Google マッププリピャチ2-Edit
写真:2015年のチェルノブイリ原子力発電所近郊空撮。現在も立ち入りは制限されている(© Google Maps、キャプチャ&補正=東間 嶺)

第一回(10/03~10/10)から続く。】

◆ 10月2回目の更新。約20日空いたが、思った以上に記録すべきニュースが多く、なんとも長々とした回になった。次からはもう少しコンパクトにしたい。

◆ 10月全体で特に印象的なのは、イギリスが中国製原発の導入、日本がイランの核支援を決めたことだ。どちらも、引き返せない一歩を踏み出した感がある。川内原発二号基再稼働&伊方原発三号基再稼働決定は驚くようなことではなかった。あとは、河野太郎議員の入閣と、《NPO法人ハッピーロードネット》が実施した国道6号線の清掃をめぐる炎上などだろうか。会の趣旨自体は理解も賛同もするのだけれど、地元の再生を願う活動が、櫻井よしこのように強く政治的な立場を持つ人たちと関わることは誤解のもとであり、賛成できない。《ハッピーロードネット》が、正面から原発を推進する政治運動なら、話はまた別なのだが。

◆ それでは、以下、11日のニュースから。

World Nuclear News(2015/10/10~10/21) 


◆ ワールドと題しながら完全ドメスティックに終わった前回を反省?し、まずはワールドなニュースを。来年4月で事故発生30年周年を迎えるチェルノブイリ原子力発電所だが、大規模な国際プロジェクトとなった収束作業は現在も延々と続く。メルトアウトし、地下で《象の足》となって固化した四号基の溶融核燃料回収は断念され、崩壊した建屋を覆う鉄板とコンクリートの老朽化した急造プレハブ…《石棺》を移動式シェルターへと更新する工事が進められている。

◆ 汚染の度合いが大きく違うこともあって、チェルノブイリは福島のように発電所周囲30キロの立ち入り制限は解除されていない。放棄されたまま神秘的とも言えるナウシカ的世界が現出するその《ゾーン》では、以前から動植物の増加や繁茂が観察されている。AFPの記事で特に指摘されるシカ、イノシシ、オオカミにとっては、被曝より《天敵》がいなくなることの方が種の繁栄に寄与するのだ。ある種のエコテロリストが生活圏に放射性物質を撒き散らすことで《環境保護》を図ろうとしている、というジョーク(とは言えないのかもしれない、もはや)が囁かれる理由もここに由来する。

◆ しかし、そうして繁茂し、放置された自然は人間にとっては災厄をもたらす種となる。異常な乾燥・干ばつによる山火事や森林火災は去年から今年にかけて、特にアメリカのカリフォルニア州で起きたものが大きく報道されたが、手付かずの《ゾーン》でも、同じ事象が発生した。違いは、燃える草木に積もった物質にある。

◆ 現在の状況では風に乗って飛び散る放射性物質も僅かであり、遠方まで再度の大汚染をもたらすとは考えにくいが、持続性という点において核災害の本質を示す事象だ。深刻さは異なるが、福島もチェルノブイリと同じ問題へ対処し続ける必要がある。


◆ 東京新聞の記事より。9月の大雨によって栃木や茨城に大きな被害をもたらした関東・東北水害のさい、除染廃棄物を含む《指定廃棄物》の処分場(長期管理施設)候補地が浸水被害を受けた疑いがある、というもの。除染の廃棄物をどこに保管するかという問題は、震災以降、各地でトラブルを引き起こしている。9月の大雨は集約施設の適地を選定する難しさが改めて浮き彫りになった形だ。

◆ それにしても、塩谷町は適地と言えないのかもしれないが、「うちだけは御免だ」という姿勢が見えすぎる拒絶は、NIMBY(ニンビー)的で、感心しない。処分場はどこかに作らなくてはならず、某地の反対運動奏功は、また別の某地が候補となることとイコールなのだから。


