恵比寿-1
Photo by Takashi Nakamura,  retouch by Ray To-ma

その時に、その場所で---1】から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)


12月20日(日) 昼 東京都渋谷区

この日は母は用事で外出してしまい、父とふたりで山種美術館まででかけた。地下鉄の恵比寿の駅で降りて地上に出ると、私が覚えている恵比寿とはまったく別の光景が広がっていた。美術館までの地図をプリントして持参していたけど、東京のこのあたりの道は父がよく知っている。日曜日だったこともあり、駅から少し離れると交通量は少なくて静かだった。

村山華岳展を観に行ったのだが、同時代の画家たちの作品の展示もあり、わかりやすくてきれいな作品が多くて満足感があった。村山華岳の、描くことに精神性を見出す姿勢が印象的で、数年前に見たアントニオロペス展を思い出した。美術展はあまり混んでいなくて、父と一緒に見学するのにちょうどよかった。

父は昨年からスマートフォンを使っている。美術展を見終わると美術館の前で自撮りをしていたが、微妙なできばえで、やはり若い人のようにはいかない。写真を撮り終えるとぶらぶら歩いて恵比寿の駅まで戻り、そこからさらに歩いて恵比寿ガーデンプレイスを見物しに行った。オフィスビルやデパートやホテルがある複合商業施設だが、広々していて、建物やランドスケープのデザインも上品だ。

とりあえず何か食べようということになった。
父も私も、あまりたくさん食べない。

しゃれた雰囲気のレストラン街にもうどん屋があり、父と一緒にうどんを食べた。気兼ねがないのはいい。こんな気取った場所でうどんを食べるなんて、親子じゃなきゃ無理だなと思った。

恵比寿-2
Photo by Takashi Nakamura,  retouch by Ray To-ma

食事がすむと、ガーデンプレイスの中をあちこち見物して歩いた。お天気のよい穏やかな日で、外を歩くのは気持ちよかった。私たちの横を、子供連れの買い物客が通り過ぎてゆく。その子供がアイスクリームのカップを持っているのを、私は見逃さなかった。

「おとうさん」

と私は言った。

「私、アイスクリームが食べたい」
「アイスクリーム?いいねえ」

私たちはアイスクリーム屋に入った。私たちより50歳くらい若いお客さんでいっぱいだったが、父と私はそれぞれ好みのフレーバーを注文してアイスクリームを楽しんだ。


12月20日(日) 夜 埼玉県草加市

レストランに家族全員で集まって夕食会をした。住宅地の中にある小さなレストランの個室を、妹が予約していた。両親、妹とその家族、弟とその家族、そして私の12人が座ると、レストランの個室はいっぱいだ。でも個室にしたのは賢明だった。私には全部で5人の甥や姪がいるが、下の3人はまだ小学生だ。レストランでの大人数の食事で興奮しているのか、彼らのテンションの高さは相当なものだった。食事が終わって店の外に出ても、彼らの興奮状態はおさまらなかった。

甥の一人が水鉄砲を取り出し、私の母にそれを向けて、水をかけた。

母は取り立てて気にする様子はなかったが、私は許容できなかった。

「おばあちゃんを水鉄砲で撃ったりしたら、だめだよ!」

意識的にしっかりした口調で甥をしかった。

子供が水鉄砲で人に水をかけることについて、平均的な日本の人がどういうふうに感じるのか、私にはわからない。でも私は、銃の規制が議論になっている国に住んでいる。銃の話題や銃の形をしたものには敏感だ。

矛盾しているように見えるけれど、米国ではおもちゃの銃やモデルガンを規制している自治体は多い。日本なら特撮ヒーローのテレビ番組とタイアップした銃のおもちゃは珍しくもなんともないが、少なくとも私の住んでいる地域では、そういうタイプの玩具は見かけない。スーパーヒーローのフィギュアは売っているが、銃を構えた姿のものは、多分、ない。

よく考えればこれは当然で、見た目が本物そっくりのモデルガンが出回ったりしたら、取締りの現場が混乱するのは想像に難くない。確かに米国は市民に銃所持を認めているし、購入するのは難しくないが、とはいえ他の物品のように自由に持てるわけではないのだ。銃の絵がプリントされた服を禁止している学校すらある。男の子の服でスパイダーマンなどのヒーローがプリントされた服はよくあるけど、普通は銃を持っていないデザインだ。銃を持ったヒーローがプリントされた服は校則違反になる可能性がある。

最近になって気づいて、意識するようになったのは、《銃規制》という言葉についての、日米での温度差だ。

私もそうなのだが、《銃規制》という言葉を聞くと、なかば自動的に《銃禁止》と理解してしまう。
米国人にとっての《銃規制》はそうではなく、銃の所持を合法としながらも、《規制》を厳しくしようという考え方だ。

たとえば自動車の排気ガス規制という考え方があるが、これは排気ガスをゼロにしようというのではなく、排気ガス中の有害物質の基準値を定め、排出量をそれ以下に抑えるという意味だ。銃の《規制》もこれと同じで、《禁止》とは違う。

ただ、どういうふうにどれくらい厳しく規制するかは、決定版といえる方策がない状態だ。
そして、銃の支持者は、いかなる規制にも反対で、譲歩する可能性はまるでないように見える。

経済的に発展した法治国家での日常生活に銃は必要ないのだが、銃の所持は憲法で保障されていて米国の伝統だと主張する。それまで許されていたものを制限するとなれば、反対する人がいるのも仕方ないかもしれない。全員の支持は無理でも、大多数の国民に支持される《銃規制》が確立されるまで、まだまだ時間がかかるだろう。

甥は自分の祖母を水鉄砲で狙うのはやめたものの、どうして自分が注意されたのかよくわからない様子だった。私も私で、どう説明すればいいのかよくわからなかった。

甥はもう赤ちゃんではないけれど、伯母である私から「私の母親に銃を向けないで」と言われたところで、訳がわからないだろう。


その時に、その場所で --- 3へ続く)