↑フランスのアングラシーンで活動していたカルトなブラックメタル勢力の雄、Vlad Tepesの初期作。普通の人は絶対に受け入れられない狂った演奏。本エントリはこれを聴きながら読むと、楽しいかもしれない(多分、嘘)。
 

『Comedii of Erroos Vol. 2』
日時: 2月14日(土)午後7時開場、7時30分開演
会場: "Ftarri"
主催:
Comedii of Erroos
追湾及 + 諸根陽介(ディスクジョッキー)
チャージ:500 円
 


チョコの日にはBlack Metalで夜を明かそう

◆ 《レンタイン粉砕デモ》ってまだやっているのか、と思って検索したら、どうやら今年も実行されたらしいですね。恋愛資本主義反対、とか言うなら、あなたがた、もういっそ、いま世界をお騒がせ中のIS、イスラミックステート、要は《イスラム国》に構成員として志願でもしたらどうですか、という感じなのだけど、さてしかし、問題の14日、水道橋の某所では、そうした残念な人たちの空虚なパフォーマンスよりもずっと〈攻めた〉イベントが行われ、わたしも観客として参加したのだった。

◆ 「〈攻めた〉、の定義は?」とか難詰されても困ってしまうのだけど、ざっくりとまとめれば、即興演奏中心にアヴァンギャルドな音源を求めるマニアが集うCDショップで、どういうわけか〈真面目に〉Black Metalを語る、というものである。この時点で、半ば正気とは思われなくなくなくなくない。いやホントに、もう。


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当日の会場風景。写真左から諸根陽介、追湾及(撮影:東間 嶺)


◆ 詳細については、主催者側からのステイトメントを引こう。


「Comedii of Erroos」は、ノイズ、インプロ、ソングライティング、その他雑多な新作を紹介・分析する音楽プログラムです。第2回の特集は「ブラックメタル」。とはいえ、私たちはまったくメタルの専門家ではありません。その背景に横たわる思想や歴史から、どうしても暗いイメージを伴って聴かれるブラックメタルという音楽を、「純粋に音楽として評価することは果たして可能なのか」を検証する試みです。その中で、ブラックメタルに限らずどんな音楽にも敷衍しうる問題系が現れてくるのではないでしょうか。いわば「偏見で聴かないブラックメタル」。
 


◆ 【…ブラックメタルという音楽を、「純粋に音楽として評価することは果たして可能なのか」を検証する試み】なのである。【いわば偏見で聴かないブラックメタル】について話をしよう、というのである。「ビョーキの人が聴くもの」と切り捨てず、信者の宝物として神学論争をするのでもなく、はたまたマニアの内輪話・楽屋落ち・ジャーゴンの永遠の反復織物であるBURRN!的言説(あ、書いちゃった…)などでもなく、あの奇っ怪な音楽領域について、きちんと批評的なものとして扱い、解析しようというのである。つまり、〈これから「」Black Metal「の」話をしよう〉ということ。

◆ なんとも挑戦的…というよりは、もはや蛮勇である。

◆ 当日のレクチャーと議論は主に本エントリの最後へ掲載したレジュメに沿って行われたので、是非参照して欲しい(優れたスピーカーシステムを備えた会場には、レクにあわせて、随時、暴力的な絶叫が響きわたった)。

◆ ただ、主催者の一人、諸根氏の手によるブラックメタルの概説は非常に簡潔かつ的確にポイントを抑えてはいるものの、ブラックもデスもスラッシュもグラインドコアもドゥームも全く区別の付かない99パーセントの方々は、Wikipediaによる定義も併せて読む方が良いだろう。


ブラックメタル(Black Metal)とは、ヘヴィメタルのサブジャンルの一つ。速いテンポのドラムに、金切り声のようなボーカル、音を強めに歪ませたギターでのトレモロのピッキング、宗教的で荘厳なアレンジなどを特徴とする。歌詞の内容には、サタニズム及び黒魔術への傾倒といった、反キリストを強く打ち出したものが多く含まれており、ブラックメタルバンドの中には、ペイガニズムやナチズムを掲げるものも多い。古くからのブラックメタルのバンドやファンの中には、ブラックメタルをあくまでアンダーグラウンドの音楽だと考えている人もおり(特にサウンドプロダクションに関しては、クリアでない方がいいと考える人もいる)、商業的な姿勢をとるバンドはしばしば非難が浴びせられる

(引用:ブラックメタル Wikipedia
 


↑上掲VENOMの2ndアルバム(1982年リリース)が、一般にBlack Metalの語源だと言われている。が、wikiでも指摘されているように、音楽としては、ほぼスラッシュメタルである。 


◆ 仮に、あなたが何かの間違いで、ブラックメタルに対してもう少~しだけ強い興味を抱いてしまったなら、レジュメにURL記載のある川嶋未来氏のコラム《それぞれのメタル元年 番外編~ブラック・メタル~》や、HMVオンラインに掲載された《音楽におけるジャンル分けの是非とブラックメタルと Alcest》等の一読をお薦めする。

◆ ちなみに、川嶋氏は《Sigh》という【日本が世界に誇るブラックメタル・バンド(以上、HMV)】のリーダーである。いっさいの注釈無く英語の固有名と専門用語が縦横に飛び交う彼のコラム(とても面白い)を一読して、「ここには一体、なにが書かれているのか?」と思った人は、あなたが僅かに抱いたブラックメタル、というかヘヴィメタルという存在への興味は勘違いにしか過ぎないから、速やかにページを閉じて欲しい。気がついたら数時間以上読んでいた、みたいな人は、一度人生の方向性について再考してみるのも良いかもしれない。


「評価を拒絶する」音楽? 

