ご無沙汰してます。前回の更新から随分と間が空いてしまいました。
さて、今回は以前ご紹介した『フルートベール駅で』の制作者だったフォレスト・ウィテカー繋がりという事で、『大統領の執事の涙』を紹介します(この作品で、ウィテカーは主演を務めています)。タイトルに「涙」と入ってますが、安っぽいメロドラマではありません。
監督はリー・ダニエルズ。共演で印象的なのは、ウィテカー演じるセシル・ゲインズの妻役で、高名なトークショーの司会者でもあるオプラ・ウィンフリーです。「アメリカで最も影響力のある女性の一人」と言われる彼女ですが、演技も達者だったんですね。この『大統領の執事の涙』でも良い仕事をしています。他には、一昨年の夏に自殺してしまったロビン・ウィリアムズがアイゼンハワー大統領役で出演しています。
話はまず、奴隷達が働くアメリカ南部のとある農場からはじまります。奴隷の子であるゲインズ少年は、横暴な農場主に母親を小屋へと連れ込まれそうになり、父親に抗議を促しました。息子の要請に父親は勇気を振り絞って抗議しますが、農場主にその場で撃ち殺されます。母親はそのまま連れ込まれてしまいますが、ゲインズ少年は怖くて震えるしかありませんでした。
当然農場主は白人で、殺された父親は黒人。母親はムラータ(アフリカ系との混血女性)でしょうか。母親を演じているマライア・キャリーには実際にアフリカ系の血が入っているそうです。
余談ですが、キャリーは同監督の『プレシャス』(黒人の生活保護家庭の現実を描いた作品です)でソーシャルワーカーの役を好演していますが、この『大統領の執事の涙』での出演は、ほぼこの冒頭部だけです。大スターなのにこんな使い方をするんですね(スターと言えば、ゲインズの同僚の執事役で、レニー・クラヴィッツも出ています)。
その後ゲインズ少年は農場から出る事を許され、ひょんな事から給仕の仕事を得ます。そしてその仕事っぷりから、やがてホワイトハウスの執事の職を得ます。この大人になったゲインズ少年をアカデミー俳優であるフォレスト・ウィテカーが演じています。
ゲインズが世話をした大統領は、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、ニクソン、フォード、カーター、レーガンの七人に及びます。歴史の進展の中で、アメリカ黒人達の立ち位置は少しずつ変わっていきます。観客はゲインズの視点を借りる事で、変わりゆく時代を政治の中心地において俯瞰的に黒人差別の歴史、公民権運動の歴史を垣間見る事が出来るのと同時に、ゲインズが一人のアフリカ系アメリカ人として肌身で感じる時代の流れを追体験する事が出来ます。
南部の苛烈な支配の時代を知っているゲインズは、仕事では勿論プライベートにおいても表だって強硬に対立を煽るような事はしませんでした。執事として、見ざる聞かざる、そして自分の意見も殆ど言わず、傍観者として仕事に徹しました。
しかし執事としてベテランとなり責任感が芽生えたのか、白人執事に比べて低く扱われていた黒人執事達の地位向上の為には白人上司へと抗議し、やがて代替わりしたレーガン大統領の後ろ盾を得て遂には勝利を勝ち取りました。
これは〝小さな勝利〟です。ゲインズは過激な闘争を好まず、自分が直接的に関係する範囲内で静かに戦いました。
二つの戦い
この映画では、ゲインズの選んだそうした≪静かな戦い≫に対して、もう一つ別の戦いが描かれています。それは、彼の息子ルイス・ゲインズ(デヴィッド・オイェロウォ)の≪苛烈なる抵抗・戦い≫です。両者は異なる戦い方を選択し、それによって親子関係にも深い亀裂が入ります。
息子ルイスは南部の大学で啓蒙をうけた事を切欠に、ブラックパンサー党へ所属し、運動家として黒人の権利を勝ち取ろうと戦います。そして、その身の置き方で父親セシルと決定的に仲違いします。
父と子が決定的に決裂するのは、ゲインズ家の面々――夫妻とルイス、彼の弟の四人――と、ルイスと同じグループに属するルイスの彼女を交えた食事会の席での事です。
ルイスの彼女キャロル(ヤヤ・アラフィア)は食事中にゲップをするし、マナーたるや最低です。そして、ゲインズ夫妻が口を揃えて賞賛する黒人俳優のシドニー・ポワチエ(初のアフリカ系のアカデミー俳優です)を「中身は白人だ」と言って批判します。 ポワチエは≪白人が求める理想の黒人≫の姿をしており、それはルイスらには〝飼い犬〟であるかのように映ったのでしょう。
執事として白人のマナーを身に付け、白人に雇われ、白人執事と同じかそれ以上の仕事をしても安い給料しか貰えず、それに抗議しながらも辞めるわけにはいかないゲインズは息子を厳しく叱責し、追い出してしまいます。
その後、ブラックパンサー党の一員として自分の道を歩むルイスですが、マルコムXやマーチン・ルーサーキングJrが暗殺された事によって過激さをエスカレートさせていく仲間達に着いていく事が出来ず袂を分かつ事を決めました。
アメリカ万歳!民主主義万歳!
ゲインズは黒人執事の待遇改善を勝ち取り、やがてホワイトハウスを退きます。そしてルイスは余りに過激な方向に走っていくブラックパンサー党から離れ、同時に彼女とも別の道を歩む事になります。
親と子、二人の闘いはどうなったのでしょうか?
老いたゲインズは、アメリカ国民としての権利を利用して選挙に出馬し注目されていた息子ルイスに謝罪します。アメリカには差別が残っており、それと闘うルイスを認め、息子に自分が間違っていた事を伝えたのです。
勿論ルイスは父の謝罪を受け入れます。とは言え、その謝罪の相手であるルイスは、与えられた権利を行使し、言葉によって道を説き、きちんとした身なりをしていました。それはまるでかつての彼とキャロルが批判した〝中身は白人〟のシドニー・ポワチエのようであり、それは同時に父セシル・ゲインズの似姿のようでもありました。
最後にセシル・ゲインズはアメリカ初の黒人大統領オバマの誕生を見て涙し、そして死にます。この映画は、アフリカ系アメリカ人の公民権運動の歴史を概観し、〝彼等〟が勝利を得るまでを描いた映画と言えるでしょう。
勿論、「フルートベール駅で」で描かれたような、差別が発端とされる事件は今でも頻繁に起こっています。ケースによっては、問題の原因が本当に〝黒人だから〟なのか分からないようなこともあります。〝差別されてきた歴史〟が、問題を過剰に評価してしまう、という心理もあるかもしれません。
人間の心の奥深くに打ち込まれた杭は、抜けてもその痕と痛みを残します。
恐らくその傷痕は世代を越えても残り、ふとした切っ掛けで痛むのでしょう。
この映画は解放後のアフリカ系アメリカ人が行った公民権運動を概観する事の出来る映画です。そして、その歴史はこれからも途絶える事なく続きます。
…さて、次の更新まで恐らく間が空くでしょうから、次回の予告はしない事にします。