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ミレー、《種をまく人》のヴァリアント2点。出典:National Museum Wales(左)、Wikipedia(右)


会期が終了してからだいぶ月日が経っているにも関わらず、なぜか頭の片隅に残っていて折りに触れては思い出されてくる展覧会というものがある。ひとむかし前、と言えるくらい程良く時間が経過した展覧会ならば、「1970年の『人間と物質』展は伝説的展覧会だ」「1992年の『アノーマリー』の熱気は凄かった」などともっともらしい歴史的価値を授けて語りやすいのだが、中途半端な近過去の展覧会は「歴史」として定位するには日が浅すぎるために、話題としてどうしても蒸し返しにくいところがある。機を逸したアートレビューなど誰も必要としないし、積極的な存在意義もないのかもしれない。だが私はあえてここで、通常のアートレビューに求められるようなアクチュアリティーだとか即時的な価値判断といったものから距離を置き、中途半端な近過去の展覧会や記憶の底に沈殿する美術作品をめぐる雑感の掘り起こしを試みてみたい。美術作品をめぐる思考は本来、時間をかけて熟成されていくべきものだと考えているからだ。
 
というわけで今回、私が“機を逸して”俎上に載せる展覧会は、昨年(2014年)9月に府中市美術館で開催された「ミレー展 愛しきものたちへのまなざし」と10月に三菱一号館美術館で開催された「ボストン美術館 ミレー展―傑作の数々と画家の真実」である(ミレーについての展覧会が立て続けに行われたのは昨年がミレーの生誕200周年だったからなのだが、生誕100年でも没後50年でもない「生誕200年」という数字の間延び感もなかなか絶妙だと思う)。
無名の農民や穏やかな田園風景を描き、勤労や自然の恵みといったイメージに寄り添った画家として、ミレーは日本でも愛好家が多い(たとえば岩波書店の創業者の岩波茂雄が「労働は神聖なものである」という理念からミレーの《種をまく人》の図像を社のマークに取り入れたのは有名な話である)。私が展覧会を訪れた際も2館とも観客の入りは上々だったと記憶している。府中市美術館のミレー展はウェールズ国立美術館所蔵の《種をまく人》(注:《種をまく人》には5点のヴァリアントがある)をはじめ、初期から晩年まで約80点のミレー作品を集めたオーソドックスな回顧展であり、一方の三菱一号館美術館は、ボストン美術館所蔵の《種をまく人》、《羊飼いの娘》ほか25点のミレー作品に同時代・後世のフランスの画家たちの作品を加えた構成で、府中市美とは異なる切り口を示していた。2館両方を見ることで、「農民画家」ミレーと彼を取り巻く文脈のおおよそが掴めるような内容になっていたと思う。そしてこの2つの展覧会で、私は以前からどうしても拭えなかったミレーへの違和感を改めて確認することができた。

日本人によるミレー観のエッセンスが凝縮されたわかりやすい一例として、府中市美術館のミレー展のリリース文をはじめに引用しておこう。



「日本でも、ミレーは明治時代から非常に人気があります。私たちは、その作品に他の西洋絵画の名作にはない親しみと共感を覚え、心のより深いところで感動を抱いてきたように思います。なぜ、ミレーは日本人の心を強く捉えるのでしょう?
その理由は、作品の中に、文化や人種の違いを超えた普遍的なものを見出すことができるからではないでしょうか。日々の労働を慈しむ気持ちや、故郷を愛する心、身の回りの人々に対する慈愛……実は、これこそがミレーの芸術の根幹を成しているものです。西洋絵画の伝統やキリスト教の思想に深く根ざしたミレーの作品ですが、異なる文化や風土で暮らす私たちの心にも響く魅力があるのです。」(*1)
 


キャッチーな宣伝文句として上記のような文章が必要とされるのは仕方のないことだろう。だが、古くは明治時代の高橋由一や浅井忠といった画家、あるいは白樺派の文学者たちのミレー讃歌に遡るような、敬虔・道徳的で愛情深い農民画家としてのミレーを讃えようとする一面的な理解からは、そろそろ遠ざかってもよいのではないだろうか。

ミレーの絵画、とりわけ農民画は、もっと不吉で不穏なイメージを湛えたものである。ミレーの描く農民をつぶさに観察してみよう。眼窩は落ちくぼみ、表情は曖昧模糊として暗い影のなかに沈みこんでいる。作業や物思いに没頭し、視線は大概がうつむきがちだ。もっさりと描かれる身体は肉襦袢でも着込んだかのようにぶかぶかしているし、背景に対して妙に浮き出していて、あたかもコラージュ的に画面に配したかのような違和感を呼び起こす。そういえばイギリスの美術批評家ジョン・バージャーは『見るということ』所収のテキスト「ミレーと農民」のなかで、人物を中心に据えて実物よりも大きく描こうとしたミレーの努力は別の観点からみるとすべて「失敗作」だったと指摘している。



「なぜ失敗作かといえば、人物と環境の間に統一性が保たれていないからである。(…)現実から切り離された人物の表情は固く、わざとらしく見える。その絵に内在する時間があまりにも長すぎるのである」(*2)。
 


