【カルマに会う】ブータンについて---22から続く
(本文、デジタル画像編集、構成/東間 嶺、以下すべて同じ)
メッセージ
翌朝、モーニングコールはなかった。
目が覚めたのは5時50分。顔を洗って着替えて、ロビーに降りたのがちょうど6時だった。ロビーは常夜灯がついているだけで、フロントデスクの中で毛布をかぶった夜勤が眠っていた。ジャムソーたちはまだ来ていない。フロントデスクの横に宿泊客用のパソコンがある。昨夜は子供がゲームをしていて使えなかったが、この時間なので誰も使っていない。手元が暗かったが、タイプミスだらけの短いメッセージを友人宛に送った。
…ブータンの首都、ティンプーから。明日、ブータンを発つ…帰宅は金曜日の夜…
永遠に続く旅なんてない。もうすぐ帰宅するのだ。
しばらく待ったが、誰も来ない。
ジャムソーに電話したほうがいいのだろうか?
フロントデスクで電話を借りようとした時に、フロントの電話が鳴った。夜勤が電話を取り、私に向かって言った。
「あなたのガイドから電話でした。もうすぐ到着するそうですよ」
ほどなくジャムソーとネテンが現れた。ネテンが言った。
「ゴメンゴメン、寝坊しちゃって」
「ネテンが5時45分へウチに来るはずだったのに来ないから電話したらさ、今起きたところだって言うんだよ」
風邪が治ったばかりで、まだ疲れが取れないのだろう。
「5時45分なら上出来。私だって、5時50分に起きたんだから」
SUVに荷物を積み込んで出発した。早朝の町は静かだ。国際空港のあるパロへ続く道路は、よく整備されていて運転しやすそうだ。私はネテンに言った。
「ブータン中こういう道路だったらいいのにね」
「道路をきれいにしようっていう計画はあるんだよ。3年くらいかけてさ」
「3年?そんなの無理でしょう。どう考えたって10年はかかるんじゃない?」
「できないってことはないと思うよ。でも、急いで品質のよくない道路を作ったって、あとのメンテナンスが大変なだけだと思うけどさ」
パロへ向かう道はカリフォルニアの山間部を走る3ケタ州道みたいな道路だったが、プナカからティンプーへ向かう道のような工事や渋滞はなく、舗装もきれいで快適だ。3年は無理でも、いずれは国中がこういう道路で結ばれるようになるのだろう。
車を持つ人が増え、トラックを利用した物流も盛んになるだろう。
この国の人たちの暮らしも、変わってゆくに違いない。
50キロ先のパロまで、1時間かからなかった。
苦手なもの
自分がツーリストなのに身勝手な話だが、自分が他のツーリストが苦手だということを、この時までに十分自覚していた。到着したパロのホテルは高級感のあるリゾートで、眺望のよい2階にあるダイニングホールは私にはおしゃれすぎた。こういう所でうんざりしながら食事するのにも、すっかり慣れてしまったが。
ダイニングホールで食事しているのは欧米人のカップル、出張風の日本人男性の2人組、一人旅らしいアジア人の女性…。デザインのきれいなアウトドアウェアを着ているが、もしかしたら日本人なのだろうか?