◆  話が逸れてしまった。油断していると、果てしなく無意味な細部へと脱線してゆくのがこの手の本質的でない音楽話の特徴で、気が付けば軽く1万字ぐらいはスペースが費やされてしまう。そんなものを読みたい人は、書いているわたし以外は、いない。簡潔に、当日行われた議論の要点だけを示そう(別に結論めいたものが出たわけではないが)。

◆ イベントを企画した諸根さんの提起によれば、つまるところブラックメタルの(メタルおたくのフェティシズム的評価とは違う)奇妙さ、不可解さは、あのジャンルを標榜する少なからぬバンドの演奏に、〈通常の音楽的評価を拒絶する音楽〉という側面があり、にも関わらず反美学というカウンターでもなければ他の美学を示威する訳でもない(ように見える)ところにあるという。レジュメから具体的に挙げれば、下記のような部分だ。



  • 「悪い音質」「下手な演奏」へのフォーカス→どの曲を聴いてもどのアルバムを聴いても変化がない=積極的な「退屈さ」の提示、「評価」の拒絶
  • 「評価を拒絶する」音楽を、 一人で勝手に作ってる人たちが、 たくさんいる??



◆ 諸根さんの着眼点自体はとても面白いのだけれど、果たして、ブラックメタルのバンドが【どの曲を聴いてもどのアルバムを聴いても変化がない】ことを続けているとして(実際、続けてるんですが)、それを【積極的な「退屈さ」の提示、「評価」の拒絶】だとして、〈評価〉したり、解釈し直したりできるのだろうか?わたしは、かなり相当、無理筋だと思う。

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当日の音源は、レジュメと共に諸根さんが持参。要所で鋭いヘドバンを入れつつのレクでした
(撮影:東間 嶺)

◆  そもそもヘヴィメタルという存在自体、マンネリズムの美学を追求している一種のジャンル音楽でもあり、そこから奇形化したブラックメタルの人々は、一人であろうとバンドであろうと、ただ単に度を超し過ぎ、常人の理解を振り切った地平に旅立ってしまっただけのことではないか。異様に粗雑で単調な演奏も、ブートのように酷いサウンドメイキングも、幼稚な悪魔崇拝も、殆どは属人的な要素と価値観に基づくものであり、〈退屈の提示〉を意図した、と聴くのは些か飛躍が過ぎるだろう。

◆ 大多数の人からは意味不明、悪趣味、というよりもキチガイ!と看做されるものが、かれらにとっては美意識の示威なのだ。「愛とか夢とかより、サタンや死体の歌を聴け!」ぐらいに素朴な、オルタナティブとしての〈主張〉である。ジャンル内のアンチテーゼではあったにせよ、それはとてもストレートな意識に基づいている。

◆ 〈圧倒的にズレている〉という意味では、確かに通常の音楽的評価(グッドセンス=良識)を拒んでいるとも言い得るだろうが、評価自体を拒んでいる訳ではない。評価は求めている、というより強要している。けれども、あまりにもそのセンスがイカれ…独特すぎることが、ときに外野のコンセプチュアルな誤解を誘導するのだ。…多分。

◆ なんにせよ、【評価を拒絶する音楽】【「退屈さ」の提示】だなんて、どこぞのオジョーヒンで退屈な現代音楽や現代美術の世界で交わされていそうなクリシェめいた理解は、連中のやっていることの実態にはそぐわない。冒頭にリンクを貼ったVlad Tepesや下掲Amaka Hahinaなどの演奏を聴いて頂ければ、わたしの言いたいことがよく分かるのではないかと思う。



冒頭にリンクしたVlad Tepesと同じくフランスのレ・レジオーン・ノワール (Les Légions Noires)というブラックメタル集団に属していたミュージシャンのソロプロジェクトがこのAMAKA HAHINA. 音像としてはアンビエントだが、低予算ホラー映画のクリーチャーが発するがごとき気色の悪い呻き声と、ビーブーうるさいシンセのミニマルな演奏がアルバムを通して延々と続く。ある意味、彼岸の音楽。


◆ 極北まで行ったブラックメタルは、音像としてならもはや殆どノイズやアヴァンギャルド、電子アンビエントと区別がつかなかったりもするが、全編を覆う強烈なカルト臭、ビョーキのオーラは、それら〈知的な〉音楽とはまるで違うものとして、不気味な輝きを放っている。

◆ 〈反知性〉と形容するのが適切かはともかく、ブラックメタルに、音楽として他ジャンルへ批評的な緊張感を与える何かが(仮に)あるとすれば、常人の共感から無限に隔たった美意識だろう。それは、「音楽とはなんだろう?」という根本的なことを、ロジカルな地平の外から、わたしたちに再考させてくれる(本当かよ!)。

(了)


追記:オーストラリアからの襲来

◆ イベントの最中、せっかくだからと配布されたレジュメを撮影してインスタグラムにアップロードしてみたのだけれど、なんと、そこから数分もしないうちに、《Hollow Hills》(https://i.instagram.com/_hollowhills_/)というオーストラリアのバンドにLikeとフォローをされていた。

This is the Australian Blackened Doom Metal band Hollow Hills! Check the link for Music, Facebook, YouTube etc! New EP coming soon

…だそうである。音源は下掲の通りだが、予算無さそうなロープレのオープニングっぽいシンセ・サウンドから唐突にデス・ヴォイスとトレモロ・リフに入るという王道の流れ。ブラックというよりはデスメタルですね。アマチュアのレベルではないが、可もなく不可もなくといったところ。興味のある人はチェックしてみては(投げやり)。






(※ 当日配布資料)

2_レジュメ_ページ_1


2_レジュメ_ページ_2