何かを語りたい時がある。例えば、よろこびを分かち合いたい時。辛いことについて共感してほしい時。自慢して優越感を得たい時。大きな街のカフェでは休日、いろいろな年代の男女が自身について語り合っている。隣の席で交わされる会話に耳を澄ましてみると、とにかく消費してしまいたい何かがあって、誰かに向かって語りつくすことで、心のうちをすっきりとさせている様子が良く分かる。語ってしまえば、いろいろは消えてなくなるのだ。生活の澱みは少し減って明日からの毎日をまたやっていこうという気になれる。あるいは感情の処理としての語りではなく、知識や情報を交換し、自らの考えについての論理性を確認するために語ることもある。語りあった内容は語り手と聞き手双方に蓄積され、それぞれの活動をより豊かにさせる。この種の語りは書くこととも親和性が高い。古代の哲学者が先生の語る内容を書物に記したように、書き残すことで語りの成果を反芻したいと思う時もある。では、自分の人生について書き残したいと願う気持ちとはいかなるものであろうか。
 インターネットのブログを見てみると、闘病中の人や何か困難を背負った人のなかには、自伝を書いて出版したいと公言する者がいる。完全に病気が回復するなり障害を克服するなりして、一般的な人たちと同じような生活を取り戻した人、あるいは就職活動に失敗して苦労していたが運良く条件のいい仕事先が見つかり会社勤めが上手くいっている人の場合は、そもそも自分の困難についてのブログを書くことも少ないし、自伝を出したいとも言わない。病気が最悪だった時代は抜けたが不完全な社会復帰で未だ格闘中の人、就職先が見つからずフリーのライターにはなれたものの大企業へのこだわりを捨てられない人などが、自分の病気を中心とした自伝や労働問題に絡めた自伝を書き、自費で出版したり実力があれば出版社から本を出したりする。彼らはまず第一に語ることによって消費してしまいたいモノを持っているのだ。同時にその決して愉快ではないモノについて書いて残したいとも思っている。単に自己顕示をしたいだけでなく、自らがまとっているモノについて共有されたいと願う。そのモノは愚痴を吐き出すように消し去りたい何かでありながら、友との充実した議論のように記録して反芻したい何かでもある。このようにして書かれた文章は、自らの刻印についての話であって、自分に不幸をもたらしたはずの刻印を消し去るのではなく、己を特徴づけるものとして人々に開示し、何か大切なところに保管しているように傍目には見えるのだ。思いどおりにいかない者の自伝は、書き手自身が自分の人生に納得し、受け入れるための作業として書かれているようにも思える。いったいどこまで読み手を意識しているのだろうか。自分を良く見せようとの意識は働いていても、読む側にとっての快楽まで計算されているのだろうか。自分を理解してほしいとの強い思いが先走っていないだろうか。
 自らについて文章を書くこと、それは私小説と呼ばれる芸術表現においても行われる行為だが、困難にある者の自伝とは根本的に意識が異なる。何でもない自分についての日常をいささかの暴露を含みながら記述することが文学になりうるというのが私小説成立時の発見だったわけだが、自伝の場合、どこかで自分は特別な存在であるとの選民意識が働いているのではなかろうか。不幸に見舞われ困難を背負っているけれども、自分は市井の人々から単に劣った存在であるのではない、自分は不幸に選ばれた人間であり、ゆえに自らの不幸は書物として記録され、人々に読まれるべきである。困難者の自伝についてはこの種の論理が、本人が自覚しているかどうかは別として、背後に敷かれている。ある種のうぬぼれがそこにはある。そのうぬぼれは生きていくために必要なものだ。なぜ自分だけが困難な人生を歩まなければいけないのか。不幸を引き受け、困難の苦痛に耐えるためには、どこかで自分は選ばれてあるのだと自覚できなければ、もう崩壊してしまうのである。学校で習った防衛機制という心理学用語を思い出してしまうが、耐えられないものに耐えることを余儀なくされている人の気持ちを察すれば、仕方ないことだろう。
 では、不幸の体験は小説の主題たりえるだろうか。理論的には然りと答えられるだろうが、書店や図書館の棚を見渡してみても、全くないわけではないものの、不幸の体験を描いた文学作品というのは限られてくる。困難者が自伝を書く時の意識で書かれた文学というのは少なく、なぜなら作家は世で認められるほど、困難者が持っている種類の足搔きの心情を忘れてしまうからかもしれない。不幸の体験者が持つ切実さは創作にとって邪魔であり、読み手にとって面白く書くという客観性を損なってしまうのだろう。不幸に見舞われ、その不幸から脱することもできないまま文学を書いた作家、小林美代子について論じようと思う。書くことの本質について考えたい。