◆ 塩谷町の件と同じく、9月の大雨被害によって仮置き場からの廃棄物流出が福島でも報告されている。こちらは急場しのぎの分散→放置によるリスクが顕在化した形で、今後も県内各地で起きる可能性がある。幸い、福島では中間貯蔵施設予定地への運び込みが徐々に始まっているが、きちんと施設が建設されるのか、十分な防護措置が取られるのかも含めて、注視していく必要があるだろう。担当する環境省の役人(小沢晴司)は、頭も口も軽い前の大臣同様、無神経さはご同類のようで、先が思いやられるのだけれども。


◆ 丸川珠代を最初に《TVタックル》で観たのはいつのことだったか。わたしは後任の江口ともみの方がずっと好きだったので交代を喜んだような記憶が薄っすらあるが、首相と親しいヤジ好き右派議員としてのイメージがあまりに強くなってしまい、タレントだったときの印象は朧になっている(地元の駅で街宣の応援に立っていたときに見かけた印象は、国会で怒鳴っているときと全く違っていた)。

◆ 現首相に近すぎることの賛否はともかく、頭も口も軽い以前の大臣と違って、幹部の失言を否定するタイミングは適切だった。しかし、事態は当の省庁幹部が発言の否定に走って大臣を批判するという、全く意味不明な様相を呈している。上の読売記事であれだけ詳しく経緯を書かれているにも関わらず、「そんな発言はしていない」という言葉が省幹部から飛び出すのは理解し難いが、ニュースで指摘される通り、省内部でゴタゴタがあることは間違いないようだ。こんなことが続けば、環境省自体が復興を妨げている、と言われてしまうだろう(既に言われている?)。


◆ 上に引いた丸川大臣の"おわび"より数日前のニュース。大臣が地権者交渉の難航を問題視しているのに、殆ど間を置かないタイミングで役人がそれを否定するような発言(我々は頑張っている)をしたことになる。「すぐに替わる大臣は後先考えず安請け合いすれば良いが、実際の交渉はこっちが泥を被るんだ」とでも思っているのだろうか。大臣は、民主党を怒鳴りつけていた威勢を、ここでも発揮しなくてはならないようだ。


◆ これも廃棄物処分場と環境省絡みのニュース。栃木では塩谷町が浸水を理由に「不適地だ」と反発しているわけだが、宮城でも同様のことが起きている。かつてソ連はチェルノブイリ事故の後始末をするのに、問答無用で土地収用や住民退去を命令したが、日本は民主制国家であり、ああしたことは出来ない(やるべきでもない)。延々と綱引きのジレンマだけが続く事態に、進展はみられない。候補地の住民は、「東電の敷地に持っていけ」と言うが、現実的でないことくらい、理解しているだろう。結局のところ、「最後は金目」になる他は無さそうだ。倫理の言葉では、容易に人は動かない。


◆ 3.11以後の浜通り地方をどう記録し、どう報道するのか。殆ど立ち入りが許されなかったチェルノブイリと違い、発災から4年半にも関わらず、既に同地を記録する行いは、ある種の踏み絵と化している。何を強調しても、どこからか批判の矢が飛んでくる。崩れゆく街並みと積み上げられた廃棄物、防護服の作業員、一時帰宅する住民たちを写すだけで、安易なセンチメンタリズムであり、同時に危険なセンセーショナリズムだと《良識派》は指弾する。開通した6号線を行き交う車輌や再開した店舗、少しずつ住民帰還の進む場所を中心に捉えれば、「まやかしだ!」「欺瞞だ」と別の《良識派》が非難を浴びせる。どちらの言い分にも一理はあり、それが事態の複雑さを露わにしている。

◆ 安上がりで賢明な選択は、「関わらない」ことだが、長い目で見れば、忌避は実態とかけ離れた神秘化を加速させることにしかならない。東浩紀の言うように、誰もが可能な限り立ち入りできるよう法整備し、どんどんと、好き勝手に記録が公開されることが望ましい。情報公開だけが、スティグマを薄めることに寄与するだろう。悲劇的で重々しいランドスケープと同時に、軽薄で凡庸なスナップが必要なのだ。福島には、まだまだ、《写真》が足りない。まだまだ。


