『世紀の一戦』が終わった。5階級を制覇してなお無敗のフロイド・メイウェザーと、6階級(「飛び級」を含めて、20キロの体重差の中で!)で世界チャンピンとなったマニー・パッキャオという、ともに史上最高クラスのファイターが雌雄を決した大試合は、メイウェザーが(私が思ったよりは)かなりの差をつけてパッキャオに判定勝ちした。

 試合が終わった時、私は「やはり、現代ボクシングの到達点を見ることができた」と感じた。現在のボクシングのルールで採点するなら、「多少なりともメイウェザーに分がある」とも思ったが、正直、判定はどうでもよくなっていた。12ラウンドにわたって、非常に高密度の攻防を繰り広げた両雄に対して、尊敬と感謝の気持ちだけになっていた。

 私は、(期待も含めて)パッキャオの前半でのKO勝ちを予想していた。今日の3ラウンドあたりのボクシングがもう少し大規模に展開され、メイウェザーはそれを凌ぎ切れまいと思ったのだ。しかし、メイウェザーはこれを乗り切り、5回以降の反撃につなげ、逆転した。パッキャオはやはり強かった。そして、メイウェザーにはそれを跳ね返すだけの力があった。私にとっては、今日の両雄は、期待以上の出来栄え、期待以上の強さを見せてくれた。

 しかし、ネットで散見する記事によると、『世紀の一戦』のわりにはスペクタクルに欠けた今日の試合を『残念』と言う人も少なくないようだ。その気持ちも分かる。今日の試合は、レナード対ハーンズのようなドラマチックなシーソーゲームではなかったし、チャベス対テーラーのような大逆転劇でもなかったし、デラホーヤ対クォーティのような大打撃戦でもなかった。

 しかし、それは仕方がない。今日のメイウェザーとパッキャオは、歴史に残る名勝負を繰り広げた時の、レナードやハーンズ、デラホーヤやクォーティのように若くもなければ、未熟でもなかったのだから。

 38歳のメイウェザーと36歳のパッキャオは、普通ならとっくに引退していてもおかしくない年齢であり、大々ベテランである。『名勝負』というのは、通常、才能のあるふたりのボクサーが、そのキャリアの頂点をきわめる直前くらいで見せる、特別な『花』のようなものだ。豊かな才能と燃える野心がぶつかり合い、しばしば僅かな未熟さゆえのミスも出て、それが大きなピンチを招きもするが、そこで天才特有のあざやなリカバリーが起こる……、そんな展開を両雄が繰り広げるのが、いわゆる『名勝負』というものだろう。

 だが、メイウェザーとパッキャオは、すでに『花』の時期も『葉』の時期も豊かに乗り越え、今や『実』の時代に入っているふたりのマエストロである。レナードやハーンズのような『美しい過ち』を犯すには、成熟し過ぎていた。今日のふたりは、ほとんどミスを犯さなかった。少なくとも、大きなミスはなかった。それで、試合には表面上のドラマはなかった。

 しかし、本当にドラマはなかったか?
 いや、あった、と思う。ラウンド毎に、幾度ものドラマがあった。

 まず、両雄はジャブを打つタイミングで、熾烈な争いを繰り広げていた。先に打てばいいのではない。ジャブを出すことを焦って、絞り切った照準で打つことを怠れば、動きを読まれてカウンターを取られる。通常、リードブローとして用いられるジャブだが、今日は戦いの複雑な最前線だった。

 もちろん、ジャブだけではない。突進し連打を浴びせようとするパッキャオと、その出鼻に右カウンターを叩きこもうとするメイウェザーの間にも、スリリングな『ドラマ』が立ち上った。3分のうちに何度もパッキャオは迫り、メイウェザーは研ぎ澄ました右を振り下ろした。これも、普通のレベルの『インファイト対カウンターパンチ』ではなかった。メイウェザーは本当に殺気に満ちた右をぎらつかせていた。打たれ強いわけではないパッキャオがまともに受けたら、ダウンは免れなかったろう。