タクサン僧院へキラを着ていくかどうか迷ったが、結局ハイクの服装にした。だから、今日の私はどこから見てもツーリストだ。いつものようにブータン人のふりはできない。出張のおじさんたちが朝食を食べながら話をしている。
「それって、松本さんから聞いていますよ…」
「あ、そうですか…。それ最近の話なんですけどね…」
日本や日本人がきらい、という訳じゃない。ただ、挨拶して自己紹介した場合、相手がどんな反応を示すかまったく予想がつかず、それを考えるだけで気疲れしてしまう。
手早く朝食をすませて、ホテルの車寄せでネテンたちを待った。
トラの巣
タクサン、は『トラの巣』を意味するという。トラの穴、ではなく、トラの巣、だ。
グル・リンポチェという8世紀の聖人が、空を飛ぶトラの背に乗ってこの場所にやって来て洞穴の中で瞑想した、といういわれがある。鳥のように空を飛んで来て止まった場所だから、『穴』ではなくて『巣』なのだ。この場所は聖地として信仰を集めたが、17世紀の末に最初のお堂が建てられて僧院が始まった。
山のふもとに駐車場があり、そこから僧院まで山道を登る。
ガイドブックには所要時間1時間45分、標高差500メートル強、という情報があった。キラはあきらめて、ハイキングパンツをはくしかなかった。私のキラは腰から下の部分しかないハーフサイズで、これはハイウエストでケラという帯をきつく締めておかないと着崩れする。
慣れていないせいもあるのかもしれないが、ケラを締めた状態で階段を上るのがひどく苦しかった。階段で苦しいのに、標高差500メートルの山道なんて登れるわけがない。
駐車場で車を降りる。
この地点で標高約2600メートルだ。
ネテンはいつものように駐車場で留守番、ジャムソーとふたりで山道を上り始めた。もたもたしていると、ホテルのレストランにいたツーリストたちが追いついてくるような気がした。少しでも早く、そんな妄想や邪念のない所にたどり着きたかった。坂がきつかったが、できる限りの速さで上り始めた。ジャムソーが慌てて追いかけてくる。
「あのさ、何でそんなに飛ばすの?」
「ツーリストがたくさん来る前にお参りしたいから」
「たくさん来る前って、僧院は朝の5時から開いているんだから、今からちょっとくらい急いでも、差がないよ。ここだって結構標高があるし、あんまり急ぐと高山病になるよ!」
ツーリストが来る前にお参りしたいというのも急いだ理由だが、久しぶりに山道を歩くのがうれしかったのもある。
中間地点のカフェテリアまで35分だった。ここでお茶をもらって休憩する。カフェテリアから僧院の入り口まで30分。最後の部分は石段で、それなりにきついけど足元の不安はない。
僧院は複数の建物で構成されている。入り口に小さな建物があり、守衛所になっていた。ここで訪問者名を申告し、携帯電話やカメラを預ける。ツーリストはそんなに多くないが、急峻な山の斜面に立てられたお堂はどれも小さい。どの建物に行っても、複数のツーリストが見学していた。
瞑想
グル・リンポチェが瞑想した洞穴を囲むように建てられたお堂に参拝した。今日はキラを着ていないが、いつものようにブータン式の礼をして喜捨をし、聖水をもらう。この時になって初めて気がついたが、一般的なツーリストは『見学』するだけで参拝はしない。考えてみれば、いつもあまり人のいない寺院を訪問していたので、お堂の中での他のツーリストの行動を見る機会がなかったのだ。
ひとつめのお堂の真上に、もうひとつ別のお堂が建っている。
ここでも参拝して聖水をもらい、本尊の仏像や壁面を飾る仏画についてジャムソーが説明するのを聞いた。建物が小さいせいもあるが、宗教的なイメージで圧倒されるというより、親密で穏やかな雰囲気のお堂だ。床の上、本尊に向かい合う位置に厚手の玄関マットのような敷物が敷いてあった。お勤め時にお坊さんが使うのかもしれない。ジャムソーが敷物の上に座り、私を見上げて呼びかけた。
「座ったら?」
隣に座った。そして条件反射的に姿勢を決め、いつもの習慣で目を閉じた。
呼吸が整い、浅くなる。そのまま瞑想した。
お寺に行けばいつも、ブータンの人のように参拝していた。
でも、厳密には私は仏教徒ではない。
ブータンの宗教環境には、そういう人間を受け入れてくれる懐の広さがあるのを十分感じていたが、真剣な場所でままごとをしているような決まりの悪さがないでもなかった。私がこういう場所できちんとできるのは瞑想だけだ。
明日はブータンを発つ。その前に、でたらめではない何かをやっておきたかった。ブータンの神々に礼を尽くしてから去りたかった。
ツーリストがひと組、熱心にガイドの説明を聞いていたが、気にならなかった。そして彼らが出て行ってしまうと、本当に静かになった。
頭のてっぺんに、髪の毛を軽く引っ張るようなチクチクした感覚を確認した。そこからつま先まで、片道だけヴィパッサナ瞑想をした。それが終わると、いつもよりずっと長いメッタの瞑想をした。お堂の外に広がっているパロの平原を満たす大気や、そこかしこで風にたなびくプレイヤーフラッグを思った。私がブータンで得たすべての恵みを、ここで返すことができるだろうか。
…瞑想を終えて、礼をして、目を開けた。
瞑想を始める前と同じように、隣にジャムソーが座っていた。
「待っててくれて、ありがとう。もう行こうか…」
墜落
僧院の建物を見学して、パロ平原の景色もゆっくり楽しんだ。守衛所でカメラを返してもらい、帰途に着いた。今度は山道を下る。その途中で、ジャムソーが言った。
「ブンタンのクルジェイ寺でさ、石の間の隙間を通ったのって、覚えてる?ここにもそういう場所があるんだよね。どこだったかな…」
表示も何も出ていないが、岩の壁に三角の穴が開いているところがあった。穴の大きさは同じくらいだが、長さは1メートルくらいだろうか。クルジェイ寺でくぐった穴は地面の高さだったが、ここの穴は地面から1メートルくらいの高さだ。ちょっと難易度が高い。でも、この穴をくぐることができれば、今までの罪が軽くなるのだろうか?