祈りの向こう側

 小林美代子は一九七一年五十四歳の時、第十四回群像新人文学賞を受賞した。受賞作「髪の花」は精神病院が舞台で、主人公はその閉鎖病棟に閉じ込められた患者らのひとりである。一貫して描かれるのは、精神を病んだ者の苦しみだ。患者たちは二重の方向から苦しめられていて、まず精神の病そのものがもたらす苦痛がある。ある女は、女子病棟の各病室の床下に男たちが潜んでいて、夜、患者たちが熟睡したら一斉に犯し始めるという妄想にとらわれ、恐怖のあまり体がこきざみに震えている。患者は具合が悪い時、妄想に覆われていて、妄想はたいてい自分が被害者になっているものだから、患者は疲労困憊してしまう。そんな辛い病気を治療するために病院に入院しているはずなのに、病院生活は決して安楽なものではない。看護婦が圧倒的権力を振るい、医師は患者と向き合うことはなく、患者は病院というシステムによって徹底的に貶められた存在なのだ。治療施設なのか単なる収容施設なのか、精神病院の実態を告発するかのように、美代子は内部の様子を詳細に綴っていく。「髪の花」を表題作とした作品集の後書きに、美代子は「引き取り手がないために、全快してもなお十幾年を病院に閉鎖されている方々が今なお多くいることと、その望みのない生を社会に訴え、何らかの救済措置が講ぜられることを祈って、書きました」と記していて、この小説は文学的野心のみで作られたものではなく、社会へ向けたある種の運動としての意図を含んでいることが窺える。主人公の名は「貝塚ふさ子」である。貝塚という古代人にとっての生活の歴史そのものの意味を持った姓と、さらにそれが「房」となっているのだから、歴史物がたくさん群がっている様子を表した名、そんなメタファーを読みとることも可能だが、実は彼女は病院に入る以前の記憶が全くない。歴史を一切もたないふさ子は病院のなかから手紙を書く。小説は「母上様、三回目の手紙をさしあげます」という書き出しで始まり、名も住所も知らない母へ向けての書簡という形式で小説は綴られる。手紙の宛先は口をついて出てくる「目黒区八雲二丁目二番地」で、実際そこに何があるのかも知らない。彼女の名前の由来は「貝塚」という場所で保護されたため、福祉事務所の所長の名と合わせて、決まったものだという。ほんとうに前後不覚で自分の年齢すら分からない。そんなふさ子は十八から入院している少女「りえ子」と友達になる。小説のタイトルも、髪を結うのが好きなりえ子が同じ病室の女たちの髪を結っていく様子があたかも「病棟に沢山の髪の花が咲いてゆく」ようであったことからきている。小説の後半はりえ子を中心とした話であって、まだ若い彼女には酷すぎる運命が記述されていく。
 いったいふさ子が手紙を書いている相手の「母」とは誰なのだろうか。主人公はなぜ身の廻りを文章にして病院の外に送信しなければいけないのか。
 社会から隔離された存在であるふさ子にはかつての記憶がなく、それは彼女が胎児のような立場にいることを意味している。精神病になる前と後には遮断があり、病院での生活は病者としての自意識を構築していく作業でもある。貝塚ふさ子は自らのアイデンティティについて、貝塚を形成していくように精神病院の中で組み立てているのだ。貝塚は生活の記録ではあるが、同時に遺棄されたものの積み重ねでもある。ふさ子が捨てているのは、可能性だ。一般の社会のなかで暮らしているなら持っていたであろう色々な可能性を捨て、病院のなかでおそらく一生を過ごさなければいけないだろう現実に適応しようとしている。彼女が病前の記憶を持っていないのも、精神病院への入院とは生まれ直しであり、そんな記憶は今後の生涯にとって何の意味も持たないからだ。ふさ子には病院生活が社会のすべてであり、作中ではそこから解放される萌しはない。自らは看護婦に生活を管理された病者でしかなく、それ以上の何者でもないのだ。けれど、その諦念を持つのは容易ではない。困難を受け入れるため、ふさ子には顕示させないといけないものがある。しばしば深刻な病気を患ったものが自伝を書き残したいと願うように、ふさ子も自分についての記録、病院に入る前の記憶がない彼女にとっては病院で見聞きしたことが人生の全部であるのだが、それを文章にしていくのだ。この場合、書いた文章は読まれなければ意味がない。現実を受け入れる諦めと引き換えになる承認が、自己を保つために必要なのだ。この種の承認は実際には得られないことのほうがはるかに多い。だから困難を強いられた人は、忸怩たる思いと悔しさに塗れ、それでも生活の中で折り合いをなんとか見つけ出そうとしていくものなのだが、自己を再認識する段階でやっぱりこの承認を求めてしまう。病院に閉じ込められたふさ子にとって、病院の外に向けて手紙を書く必要があったのはこのためである。これからの人生を病院で過ごす覚悟と交換に得たいものがあった。認められたい思いがあったのだ。生まれ直しの最中で、胎児としてのふさ子にとって、社会と繋がっている存在とは「母」だった。胎児が胎盤を通してのみ外の世界と繋がっているように、ふさ子は母を通して、世界から承認を得ようとする。母へ向けての手紙は、胎児にとっての臍帯と同じで、胎児の命がそれによって保たれているように、ふさ子は手紙を書き送ることで、自らの魂を保とうとしているのだ。そして、書くことで得たいものがあるのは、小林美代子も同じである。美代子は五年間、精神病院に入院していた。「髪の花」は退院後に書き上げられたものだ。病気によって何もかも失ってしまった自分を再構築するために、美代子は小説を書くことにした。それはただ書かれるだけでは不十分で、人々に読んでもらう必要があった。社会からの承認が必要だった。自らの尊厳は、自分の頭のなかだけで作りあげることはできない。人としての尊厳は、社会から自分がどう扱われるかという問題であり、常に社会と対峙している。自分が自分の人生に納得するには、社会から自らの人生を認めてもらう必要が絶対にあるのだ。だから美代子は書いた小説を新人賞に応募した。群像新人文学賞の受賞の言葉から引用しよう。