こうした失敗の原因をバージャーは「伝統的な油絵の伝達手段にミレーの持ち込んだ主題が適応できなかった」ため、と説明している。とはいえ、「失敗」はただちに作品の汚点を意味するわけではないだろう。そのような違和感をおぼえさせる「失敗」のなかにこそ、同時代の他の作家には成しえなかったミレーの革新性の秘密が隠されているのだから。
また、美術史上における一般的な評価では、ミレーはそれまでの伝統的な風景画・風俗画が主題化してこなかった農民を主題化し、画面の前景に大きく据えるというヒエラルキーの転換を行った点が革命的だったとされているが、その造形的・主題的な「革命」が必ずしもポジティブに表象されていないことにも注意が必要だ。農民たちは、なるほど確かに絵画の主役として前景に大きく据えられてはいる。だがしかし、地平線を高く引き上げるという構図の操作は、あたかも過酷な労働の場に拘束するかのように農民の身体の大部分を大地に飲みこませている(《種をまく人》《馬鈴薯植え》など)。あるいは、農民を逆光のなかに配し、前景の一様な陰影と一体化するようなかたちで描いている(《羊飼いの娘》《鋤く人》など)。

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ミレー、《馬鈴薯植え》 出典:Wikipedia

農作業に従事する農民たちの身振りは生硬く、しばしば大地に突き立てられた鍬や鋤などの無機物に似て生気を失ってしまう。労働の過酷さや日々の疲労をリアルに追求したがためにこのような表現に行き着いたのだ、と言ってしまえばそれまでなのだが、それにしてもミレーの描く農民の世界はあまりにも暗い。地平線のずっと先(後景)のほうが柔和なパステル調の陽光に包まれているケースが多いというのも、農民のいる前景の野暮ったいアースカラーと残酷な対比を示している。おそらく、ミレーの心は農民の側に寄り添ってなどいない。これまで列挙してきたような農民描写の特徴は、理想と現実、あるいは画家のいる世界と描かれる対象の懸隔を強調しているかのように見えるのである。

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ミレー、《鋤く人》 出典:ボストン美術館

1814年にフランス・ノルマンディー地方の小さな村に生まれたミレーは、少年時代は実家で農場の仕事を手伝うこともあったとはいえ、芸術の都パリで絵画を学び、画家になって以降は農業から遠ざかっていたという。『「農民画家」ミレーの真実』で旧来の穏健なミレー像の解体を行った井出洋一郎によると、その暮らしぶりは取り立てて清貧でも信心深くもなかったようだ。

「農民画」は描いたが、「農民」をやめて「画家」になった「農民画」家であった(*3)。

同書では農民画の同時代の賛否両論についても取り上げている。たとえば、貧しい身なりの農民を英雄のような仰々しさで描いた《種をまく人》にしても、1850年頃にサロンに出品された当時は政治的な挑発と捉えた者たちのあいだで物議を醸したのだった(農民の存在を嫌悪するパリのブルジョワ=右派からは非難され、社会主義者・共和主義者の左派からは労働者のアイコンとして過熱的に祭り上げられた)。
さて、件の《種をまく人》のヴァリアント2点は2014年の2つの展覧会で実見することができたわけだが、何よりも異様な印象を残すのは、画面の中心に主役として据えられた農民を巨人的に見せてしまう「間違った」スケール感、そして観賞者の側に向かってなだれ落ちてくるようなかたちで荒々しく描かれた(前近代としては極めて異例に表現主義的な)前景だろう。急な勾配の畑を大股でぐんぐん下っていく「種をまく人」は、対極にある政治的立場をまたぎ、絵画の約束事を越境し、さらには絵画という檻(フレーム)を離脱して絵を見ている私たちの側へと今にも迫り出してきそうだ。《種をまく人》を見ていると、主題化とは対象にふるわれる一種の暴力なのだ、という実感に辿りつく。農民の身体のフォルムから受ける「野暮ったくぶかぶかした印象」は、主題化の暴力が引き起こした飽和の徴しと言えるのかもしれない。

ミレーの絵の不吉さと不穏さは、《晩鐘》をパロディ化したダリの「パラノイア的=批判的」解釈によって、あるいはゴッホの描く実存的(あるいは分裂病的)な農民単独像によって引き継がれ、より意識的に表現化されることになる(ここに、ミレーからゴッホ、ゴッホからベーコンへ、というさらなる隔世遺伝を付け加えてもよいかもしれない。ベーコンはゴッホの描く農民にオマージュを捧げた作品を制作している)。一方で、継承しきれていない不吉さと、バージャーの言うような、いまだ調停されぬ「失敗」の問題も残る。
自然や労働を慈しむ画家としてのミレー像から遠く離れ、作品の「暗さ」に迫った新たな切り口のミレー展がいつか開催されることを期待したい。

(*1)府中市美術館HPより
(*2)ジョン・バージャー『見るということ』ちくま学芸文庫、2005年、108~109頁
(*3)井出洋一郎『「農民画家」ミレーの真実』NHK出版新書、2014年、16頁。