◆ 前回も触れた河野太郎議員の入閣に伴うブログ閉鎖騒動。リニューアル後も以前の記事は閲覧不可のまま。内閣の一員として発言に制約を受けることと入閣以前の発言はまた別なのだが、本人は《けじめ》としている。23日のブログでは、【米軍の原子力艦の災害時における避難判断基準を現在の100マイクロシーベルト/時を原発並みの5マイクロシーベルト/時に見直します】と書く。基準値見直しの是非はともかく、仕事をするぞ、という姿勢と実行力は期待できそうだ。


◆ 日経より。開通した国道六号線(通称、陸前浜街道)を高校生も含む地域住民や復興関連の事業者で清掃する、言ってみればそれだけでしかないこのボランティア活動は、しかし当事者を離れたところで賛否が先鋭化し、関連する言説はいくつも炎上した。それらの有様は、原発をめぐって先鋭化し続ける歪な政治的対立の構図を、くっきりと浮かび上がらせている。

◆ 被曝の害を強く言い立て、清掃活動を阻止しようとする反対派に、心からそれを信じている人は多くないだろう。政府を指弾するための道具でしかないという本音が、漏れ出て見える。住民の帰還を前提とした活動は、なんであれ全て権力を利する行為に過ぎず、攻撃の対象なのだ。大半の参加者(地元住民)にとっては、腹立たしさしか残らない外部からの無責任な脅迫である。

◆ 反面、今回の清掃を主催した《NPO法人ハッピーロードネット》がまるで政治的な色彩を帯びていないのかと言えば、それも違う。同団体が行っている《ふくしま浜街道・桜プロジェクト》には櫻井よしこが賛助者として大きく名を連ね、代表者の女性が櫻井のウェブ媒体である《言論テレビ》にも出演している(しかも、強硬な原発推進派として有名な北大教授、奈良林直と一緒に)となれば、どうしたって「そちら側の人」と見られてしまう。櫻井よしこが一体どういう人物であるかは、わざわざ繰り返すまでもないだろう。

◆ 色のついた、旗幟鮮明な《運動》ではなく、あくまで市民の生活改善行動であるなら、どのような主張であれ、強く政治的なスタンスを持つ人物とは極力関わらないことが望ましい。櫻井の側も、本当に支援を望むなら、自分の名前を表に出さない方法を取るべきだ。自身の主張に利用するようなふるまいは、ご当人がよく批判している左翼のやり口そのものである。

◆ 付け加えると、《「フクシマ」論》の開沼博が、このプロジェクトを全面的に擁護するテクストを《電気新聞》に寄せている。最近になって決裂した東浩紀との往復書簡での攻撃的な書きぶりもそうだが、彼の言説も、ずいぶんと政治的な色合いが濃いものへと変化しているように感じられる(テクストの内容そのものはまっとうなことを言っていると思うが)。


◆ 河北新報記事より。除染作業を担当する業者の法令違反、モラルハザードが減らず、蔓延したままの状態が続いているとのこと。除染に関しては、そもそもの有効性と必要性の疑問を、推進派、反対派双方から投げかけられるという異常な構図の中、朝日新聞の追跡報道をはじめとして、これまでもたびたび労基法違反や偽装・手抜きが指摘されてきた。しかし、多重下請構造の改善も含め、国は一向に有効な手を打てていない。8月に起きた大阪、寝屋川の中学生殺害事件の犯人が作業員だったと判明したさいは、川俣町が除染作業の中止という行き過ぎた要請をするほど、地元からも不信感を持たれている有様だ。

◆ 大臣就任早々、幹部の尻拭いに駆り出された丸川珠代がすべきことはあまりに多い。


◆ 電気新聞、環境ビジネスオンライン、日経より。2015年度冬季の電力需給は、全国全てで数値目標、および電力会社間の融通なしで安定供給(予備率3%以上)が実現される見込みになっているという。九電の場合、川内原発一、二号基の再稼働によって、火力発電所等の補修停止を見込んでも十分な余裕が確保できる見込み。但し、未だに追加の火力発電燃料費は2兆を超え、CO2排出も2010年比で増加を続けている。