入院で、自分を代表していた魂、自分にも他人にも、これが私だと示していた人格を、一切失って、空の肉体だけで世に戻ってきました。魂のなかった私の肉体への魂の火入れ式は今度の受賞でした。受賞によってようやく新しく誕生できます。今度こそ、自分の願う自分を作ってゆきたいと思います。
 
                            小林美代子「受賞の言葉」より抜粋
 


 小説の主人公ふさ子が母という社会へ向けて文章を書き、生まれ直しをしようとしたように、小説の作者である美代子も同様に「髪の花」を書いて、精神病院退院後の自分について生まれ直しを果たしたのである。
 病気になることで生まれ直しを強いられるのは、もちろん病気の症状も原因であろうが、社会的な要因も大きい。精神病に対して薬物療法が有効になったのは第二次世界大戦後のことで、戦後、次々と新薬が開発され、精神病は歴史上初めて治療可能な病となった。しかし、かつての日本では経済的理由から高価な薬を必要な量だけ使うことも難しく、精神病院での治療は決して満足なものではなかった。当時は病院側の人権意識も低く、患者への抑圧も大きかった。「髪の花」が発表される前年の一九七〇年三月、朝日新聞夕刊に連載された「ルポ精神病棟」では、新聞記者がアルコール中毒を偽装し精神病院に患者として入院し、当時の精神病院の陰惨な実態を暴いた。美代子の入院生活についても過酷な面もあったのは確かで、それがいっそう彼女に生まれ直しをつよく強いたのかもしれない。「髪の花」を一九六〇年代の精神医療の実態を反映した当事者による貴重なルポルタージュとして読むことも可能である。実際、新人賞の選評で大江健三郎はこの作品を「なまなかのことでは動かしがたい、ひとつの証言」であるとして記録的側面を評価した。選考委員は他に野間宏、安岡章太郎、それに江藤淳で、もっとも「髪の花」を強く推したのは江藤であった。「この作品の新味は、狂気を自己主張あるいは自己顕示の手段と心得ているかのごとき幾多の現代小説のなかで、狂気の苦しさというものを描き出している点にある」と評し、作者の切実さに向き合おうとする。



