シリーズ【ジャズ批評家を読む】をはじめるにあたって

掲題のとおり、ジャズ批評家を読む、という評論のシリーズをはじめることにした。
はじめるにあたって、あいさつ代わりではないが、少しばかり申し述べたい。

2006年から2009年までの4年間、ぼくは東京・京橋にあった映画美学校という学び舎で、真に客観的な音楽批評は可能かという問いに心身を蝕まれていた。日々を倦ませる酷薄なサラリーマン生活の傍ら、さまざまな音楽を仲間たちと共に聴き、語り、学び、そして壮大にズレまくった問いに(個人的に)向き合うことでうつ傾向の激しい自分を支え、何とかいきのびていたのである。

その成果は、仲間たちと作り込んだ『TOHUBOHU』(2010年末発表)という音楽同人誌に結晶したのだった。そして、自分の命の糧である書物と、その書物への思いを共有する場所として2010年秋には新宿文藝シンジケートというなまえのよろず読書会を立ち上げて、5年間活動してきた。何もかも、自分と共鳴しあってくれた友人たちのおかげである。いまでも心から感謝しているし、その気持ちが絶えることはない。

それは、それとして。

いまぼくは20世紀のジャズ批評家が書いたものに虚心に向き合い、それを仔細に読み、思ったり感じたりしたことを書きつけていきたいという気持ちに強く襲われるようになった。前世紀に書かれ、発表され、読まれてきた無数のジャズの批評は21世紀のこんにち、果たしてどのくらい読まれているのであろうか?そしてまたいま読むに耐える優れた作品はどのくらいあるのだろうか?そういった点を勘案しつつ、みなさまに楽しく読んで頂けるよう、精進していきたい。

この構想は2015年の正月に産声を上げた。全6回の予定で書き進める予定である。この6回はさしあたって著名なジャズ批評家の作品を取り上げていく。すこし名前を挙げてみると、今回第1回目のナット・ヘンホフ、その後に控えるはレナード・フェザー、アイラ・ギトラー、コンラッド・シルバートといった凄腕の面々。日本語によるレビューシリーズなので、邦人のジャズ批評家もとりあげられればと思っている。ジャズが好きでも、そうでなくても、お気が向いたときに、ぜひご高覧頂けると幸いです。

それでは、どうぞよろしくお願いいたします!!

さえき 拝


 教養小説としての『ジャズ・カントリー』(Jazz Country)

『ジャズ・カントリー』(Jazz Country)は、1965年(昭和40年)にニューヨークのHarper & Rowから出た批評家ナット・ヘントフ(Nat Hentoff,1925-)の初めての小説作品である。同書は、わが国では翌66年末に、木島始の訳で晶文社から晶文選書の一冊として出版された。ジャズ批評家であり音楽学者であったマーシャル・スターンズ(Marshall Stearns, 1908-1966)が述べているように「本書は、ジャズマンをめざす若者の素晴らしい物語である。(中略)ヘントフは、洞察力と共感をこめて黒人-白人の関係の複雑さを証しだて」ている。
 

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写真:晶文選書からさえき撮影

『ジャズ・カントリー』主人公の少年トムはまだ16歳の高校生で、白人である。だから、サヴォイのようなジャズ・クラブにはまだ入れてもらえない。しかし、あこがれの黒人ピアニスト、モーゼ・ゴッドフリーに勇気を出して話しかけることはできる。彼はそのくらいの勇気は持ち合わせているのである。この小説でも描かれる米国の黒人-白人状況はこんにち考えられるようなものではまったくなかった。ご承知のように、リンカーンの奴隷解放宣言から100年経っても、米国では黒人やそのほかの有色人種について歴然と差別が行われていて、ようやっと1964年に公民権法が制定されたのである。次のようなトムとその父親の会話部分からも、時代の空気と、黒人-白人関係を丁寧に扱う筆者の姿勢が感じられるだろう。



「どこにその、おまえのベース奏者の友人は住んでるんだね?」
「グリニッチ・ヴィレッジにです。」
「いままでにおまえ、黒人の家庭へたずねていったことがあるかね?」
ぼくは、答えにつまって、考えこんだ。そうだ、ぼくは行ったことがないんだ。ずうっと学校ではいつもぼくのクラスに黒人の子が何人もいたんだが、そして、そのうち幾人かとはそうとう仲が良かったんだが、どういうものか、ぼくは、まだかれらの家庭にまで訪ねていったことはなかった。
「ないな」と、とうとうぼくは答えた。「どうしてなの?」
「ただ、そのことをちょっとおまえに考えてもらいたかっただけだよ」と、父はいった。
父は、微笑んでいた。「わしは、行ったことがあったもんだからね。おまえが行くってのは、いい考えだと思うよ。」

(pp.15-16)



次に本書の中でも特にぼくが読んで、印象的だったところを紹介したい。グリニッチ・ヴィレッジに住んでいる黒人ベーシスト、ヒッチコックとブルースをうたったあと、都会っ子のトムは、そのトランペットの演奏を次のように批評されるのである。