◆ これらの記事からしても、やはり短期的にはいくつかの原発を動かしつつ電力供給の計画がなされる方が、現在の日本にとっては望ましい。単に予備率の余裕につながるだけでなく、原発の稼働維持は火力発電所を停止させる余裕や、CO2排出抑制、廃炉をはじめとした核技術の維持にも関わってくる。長期的なベストミックスがどうあるべきかは、また別に考えれば良い。


◆ 米欧とイランの核合意締結を受けて、イランに義務付けられた《原子力安全センター》設立に日本が協力とのこと。原子力技術の輸出に熱心な安倍政権がさっそく動いた形。ロシアや中国との関係を考えれば、日本が独自にイランとパイプを作っておくのは悪くない選択肢だろう。例のホルムズ海峡(笑)のリスクも、ますます低くなる。


◆ 河北新報記事。停止中の女川原発で、実験時の作業ミスから外部電源が二度も落ちるトラブル。平時にも関わらず、非常用電源の起動実績を残すという不名誉を記録した。指定手順の省略から全面停電というのは、一体どういうことなのか。運転員の練度へ重大な疑義が生じざるを得ない。震災時は東電よりマシだった津波想定と立地に助けられたこともあり、大惨事をかろうじて免れた当該原発だが、未だ再稼働など考えられる状態からは遠い。


◆ 朝日報道。3.11並みの巨大地震が起きた場合、地盤沈下等によって避難できない恐れのある集落が出てくるのは川内原発に限らない。かつて原子力委員会が定めた立地審査指針の内容により、居住人口の少ない僻地にしか建設できなかったのが日本の原子力発電所であり、地形的な制約もそれを後押しする。

◆ 実際には、震災があったからと言って必ず原発が事故になる訳でも避難道が塞がれる訳でも無く、そもそも何も起きない可能性はもっと高い。あまりにも時間がかかるなら、周辺状況次第ではあるものの、運転しながら計画を進める手が次善の策として残されて良いだろう。個人的に、川内はそのケースに当てはまるように思える。

◆ だが、十分な検討自体が為されないまま、ただ放置だけが続くことは実際に大事故を経験した日本では倫理的に許されない。今後、中長期的な整備も含めた避難計画は、規制委員会の審査対象に加えられるべきだ。


◆ 福井新聞、読売、日経ビジネス記事から。それぞれのニュース自体は独立のものだが、いずれの内容も、今後の日本において、原発が減少する流れは確実だということを示している。敦賀市のJCが行った意識調査では市の未来に多くが悲観を示したようだが、敦賀原発の再稼働が絶望的な状況ではそれも当然だろう。敦賀以外も、廃炉計画の進む玄海原発をはじめ、今後は老朽化した炉が閉められるケースが増える。一方、日経ビジネス記事が指摘するように、原発のみに注力しない政権側の都合や司法の厳しい判断もあって、再稼働は限定的になる可能性が高い。往年のような稼働数に戻ることは殆ど想像できない。 


◆ 世界の反原発派は、今後の重要なターゲットの一つに、中国を加えるべきだろう。明らかに、今後十数年でもっとも発電規模を拡大するのは彼の国だからだ。businessnewsline記事の【年5~8施設の原子力発電所の新設を行うことで2030年までに目標の110施設の新設を行う予定】が本当に実現するのかは定かでないが、揉み手を隠さないイギリス政府と歴史的な合意となった原発輸出も含めて、本気の度合いは疑うべくもない。

