SBS(新宿文藝シンジケート)読書会、2015年1月の風景。
写真:SBS(新宿文藝シンジケート)読書会、2015年1月の風景。(撮影、東間 嶺)


告知

◆ 本日より、『SBS(新宿文藝シンジケート)読書会』の公式アカウントの更新をEn-Sophで開始致します。SBS読書会は、主にこのEn-Sophというウェブサイトに参加しているメンバーの知人友人etcなどが月一回歌舞伎町に集結し、事前指定された一冊の本に対する各自の感想や賞賛、罵倒等をああだのこうだの述べてはペチャクチャ(×2)やっている集まりです。(FBグループ・アカウント

◆ 2010年11月から続いており、明日土曜には51回目(課題図書は中島義道『怒る技術』)が開かれます。このアカウントでは、開催概要を含むこまごまとした情報告知に加え、参加者によるレポート等が出れば、それも併せて更新を行ってゆく予定です(更新は主に東間が行います)。

ウツ-9
写真:SBS(新宿文藝シンジケート)読書会、第22回、2012年12月の風景。(撮影、東間 嶺


新宿文藝シンジケートってなんなの?

◆ 当アカウントの概要については前段の通りですが、そもそもの発起人、主宰者であるさえき氏が以前はてなダイアリに掲載した大変ブンゲー的な述懐がSBS全体のコンセプトを上手くまとめているので、以下に引用しておきます。「なるほどね!」と思われた方は、FBグループにコンタクトして頂ければと。


* 読書会についての覚え書き *
 

このブログをご覧になって、「新宿文藝シンジケートという名前はどうも力んでいるのではないか、というかかっこつけじゃないの?」と思う方もおられるだろう。インターネットのさまざまなサービスを通じて、人の縁が縁を呼び、新宿の居酒屋に集ってよく酒を飲みながら、いわゆる文藝について論じあう…いや主に雑談をし、ときには真剣に論を交わしあうグループのようなものが出来て、それにわたしが遊びで名前をつけたことがはじまりだ。そこに気取りはない。

文藝とは、文学と藝術のこと。それを論じるだって?確かに大仰かもしれない。ただ、新奇で凝ったことをしようというつもりはない。わたし(昭和55年生まれ)は会社員で、本はわりとたくさん読んできたけれど、しかしひとりだけで読書するのに限界を感じている。そこで読むことそのものを捉えなおしたいと考えた。そのために生でことばとことばを交わしあい、論じる場を持とうと試みるつもりだ。なかなか難しいとは思うけれど。

ことばとことばを交わすには最低限お互いがお互いを信じることが大切だ。しかし、その同志的な友誼が、場合によってはぺダンチックな術語の交し合いを愉しむサロンに堕してしまうこともあるだろう。いや、遅かれ早かれそうなるのではないかと大方の人は考えるかもしれない。わたしは、サロン、つまり社交の場を否定しない。社交だって時には必要だ。ただ、当シンジケートは、社交の場ではない。社交には社交の緊張感と気遣いが必要なことも確かだ。けれど、わたし(たち)はそこにはない緊張感と言葉遣いをめざして、時に臍を噛んだり、天を仰ぐことをめざしていくことになる。それが心からのよろこびとなることを祈りながら、ことばを紡ぐことを始めたい。いまわたしが口にできることはそれに尽きる。
 


* 読書会についての覚書―司会の立場から *


1. 人と話をするのはおもしろい。これは当たり前といえば、当たり前なのだが、ひとりで本を読み、それについて考えていると忘れがちなことだから、今後も話を分かち合うおもしろさを大切にしたい。

2. 大勢で対面して論理的に話すのは難しい。筋道を立てて書いたものを誰かに読んで感想をもらうことと、話をし合ってお互いに聞いてもらい、適切に対話をすすめていくのには大きな隔たりがある。とくにその場に参加する人の数が増えれば増えるほど、人は自論を述べたくなる傾向があるので、テキストそのものに基づいて論を交わすことは難しくなる。したがって、前項のおもしろさと並行して話の流れを時にはさえぎり、時には棹差して水路づける必要がある。

3. 論を交わすさなかに真摯/紳士であり続けようと努めること。これがいちばん肝要でしかも難しい。なぜなら誰も自分が益するように言葉を運びたくなるクセが、わたしたちの生活を通して「からだ」に染み付いているから。傾聴する、という表現があるけれど、心身を傾けて人の言葉を聴き通すのも集中力を不断なく求められるから、すこぶる難しい。

