだら死んだで仕方ない!」という気持ちは18歳の頃から変わらなかった。


それから


 ところで、PRIDEなどの総合格闘技、そしてK-1でも活躍したゲーリー・グッドリッジは深刻なパンチドランカー症状に悩まされているという。詳細を伝えている記事【グッドリッジのそれから/『Dropkick』アンコール劇場】によると、46歳当時のグッドリッジは手元のiPhoneに教えて貰わないと一日の予定を覚えている事が出来ないらしく、アルツハイマー罹患者と同じ処方を受けているそうだ。


※グッドリッジのHL。かれの戦績を見るとKO負けだらけなのだが、この動画はまさにグッドリッジのベストシーンだけを集めた労作といえる。


※ 慢性外傷性脳障害(以下CTE)を告白して以後のドキュメンタリー。現在は多少発音に特徴的な部分は見られるものの、普通に会話ができる状態のようだ。

 記事からグッドリッジの症状を抜き出すと、滑舌が悪くなるなどの言語障害、聞き取り障害、記憶障害、バランス感覚の衰え、それに感覚障害……。それぞれの症状の軽重については程度の違いがあるのだろうが、典型的なものの全てが顕れているようだ。

 こうしたグッドリッジの様々な変化の中で、個人的に最も印象的なのは〝性格の変化〟についてだ。彼は母親に酷い言葉を使ってしまった事について「これは自分では無い」と思ったという。

 僕自身について言えば、例えば、吃音が出るとか、すぐに言葉が出てこないという事はある(これらは「パンチドランカーかも」と思ってしまう要因ではある)。それから、面倒な話、興味の無い話などは耳が勝手にシャッターを下ろすという事もある(これは皆そうではないだろうか)。

 他人に吃音や言葉が出てこない事があると言うと、別に気にならない、心配し過ぎと言う人が殆どだし、むしろ淀みなく滑らかに話す人だと思ったと言われる事もある。
 確かに心配し過ぎなのかもしれない。

 では「性格の変化」についてはどうだろうか?
 グッドリッジ自身も、当初は自分の問題について中々理解する事が出来なかったという。紹介した「これは自分ではない」という言葉は、特に性格の変化について認めざるを得ない事を理解した時のものだ。こういった事は確かに(グッドリッジがそうであったように)、通常は中々自覚し難いものではないだろうか。言うまでも無く、人間というのは対面している相手やその場その場の状況で対応を変えるものだ。
 あまりに極端でない場合には、本来ならばそれ程心配する事でもないのだろう。

 引退してから11年が経った。
 随分と時間が経ったが、引退後に発症する例は少なくないようだし、アルコールなどのその他の要因で症状が悪化する事も考えられるだろう。「もしかしたら自分も……」という心配が消える事は無い。
 当然の事だが、定期的に検査をする位に気にした方が良いのだろう。それは分かっていても、「検査をして既に取返しの付かない状態だったらどうしよう」などと考えてしまう。

 残念ながら(というべきか分からないが、もし「心配し過ぎてしまう」という事がパンチドランカー症状による精神障害の顕れならば、それは間違いなく「残念」だ。そういう精神疾患もある)、僕は何か色々な事を散々にこねくり回して考えるタイプの人間のようで、中々「ええねん」では済ます事が出来ないでいる。

 十八歳の「アメリカに行こう!」という決断は酷くシンプルなものだった。
 色々な経験と知識を得た結果として、物事をこねくり回して考える人間になったのかもしれない。


果たして「あれ・それ・これ」は『ええねん』か?


 そもそも歳をとるというのはそういう事なんだろうか?

 これまでの人生でも、本来なら「ええねん」で済ませる事が出来た筈なのに、考えてもどうしようもない事まで考え、時間や労力を無駄にしてしまい、その結果として決断できない事も多くあったのだろう。楽しく歌いながらも、歌に喚起されて少し寂しい思いをするのは、そういった事が多くあった証拠に違いない。
 そもそも個人的な悩み事というのは、他人からみれば取るに足らないものであったり、悩んでも仕方無いと思われるようなものだったりする。だから特段解決の手段を得る事が出来ずとも、他人に話すだけですっきりとするわけだ。

 何から何まで【完璧】というのはまずあり得ない。何処かに必ず問題はあるものだが、まずその中から解決すべき問題とそうでない問題を選り分けた方が良いのだろう。当面解決すべき問題でなければそれはとりあえず横に置いといた方が良い。いっその事忘れるべきものならば忘れてしまった方が良いという場合もあるのだろう。

 とは言えこのように考えを整理してみても、 だからと言ってそれで片が付くと言うものではなく、その選別自体が厄介だ。

 ……いや、ちょっと待てよ。
 その選別に拘って労力を掛け過ぎるという事がまず問題なのであって……。

 そうか、間違いがある事を前提にして、ある程度大雑把に選択していく事こそ「ええねん」の本質なのか。

 『ええねん』は、個人的な悩みをその他の様々な悩み・問題と並列的に配置して相対化する事で、あたかも無問題であるかのように笑い飛ばしてしまおうという歌だ。これまでもきっと、「ええねん」と笑い飛ばして突き進んで居れば、良い方向に転がった事も少なくなかったに違いない。

 考えてみれば「ええねん」は、僕やミスチル・桜井のように、散々にこねくり回して考える人にこそ必要なものに違いない。とりあえずこれからは、考えてもどうしようもない事については「ええねん!」と笑い飛ばして進む事にしたい。