穴の周りには手でつかめるような物はなく、仰向けの体勢で地面に落ちた。
目を閉じたまま、どちらが上だか下だかわからなかったが、頭から着地したのはわかった。
頭から落ちてしまったのだ。頭に続いて、身体が地面にドスンと落ちた。
…頭から落ちた。
ダメージがないかどうか、自信がなかった。目を閉じたままでも、ジャムソーが大慌てしているのがわかった。担当しているツーリストが怪我なんてしたら大変だ。慌てるのも無理はない。
強い痛みは感じなかったが、しばらく動く気になれなかった。頭、大丈夫だろうか?
ゆっくり目を開ける。とりあえず、ふつうに見えた。ものがぼやけて見えるとか、二重にみえるとか、そういうことはない。首は?そろそろと上体を起こし、そっと首を回してみた。こっちも大丈夫なようだ。ありがたい。慌てて助け起こそうとするジャムソーに、ちょっと待ってと頼んで、しばらく座っていた。手のひらで頭を触る。切り傷や出血はないようだ。よかった。
助けを借りて、ゆっくり立ち上がった。腰を打ってしまい痛かったが、ふつうに歩くのは問題なさそうだ。頭から落ちて地面に倒れてしまったので、全身ホコリだらけだ。
ジャムソーは私の身体を、ベランダに干した布団のようにバタバタはたいた。
「どこか痛いところはない?」
「大丈夫みたいだ。どうもありがとう」
「ホコリだらけになってるよ」
「わかってる…」
「顔も洗ったほうがいいね」
「顔までホコリがついてんの?」
「土のついた手で触ったから」
情けないことになってしまった。すぐ近くに東屋風の建物があり、水道の蛇口があった。顔を洗ってバンダナで拭いた。
今までの罪を軽くしようなんて、欲張ったことを考えたのが間違いのもとだった。あそこで清算しなければいけない罪なんて、たぶん、なかったのだ。
飛べないトラ
行きとおなじカフェテリアで昼食になった。
観光地なので当然のことながらツーリストが多い。
あまり落ち着けず、手早く食べた。ガイドも大勢いて、ここもジャムソーの知り合いだらけだった。いつまで経ってもガイド仲間とのおしゃべりが止まらないので、パロのゾンを見学したいからもうそろそろ行こうと頼まなければならなかった。
「あー、そうだった。ゴメン、すっかり忘れてた」
こういう態度を取られても、もう腹も立たなかった。あきらめた、というより、彼のことをパーソナリティのある個人として扱うようになってきていた。この人は、こういう人だ。私の都合のいいように行動しろと要求したところで無理な話だし、意味がないような気がした。
ジャムソーのガイド仲間には、同郷の人間も多かった。トレイルを歩きながら、彼に言った。
「ジャムソーは故郷に帰ったら、友だちがたくさん訪ねてきて、大騒ぎになるんじゃない? サクテンに行った時、村の人が大勢ドルジに会いに来たけど、ジャムソーがハに行ったら、もっとたくさん人が来るかもね」
「へへへ、あんなもんじゃすまないね」
「何歳くらいまでハにいたの?」
「中学生の時まで」
「どうしてハを離れたの?」
「…あの時のことを思い出すと、今でも悲しくなるなあ…」
…また地雷を踏んでしまった。それにしても地雷の多い男だ。彼の友人たちは、いったいどうやって地雷対策しているのだろう? もしかしたらブータンの人たちは、空気を読むのが天才的に上手なのだろうか?
「…そのことについて、話したい?」
「いや、いいよ…」
下りの道は、苦しいということはないけれど、思ったより距離があった。歩いても歩いても、駐車場に着かない。私が穴から墜落し、ついでに地雷まで踏んでしまったのが、ジャムソーの余裕になったようだ。
「サツキ~」
私の名前を呼びながら、鳴子こけしのように首を回している。自分では気がついていなかったが、私はあんなふうに首を回してしゃべっているのだろうか?
