ランプ

その時に、その場所で---3】から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)


12月24日(木) 昼 埼玉県越谷市


物置に保管してあった古い持ち物の整理が終わったので両親の住まいの掃除に取りかかったが、昼食は市内に住んでいる古い友人と食べた。知り合ってから今年で40年になる。背が高くて色白で、目のぱっちりした彼女に、私はあこがれていた。別々の中学校に通ったけど、高校は同じだった。その友だちと、駅の近くのファミリーレストランへ行った。

初めて入ったそのレストランには、ランチのセットがある。質素なメニューで量もそんなに多くないが、普通においしいし値段は魅力的だ。平日の昼だからなのかもしれないが、店内はひとりで食事しているお年寄りや、おとなしい感じの女子高校生のグループが目立った。店員さんたちはその高校生たちよりほんの少し年上の、若い人が多かった。従業員募集の張り紙があり、外国人の方、歓迎します、と書いてある。

こういう時代の日本を、私はよく知らない。


テーブルについて、料理を注文した。そしてお互いの近況について話し始めた。私の方は、久しぶりに滞在する両親の家で掃除に奮闘していることくらいしか話すことはないが、友人の方はずいぶんニュースがあった。夏の初めに長女が出産し、彼女は祖母になった。そしてこの秋には彼女の甥夫婦に子供が生まれて、友人は育児の手伝い、自分の両親の家の掃除その他の手伝い、さらに父方の縁戚関係の介護手続など、やることが山ほどあって、遠方まで出向かなければならないことも多い。これがもし仕事だったら、部下のいない状態で複数のプロジェクトを抱えているようなものだ。

彼女は高校を卒業をしたあと国立大学に進み、公官庁に入った。その後職場で知り合った男性と結婚し、子供をふたり産んで育てた。音信が途絶えていた時期があるので、彼女がどういうタイミングで退職したのか私は知らない。住まいはずっと市内で、彼女の実家から遠くない。

頭がよくて容貌もかわいらしい彼女が普通の家庭の母親になってしまったのを、以前は物足りなく感じていた。でも最近は、お金はもらえなくても誰かに求められて、「あなたでなければ」と言われて働き、感謝されるというのは、社会的な評価や収入を得るための仕事とは本質的に比べられない、と思うようになってきた。

年末のこの時期、友人のスケジュールはいっぱいで体力的にもきつそうだったけど、それがイヤという様子ではなかった。こういう不思議なモチベーションは、《仕事》からはなかなか得られないのではないだろうか? 家族や親族を助けるのは、彼女にとっては仕事ではなく、《使命》といってもいいものなのかもしれない。家族からの感謝や成長していく子供たちの様子が、彼女の行動の原動力になっているのだろう。

私はデジタルカメラの小さなディスプレイで、日本に到着して以来撮影した写真を彼女に見せた。彼女も覚えているはずの私の両親や妹、弟、そしてまだ小さな甥や姪の写真を見せた。ある写真を見たとき、友人は屈託のない様子で私に訊ねた。

「これは~?」

ディスプレイに表示されていたのは、中学校へ行った時に撮影した写真だった。《撮影禁止》とあるものを撮影してきてしまったわけで、それを彼女に見られて慌てたが、よく考えれば、《禁止》とあっても多分法律的な効力はないだろう。中学校でのできごとにいつまでも大げさにこだわっていると思われるのはいやだった。私は、どうってことない、という態度で彼女に言った。

「ああこれ。中学校に行ってきたの。本当は見学しようと思ってたんだけど、断られちゃったんで、外だけ見てきた」

そんなことを思いついた理由もさらりと説明したが、それを聞いた友人の教育議論スイッチがオンになったのを、私は確かに《見た》。彼女の態度は、間違いなくそれを宣言していた。そんな反応は予期していなかったので、不意を突かれた私は、無策状態で彼女がしゃべるのを聞いていた。

彼女が教育学部卒でふたりの子供を育てた母親であるということを考えれば、こういう事柄に関心があるのも当然かもしれない。うっかりしていた。

「子供たちには正しいことを教えないといけない」

そう彼女は言った。

理由はわからないが、私はこういう時、「あんたは間違っている」と言われたように感じてしまう。

正しいことってなんなのか?
それは、「こうです」と紙に書いて示すことができるものなのか? 
中学校で私を悩ませたのは、そういう「正しさ」を信じている人たちではなかったか?

ともあれ、物静かな彼女がこんなに情熱的に話すのは珍しかった。彼女がそのことについて、今、話す必要があることを、私は感じた。私の撮った写真を彼女が見て、それに触発されて話すのを、私が聞いていること。それは話の内容より重要なことだ。食べ物の価値は栄養価だけでは測れないが、それと同じで、言葉の価値はその意味や構築される理論の価値だけで測れない。


12月25日(金) 昼 東京都千代田区


大学時代に国際関係論の勉強会で知り合った友人と会う予定になっていた。

北関東の小都市に住むその友人が都心まで行く用事があるというので、東京駅に近いレトロな建物を改装した美術館で開催中の、プラド美術館展を見に行こうと提案した。華やかでインテリな雰囲気のある彼女と出かけるのにぴったりだと思ったのだ。