「かれの言わんとするのはね」メアリーが立ちあがって、ぼくのほうに歩みよってきた。
「あんたは、まるっきり手数料も払ったことがないみたいに、さっきのを吹いてるってことなの。そう、あんたは、払ったことないのよ。」
「そうなんだ」ヒッチコックは、ものやわらかな口調でいった。「きみのブルースは新品の靴みたいなもんだ。すっかり磨きあげられてるが泥ひとつついてやしない。どこにも行ってやしないんだから、な。ほら、たくさんの連中がジャズとは何か言おうとして本を書いたが、チャーリー・パーカーは、言いたいこと全部を三十秒とかからないで言ってのけた。あいつは言ったんだ。『音楽ってのは、きみの経験だ、きみの思想だ、きみの知恵だ。もしも音楽を生きなきゃ、音楽がきみのトランペットから生まれてくるわけはない。』あらゆる種類の音楽のことを、あいつは言ってたんだが、何よりもその言わんとするところはジャズに当てはまる。何故かっていうと、即興やってるときには、きみ、じぶんの内部に入りこんでいって、その瞬間にじぶんがどう感じてるか摑みだすんだから、な。そいで、もしも、きみがたっぷり感じ取れるくらいたっぷりと生きてこなかったんなら、聴くに値いするような生い立ちなんてな、何ひとつ物語ることにならないね。」

(pp.22-23)



トムはその若さゆえ自分の人生経験の浅さが音楽に現れており批判されていると誤解するのだが、ヒッチコックは「きみの人生は、あんまり楽々としてたんで、ジャズ・ミュージシァンらしくなるには無理なんだ。」と言う。このようなジャズ理解は21世紀のこんにちではあまりに無根拠かつ主観的過ぎて、黒人側から白人への逆差別と受け取られかねないが、この小説が発表された20世紀中盤ごろまでは、依然健在だった。


* * * * * *


1967年。東京では美濃部亮吉が都知事に当選し、大都市圏のインテリ層には革新的な雰囲気が溢れていた。ベトナム戦争はその開戦から7年が経過し、すでに はっきりと泥沼化していた。そんな時代に翻訳され世間に送られたこの本のあとがきはいま読むといささか異様である。しかし、はっきりと時代が刻印された一冊なのかも しれない。その14ページ中、後半の8ページに、ヘントフの戦争―もちろんベトナム戦争―反対論が引用されているのだから。

といってさすがにその反対論をここで引いてもしかたがないので、(あとがきから)ヘントフの批評家のあり方についての言説を引いて終わりにしようと思う。



批評家は、各演奏者が目ざそうとしているものを理解しようとする意志、最初きいてみた経験がどんなに耳ざわりだろうと聴きつづける忍耐を、もたなければならない。聴く経験はどれも、可能なかぎり新鮮な気持でなされなければならない。批評家は相対的に最小限の先入見をもとうとすべきである。結局ジャズには、他のどこでも同じだが、絶対というものはない。

(……)批評家は、よい耳を、そして特殊なものと生き生きと記憶しうるものとを区別しうる能力を、持たなければならない。批評家にその能力があるかどうかを読者がみきわめる最上の方法は、長期にわたって批評家の意見をじぶんのそれと照しあわせてみることだ。もちろん、基本的には読者が最終的な批評家だ。最上の批評家だとて、案内人たりうる、それもある一つの点までの案内人たりうるにすぎない。読者・聴衆は、いつも経験主義のままでいて、批評が何といおうと、最終的にはじぶんで聴いてじぶんで決めなくてはいけない。(……)ホブソンがいっているように、批評家においては、かれが批評しているものと同様に『重要なのは感情の動きだ』

(……)それにくわえて、わたしは、ジョージ・バーナード・ショーの『批評は個人感情から自由であるべきだなんてのは白痴だけが言いはることだ』という観点を、追加したい。

(……)わたしの観点は、単純にこうだ。ジャズの進化のすべてを把握しそこなうということは、現代の音楽を純音楽的にしかあつかえないクラシックの音楽批評家とか、また逆に一九二〇年代以降の抽象派や表現派の画家をみんな非芸術として嫌悪する美術批評家とかに、似てくる。

(……)じぶんの注意や熱中をただモダンの連中だけだとか、実験派だけだとか、スウィング時代のミュージシァンだけだとか、ニュー・オーリーンズとかディクシーランドの創造者たちだけだとか、そういう限られたものにしか向けないジャズ批評家は、批評家のかけらにすぎない。 

(pp.243-244)



ジャズに限らずあらゆる藝術の表現が多様化・細分化・タコツボ化し、それらの進化のすべてを把握しようとする気概を持つことじたいが原理的に不可能な2015年の現在から見ると、この20世紀的な(のどかな)教養主義とでもいうような批評のプリンシプルにぼくたちははっとさせられる訳だが、このようなフレッシュな感覚は、いまもって大切だとぼくは思う。批評においてシニカルで無感動なふうに振舞うことがあまりにも定石化して、それゆえ批評の書き手以外にもほとんど読まれなくなったこんにち、いくぶん青臭い言い方になるけれども、読み手の心を沸き立たせ、勇気付けるような批評が必要とされているのではないだろうか。


補遺 appendix 

作中に登場するモーゼ・ゴッドフリーは架空の黒人ピアニストだが、この時代の黒人ピアニストでいちばんイメージが近いのは、何と言ってもセロニアス・モンク(Thelonious Monk, 1917-1982)であろう。独創性のある即興演奏のスキルと美しいメロディ作曲能力を併せ持つ彼こそ、モーゼのキャラクターにふさわしい。

みなさんが『ジャズ・カントリー』をお読みになったときに想像するモーゼ像を狭めるかもしれないが、ここであえて動画を掲載しようと思う。
わたくし的にはこれがゴッドフリーをイメージさせるのである。

名曲「エピストロフィー」をどうぞ。




(第1回・おわり)