近頃では、狂人のほうが正常人より純粋だとか、むしろ現代社会の“歪み”が狂人によって告発されているのだというような言説をなす者が、専門の精神科医のなかにさえときおり見受けられる。インテリの寝言とはこのことであって、こういう曲学阿世のともがらは、狂人のなかにひそむ治りたい願望について、一掬の涙すら注ぐことができないのである。
 
                                              江藤淳「選評」
 


 精神病者を単に社会から疎外された存在としてのみ考える言説は、病者自身が味わっている苦しみの半分しか理解しようとしていない。社会が病気に与えた隠喩によって患者は苦しんでいるのだと述べたとしても、その言葉は社会に適応している人々に対して戒めの言葉となって届くだけで、今実際に困難にある者たちの側には向いていないのだ。病によって苦しめられている人間は、その苦しみの原因が何であれ取り除きたいと願っているし、病気の回復を心底祈る。社会が精神病者を差別しなくなれば、まるで病者には一切の苦しみがもたらされないかのごとく述べる言説が流行した時代もあったが、そういう言説を生み出す者こそが病者を自分たちとは異質の人間であると看做していると思う。健康な人が風邪で高熱を出して寝込めば、病気の回復を心待ちにするは当然で、精神病の場合も同様に病者自身がいちばん病気の回復を願っているのだ。高熱によって普段の仕事ができなくなるように、精神を病んだせいで今までできていたことが上手くいかなくなるのは病者にとっても辛いことだろう。病気が回復して市井の人たちと同様の生活を送りたいとも願う。現実は病がそれを難しくするので、困難に見舞われた者は、困難を引き受けるために、その困難についての自伝を書こうとするのである。
 江藤は選評で「作者が生きることへの謙虚さを持ちつづけている」と書いた。狂気を見せ物のように売り物にする小説が幾多あるなかで、「髪の花」はえんえんと苦しみを描写していった。生き続けるための作業のひとつとして作中のふさ子は手紙を書き、美代子はこの作品を書き上げたのだ。その入れ子構造は作者にとっての切実さによって成功したのだし、江藤が「謙虚」という言葉で示したものはきっと、困難な現実を受け入れると同時に生きていくための希望も捨てない、背反する事柄を同時に引き受ける静かな覚悟なのだろう。絶望的な現実においても、ふさ子は自殺を否定し生きていこうとする。引き受ける家族もいないふさ子が病院を退院することは、たとえ病気が回復したとしても、当時の社会では望むことができないだろう。しかしふさ子はひそかに祈っているのだ。いつか奇蹟がやってくるのではないか。根拠は何もない。若い患者のりえ子はその奇蹟を信じることができなかった。現実を受け止めることは、希望のまったくない絶望でしかなく、生きる動機を見つけることもできない。りえ子には最悪の結果がおとずれるのだが、死を選ばなかったふさ子との違いとは、祈りがあったかなかったかだろう。りえ子の母親もまた発狂し別の病院に収容されるのであるが、それを見舞いに行ったりえ子について、次のように書かれている。



りえ子は正常な人間の側に立って、見舞客として同病の患者を見る時、相憐れむよりも、自分だけはこの仲間から抜け出したいと切に思った。自分の正気が自分の狂気を軽蔑し、許さないのである。自分の正気の冷たさにぞっとしながらも、同じ病気の仲間を許せない気がした。発病して待つ何物もないのに、何かの僥倖を待っている。限りなく待っている。その甘さが許せないのだ。
 