美術展を見る前にランチをしようということになり、昼過ぎに美術館のレストランで待ち合わせた。建物の元々の内装を生かしたレストランで、自分っぽくないかも、と思ったけど、このレストランには興味があった。たまにはマダムなことをしたっていい(写真は冒頭)。

彼女と会うのは4~5年ぶりで、食事をしながら近況を報告しあった。彼女が長年打ち込んでいる日本語教育と教授法の研究について、彼女の夫が執筆中の論文の添削を手伝う話、彼女自身も博士課程に戻り研究を再開したこと……。

まるで別世界だ。
親の家の掃除の苦労と子供がいないことは共通項だが、ライフスタイルや関心の方向はずいぶん違う。

長年の友だち同士でも、時間の経過とともにお互いの生活は変化する。共通の関心を維持することはできずさみしく思うこともあるが、私もいつの間にか、こうしたことに動じない生活経験がついた。分岐した道が遠くへ離れて行くのを見ながら、自分も歩き続ける。分かれた道とも、あるとき、思いがけない場所で合流することだってあるかもしれないのだ。

美術館のレストランだけあってランチの盛り付けはかわいらしく、私たちは話をしながらゆっくりそれを食べた。食事が終わると私たちは美術展を見学しに行った。

ところが肝心の美術展は、スペイン的な不健康さを思い切り表現したような気持ちの悪い作品が多く、楽しいとは言い難かった。観念的な絵画を見ていると脳神経がねじれてしまいそうだ。予習不足だと言われればそれまでだが、王室の人々に愛された、親密でかわいらしい雰囲気の作品を見ることを期待していたのだ。実際に展示されていた作品は、文化的な価値はあるのだろうけど、私の好みではなかった。

「なんだか、気持ち悪かったね」


美術展を見終わったあと、私は彼女にいった。

「でも、それが見たかったんでしょ?」


彼女は半ば呆れ、半ばからかうように私に言った。プラド美術館展を見に行こうと提案したのは私だ。でもそれは、気持ち悪いものを見たかったからではない。まるで不首尾に終わったデートみたいだった。


12月25日(金) 夜 埼玉県さいたま市


東京駅で友人と別れ、浦和へ向かった。

高校時代に参加していた同好会の仲間4人と会食することになっていた。日記を書く時間を確保したかったので、早めに到着して駅ビルのベーカリーカフェでコーヒーを買った。レジ係の若い女性が、赤と白のサンタクロースの衣装を着ていた。その服かわいいね、と話しかけたら、恥ずかしいから本当はイヤなのだという。

日本の年末年始は久しぶりなので、日本のクリスマスも久しぶりだ。

以前は何とも思っていなかったけど、キリスト教徒の人口が多いといえない日本で、こんなに盛大にクリスマスが祝われるのが面白かった。

アメリカのホリデーシーズンの宣伝は、政治上の理由から宗教色を避ける傾向がある。

きらびやかな電飾のクリスマスツリーは健在だけれど、サンタクロースは不人気だ。ショッピングセンターにこの時期だけ現れる、子供との写真撮影用の「サンタさん」以外のサンタクロースは見かけない。そして人々は「ハッピーホリデイズ」と挨拶し、「メリークリスマス」という挨拶はもう何年も聞いていない。

レジで代金を払ってサンタ服のおねえさんからコーヒーをもらい、テーブルで日記を書いた。私にはこういう時間が必要だ。半月の日本滞在のあいだ、外出先でコーヒーやお茶の店に入り、そこで日記をつけることが多かった。お茶代だけで結構な出費になった。

待ち合わせ時間に合わせて日記を書くのを切り上げて、駅前で友だちを待った。

意外に思う人もいるかもしれないけど、私は高校時代は落語研究会に入っていた。落語が好きだったからじゃなくて、何か自分らしくないことをやってみたかったのだ。台本を覚えて演じることには熱中したけれど、落語への関心は最後まで大したことはなかった。ただ単に、落研の仲間が好きだっただけなのかもしれない。研究会の友だちとは、今も一時帰国のたびに会っている。

私はやたら静かな人間になってしまったが、落語好きの女性が集まれば、それはもうにぎやかだ。

話される言葉の数が多いだけじゃなくて、話題の広さ、話がきちんと流れていく感じは、《言葉》と関係のある芸事を練習したことと関係あるのかもしれない。私は彼女たちの節度のある話し方が好きだ。面白い話を披露する才能は半端ではないけれど、決して「やりすぎ」ない。そしてみんな、他人の話を聞く忍耐力がある。

仲間が予約してくれたレストランの丸いテーブルに5人で座った。

そういうふうに打ち合わせたわけじゃないのに、それぞれが小さなギフトを持ってきていて、「まるでサンタのおばさんだね」と言いながら、それを交換した。みんなどうしてこんなに優しいのだろうと、不思議に思った。

私に手毬をプレゼントしてくれた人がいた。
作り方を習っていて、自分で作ったのだという。

毛玉

もらった手毬はボールのように弾まないので、これでボール遊びをすることはできない。
でもふかふかした手触りで、ずっと手に持っていたくなる。


(その時に、その場所で --- 5 へ続く)