わたしたちが論を交わすことに慣れてしまうと、それはしばしば驕りを生みがちだ。気の緩みといってもいい。そうすると、誰かが感情にドライブされ、誰かを論難し、ことばでやりこめようとする場面も出てくるのが自然だろう。しかし、わたし(たち)は自分が誰かを説得したり、否定や非難をするために会に集うわけではない。これは説得的に話したり、否定や非難を一様に認めないということではない。論を反すときに、あくまでも相手に対する適切な敬意を失わないように努め続けることが望ましいという認識である。議論における最低限のマナーなどというと、手垢にまみれた陳腐さが漂うが、しかしそれは忘れてはならないし、今後会を重ね、試行錯誤を経る折にも、心すべき原則である。
 


参考:これまでの課題図書一覧


---2010年---
第1~2回:中島義道『哲学実技のすすめ』(角川oneテーマ21)

---2011年---
第3回:大山史朗『山谷崖っぷち日記』(角川文庫)
第4回:「朝吹真理子『きことわ』/西村賢太『苦役列車』(文藝春秋)
第5回:ミシェル・ウェルベック『闘争領域の拡大』(角川書店)
第6回:片山洋二郎『オウムと身体』(日本エディタースクール出版部)/竹熊健太郎『私とハルマゲドン』(ちくま文庫)
第7回:中島義道『ひとを愛することができない』(角川文庫)
第8回:谷崎潤一郎『陰影礼讃』
第9回:雨宮処凛『生き地獄天国』 (ちくま文庫)
第10回:加地伸行『現代中国学』(中公新書)
第11回:フロイト『幻想の未来/文化への不満』 (光文社古典新訳文庫)
第12回:大江健三郎『新しい文学のために』(岩波新書)

---2012年---
第13回:戸田山和久『「科学的思考」のレッスン』(NHK出版新書)
第14回:萱野稔人・神里達博『没落する文明』(集英社新書)
第15回:片岡義男『日本語の外へ』(角川文庫)
第16回:古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)
第17回:ボリス・グロイス『新しさについて』
第18回:萱野稔人『ナショナリズムは悪なのか』(NHK出版新書)
第19回:磯部涼編著『踊ってはいけない国、日本 ―風営法問題と過剰規制される社会』(河出書房新社)
第20回:pha『ニートの歩き方 ―お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法』(技術評論社)
第21回:湯浅誠『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日新聞出版)
第22回:小林多喜二『党生活者』(新潮文庫)

---2013年---
第23回:西尾維新『少女不十分』(講談社ノベルス)
第24回:岡田利規『エンジョイ』(戯曲集『エンジョイ・アワー・フリータイム』所収/白水社)
第25回:荻上チキ『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか  絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想』(幻冬舎新書)
第26回:藤井聡『プラグマティズムの作法』(技術評論社)
第27回:佐藤友哉『1000年後に生き残るための青春小説講座』(講談社)
第28回:田中克彦『ことばと国家』(岩波新書)
第29回:松谷創一郎『ギャルと不思議ちゃん論』(原書房)
第30回:鈴木寛『熟議のススメ』(講談社)
第31回:鈴木謙介『ウェブ社会のゆくえ』(NHKブックス)
第32回:坂口恭平『幻年時代』(幻冬舎)
第33回:『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』(作品社)
第34回:チャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』(河出文庫)

---2014年---
第35回:V・E・フランクル『新版 夜と霧』(みすず書房)
第36回:『ラッセンとは何だったのか?』(フィルムアート社)
第37回:小玉重夫『学力幻想』(ちくま新書)
第38回:大屋雄裕『自由か、さもなくば幸福か?』(筑摩選書)
第39回:東浩紀+桜坂洋『キャラクターズ』(河出文庫)
第40回:二葉亭四迷『平凡』
第41回:荒井裕樹『生きていく絵』(亜紀書房)
第42回:小林美代子『蝕まれた虹』(烏有書林)
第43回:岡田斗司夫『超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略』(マガジンハウス)
第44回:イーフー・トゥアン『個人空間の誕生』(せりか書房)
第45回:高田博行『ヒトラー演説』 (中公新書)
第46回:イヴァン・イリッチ『脱学校の社会』(東京創元社)

---2015年---
第47回:クレイグ・モド『ぼくらの時代の本』(ボイジャー)
第48回:萱野稔人篇『ベーシックインカムは究極の社会保障か』(堀之内出版)
第49回:ミシェル・ウェルベック『地図と領土』(筑摩書房)
第50回:大澤聡『批評メディア論』(岩波書店)