                                        小林美代子「髪の花」
 


 りえ子は同病の者たちが祈りを持っていることを軽蔑した。彼女は現実を受け入れていないのではない。現実をあまりに冷静に捉えているため、自身の病についても客観視してしまうのだ。つまり現実を受け入れすぎているのである。客観的に見れば、自分にはもう全くの可能性が潰されていて、生きていくための希望はどこにもない。そんな状況では人間は生きていけない。現実から逃避して奇蹟を信じる部分がどこかにないと困難に押し潰されてしまう。ふさ子が誰に届くかも分からない手紙を書き続けるのは、奇蹟に賭けているからだ。諦念を完全に自分の内側に据え置くまでは、それは死を前にした老人と同じ心境であるが、困難に対し足搔き続けなければ、生きる動機を保てない。生のために祈りを持たなければいけない。油断すると、いとも簡単に死を選んでしまうから。

        * * * *
 
 『群像』六月号に「髪の花」が掲載されると、新聞などにいくつかの評が出た。異世界であった精神病院の内部を描いた小説として多くの評者の興味をそそるなかで、佐伯彰一は北條民雄と比較し、「ぼくは、戦前の北条民雄の小説を思い浮かべたりしたが、小林氏は、北条の場合と異なって観念的な昇華よりは、ひたすら即物的な定着によって、古典的な女流日記に見られる繊細な執拗さともいうべき効果を生み得ている」と美代子の文学について分析した。
 一九三四年十九歳で全生病院に入院した北條民雄は、院内から川端康成に手紙を書き、書いた小説を見て貰うことになる。翌年に「間木老人」が文學界に掲載され、北條の代表作「いのちの初夜」をはじめとする幾つかの作品が川端の手を通して世に発表された。北條の作品について同時代評を読むと、おおよそ二通りの形で批評されている。「いのちの初夜」について「異様に単純な物語を語っている。こういう単純さを前にして、僕は言うところを知らない」との感想を述べた小林秀雄のように、作者にとっての切実さを評価したものと、丹羽文雄らが言うように、記録としての価値は認めるが、題材が特殊すぎるから文学としての普遍性を持たないのではないかという批判である。この二種類の評価はひとつの硬貨の裏表のようなもので、前者のように肯定的に評価するのも、世の中の多くの人々が体験することのない「特殊な世界」を描いたからこそ、その作者の切実さが素朴な形で文学を形作っていると考えているのであり、後者の否定的な評価は、その特殊性を難じている。そのような世界を描いた作品であっても、作品がその特殊性を突き破る価値を持っていれば、このような評価から逃れることができるわけだが、果たして北條民雄の文学がそこまで力を持っていたかは疑わしい。確かに北條の小説は当初ベストセラーになり、戦後もある時期までは読み継がれてきた。しかし現在、北條民雄の小説はアンソロジーとして文庫に収録されているだけで、新刊書店には北條民雄の文庫本は並べられていない。時代は北條民雄の文学に普遍性を認めなかったのだ。それは北條が患った「癩」、つまりハンセン病を取り巻く社会状況が一変したことと関係があるだろう。病気が薬により完全に治療可能となり、病気を怖れる必要がなくなった。患者への隔離政策は確かに長期に及んだが、それも二十世紀の終わり頃には撤廃された。北條民雄が読まれていたのは、異世界を描いた記録としてであり、社会の状況が変わり、その異世界が成立しなくなったら、情報としての価値も薄れたのだ。今でも北條の小説群には当時の社会がハンセン病をどう扱ったか記録としての価値はある。けれど、あくまで過去の話である。同時代の人々が好奇心をもって恐る恐るのぞき見したような、卑俗な価値はもうない。小林美代子の小説は、北條民雄のものとは、文体も違うし、佐伯が言うように書かれている意識も異なる。一九七一年に講談社から出版された小説集『髪の花』はロング・セラーとなり、一九八四年の時点で十一刷となっているが、やがて北條の作品と同様に絶版となり書店から消えた。精神病の治療技術が進み、病院の処遇が改善されていくなかで、「髪の花」で描いた異世界は同時代の日本には存在しなくなり、人々の関心も薄れたのだろう。やはり美代子も北條も同様の読まれ方をされていたのではなかろうか。困難にある者が、その困難を題材に文学を作っても、異世界についての情報として消費されるだけで、時代の変化に淘汰される運命にあるのだろうか。今あらためて小林美代子を読むことの意味はどこにあるのか。
 プラトンは『国家』第十巻で詩人追放論を訴えた。そこでは芸術を批判するため、ある喩えが述べられる。椅子のイデアがある。椅子職人は椅子のイデアに似せて実生活で使用する椅子を製作していく。画家は椅子職人の作った椅子を見て真似て椅子の絵を描く。芸術の創作物とは、イデアを真似た実物、それをさらに真似たものであって、「真実という王から遠ざかること第三番目に生まれついた素姓の者」なのだ。