私が瞑想している時に首を回していたら、それは雑念のある時で、何か納得できない、あるいは許容できないことを考えている時だ。瞑想していない時に首を回していたら、あまり認めたくないが、甘えている時だ。いずれにせよ、私が首を回しているのを見たことがある人は多くないはずだ。
ブータン旅行するあいだ大変なこともあったけれど、何だかんだ言って甘やかされっぱなしだった。何しろおんぶに抱っこ、上げ膳据え膳の暮らしだ。
これだけ甘やかされて過ごせば、甘え癖がついてしまうのも無理はない。あとで矯正するのが大変だろう。
やがて山道の傾斜がゆるくなり、駐車場が見えてきた。道に沿ってテーブルを並べて土産物を売っている人たちがいる。ジャムソーはそういう人たちとも顔見知りで、いちいち世間話をしている。
おしゃべりしているジャムソーを残して一人で歩いていくと、車を運転してネテンがこちらへ向かってくるところだった。いつものようにSUVの助手席によじ登る。こういう動作をすると打った腰が痛い。頭も、手で触ると痛かった。
「ジャムソーは?」
「土産物の売り子とおしゃべりしている。すぐ来るよ」
思いつきで、運転席のネテンの左手を取った。
驚いたのか、ネテンが少しだけ手を引くのがわかった。驚かすつもりじゃなかったのだが、私はそのまま彼の手を私の頭まで持っていった。ネテンの顔つきが変わった。
「…どうしたの、これ?」
「私のトラは飛ぶのが下手くそでね」
私の頭には、手のひらほどもある大きなこぶができていた。
髪の毛の上から他人の手で触ってもすぐわかる大きさだった。
パロのゾンと町
ジャムソーが戻ってきた。ネテンがたんこぶの話をしたのか、ジャムソーとネテンが大騒ぎして私のことを慰め始めた。私はもうダメだとも何とも言っていないのに、子供だっていつも転んでたんこぶ作るけど大丈夫じゃないか、だから君も大丈夫だ、何も心配はいらないと言い続ける。
まるで私をダシにして自分たちが楽しんでいるみたいだ!
穴をくぐろうとして頭から墜落すること自体相当マヌケなので文句は言えないが。
墜落騒ぎで服も汚れてしまったし、ホテルへ戻ってキラに着替えたかったのだが、ゾンの見学時間は4時までで時間がないからダメと言われてしまった。よれよれの服装でゾンへ行くのはイヤだったが、仕方ない。
広々とした平原の高台に建つゾンまで、そんなに遠くなかった。途中の道から、午後の穏やかな光の中に、城砦のようなパロのゾンを望むことができた。ゾンに到着し、跳ね橋を渡って中へ入る。
建物の装飾は整っていて美しく、ゾンから眺めるパロ平原の景色もきれいだった。
けれど、私の旅行の「自分らしい部分」は終わってしまったのだと感じ、寂しかった。
ゾンを出て、すぐ近くのアーチェリーフィールドへ行く。
アーチェリーはブータンの国技だ。
他の町や村でもアーチェリーを見る機会があったが、ここでもパロの町の人たちがアーチェリーの練習をしていた。国技といっても、日本の弓道のように形式ばったものではなく、それぞれがカーボンファイバー製の現代弓を手に持ち、談笑しながら順番に矢を射る。ゴルフの練習場みたいな雰囲気だ。150メートル先に木の板が立ってて、直径30センチほどの円が描いてあり、それが的だ。
ただ、どんなスポーツでもそうだが、上手な人とそうでない人がいて、国技とは言ってもみんながみんなアーチェリーをするわけではない。ジャムソーもネテンもアーチェリーはやったことあると言っていたが、特に興味はないようだった。
パロのアーチェリーフィールド
それから、本当にささやかなパロの中心街を散歩する。パロの空港ができたのは23年前、町もそれに合わせて発展したのだろう。あまり歴史を感じさせない小さな町だ。すでに夕暮れで、寒くなってきた。
お茶休憩だといわれて、ビルの2階の飲食店に入る。フロアの隅にドラムセットが置かれていた。ここでライブ演奏をすることがあるのだろうか?
ドラムセットの横にギターが置いてあった。
ずいぶん使ってなかったようで、チューニングがまるででたらめだったが、それを調弦しなおしてネテンがギターを弾いた。ネテン、器用だなと思ったら、ジャムソーまでギターを弾きだしたのには驚いた。
私たちはお互い、誰かをびっくりさせるのが好きなのかもしれない。