凡例

この連載2014年にÉcole Nationale Supérieure d’Arts de Paris-Cergy
西田杏祐子が提出したマスター論文に加筆訂正を加え、自己邦訳したものである。原題および邦題は下記の通り。各回の引用文献はその都度、末尾に記す。

(原題) "La fabrique du passé : réflexions sur le photographique" 
(邦題) 『過去を造る―写真的なものについての考察』



 ① 【自分の記憶と外的記憶】

旅に出た時、私の脳に残る記憶とその時撮影した写真、どちらが本当なのだろう。後から写真像を見ることによって初めて認識されるもの、それは私の記憶と呼んで良いのだろうか。

遠い場所に旅行し、様々なものを見る。風景、人、動物、物。私が体験したことは、私が見たものだけではない。音や匂い、温度や湿度など、感覚器官が受ける全ての情報を私は取り込んでいる。カメラで捉えることのできる風景は、私の全身が経験したことに比べれば、ごくごく僅かな一面に過ぎない。だからといって、この小さな機械を小バカにすることは慎まれる。この状況では、今ここにいることを何らかの方法で残すには、結局写真を撮るのが良いのだ。

素晴らしい風景の真ん中に立つ、その時間は宝物だ。私は感動すると同時に、眼前にある風景のことを、その時に受けた知覚の全てを、隅々まで覚えていたいと、強く思う。けれどそれは不可能だ。同じ時は2度とやってこないし、全てを思い起こすことなどできない。そんな時、私はとても寂しいと思う。一人で旅に出ることが寂しいのではない。その時に知覚されたものが失われ、その時に感じた強い愛着が消えてゆき、またそれ故に誰とも共有することができない、そのことを分かっているから寂しいのだ。



過去は本質上潜在的であって、暗闇から白日下へ出つ現在のイマージュへと開花するその運動を、私たちが、追跡しかつとり入れる場合にのみ、過去として私たちによってとらえうるのだ。

(ベルグソン『物質と記憶』)
 


一体どうすればイマージュは現在に開花するのだろう?過去が潜在的ならば、記憶は私の脳内に、まるで乱雑とした衣類ケースの引き出しのように、どこかにある筈だ。けれど、どの程度詳細に覚えているのかを証明する手立てはない。記憶の質は時間とともに劣化していくかもしれないが、どうすればそれを確かめられるのだろう?忘却とはそれを忘れることだ。さらに、私がある特定の記憶を細かく思い出し、その時受けた感覚を丁度そのまま甦らせようとすると、その瞬間、雲のように逃げていってしまう。遠くから見える雲の形はまるで綿あめのようにハッキリと分かるのに、その中に入り触れようとすると、文字通り雲散霧消してしまう。過去に受けた知覚により近づこうとすればする程、現在に引き戻されてしまう。それは知覚が現在のものだからだ。



過去の真のイマージュは、稲妻のように通り抜けるものだ。出現し、認識が与えられる瞬間と同時に永遠に消えてしまう、そのようにしか過去を記憶に留めることができない。

(ベンヤミン『歴史の概念について』)
 


旅から帰って来た私は日常生活というものに飲み込まれ、日々の用事をこなすようになる。あの時感じたことの記憶の全ては失われてはいない、引き出しの底に、未整理のまましまい込んだままだ。それを自分の意志で自由自在に引っ張り出すような能力はない。旅のことを誰かに話そうとしても、うまくいかずに不満が残る。どれだけ言葉を並べても、あれやこれやの動詞、名詞、修飾語を使い説明しようとしても、私は自分が「本当に経験したこと」から遠ざかっていってしまうように感じられる。そしてこれ以上がっかりしたくないものだから、終いには黙ってしまう。

ところで写真は、自分の感じた出来事の大きさ比較すれば補助的なものに過ぎず、自分の脳は実際にそうであるよりも機能的だと思っているために信用できない。しかし時が経つにつれて、自分の記憶にだけ頼ることができなり、外的記録装置、つまり例えば写真像に寄りかからなくてはならなくなる。たとえ視覚情報が全ての記憶の一部に過ぎなくとも、例え写真に収められた色や光の具合が実際見たものとはかけ離れてしまっているとしても、最早何がどの程度違うのかなんて分からなくなってしまった。それを証明する手立てもどこにもない。

「話したことは飛び去ってゆき、書かれたものだけが残る」という諺があるが、書かれたものの他には描かれたもの、刷られたものも含めることができるだろう。 純粋な想起だけに頼り記憶を再生することが不可能となったとき、そして写真像に手がかりを求めなければならなくなった時、敗北を感じる。なぜそう感じるのかというと、そこに映っていることの他にも「何か」がああるのだが、それにも関わらずどうやって伝えたらよいのか分からないからだ。記憶に残るイマージュと写真の伝えるイマージュには違いがあるのに、具体的にどう違うのかが私の中で曖昧になる。しかしそんなことは、私の知らないうちに私の写真を見る赤の他人にしてみれば、どうでもいいことではないだいだろうか?私の個人的経験など、知ったことではない筈だ。それに私だって、過去の誰かによって作られた写真を見ては、それに纏わる歴史を勝手に想像しているのだから。

撮影している際には持て余していた写真というものが、時が立つにつれて重要なアンカーポイントに変わっていく。私自身の記憶を探し認識するための手がかりになるからだ。けれど記憶はそのまま再生されるのではなく、どちらかというと再構築される。外的な像、つまりここでは写真像によって、私の記憶は新しい形を形成していく。



じっさい、近くが私たちの側に、そのおおよその輪郭をえがく運動を引き起こすとすれば、私たちの記憶力はうけとった知覚に、これと類似し、私たちの運動がすでに素描している古いイマージュを導くものである。記憶力はかくして新たに現在の近くを想像する、というよりも、この知覚をそれ自身のイマージュなりなんらかの同種の記憶心像なりにさしもどすことによって二重化する。

(ベルグソン)
 


今や私の写真は私にとって出発点であると同時に終着点となった。ここから、私は時間的な想像の旅をすることができる。この像がどのようにつくられたのかを考えたり、撮影した時には気が付かなかった詳細に眼をとめたりする。写真は過去の出来事から生まれるものだが、一方で時間の孤児のようでもある。なぜなら写真は今の私とともにあるからだ。情報の全体を含んだ写真は、その時初めて私にとって大切なものとなる。

もし私が自分の思い出を正確に描き出すことができないならば、それは写真が過去を結晶化し凝固するからではない。写真像はそこに映るよりももっと豊かな記憶が展開されることを妨げない。そうかといって、写真を撮らなかった、記録を残さなかったとしても、それもまた思い出すことのできない本当の原因ではない。 昔の出来事を思い出す時、それは風に揺れるカーテンの隙間からこぼれる光を見つけるようなものだ。 写真はその時の風に例えることができるだろう。しかし光を見るためにはよく注意し目を開いていなければならない。そして知覚限りなく近い記憶は、目覚める直前の夢にも似ている。


(つづく)


引用文献
 
  • アンリ・ベルグソン『物質と記憶』、田島節夫訳、2001年、白水社、p.117およびp.153(原題:BERGSON Henri Matière et mémoire
  • BENJAMIN Walter, Œuvres Ⅲ, "Sur le concept d'histoire" Paris : Folio, 2000 p.430(※ 日本語訳としては、ヴァルター・ベンヤミン『歴史の概念について』、ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味 [ちくま学芸文庫]などがある)