◆ イギリスへの輸出に関して、経済性や安全性などさまざまな点から疑問を投げかけられているが、それ以前に、猛烈な勢いで建設される予定の国内原子炉で本当に安全性を担保できるのか。今後もっとも規模拡大を実現するのは中国と書いたが、一基でも大事故になれば全てが白紙に戻る。そして、確率論からみれば炉数が増えれば増えるほど、また技術論からすれば急げば急ぐほど、トラブルの可能性は上がる。チェルノブイリ原発事故がなぜソ連で起きたのか、世界はいま一度思い返すべきだろう。わたしは、何が起きても驚かない。


◆ どこの園子温ですか?映画の内容を知った途端、そう思った。原発事故→避難→妊娠という設定からして、園が数年前に発表した最悪の駄作である《希望の国》を連想しない方が難しい。このニュースを見て、数年前、当エン-ソフへ書いたエントリを久しぶりに思い出した(安いホラーとしての「希望の国」)。ただ、キム・ギドクは非常に優れた監督であり、園とは違って観るに値する作品を撮っている可能性も捨てきれない。国内で公開されるなら、観てみようと思う。怖いもの見たさ、という点は否定しないが。


◆ 《ベント》という言葉ほど、福島第一原発の事故直後に起きた混乱の記憶と結びつくものはない。首相から官房長官から経産大臣から防衛大臣まで、ベントベント、とにかくベントと、なんとかの一つ覚えのようにこの言葉がリフレインしていた。ベントさえすれば、なんとかなる!

◆ で、現実はなんとかなったような、ならなかったような状況で推移していった訳だが、それはそれとして、ベントは、依然として強い意味をもっている。なにしろ、装置が、規制委の適合審査基準に含まれている。電力会社は、せっせと設置工事を進めている。しかし、ベントは、原発という装置にとってはそもそもイレギュラーな行為なのだ。必死で閉じ込めようとして何重にも安全措置を施しているものを、自ら外へ放出しようというのだから。

◆ 確かに、東電が据え付けようとするフィルターが完成すれば、ヨウ素の殆どは吸収できるのかもしれない。けれど、そもそも、ベントだなんてものが行われない状況を維持することに、もっと注力すべきではないかな。え?まずもっと状況(原発の存在)自体がおかしい?それはそれは……。


◆ なんとかの一つ覚えと化していた《ベント》の結果が、また明らかに。岩手や宮城の汚染が三号基由来だったとは。あのときは、お釜(格納容器)の大破壊を防ぐために減圧→注水の繰り返しを続ける必要があったのだから仕方がないとはいえ。やはり、ベントは最悪を避けるための悪手以上のものではない。


◆ 赤旗新聞から。米でも老朽原発は廃炉の選択を迫られている。当地の発電所は、40年の日本よりずっと長い60年間の運転が認められているが、ピルグリム原発は安全対策費増加、シェールガス革命などの要因から、相対的にコスト高と判断された模様。経済合理性からも、これから多くの先進国で原発は減ってゆくだろう。課題は廃炉後に必要となる、最終処分場の合意形成だ。


◆ 原発の再稼働が進むにつれ、顕在化する廃棄物の処分問題。核燃料サイクル前提の再処理を維持するのかどうかも含めて、先送りにできる時間は限られてる。ロイターの報道は、前回も触れた4日の地層処分に関するシンポを受けて、いかに処分への理解が進まず、再処理政策が破綻しているかを示した記事。iRONNAのオピニオンでは、原子力発電の恩恵を受けてきた世代の責任として、そうした状況を打開せよと元経産官僚の澤が訴えている。

◆ 従来型の核燃料サイクル自体は、今回最後のニュースとして取り上げた《もんじゅ》の決定的な失敗もあって継続不可能と言って良い(ロイター記事はその辺りを簡潔にまとめている)。しかし、再処理の工程そのものは廃棄物の減容につながり、消滅処理等の技術開発にも寄与することが期待できるという。既に使用済み燃料等の一部貯蔵施設が稼働している六ケ所の再処理工場は、機能を転換する方向で維持の検討をすべきだろう。