ホメロスをはじめとしてすべての作家たちは、人間の徳――またその他、彼らの作品の主題となるさまざまの事柄――に似せた影絵を描写するだけの人々であって、真実そのものにはけっして触れていないのだ。

                              プラトン『国家』(藤沢令夫訳)
 


 この時、プラトンが前提としているのは、イデアを真似てできた実際を皆が共有できているということだ。イデアは不可視であり、私たちが取り扱っている実際はイデアの模倣品にすぎない。その模倣品をさらに模倣したのが芸術作品であるわけだが、そんな真実から遠く離れたものを用いなくても、実際にあるものについて論じればいいだけではないかとプラトンはいう。皆が椅子という道具を知っていて椅子が目の前にあるならプラトンのいうとおりだろう。しかし椅子の存在を知らない人々に対してはどうだろうか。椅子を知らない人々に椅子について伝えたい。だが椅子そのものを手に入れることができない状況にあったなら。この時、たとえ創作物が影絵のように真実に対して不誠実であったとしても、創作物にしか真実にたどり着ける道がないのである。社会の少数者が直面する困難について描いた作品を読む時、多くの人々にとって、イデアを真似て作った椅子そのものであるような現実は体験しようがないものなのだ。真実という王から二番目のところについて触れることができないからこそ、たとえ三番目のものであったとしても、創作物は価値を持つ。しかもただ記録としての価値があるだけではない。椅子を知らない人間が椅子の絵だけを見ることで、椅子についての想像がふくらみ、椅子のイデアにより強く焦がれることがあるのではないか。創作物であることでイデアへの恋慕は強くなり、第二の姿を知らないからこそ、よりイデアと直結しやすくなるのではないか。アリストテレスは創作は人間の本性に根ざしているという。模倣することと模倣されたものをよろこぶことは、人間に備わった自然な傾向であり、醜い動物や人間の死体のように実物を見るのは苦痛でも、それらを正確に書いた絵であれば、見てよろこぶ。「髪の花」ではどこまでも悲惨なあり様が描かれている。これが単なる精神病院の内部を描写した記録であれば、大多数の人々にとって読むことを避けたいものになろう。創作物という手段をとったからこそ、美代子の思いは伝わりやすくなったのである。真実に到達できる道を指し示す創作物は、情報としての価値を超え、時代に打ち勝つ可能性を持っているはずだ。
「髪の花」を読むことで到達することのできる真実のひとつに祈りがある。この小説で表現される祈りは、時代によって風化しない普遍性を持っていると思う。その祈りは、困難な状況にあるからこそ純化されたものであり、小説という形をとったからこそ私たちの前に切実さを伴って提示されるのだ。祈りの向こう側に何があるのか定かではなくとも、もはや手段としてではなく目的として人が祈る時がある。「髪の花」を読むことは祈りの現場に立ち会うことだ。書かれた当時とは社会や病気を取り巻く状況が大きく異なってきた現在、この小説の祈りは私たちの前に姿を見せはじめたのだ。もう一度、読まれるべき条件は整いつつある。
(本郷保長)

PDFはこちら
 渇望する魂――小林美代子について【2】
 渇望する魂――小林美代子について【3】