数日前から、なぜか突然夏が終わってしまったようだ。唖然としているうちに、ぼくの大好きな秋がやってきた。夏のことは別に愛してはいなかったけれど、こうも唐突に終わられてしまうと、しじゅう暑苦しい風体の、何につけても押しつけがましい、しかし、親友と思っていた人物と、突然音信不通になってしまったかのような、ある種の喪失感がわが心中をかけめぐってくることは否めないのだった。
ところで、先日Facebookで、このエンソフというサイトの管理人でもある東間くんが、ぼくの文章のことを「着眼点にしても修辞の用い方にしても、私的な感想をとりとめなく語ることで読み物としての美質が出てくるタイプかと。酒飲みながらニコ生でダラダラ配信して
いる生主のトークのようなテクスト」と評しているのを見て、ぼくはうんざりというか、心底けなされていると感じがっかりし、でもやはりぼくの本領はエッセイ風私小説的日記の分野にあるのだろうかと思ったりしたのであった。
ぼくは最近、自分の人生の無常感にうちのめされ、アルバイトが休みなこともあって日がな惰眠をむさぼりながら、まめに更新される美術家の友人・新宅さんのエッセイ日記(http://tomonishintaku.com/blog/)を読んでは、彼の作文能力の高さとそのモチベーションが一体どこから出来しているのか考えあぐねていた。考えあぐねていたというのは正確ではなく、ただなぜそのように適度に面白い文章を量産できるのか嫉妬の念にさいなまれながら、連日/一日中ウトウトと過ごしていたといったほうが正確だろう。いずれにしてもその怠惰な生活によって限界ギリギリまで膨らんだ自分の腹回りは、ぼくにとりあえずPCに向かってlivedoorブログの管理ページを開くように告げたのである。
さて、ぼくの私生活では目下非常に大きな問題が発生しており、そのことをここでぶちまけてしまってもいいのではと悪魔のささやきが聞こえるが、さすがに今はその時ではないとぼくの理性は堅く主張するので、そのことについて書くのはやめておこう。別に書いてしまってもいいのだが、そしていまぼくの上に大きく覆いかぶさっている無力感の源泉はそこにあるといっても過言ではないのだが、書くのはよしておこう。別にぼくが大人になったわけではない。でもいろいろなことをネットに書くとそれが意外な人物を傷つけてしまうことがあったり、その人物の周辺からバッシングを受けたりすることもあるので、端的に、うかつには書けない、ということなのだ。まったくつまらない時代になったものだ。まだインターネットがアンダーグラウンドメディアだった1990年代末が懐かしい。
そういえば、ぼくは昨日の夕方、近所のファミリーマートへ行ってクックドゥーの麻婆茄子のもとを210円で購入したのだが、自宅の冷蔵庫に入っている茄子の量が少ないことと、ひき肉を買い忘れたこともあって、それを冷蔵庫の横にある棚に何気なく置きっぱなしにしている。茄子は今は同居している妻の実家から送られてきたものであって、けっこう日が経ってしまっているので、早めに食べなければならないのだが、そのうち半分くらいを妻が自分で作ったトマト煮に入れて食べ、その半分の半分をぼくが麻婆茄子にしてすでに一度食べている。それでもまだ小さめの茄子がいくつか残っている。麻婆茄子のもとには3-4人前とはっきり記されており、いまある茄子の量だけだと少なすぎるのではないか、できれば少量の茄子とひき肉を買い足してきちんと料理して食べるべきではないかと思わないでもないのだが、そんなことをぐじぐじ考えている自分がまったくあほらしい。が、わが目をさらに冷蔵庫の下方に向ければ、実家の母から送られてきた冷凍の干物がまだまだ余っており、あと10食分は軽くあり、こちらのほうも急いで食べきらねばならないと思うと、本当に憂鬱な気分になって、強い無力感にとらわれ、なぜぼくは今から3年以上前のあの日、入曽の踏切で自殺しなかったのかと、さらに憂鬱だった気分の時のことを思い出し、さらにさらに憂鬱な気分に落ち込んでいくのである。
しかし、冷凍の干物の存在というのはおかしい。そもそも干物というのは保存食だったわけである。もともと保存食である干物を冷凍し、さらに保存性を増したのです、というのが冷凍干物業者の言い分だろうが、そこまで干し魚の保存性を高める必要は果たしてあるのだろうか。何かそこにはむやみやたらに過剰にサービスする日本的資本主義の末路の闇を見るような気がするのはぼくだけであろうか。何はともあれ、このようにぼくは再び無意味なエッセイを書き始めることになってしまった(むっちり突き出たわが腹からの指令で)。であれば、なるべく面白いことを書こうとするのが人情であり、頻度の上ではさすがに敵わないだろうが、友人の新宅さんの書くものの面白さに対抗して書き散らしていきたいと思う次第である。きょうは、ここまで。
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