 「いま、勝負が決まってもおかしくなかった」という瞬間が、何度となく、驚くべきことに何事もなく通り過ぎていった。その果ての、12ラウンド判定である。『名勝負』でも『好試合』でもなかったかもしれない。しかし、やはり『偉大な試合』だったと思う。これは、30歳代後半にいたるまで、史上のスーパースターとしての力量を保持してきた驚異の両雄だからこそ見せることのできた、『ふたりの老賢者の戦い』である。この『名勝負』にはならない、渋い、成熟した味わいこそ、21世紀現在のひとつの『答え』だったのだ。

 私が一番うれしかったのは、両雄が互いへの敬意を忘れず、不思議なほど楽しそうに戦っていたことだ。あれだけのものを築き上げてきたふたりが、互いを「やはり、本物だ」と感じ、敬意を感じながら戦っていたこと。そのことが、たとえこれが『名勝負』ではないとしても、ボクシングを高める試合たらしめていたのではないだろうか。

 とりわけ、メイウェザーは日頃の『悪童』ぶりとはうって変わり、パッキャオを尊敬する態度をわずかなりとも崩すことがなかった。それは、判定勝利をおさめた後でも、変わることはなかった。おそらく、いま地球上にいる人間の中で、ボクシングというものの前にもっとも謙虚なのは、そして、マニー・パッキャオという人物にもっとも畏敬の念を感じているのも、フロイド・メイウェザー・ジュニアだ。

 メイウェザーは、ひとまずは自分のペースで試合を運びながらも、けっして『幻想』を見ることはなかった。「パッキャオを完全に圧倒しよう」、「可能ならKOしよう」などという意図は、まったく見て取れなかった。だから、試合はエキサイトしなかったとも言える。優位に立ったメイウェザーが、『微差の優位』以上のものを望まなかったのだから。しかし、もしメイウェザーが『夢』を見たら、その瞬間にパッキャオという猛獣の牙は、彼を食い破ったかもしれない。

 一部の人々はメイウェザーを『史上最高のボクサー』と呼ぶ。メイウェザー自身も、それを要求することはある。けれども、ファンの言う『史上最高』とメイウェザー本人が言っているのは、おそらく意味が違う。メイウェザーは世界的に有名なボクシング一家に育った。小さい頃から、父親フロイド・シニアからはレイ・レナードやマーロン・スターリングのことを、叔父ロジャーからはフリオ・セサール・チャベスやパーネル・ウィテカーのことを聞いて育ったのだ。思い上がりで『史上最強』を口にすることは不可能だ。

 フロイド・メイウェザーは、誰よりも現実的に、謙虚に、勝利に忠実に戦うことで、誰よりも偉大な業績を築き上げた。パッキャオ戦の第4ラウンド、パッキャオの左でロープに飛ばされたメイウェザーは、ひたすらガードを固めることでピンチをやり過ごした。あんなことは、今まで一度もしたことはなかった。それが、あの一瞬のピンチで、見栄も張ったりもなく、亀のように固まってパッキャオの嵐をやり過ごしたのだ。己の才能に胡坐をかく人間ができるボクシングではない。
 
 過去のボクシングのスーパーファイトでも、ボクシングファンの脳裏にかき立てられた様々な妄想が、ひとつの『現実』によって消し飛ばされてきた。「ボクシングの『リアル』はもっと深いところにある」と、想像を超えた試合展開と結末がわれわれに教えてきた。

 今回の『凡戦』においてもまた、その法則が書き換えられることはなかった。


寄稿者プロフィール:粂川麻里生

1962年栃木県生。元『ワールドボクシング』記者。現、慶應義塾大学文学部教授。Twitter(@mario_kumekawa)、WEB上で参照できる過去の著述は、ボクシングJPBoxing Journal "Rumble in theJungle"など。