◆ 何れにしても、廃棄物は原子力を始めた社会が始末の道筋をつけなくてはならない。その意味で、澤の【「未来世代への配慮」は、実は「現世代の怠慢」の同義語になりかねない】、【結局、原発の恩恵を被ってきた現世代が、最終処分地選定に向けてのプロセスを断固として進めるのだという強い政治的意思が、政権に必要とされる】という主張には強く賛意を示したい。重要なのはトレイではなく、埋立地を決めることだ。


◆ ロシアの通信社、Sputnikの報道。福島第一原発からのフォールアウトで被曝した人々は、幸いにも一部作業員を別とすれば治療の必要があるレベルの線量を受けることはなかったが、除染やサーベイの対象となった住民は多数にのぼった。それらに対して、スタッフが十分に確保できていたとは言えない。各地に備えが必要だが、今回の決定では、一つのセンターで対応する範囲が広すぎるのではないかという懸念がある。今後、全ての県に設置が進むことを望みたい。 


◆ あまり明るいニュースが無い旧警戒区域内から、貴重な報告。川や海の汚染はまだまだ残っているが、しかし、どちらも引き揚げられた魚から検出される放射性物質そのものは減り続けている(未検出も多い)。俄に信じがたいことだが、事実は事実だ。事故の規模からすれば、考えられないほど低い汚染にとどまっているのは、幸運としか言いようが無い。二度目はない、と肝に銘じるべきだろう。


◆ メルトダウンした燃料の回収に次いで収束作業最大の難関である汚染水処理も、海洋放出という次のステップに入ってきている。ALPSだのSARRYだのと騒いでいたことが遠い昔のように感じられる(今もって、どちらも重要な役割を果たしているが)。地下水の流入が止められず、処理水タンクが置ける敷地面積も限られる以上、いずれは継続した海洋放出をしなくてはならない。トリチウム以外の核種が検出されず、トリチウムが基準値を満たすなら、地元も理解を示す必要がある。そのために、東電の情報公開姿勢こそがもっとも問われるのは言うまでもない。


◆ ようやくテロ対策で身元調査を導入。某フリーライターが「潜入取材の妨害だ!」などと意味不明な非難を浴びせていたが、優先されるべきは有象無象の取材者の潜入より安全の確保だ。核は持つが軍施設としては管理していない日本ではこれまでもテロ対策が中途半端なまま先送りされ、福島第一原発の事故拡大につながったと一部で指摘されている(法と経済のジャーナル:米原子力規制幹部「米原発のテロ対策B5bは日本の事故にも適用できた」)。規制委は、可能な限り作業を急ぐべきだ。


◆ 2012年10月から2013年12月まで福島第一原発で働いた作業員男性が、翌1月に急性骨髄性白血病に罹患し、労災が認められたもの。「被曝で発ガン!」と一部で大騒ぎになったが、因果関係が立証されたわけではなく、1976年に定められた放射線業務従事者の労災認定基準を満たしたことが理由だ。弁護士ドットコムNewsには、その辺りが分かりやすく解説されている。

◆ 要約すれば、原発の作業で5ミリシーベルト/年以上被曝し、一年経過以後に《骨髄性白血病又はリンパ性白血病》を発症した場合、労災が認められる可能性が極めて高い。もともと救済を目的とした制度だけに、厳密な因果判定は必要としない。これまでは種々の事情で申請に至らなかったケースもあったと思われるだけに、今回の報道を受けて、申請は増えそうだ。懸念があるとすれば、「年5ミリで労災認定なら、20ミリまで安全とはどういうことか!」と言い出す人がさらに増えるだろう、ということ。確かに、見た目の基準としてはダブルスタンダードそのものだが……。


◆ もう何を言ったらいいのやら。《もんじゅくん》も、そんな心持ではないか。機器の分類や点検さえ出来ない組織に、安全性の保証されない歪な原子炉を扱わせて良いはずがない。昨年4月のエネルギー基本計画で、《もんじゅ》はついに高速増殖炉ではなく減容炉へと方向転換が示されたが、このテイタラクでは、永遠に稼働など不可能である。


(以上、10月22日まで。以下次回)